第七章 このアンティークは凶器だ

「さて田ノ上警部。我が家を捜査して構わないか?」


「もちろんです。元より先生のご自宅ですからね。その上で、なにかお気づきの点があったら是非お教え願いたいとです。なにしろ不気味な事件だ。なにがなにやら、我々警察はちんぷんかんぷんで」


「手前もまだ、ちんぷんかんぷんだよ。さて、店の中を見て回るか、万葉子さん」


「はいっ」


 万葉子と古御門物見は骨董店に入り、あたりをくまなく調べる。

 しかし事件の痕跡、謎が分かりそうなものは容易に見つからない。


「大抵のところは警察が調べましたがね、店内に怪しいところはなかったですよ。毒は珈琲そのものと、珈琲カップの内側からしか検出されませんでした」


「ほう? 毒は珈琲とカップだけ。それは本当か、警部」


「ええ。あとは深町定が珈琲を吐き出した手下げ袋の中にも、ごく微量の毒がありましたけれど、あれは定が飲んだ珈琲の毒でしょう。本当にごくわずかだったので、体調に影響が出なかったんでしょうな」


「ふむ? ……他には? 店内の他の場所からは毒は出なかったか」


「え、ええ。床や壁まで、くまなく捜査しましたけれども」


「二階も?」


「無論です」


「……ふむ」


 古御門物見は、少し考え込む仕草をしていた。

 床や壁に毒物がないことが、考えることに繋がるのか。万葉子にはまだ、よく分からなかった。


 やがて古御門物見は、気を取り直したように顔を上げると、


「まあ、店内で毒が発見されたら大変だったな。手前が第一の犯人候補になってしまう」


「ええ、ですから毒がなかったのは実に良かった。それに先生は、被害者の蛭間とその日が初対面でしょう。殺す動機がありませんから、そういう意味でも先生は加害者たりえない、ちゅうのが警察の見解ですけん」


「初対面の人間をいきなり刃物で殺害した殺人狂を、手前は知っているが。英国イギリスの事件だがな」


「古御門さま、せっかく警部さんが無実だとおっしゃってくれているのですから変な方向に話を持っていかないでください」


 万葉子はやんわりとたしなめた。

 古御門物見は無表情のまま、冗談だ、などと言っているが。どこまで冗談なのか。


 それにしても、被害者と初対面という意味では、伊吹惣七郎も静もそうだ。この二人にも殺人の動機は存在しない、ということになる。


「それで警察は、お定さんと昇くんを署に引っ張ったままというわけだな? 証人も証拠もなく」


「ええ、まあ……。警察としても、証拠が出てきたら一発なんですがね。例えば、深町定と深町昇、それに蛭間四郎の三人が宿泊していた春日旅館の部屋から、毒が見つかるとか」


「そういうものもなかった、と」


「ありませんでした。恐らく余りの毒は外の石堂川にでも捨てちまったんでしょうがね。深町定の部屋からは、怪しいものはなにも……」


「春日旅館の部屋の指紋は?」


「調べましたが、旅館の従業員のほかには、深町定、深町昇、蛭間四郎の分しかありませんでした」


「他の人物の気配はない、か。お定さんの部屋には、他になにがあった?」


「あとは……着替えと、風呂敷、扇子、髪くし。歯磨きにつまようじ、上草履うわぞうり。箸に、コップ。飴玉が六個――」


「旅行用の道具ばかりね」


 静が落ち着いた声で言った。

 万葉子は同意の意味でうなずいた。

 お定と昇が犯人だという証拠は、まったくなさそうだ。


「お定さんの所持品検査はやったのか?」


「やりました。深町昇のほうも、もちろんしました。しかし二人は毒を持っていませんでしたし、ついでに言えば、二人の指先に毒が付着していたりもしませんでした」


「警部さん! これでお定さんと昇さんを捕まえておくのは無理がありますよ。早く自由にしてあげてください」


「いや、古御門夫人。お気持ちは分かりますがねえ。なにしろ他に怪しいのがいないもので……」


「お定さんが吐き出した珈琲からはわずかでも毒が出てきているんでしょう? お定さんは被害者ですよ」


「それはそうなんですが、しかし皆さんが飲んだ珈琲には、すべてに毒が入っていましたからねえ」


 そう言いながらも、田ノ上は少しばつが悪そうだった。

 証拠もなしに、いつまでも人間二人を捕まえておくことは不可能だと、分かっているのだろう。


 古御門物見は深刻な顔で、


「犯人は持っていた毒をすべて、あの珈琲に入れたのだろう。どこかであの珈琲に毒が入り、七つの毒入り珈琲が完成した……」


「でもそれなら、私たちが生きているのはおかしいんですよね」


「いや、夫人、まったくその通りです。だからこの事件はおかしい。――用意された珈琲カップの中には、なみなみと注がれた熱い珈琲、砂糖、そして毒……。珈琲に口をつけてごくりと飲んだらまず即死、運が良くても病院送りは免れないものが、亡くなったのは蛭間ただ一人という謎……」


