第11話 隠された意図

 朝の光が差し込む寝室で、俺――若の意識を宿す少年アーテル=グラキエスは、いつになく厳粛な面持ちのレーニスを見つめていた。レーニスは母の実家から派遣されている女中であり、アーテルと妹ネーヴェの世話を黙々とこなしている女性だ。だが、その瞳はどこか張り詰め、やや警戒するように揺れている。彼女の手には一通の手紙が握られていた。


「アーテル様、こちらが先ほど屋敷に届きました。差し出し人は……ルーナエ家の当主テネブリス様です」


 その瞬間、俺の中で「ルーナエ家の返事か!」という喜びと、「支援が得られるのか?」という期待が入り混じる。そもそも、ルーナエ家は母スアーウィスの実家だが、財政難に苦しむ貧乏宮廷貴族でもある。多少なりとも力になって欲しいと、先日アーテルが手紙を出したばかりだった。


「ありがとう、レーニス。見せてもらうよ」


 差し出された封筒を受け取ると、その封蝋には月と狼をかたどった紋章が浮かび上がっていた。紋章からはかすかに甘い香りが漂い、何とも言えない不思議な気配を放っている。俺は思わず封蝋をじっと見つめ、脳内でアーテルに「月と狼、そして甘い匂い……どういう意味なんやろな?」と声をかけると、アーテルも戸惑いを見せた。


(ルーナエ家の封蝋は月と狼だと聞いたことがあるけど、甘い匂いまでは知らない。何か仕掛けがあるのかもしれないね)


 とりあえず封を切ろうとするが、よく見ると封蝋の周りにわずかな切れ目があり、すでに一度開封された形跡が見受けられた。誰かが中身を覗き見たのかもしれない。俺は注意深く手紙を取り出し、声を出して読む。


「孫であるアーテル=グラキエス殿へ。

 ルーナエ家が厳しい状況にあることは、すでにご承知のことと思います。残念ながら我らが抱える財政難は深刻で、金銭的な支援をあなたに差し伸べることは叶いません。申し訳ないが、辺境伯家に対する積極的な後ろ盾にはなれず、心苦しく思います。

 ……もっとも、ルーナエ家は引き続き血縁として見守る所存であることを忘れないでください。いつの日か、あなたが真に力を欲するのであれば、私たちもそれ相応の形で応じようと思います。

 祖父として、あなたが立派に成長されることを祈っております。

 ――テネブリス・ルーナエ」


 一読した限りでは、「金は出せないが関係を切るわけでもない」といった玉虫色の内容だ。はっきり言って落胆が大きい。暗殺未遂の件や辺境伯家内の継承権争いで、どこかの勢力の支援が必要だと思っていたが、ルーナエ家は当てにならないのだろうか。アーテルが脳内で「これじゃあ期待薄かもね……」と肩を落としているのがわかる。


「わかった、レーニス。返事としては『金銭面は期待しないでくれ』という感じなんだな。あまり当てにはできそうにない」


 俺がそう漏らすと、レーニスは何か言いたげな顔をしたまま黙っている。まるで、まだ何かが隠されているのではないかという疑念を抱えているかのようだ。俺も少し胸騒ぎがし、手紙をひっくり返して裏面を確かめる。すると、紙の端にかすかにインクの擦れが残っているのを発見した。


「これは……?」


 封筒をバラしてよく調べるうちに、内側に文字が書かれていることに気づく。ほのかにインクがこすれ、ほぼ見えにくいが、わずかな文字列を読み取ることができた。


「『月影の秘儀はただ夜空のみが知り、我らの眼差しを拒む』……何だこれは?」


 声に出して読んだ瞬間、レーニスがすっと俺の前で膝をつき、深々と頭を下げる。その表情には覚悟を決めたような色が浮かんでいた。


「アーテル様、ルーナエ家の秘密をお話ししなければなりません。この言葉は我らの間で伝わる合言葉であり、王国の暗部に携わる者だけが知る一節なのです」


 レーニスが頭を下げたまま厳粛に語り始めた内容は、まさに驚愕の事実だった。祖父テネブリスはただの貧乏貴族の当主などではなく、王国内で暗部活動を担う一族の長。代々、王しか知らない秘密を守り、諜報員を束ねて情報収集や工作活動を行ってきた家系だという。母スアーウィスが辺境伯家に嫁いだのも、その監視任務が絡んでいたというのだ。


