13 その正体は②

「二十一年前、私はつのという凶悪な鬼に攫われた。そこで、彼のなぐさみ者にされたの。けれど真均まさひとは紛れもなく殿の子よ。でもね、いくら主張しても、誰も信じてくれなかった。日に日に膨れていく腹を抱え、どれほど心細かったことか。このような一族の元に生まれても、この子はきっと幸せではない。そう思い、堕胎薬を飲んだけれど、流れない。ならばこの母ごと死のうかと考え毒を飲んでも命を取り留める。大殿ですら私と胎の真均を遠巻きにした。全てが憎い。三つ角も、大殿も、東国も人の世も、私の運命の全てが」


 そうして憎しみを募らせた深紅みくれ鬼孔きこうを呼び、鬼に食われて大鬼たいきの一部となったということだろうか。しかしそれならば、眼前の尼は、深紅の姿を真似た大鬼であるはず。食った方の鬼が本体となり、食われた側が姿を取り込まれるのが、鬼の性質なのだ。


 しかし、深紅はまるで、鬼頭の女主人という人格が本体であるかのように振舞っている。


 いったいどういうことなのか。疑問は尽きない。だが、今はそれどころではない。


「でも、それならなぜ、一番に憎むべき存在であるはずの鬼を呼び寄せるようなことをするんです」


 深紅は口を閉じ、束の間じっと奈古女を見つめてから、嫣然と微笑んだ。


「真均なら、きっとわかってくれる。あの子も人の世ではなく、鬼の世界で生きるべきだもの」


 滑るようにして、深紅が迫る。その背後に、ゆらりと陽炎のような影が立ち上がった。瘴気、という言葉が脳裏を過ったが、そうではない。瞬きをする間にそれは和香わかの姿を取る。額には、血濡れたような艶を放つ一本の角。


「和香様」

「奈古女、逃げるわよ!」


 不意に影雀かげすずめが耳元で騒ぎ始めたが、奈古女の視線は白い色をした和香の美しい顔に釘づけになっている。


「和香様、憎い女をどうぞ召し上がれ」


 深紅が楽しげに言う。


 和香が、儚げな笑みを浮かべて、深紅の横をすり抜け奈古女に迫る。その切ない瞳の色に、生前の和香が持っていた人としての情が表れているように思え、奈古女はむしろ前へと踏み出した。


「和香様、だめです。戻ってきて。あなたは鬼になるような人ではなかった。ただ、愛しい人がいて、不安で」


 だからこそ、奈古女のせいで鬼孔を呼んでしまったのだ。


「ちょっと奈古女。お馬鹿!」


 影雀が翼で奈古女の頬を叩き思い止まらせようとする。


「もう食べられちゃったのよ。手遅れなの! あんたまで鬼に食われたいの?」

「だめ。お願い、和香様の姿で人を食べないで!」


 その刹那。奈古女が上げた悲痛な声を切り裂くように、閃光が飛来した。それは真っ直ぐに和香の額に突き刺さる。光の正体は弓矢だ。


 突然の衝撃に、人間そのものの表情で瞠目した和香は、眼球を動かして、庭先にいた射手を捉える。その黒い瞳が大きく揺れた。


「わか、どの」


 呟きを残し、糸が切れたかのように後ろへ倒れる。庭から矢を放った真均は姿勢を解いて、絶句する奈古女たちを一瞥もせず大股で縁へと上がり、和香の横で短刀を抜いた。彼が行わんとすることに気づき、奈古女は思わず声を上げた。


「だめ……」


 虚しくもその声は、心臓を一突きした刃が骨肉を裂く悍ましい音にかき消された。


 真均は刀を引き抜くと、感情の欠落した表情で刀身の露を払い、顔を上げて深紅と視線を合わせた。しばしの沈黙の後、先に口を開いたのは、深紅だった。


「ああ、和香様。可哀想に。愛した人に刺されるなんて。真均はあなたではなくあの巫女を守ったのよ。憎いでしょう。悲しいでしょう。あなたの憎悪はとても美味しいわ。もっとも」


 深紅は床に膝を突き、和香の姿をした大鬼から流れる赤黒い血を、指先で掬って舐めた。


「死んでしまったのだから、何を言われてもわからないのだろうけれど」

「やはり、おまえは鬼だったのか」


 絞り出すような声が、真均の喉から漏れた。その声が自身に向けられているのだと理解した深紅は、柳眉をひそめる。


「まあ。母親に向かっておまえ、だなんて」

「母ではない。おまえは母を食った鬼だ。その証に、少なくとも尼姿になる前は角などなかった」

「あら、母が鬼だったら嫌だと言うの? 不思議ねえ」


 深紅は指先から手首に流れ落ちた血を舐めてから、その腕を上げて真均の額を指差した。


「あなたにも鬼の印があるというのに」


 そう、真均の額には、昨晩とは比べ物にならないほど大きな角が生まれていた。騒動を聞きつけて集まっていた家僕や郎党の間に、戸惑いの声が上がる。


 鬼頭の若殿は鬼である。その噂は以前からあったものの、名目上、真均は鬼頭の跡取りであり、三つ角ではなく大殿の子として扱われてきた。だが今や、深紅を睨んで立つ真均の姿は、紛れもなく鬼。誰の目にも明らかなことだった。

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