§2. 書類上の彼女に恋愛感情はない
「そんなゆるゆるのレギュレーションで、やる意味あるんですか?」
「そう思うでしょ? それがあるの」
俺の疑問に対し、中年というより初老に近い女性の養護教諭はそう言って微笑んだ。
「男女で示し合わなくてはならないでしょう? そのコミュニケーションが大事なのよ」
「コミュニケーション、ですか」
「本当に付き合っていなくても、お互いに納得すれば交際届は出せる。デート報告書だって、近くの公園で話すだけでもいいし、示し合わせて捏造したって何も言われない。まあ、二人の報告書の内容が矛盾していれば担任のチェックで弾かれるけれど」
クラス全員のデート報告書を見なくてはならない担任はご愁傷さまである。
いや、むしろ面白いのか?
「でもね……」
恋愛指導の先生でもある養護教諭は続けた。
「本気じゃなくても交際届を出す相手を探すには、異性と話す必要があるでしょう?」
「…………」
俺は反論できなかった。
ちなみに同性で交際届を出すには医師の診断書が必要なので、不可能ではないがハードルは高い。
「結局、対話が大切なの。相手を探すには普段から何人かの異性と話して人となりや交際関係を把握しておく必要があるし、相手がまだ誰とも付き合っていないことを確認して、形式上でも交際を申し込まなくちゃならないでしょ?」
窓の外からは蝉の声が聞こえる。
温暖化の影響で、蝉時雨は9月に入っても絶えることがない。
差し込んだ光が、床にいびつな四角形を作っていた。
「デート報告書だってそう。そのためにデートするのはもちろんいいことだし、本当にデートをしないにしても、矛盾がない報告書を書くにはデートプランを相談しないとね。そういう経験を積むのが大事なの」
保健室の壁には、さまざまなポスターが貼られている。
人体の解剖図。
感染症の予防を呼びかけるポスター。
「子どもの作り方」なる性教育のポスター。
ああもう、目のやり場に困るな……。
やけに肌色の多いイラストが書かれたポスターから、俺は思わず目をそらす。
人類が存続していくために大切なことだと分かっていても、やっぱりなんか気まずいんだよなー。
「どうかした?」
「あ、いや……。経験を積むって言っても、そう上手くいきますか?」
俺は慌てて話を戻した。
「実際に上手くいってるでしょ?」
眼鏡の奥で、先生は目を細める。
確かに、恋愛奨励法の施行以降、国内の婚姻数は増加の傾向にある。
去年はついに出生率も増加に転じたらしい。
まったく、世の中いったいどうなってるんだ? 人類チョロすぎだろ……。
「それとも、恋人を作るのは嫌?」
先生は心配そうに俺を見つめた。
「あ、もしかして診断書が必要? それなら……」
「いやいやいや、大丈夫です」
「恥ずかしがらなくていいのよ。性的指向は人それぞれなんだから」
「そ、そういうんじゃないですから……」
俺は慌てて否定した。
本当の同性愛者でもないのに、「異性と交際届が出せなかったので同性と出しました」というのはさすがにマズいし、診断書も出ないだろう。
「なんだ、残念」
いやいや、残念って何だよ!?
💕
花びらが風に舞う。
体育館の脇に植えられた桜は盛りを過ぎ、すでに青葉を覗かせていた。
昔は4月の入学式の頃に咲いたという桜も、今や卒業式の頃に散ってしまう。
それでも卒業証書の筒を抱えた卒業生たちは、
やはり圧倒的に多いのは男女の恋人同士だ。
最初は形式上だったとしても、交際届を出した二人は実際に恋仲になることが多いらしい。
「あれ~? あんたもやりたいの?」
俺が横目で恋人たちを眺めていたことに気づいたのか、
「ちげーし」
冴島有佐は俺の恋人だった。あくまで書類上の。
お互い恋愛感情はない。示し合わせて交際届を提出しただけだ。
「そっちこそやりたいんじゃねーの?」
言い返して冴島の顔を見ると、彼女はフンと鼻で笑い、そっぽを向いた。
「別に、ホントの恋人じゃないから」
「恋人」にしては少し遠い立ち位置。
肩につかない長さに切り揃えられた彼女の髪が、春の風に揺れる。
柔らかな陽射しを受けて、伏せた睫毛が頬に影を落とした。
冴島は、いわゆる美人ではない。
こういう言い方は失礼かもしれないが、恋愛奨励法によって校内での化粧が推奨されるようになった高校の中で、彼女は美人とは見做されていなかった。
けれどそのとき、俺は彼女を綺麗だと思った。
*
「§3. つよつよ理系女子は強い男に惹かれない」(約1300文字)
2025.01.14.07:05公開予定!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます