7 初めての戦い②

 覚悟を決めた刹那、それは突然起こった。


「わっ!」


 不意に突き上げるような地震が起こり、前方の地面から墨のように黒い粘性の液体が噴出した。恐慌に駆られた馬が棹立ちになり、膝で馬と一体化する術を知らない奈古女なこめの身体が宙に浮く。


 すかさず引き留めようとした真均まさひとだが、無理な体勢がたたったのか、二人そろって馬の背から弾き飛ばされて、下草の繁茂する斜面へと叩きつけられた。


 幸いなことに、草が衝撃を吸収してくれたらしく、二人とも目立った怪我はない。


 身体の下から低い呻き声がする。真均だ。体勢から察するに、どうやら奈古女を庇ってくれたらしい。慌てて助け起こし、奈古女は声を上げる。


「大丈夫ですか! ごめんなさい。私の下敷きに」

「それはどうでもいい!」


 真均は激しい語調で叫び、向かい合った奈古女の頭越しに虚空の闇を睨んだ。


鬼孔きこうだ。新しい鬼孔が生まれた」


 では、先ほど地が揺れ黒が噴き出したのは、鬼孔が湧く衝撃によるものだったのか。


「若殿! ご無事ですか?」

「俺は問題ない。各々、鬼と対峙せよ!」


 安否を気遣う郎党の声に鋭く返し、真均は奈古女を押し退けるようにして立ち上がった。


「舞え。そして穴を塞げ」


 草の上に座り込んだままの奈古女を見下ろして、真均が鯉口を切る。その視線はすぐに鬼孔の方面へと向けられた。


「ぼんやりするな。何のためにおまえを庇ったと思っている」


 落馬の衝撃で地に転がっていた神刀を投げて寄越し、真均は一足先に走った。その背中を追い奈古女は、先ほど地面に打ちつけてから鈍く痛む腕をさする。


影雀かげすずめ、無事?」


 声をかけると、白小袖の胸あたりで小さくひんやりとしたものが蠢いた。やがて上に羽織った千早ちはやの衿元から澄ました声が発せられる。


「なんとか無事よ。はぁ、潰れるかと思った」

「神楽を舞うわ」


 鬼討伐に慣れた鬼頭の郎党らはさすが動きが早い。辺りには松明が立てられて、武者らが斬り結ぶ姿が赤く照らし出されている。……そう、刃を重ね合っているのだ。


「え」


 勇んで舞い始めようとした奈古女の身体が硬直する。瞠目したまま動かない巫女姿に、やや離れた場所で戦っていた真均が気づいた。対峙していた相手の頸部を鎧の間から短刀で突き刺すと、刀の露を払いつつ駆け寄った。


「何をしている。怖気づいたか」


 彼の接近と共に、濃厚な血の香りが奈古女を襲った。確かに、目の前で繰り広げられる血腥い命のやり取りには恐怖を覚える。しかし、奈古女の意識を絡めとったのは、敵の姿形。


 たとえば今しがた真均が刃を突き立てた男は、鎧のつなぎ目から赤黒く染まった直垂ひたたれを覗かせ、手には鮮血に妖しく煌めく刀をしかと握っている。奈古女は血の気の引いた唇を動かした。


「あ、あれは人間では?」

「いいや、大鬼たいきだ。見ろ、角がある」


 真均が切先で、男の額を無慈悲に小突いた。親指の先ほどの小さな突起であったが、鬼の印である角がある。


 大鬼は、食った者の姿をも手に入れるのだ。ならばあれは、犠牲になった武者の姿を真似た正真正銘の鬼。そう理解しているとはいえ、眼前に転がる鎧姿には感ずるものがある。


 当然、真均にとってはよく知る男の姿をしているはず。鬼とはいえ知人を斬るというのは何と残酷なことだろうか。


「おい、食われて大鬼の一部になりたいのか」


 大きな舌打ちと共に、真均が刀を振り上げる。鋭い風に切られ、奈古女は思わず目を閉じる。鋭利なものに骨肉が裂かれる鈍い音が鼓膜を打ち、篝火の朱に染まった瞼の裏を通して、黒い影が傾いで倒れるのがわかった。


「奈古女」


 苛立たしげに呼ばれ、目を開く。足元に、別の骸が転がっていた。悲鳴にすらならない恐怖の息を呑み込み一歩後ずさる。震える腕に抱えられた神刀の鈴が、しゃらしゃらと鳴った。


