勇者の子孫として生まれた俺。魔王の娘として生まれた幼馴染。

瑠璃

第零章

プロローグ

「…君……………つかさ君…起きて?」


右の耳から僕の名前を呼ぶ声がする。


「もう…授業始まってるよ?早く起きて?」


それも、周りに聞こえないような囁き声。

生暖かい空気が耳の中に直接入ってくると、身の毛がよだつような、いや、変にくすぐったいって言った方がいいのか?言葉を選ぶのが難しいが、少なくとも昨今流行っているASMR、例に出すなら男性向けの作品のように気持ちの良いものではない。

あんなのは画面の向こうにいる顔の知らないような人がダミーヘッドに向かってやっているのだから何も気にせず聴けるのが良いポイントなのに、隣に座っているやつは顔も知ってるし家も近いし、何なら家族ぐるみで食事に行ったこともあるような仲だ。


「ねえ、早く起きなってば…」


また耳元で囁いてくる。さっきよりも吐息がかかるからか、心なしかいやらしく聞こえてしまう。


「分かった、起きるって。お願いだからそれをやめてくれ」


次は何されるかと思うと、とてもじゃないけど寝ていられなかった。

全く、何で隣の席になっちゃったんだよ。


「司君、おはよう。なんか休み時間中ずっと魘されてたけど大丈夫?」


さっきから話しかけてくるこいつは寺島那月てらじまなつきという、幼馴染の関係にある人だ。

快活な性格の持ち主で、男女問わず人気がある。

小さい頃から彼女に好意を抱く奴に好きな物とか、好きなこととか、どんな人がタイプなのか質問攻めに会うことが頻繁にあったことを今でも覚えている。

こっちも質問されたからには返答はしているのだけれど、無事交際できたと聞く人は誰一人としていなかった。


「魘されてた?俺が?」

「そうそう!なんかずっと『ん…ん……逃げないと……』って」

「ええ…いや、覚えて…ないかな…」


何か夢でも見たのかと、必死に思い出そうとするけれど、朧げな雰囲気は出てくるだけでしっかりとした内容はほとんど残ってない。


「もう酷かったんだよ!ずっと苦しそうな顔してて、私すごい心配したんだよ?」

「司君、那月さん、今は授業中ですよ」


と、黒板の文字と睨めっこしている先生は言った。

こちらには一切興味ないのか、数式の証明を淡々と書き連ねている。

この先生は、今年度にうちの学校に赴任してきた先生で、僕らのクラスを受け持っている人だ。

休み時間とか、生徒指導の場では生徒(特に女子)に人気なんだけど、授業となると途端に性格が変わるちょっと変わった性格の持ち主で、そのギャップ的なものに惹かれる人が多いんだとか。

まあ、実際高身長で顔も男が見てもイケメンだと思うし、あの優しそうな目つきがいい。


「すみません!!司君が寝てたので起こしてました!!」

「はあ?!」

「え、でも起こしたじゃん?」

「いやそうだけれども!てか苦しそうな顔してたら起こしてくれてもよかったんだよ?それこそ休み時間に」

「でも寝てる姿見るの好きだからさ…悪いじゃん?」

「いいよその変な気遣い!恥ずかしい!」


茹で蛸になるぐらいに顔が真っ赤になる…とは言わないけど、耳が変に火照ってしまう。もちろん彼女に言われるのが恥ずかしいってのもある。でも本当に恥ずかしいのは…


「おいおい始まったぞ、司と那月の夫婦漫才!」

「二人とも幼馴染同士仲良よすぎでしょ!」

「この二人…推せる…」

「マジで羨ましい…」


と、このようにクラスの奴らからネタで言ってるんだか妬みで言ってるんだかよくわからん声援が必ず入ってしまうことだ。

入学して早々、一緒に登校してきたことで幼馴染の関係がバレた日から何かあるとこのように扱われてしまう。

実際、一度始まるとクラスが落ち着くのに時間がかかってしまうため、席を遠くするとかの処置が始めの方にあったのだが、気づいたら常に隣にいる始末。

どうなってんだ、うちの学校。


「皆さんも静かにしてください。今日の課題増やしますよ?」


その一言で生徒全員は黙り込んだ。やはり宿題が増えるのは嫌らしい。先生のおかげで公開処刑の時間が短く終わったことに感謝しよう。



荒く黒板に打ち付けるチョークの音が永遠に響き渡り、気づけば授業は終わり、放課後へと進む。部活動をやっている人はこれから練習に励む時間だ。

が、俺は入っていないので無縁な話。那月は中学時代陸上部に所属してて、一度全国に行ったこともある実力の持ち主なので、高校でも陸上部に所属している。

本当なら今日も練習があるはずなのだが…


「ねえ、今日どっか寄って行こうよ!」


と、誘ってきた。

部活がない日に誘ってくるのは分かるんだけど、今日は珍しい。仮に俺がここで断ったとしてもどうせ家に来て連れていかれるので、選択肢は『はい』と『YES』しか残っていない。