「なるほど、だからルーナエ家は表向き典礼書記官として働き、王宮儀礼装飾費を活動費に回していたんだな。でも前王が急逝し、現王は暗部の存在を知らないから、予算を削ってしまった……。結果、ルーナエ家が自腹で諜報活動を続けなきゃならず、財政難に陥っているわけか」


 俺がまとめて口にすると、レーニスは神妙に頷いた。


「はい。ルーナエ家が貧乏宮廷貴族と噂されるのは、あえて拡散している情報でもあるのです。諜報組織が目立たないよう、むしろとるに足らない存在に見せている。そんな中でテネブリス様は、金銭面では支援できずとも人材は出せるという意味を暗に伝えたのだと思われます」


 つまり、この隠し文は「月影の秘儀」を解読できるかどうかで、アーテルの資質を測ろうとする試練でもあったわけだ。王にも知られぬ暗部を担うルーナエ家が、自分たちの血縁にどれほどの才能があるかを見る――俺は脳内でアーテルと目を合わせ、驚きと戸惑いを共有する。


(祖父テネブリスは、まさかこんな形で支援を示唆してくるとは……。少なくとも、敵ではなさそうだね)


「レーニス、ありがとう。いろいろ驚くような話だが、何となく合点がいったよ。金は出せないかわりに、人員を出せるってわけか」


 レーニスは静かに頷きつつ、「これでルーナエ家はアーテル様に無関心ではないと証明できたかと思います。今後、暗殺未遂の真相を追ううえでも協力できるでしょう。ただ……」と口ごもった。


「ただ、諜報員を派遣するには、この館内の状況を把握しなければなりません。すでに誰かが手紙を一度開封している形跡もありますし、敵が動いている可能性があります」


 そう言いながらレーニスは手紙の封蝋を見やる。甘い香りは、敵が施した細工なのか、それとも単にルーナエ家の暗号手法なのか、判別が難しい。俺はアーテルに脳内で「まったく気が休まらんわ」と愚痴をこぼすが、こうして一歩踏み込んだ情報を得られただけでもありがたい。


 話が一区切りついたところで、俺は改めて自分の体調不良について尋ねた。結局、料理からは毒が検出されなかったという報告だが、本当にそれが真実なのか。


「レーニス、もう一度聞きたい。撲が倒れたとき、本当に料理に毒は入ってなかったんだよな?」


「はい。あらためて確認しましたが、私どもが調べた結果に嘘はございません。まったく毒物は検出されませんでした」


 レーニスはきっぱりと断言する。同時に母スアーウィスの死についても同じ調査を行ったが、やはり料理は無関係だった。彼女が亡くなった日の夕食は、辺境伯家が隣国との戦いで功績を挙げた祝宴であり、高級な食材がふんだんに使われたメニューだったという。だが、それを同席した多くの人間が食べているのだ。もし毒があれば、もっと大規模な被害が出たはずだ。


「けれど、なんで母上だけ、そして今度は僕だけが倒れたのか。やっぱり毒じゃない何かが……」


 アーテルの疑問にレーニスも困ったように首を振る。辺境伯家には彼女のような諜報員もいて警戒をしているし、簡単に毒を盛れるとは思えない。料理ではなかったのかもしれないが、それなら一体どう仕掛けられたのか。はっきりした答えはない。


(母上も俺も、同じように呼吸困難や高熱、湿疹……毒のような症状を出しているのに、毒はなかった。どういうカラクリなんだ?)