「奈古女、聞け」


 真均が鮮血の香りを纏いながら、奈古女の腕を掴んで引いた。


「鬼孔を塞げ。そうすればこの惨事を止められる。巫女であるおまえにはできる。そう、おまえにしかできないことだ」

「私にしか」


 かんなぎの宮ではいつも足手まといだった。自分に、何か大それたことができるとは思っていない。だがこの戦場において、奈古女は唯一、不毛な争いを終わりに導くことができる存在だ。


 奈古女は唇を噛み、緋袴ひばかまの裾を叩き軽く泥を落としてから、足を前へと滑らせた。


 後ろ、前、後ろ、斜め前、片足を軸にくるりと一回転して神刀を鳴らす。清涼な鈴の音に応じたように、宵闇の中から青白い微光が集い始める。


 影雀が、足元で一緒に足を踊らせているのがわかる。他の巫女と合わせて舞うことが、ずっと苦手であった。しかし、影雀とならば話は別である。彼女は人間ではないが、奈古女にとって誰よりも心の近い、いわば半身のような存在だった。


「そうだ、それでいい」


 真均の満足げな声がした。彼は奈古女に群がろうとする武者や百姓姿を、まるで自らが鬼にでもなったかのような気迫で斬り伏せる。飛沫を上げた鮮血が、奈古女の白い千早に赤い花を咲かせた。途端に恐怖が蘇り、足の運びが乱れる。


「奈古女、しっかり」


 夜の闇に同化してほとんど輪郭が認められない影雀が叱咤した。続いて、真均が怒鳴るように言う。


「よそ見をするな! 舞っている間にも周囲に気を配れ」

「そんな、無理です」


 全意識を集中させなくては、清めの波動は生み出せない。現に、真均の言葉に意識を取られた途端、青白い光が霧散しかけた。


 それを目で追い、真均は苦々しい声音で譲歩した。


「ならばその茂みの影で隠れて舞え」


 強引に肩を押され、半ばよろめきながら、畑の作物の間に姿を隠す。この場所ならば、戦いの中心地からは目立たない。


「鬼がそちらに行かないよう、俺が盾になる。だから気兼ねせずに舞え。しかし今回だけ……っ⁉」


 真均の言葉は、呻き声に上塗りされる。目を向ければ、東国武者よりも一回り体格が大きく赤い肌をした大鬼が、真均の振り下ろした刀を掴んでいた。


 人間の姿で東国武者らに戦いを挑んでも、脅しにもならないと気づいたのだろうか。気づけば辺りには、青や緑といった、常人にはあり得ない肌色をした巨大な鬼が溢れていた。


 鬼孔から、わらわらと鬼が這い出している。それを一瞥し、真均は鬼に掴まれたままの刀を手放す判断をした。目の前にいる鬼から飛びしさり、松明を地面から引き抜いて鬼の密集する辺りに投げた。


 火に巻かれた鬼らが悶絶する。


「奈古女、急げ。鬼孔を」


 真均が吼えた、その時だ。


「ほほう、おぬし、美味そうだな」


 炎の中で、ゆらりと影が揺れた。他の個体よりもさらに一回り大きく、小山のような姿をした大鬼だ。


 体中の筋肉が異様に隆起しており、額には角が二本。見るからに格の高そうな大鬼を前にして、真均が唸った。


「おまえ、いったい何人食った」

「さて、覚えてはおらんのう。それよりも」


 鬼が笑うと、鋭い犬歯がぎらりと光る。


「おぬしが噂に聞く若棟梁か。その弱き心から鬼の餌を滴らせながら、鬼の身で、鬼を狩る。難儀なことよ」


 身を潜めた葉と蔓の間からでも、真均が息を呑むのがわかった。


 その時、緊迫した空気をものともせず、巨大な鬼の横から、命知らずの俗鬼ぞっきが真均に向かってきた。巨鬼はそれに淀んだ目を向けると無造作に片手で掴み、己の口に放り込む。


 巨鬼の咀嚼に合わせて漏れた、骨が砕かれる悍ましい音が、奈古女の肌を粟立たせた。胃酸が込み上げてきて、思わず口元を手で覆う。


「上級鬼同士の知的な会話に乱入するとは、無礼な者よのう」


 ごくりと俗鬼を嚥下して、巨鬼は醜悪な笑みを浮かべる。生臭い息を吐く口から覗いた鋭利な歯は、噛み砕いたばかりの脂と鮮血でぬらぬらと光っていた。


「鬼頭の若棟梁。いいや、かつてこの地を統べた大鬼の忘れ形見と呼んだ方がよいか」

「鬼の、忘れ形見……?」


 状況が読めない。思わず呟きを落としてしまい、巨鬼に姿を認められやしないかと肝を冷やしたが、幸い鬼の意識は真均にしか向いていないらしく、草の陰で身を縮こまらせる巫女の存在には気づいていないようだ。