「いいけど、どこに行くの?てか今日部活じゃないの?」

「え、今日あるけどサボるよ。新しいカフェのメニューができたから、一緒に行きたいの。SNSで人気なんだよ!」


と、スマホにメニューを映しながら見せてきた。

目の前には、期間限定の文字と共に、この時期旬だとされる果物と生クリームをふんだんに使ったパフェが1番目に見える位置に置かれている。


いや、うちスマホ持ってきちゃダメなのに何平然と持ってきてるの?とかいう俺も持ってきてるのだから何も言えないけどさ。


「え、サボちゃって大丈夫なの?」

「え、ダメだよ?」

「だよねえ!じゃあなんで行かないの?」

「この時しか行けないの!分かった?」

「は、はい…」


と、このように毎度毎度せかされるわけである。

でも実際楽しいし、こっちも良いものを貰えるからそれで良いんだ。

それから俺たちは目的のカフェに行って、期間限定パフェとやらを一つ注文した。

一つ四千円以上するなんて初めて見たもんだからすぐに財布の中身を確認した。

何とか払えそうだったのでホッとした。

でもそれぐらいの価値は十分にあった。写真で見るよりも見栄えは華やかで、美しい。量も多く、今調べたら器を含めて一キロを軽く超えているらしい。

だから俺を連れてきたのかと思った。



実際二人で丁度腹に溜まるぐらいで、スイーツを食べているのにちゃんとした食事をとっている気分だった。甘い食べ物が好きな彼女は、飽きることなく食べ進めていく。昔からスイーツを食べる時に見せるその幸せそうな顔は、俺の心を和ませてくれる。


俺はこの顔が好きなんだ。

いつでも見ていたい。


いざ会計に入ると、彼女が俺を連れてきた理由がわかった。どうやらこのお店、期間限定で『カップル割』をやっているらしい。しかも、その割引は今日が最終日だったのだとか。だから誘ってきたのかとようやく合点がいった。しかもそのその割引額、何と料金の二十パーセントオフ!!デケェ、デカすぎる。期間限定だからというのもあるけど、それだけ安くなれば行きたくなるものだよな。でも、ちょっぴり恥ずかしい。


『カップル割』を使っているという事実に。


でもそれは俺だけじゃなくて、那月もそうみたいだった。微妙に頬を染めている。目を合わせようとしないが、視線はこちらに向いている。


俺だから分かる。

昔からそうだ。恥ずかしいと思う時に彼女がする行動だ。それにきっと、俺が恥ずかしいと思っていることも彼女は気づいている。会計が済むまで妙に話しかけづらい空気が流れた。



さて、目的を達成したのでこれから家に向かうところ。日も暮れ始め、空は紅くなり、鴉の鳴き声も目立ってきた。車通りも激しくなる頃だけど今日は珍しく一切ない。


…ん??


確かに、今歩いている道は一方通行の道で元々車通りも少ない。それに関してはいつも通りだ。でもすぐ近くには大きな車道がある。それこそ、その道をずっと辿っていけば駅に着くぐらいの大きな道。そのような道に車が一台も通っている気配がないのはありえない。


「なあ那月、なんか、変…だよな」

「う、うん。人もいないよね…」


那月の言う通りだ。確かに人を見ていない。だってこの時間、本来なら部活帰りの学生もいるはずなんだ。おかしい。何だ、何が起きた?