 脳内で俺は焦りを噛みしめる。真相に近づいたようで、まるで霧が深まったようにも感じられる。


 隠された文字「月影の秘儀はただ夜空のみが知り、我らの眼差しを拒む」。暗部を司るルーナエ家が投げかける謎は、アーテルにとって試練であり、支援でもある。金銭面こそ期待できないが、諜報員を派遣できるという事実は心強い援軍だ。だが、その一方で、封蝋が一度開かれた形跡があることを考えれば、館内に敵の手が回っている可能性も高い。


 レーニスは深々と頭を下げて、最後に言葉を添える。


「私はこれまで以上に、アーテル様の身辺を警戒いたします。スアーウィス様の死の再来を決して繰り返させません。それに、今後もし諜報員を動かす必要があるときは、いつでもお申し付けください」


 俺は手紙を再び封筒にしまいながら、複雑な思いで胸をいっぱいにしていた。母の死と自分の体調不良――いずれも料理に毒はなかった。では、一体何が原因なのか。それを突き止めない限り、同じ悲劇がまた起きるかもしれない。


(ルーナエ家が暗部だというのなら、こういう謎を解くのにも協力してもらえるだろうか。母上が隣国との戦功を祝う席で亡くなったあの夜……誰かが仕掛けた罠か、あるいは別の力が働いたのか)


「……ともかく、ありがとう、レーニス。撲も母のようにはなりたくない。それにネーヴェを守らなきゃならないんだ」


 アーテルの意志を受けて、レーニスは再度頭を下げるだけで、何も言わない。その沈黙に、覚悟と忠誠が詰まっているように感じる。


 レーニスが部屋を出て行ったあと、俺とアーテルは脳内で顔を見合わせる。レーニスの告白でルーナエ家の正体がわかった。祖父テネブリスが“月と狼”の紋章を持ち、王国の暗部を担う家系。その力を借りれば、暗殺未遂の真犯人を追い詰められるかもしれない。けれど同時に、その動きを知っている敵も相応の対策を打ってくるはずだ。


(母上の死が毒じゃなかったとしたら……何だろう。呪い、病気、または別種の毒系統……考えられる可能性は多い)


 ――レーニスですら簡単に毒を仕込まれたとは思えないって言っとるし。やっぱりこれは地道に情報を集めるしかあらへんな。


 ルーナエ家の試練というかたちで受け取った暗号――「月影の秘儀」は、ただ夜空のみが知り、我らの眼差しを拒む。まるでこの館の暗闇を示唆しているかのように思えた。祖父テネブリスは、アーテルに何をさせたいのか。暗部の後継者としての適性を測っているのか。それとも辺境伯家と王家を結ぶ、もうひとつの絆を探っているのか。


 ――やることが増えたな。でも、母と同じ運命をたどるわけにはいかない。妹もいるし。


(うん、ネーヴェや周りの人たちを守るためにも、ルーナエ家の諜報員を頼りにしよう。必要なら、祖父テネブリスに直接会う手もあるかもね)


 俺は手紙の封筒を握りしめる。甘い香りがまだ鼻をくすぐり、まるで「この先にはさらなる謎が待っている」と告げているかのようだ。


 毒の入っていなかった料理。母が死んだ祝宴の日の高級食材。同じものを食べても平気だった他の人たち。そして封蝋が一度開けられた形跡……すべては繋がっていそうで、まだ見えない糸を張り巡らせている。


 俺とアーテルは複雑な感情を抱きながらも、一歩ずつ前に進むしかない。ルーナエ家からの手紙が明かした暗部の存在は、思いがけない援軍になってくれるかもしれないし、逆にさらなる波乱を呼び込むかもしれない。どちらにせよ、黒幕ルートを回避し、妹や自分の身を守るためにはルーナエ家の力も必要だ。


 ――ふん、面白いじゃないか。やったろうやないか。真相は必ず暴いてみせる。母の死と俺の体調不良は同じ「毒でない何か」なんだろ? その謎は絶対に解決してやる。


 脳内で決意を新たにする。いつか真相に辿り着くまで、この封蝋の甘い香りを忘れない。そんな思いを抱きながら、俺とアーテルは真相へ向かって足を進めるのだった。

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