「警部、犯行に使われた珈琲カップを見せてもらえないか」


「はい、こちらに」


 古御門物見がそう来ると予測していたのか、田ノ上警部は部下の警官に命じて、珈琲カップを持ってこさせた。


「指紋も検出しとりますけん、素手で触って大丈夫ですよ。なおカップに付いていた指紋は、事件当日、この場に集まった関係者のものだけでした」


(指紋って、人間の指についている模様のことよね。昔、探偵小説で読んだことがある)


「となるといよいよ犯人は、ここに集まった七人のうちの誰か、ということになるが」


「筆などを使って、指紋が付かないように毒をカップに塗った、という可能性は?」


「さて、それが可能かどうか。手前の目でもよく見てみよう」


 古御門物見は珈琲カップを舐めるように見回していた。上から、下から、横から。カップに毒が塗られたと思っているのだろうか。しかしそれでもやはり、万葉子たちが助かった理由にはならないのだが――


「分かった」


「えっ」


 万葉子も田ノ上も、仰天した。


「犯人が分かったのですか、古御門さま」


「いや。この珈琲カップの秘密が、だ。……このカップはなかなかの年代ものでね、いまからおおよそ六十年ほど前の骨董品だろう」


「え、ええ。父が若いころに祭りの夜店で見つけ出した掘り出し物だと言っていました。それがなにか」


「ふふ、まったく異様だ。先日、このカップで珈琲を飲んだときはなにも感じなかったのに、いまとなっては強烈な無念を感じる。被害者のものと、犯人のものと。……そうか、そういうことか。このカップが犯行の主役だよ、万葉子さん。このカップを見て、手前は犯行のやり方がよく分かった」


「本当ですか、古御門さま」


「勿体ぶらないで教えてくださいよ、先生」


 万葉子も田ノ上警部も警察官たちも、また店の入り口付近で待機していた伊吹総七郎も静も、誰もが古御門物見に注目している。


 古御門物見は、珈琲カップを細い指先で抱えながら、言った。


「この骨董品アンティークは、凶器だ」


 冷たい声が、静かな店内に轟いた。


「どういうことですか、古御門さま」


「この珈琲カップは、ひとに毒を飲ませるために作られた、由緒ある骨董品ということだ。ポイゾナーズ・カップ(Poisoner's Cup)と言うのだが、見るがいい、このカップの取っ手のところを。そう、内側からだ」


 言われてその場にいた者は皆、カップの内側を覗き込んだ。

 取っ手の部分に穴が二つ、開いている。


「見たかな? このカップの取っ手部分は、空洞になっている。この空洞の部分に細い筆などで毒を塗り込み、そこに珈琲を注ぐと、毒入り珈琲ができるという寸法だ。カップの底に毒を塗るよりもずっとバレにくい。事実、半世紀ほど前の英国ではこのカップによって毒殺された政治家もいたほどだ」


「はあ、さすがは古御門先生。ポイゾナーズ・カップという名前は知りませんでした。しかし」


 と、田ノ上警部はちょっと遠慮がちな声で、


「その取っ手の中が空洞であることは、警察でも把握しておったとですよ。もしかしたらここに毒が塗られたかもしれんなあ、という意見も当然、出たとです。問題はこのカップを七人全員が使うたっちゅうことですよ。そして七人全員の珈琲から、毒が検出されたことです。これが大いなる謎となっとるわけで」


「そのことだがな、警部。全員の珈琲に入っていたのは、珈琲、砂糖、毒。この三つだけだった。これに間違いはないな?」


「間違いなかです。天地神明に誓って」


「ふむ。となると――万葉子さん。先日飲んだ珈琲は、ずいぶん甘味が強かったが、橘家ではあんなにたくさん、砂糖を珈琲に入れていたのかな?」


「とんでもありません。私はせいぜい、おさじ一回分……。お父様はめったに砂糖を入れなくて、お母様は二回分。……そう、珈琲といっしょに砂糖が出てきて、それで家族全員、そのときの気分次第で、砂糖を入れたり入れなかったり、ということもございました。


 もっともお父様の事件が起きてからはそれも贅沢になって、砂糖を入れないか、そもそも珈琲自体がめったに飲めないものになりましたが――なぜ、そんな話を?」


「あのときから少々、気になってはいた」


 古御門物見は、ちょっと考えるような顔をして、


「ことしの一月、博多の隣町である西中洲に開業したカフェー『ブラジル』では、珈琲に砂糖を入れ放題なのだ。豪儀なことだが、それに客が甘えて、砂糖を家に持ち帰る不届き者が多数、出ているそうだ。……まあ、これは余談だがな。すなわち、高級品である砂糖を、お定さんはなぜあんなに珈琲に入れていたのか、ということになる」


「それは……お定さんの気配りというか……」


「気配りならばいっそう妙だ。珈琲と砂糖を別々に出して、好きな者が好きなだけ入れるようにしたほうが、よほど気が利いている。事実、被害者の蛭間四郎は、甘いものが苦手なようだった。日ごろから珈琲を飲んでいる橘家に仕えていたお定さんが、どうして最初からあんなに甘い珈琲を準備したのか? 小さい、だが確かな謎だった。だがその謎はいよいよ解けた」

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