「ねえ、司、あれ…人じゃない?」


那月の指差した先には、沈んでいく太陽を背にこちらに向かってくる一人の影が。逆光になっているので性別もよく分からない。でも俺たち以外の人がいることに安心感を覚えた。


この油断が全てを崩していく原因となることを知らずに。



ゆっくりと向かっていく陰に俺たちも近づいていく。一歩、また一歩と着実に。

いつしか影は立体を持った人となり、その姿を現す。まだ冬でもないのにフード付きのパーカに身を包んだ高身長。体格からして男性。あと少しで顔がわかるってなったところで相手はさらに深くフードを被った。


その瞬間、こちらに向かって走ってくる。

何事だと思い、彼を観察すると、太陽に反射して反射するものが右下腹部の辺りから見えた。走り方や体の使い方から見て、手に何かを持ってこちらに向かってくる。まるで何かを狙っているかのように。


「!!」



まさか…



「那月!!逃げろ!!通り魔だ!!!」



後ろについてきていた彼女に振り向きながらそう叫ぶ。

この時、一瞬向かってくる男を視界から外した。

その一瞬、その一瞬だけで距離を詰められ、再び入れる頃には俺の上腹部に鋭い痛みが走る。

下側を見ると、制服を貫通して包丁が突き刺さっていた。


俺は刺されたのだ。頭が一瞬にして青ざめる。身体中が一気に寒くなった。地面にダバァと液体がこぼれ落ちる音も聞こえる。


「那月…早く…」


那月は俺が刺されていることに恐怖を抱いたのか、足元がすくんで地面に座り込んでしまう。

ダメだ。せめて彼女だけでも、俺はきっと間に合わない。でも彼女だけ助けられるなら、俺は!!


「早く逃げろ!!那月!!!!」


出せるだけ出した声量にハッと気づく彼女。俺はフードの男に蹴り飛ばされ、コンクリートの塀に頭をぶつける。その刹那、フードから見えたあの顔を俺は知っている。あの目つき、あの顔立ち、間違いない。



「何でだよ…先生…」



そこから意識は遠のいていく。彼女が無事逃げることができたのかさえ知らない。ああ、大丈夫なのだろうか。もったいぶらずに言えばよかったかなぁ。もしかしたら俺が言うのを待ってたのかもしれないのに。あんなにずっと一緒にいたのに…『君が好きだ』って…たったこれだけだったのに、勇気がないせいで言えなかった。そうか、これで終わるんだ。俺の人生って。






「…………………」

「…目を……して…い」


何だ、何か聞こえる。


「…目を覚…ましてくだ…い」


目を覚ましてください、そう聞こえた俺はゆっくりと瞼を開けた。強い光が視界に入る。

ただの光にしては、神々しい。目に入れても眩しくない、そう感じた。目が慣れてくるとそこには、人が立っていた。いや、厳密には人ではない。古代ギリシャ人とかが身につけそうな服に、大きな白い羽が背中から伸びている。そして、僅かながら浮遊している。そう、女神だ。俺の目の前には女神がいる。


「誰だ…あんたは」


伊藤司いとうつかさ。私は貴方をずっと見ていました。あのような命の落とし方、さぞ辛かったと存じます。紹介が遅れました。私の名はエスピル。貴方がいた世界、地球とは違った世界の女神です」


と、浮遊しながらこちらに向かってくる。空間自体がふわふわしているのか、軽い目眩のような気分になってしまう。あまりにも現実味がないが、やはり俺は死んでしまったらしい。


「那月、那月は…大丈夫なのか?」

「那月?ああ、最後まで一緒にいた女性の方ですね。ええ、安心してください。無事逃げ切りましたよ」

「そうか…良かった…本当に…」


唯一の心残り、彼女の安否を知れたことに安堵した。


「で、ここに俺がいるってことは…まさか?」

「ええ、貴方の想像している『異世界転生』をしてもらいます」


おいおいちょっと待て、実在していたのか?


「貴方には、『カナン公国』の勇者として、魔王を討ち取ってもらいたいのです」


「ちょっと待ってくれ、勇者だって?」


「そうです。今生きている公国民には、魔王に対抗しうる力が残っていません。私が手を出せばいい話なのですが、女神である以上、どの種族の方々に平等でなくてはなりません。しかしながら、私を信仰しているのは主に人族であるため、信者が蹂躙されてしまえばこのまま私の存在が消えてしまうのです。それを、貴方に阻止してほしいのです。もちろんタダとは言いません。貴方が勇者として戦えるよう、出自や環境に不便のないようにします。どうか…どうか…お願いします」



今にも泣いてしまいそうな表情を浮かべ、エスピルは話す。そして女神という立場であるのに、頭を下げてきた。


「…色々わからないけど、分かった。やるよ。きっと、今の俺にはそれしか出来ないから」

「ありがとう…ございます…!!」


彼女は涙を流して何度も何度も頭を下げる。このようにして俺、伊藤司改め、クロゼリー家の三男、アルヴァとして転生を果たした。

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