 真均らの周囲にのみ、薄い沈黙の帳が落ちたかのようだった。離れた場所では今も剣戟が響いているが、巨鬼の側では、他の鬼らはまるで木像のように行儀よく立ち並び、微動だにしない。


 奈古女の舞はすでに止まり、集った清めの力は神刀の刀身にぼんやりと纏わりついている。


 しばしの放心の末、我に返った真均は地に伏しこと切れた仲間の指から刀をはぎ取ると、正面に構えた。


「戯言を。俺はこの地に跋扈する鬼を斬る鬼頭一族の末裔だ」

「ほう。ならば先ほどの動揺はどうしたことか。本当は、おぬし自身が最もよく理解しておるのではないか? 己がどういった存在であるのかを」

「黙れ!」

「まあそう吼えるな。教えてやろうか」


 巨鬼は獲物を前にした獣のように舌なめずりをした。


「さあ、こちらへ来い。真実を知りたいだろう」


 真均は巨鬼を睨んだまま動かない。固唾を吞んで見守る奈古女の肩で、影雀が囁いた。


「まずいわね」

「まずい?」

「若殿の身体から、膿みたいにどろどろちた感情が流れ出ちているわ。あれじゃあ鬼孔を呼びかねない」


 目を凝らしてみたが、影雀が見ているものは奈古女の目には映らない。だが、人間とは異なる存在である影雀が言うのならば、間違いはないのだろう。


「どうしよう」

「その刀」


 束の間の沈黙の末、影雀が嘴で神刀を示した。


「刀身が、清めの光を纏っている。あれで巨鬼を斬って、それから鬼孔に刺して」

「でも、刃は潰してあるし、そもそも清めの波動では鬼自身を清めることなんて」

「脅ちくらいにはなるわよ。つべこべ言わず、やりなさい!」


 影雀が叱咤したと同時、地面が小刻みに振動し、奈古女は体勢を崩す。四つ這いになり葉陰から顔を上げれば、松明に照らされた真均の足元から、黒が泡立ち土を巻き込み噴出するところだった。


「若殿!」

「行くのよ奈古女!」


 人は、必要に迫られると頭が真っ白になり、自ずと身体が動くものらしい。食材以外の物など切ったことのない奈古女だが、本来は武器ですらない神刀を見様見真似で振り上げて、雄叫びを上げながら走った。


「うぬ?」


 巨鬼が眉を上げて、小さな闖入者を見下ろす。その正面で、真均は目を剥いた。


「馬鹿、わざと鬼の前に飛び出す奴が……」


 鬼孔に足を取られた真均の身体がぐらり、と傾ぐのと、奈古女が振り下ろした神刀が割れそうな鈴の音を響かせながら巨鬼の腕を斬ったのは、ほとんど同時だった。


「なんと、このような場所に巫女か」

「奈古女、鬼孔に刺ちて」


 まるで蠅でも払うかのように伸ばされた赤い腕をすり抜け、奈古女は両手で柄を握り、黒い沼のような鬼孔に切先を突き立てた。穴は脈打つように青白く明滅し、次第に狭まっていく。今まさに這い出そうとしていた鬼が、長い爪を虚空に伸ばしながら再び沈んでいく。


 鬼孔を閉じることに成功したのか、とやや安堵しかけた時だ。


「そうか、巫女を再び東国に呼び寄せたのか。なんと愚かなことよ。百年前に多くの巫女が我らに食われて命を落としたことを忘れたか」


 巨鬼が、奈古女を一瞥してにやりと笑う。


「無知でか弱い巫女がまた一人、我らの餌となる。まさかほんの一欠片の罪の意識もないわけではあるまいな、鬼頭の若殿よ。ならばその感情のまま、ともに葛藤に沈もうぞ」


 巨鬼の赤黒い手が、真均の腕を掴んだ。声を上げる間もなく、真均は巨鬼に引かれ、今にも閉じようとする鬼孔に落下した。その姿が闇に消える直前、真均と視線が重なった。奈古女に向けられた眼差しは深く暗い虚を宿しており、まるでそのまま鬼にでもなってしまいそうで。


「待って!」


 巨鬼と真均の会話の全てを理解したわけではない。しかし、彼を見捨ててはいけない。これだけは確かなことだ。


 奈古女は咄嗟に真均の後を追う。反射的に飛び立った影雀が頭上で何やら喚き立てたが、奈古女は止まらない。そのまま無謀にも、鬼孔に飛び込んだ。

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