第64話 平民ゾアン
シャルカの戦勝の報が届き、オルテナトリスは空前の熱狂に湧いた。
その後、「バングウォール城塞都市化」の計画が実しやかに囁かれ始めると、ゾアンはこれは運命だと確信した。
商人たるもの、商機には機敏に反応しなければならない。
ゾアンはそう意気込み、勇み足でバングウォール砦にやってきたのだ。
バングウォール
砦内に作られたその場所は現在、人でごった返していた。
商いをする者、購入する者、人々の顔にはおしなべて笑顔が宿っている。
おそらく他の貴族がバングウォールを占領していたとしても、このような活気は生まれなかっただろう。
――バングウォールは、シャルカのお膝元
皆、どこかにその意識があるからこそ、バングウォールという地に期待をし、希望をいだいてやってきたのだ。
貴族は恐ろしいが、シャルカは他の貴族とはどこか違う。
もしかしたらバングウォールを安住の地にしてくれるのではないかと。
ゾアンを含めここにいる者たちは特に、その共通認識が強かった。
「よう、あんたがこの
頭に紫色のターバンを巻いた大柄な男がゾアンに話しかけてくる。
護衛の冒険者が警戒して腰の剣に手をかけようとするが、ゾアンは手で制した。
「そんな肩書を名乗ったつもりは無いんだが……」
「ここにいる連中は全員そう言っていたが?」
「……チッ、あいつら勝手に押し付けやがって」
おそらく儲かっているゾアンに対するやっかみも混ざっているのだろう。
こうして顔役にしておけば何かあったときに、責任をすべてゾアンに被せることができるからに違いない。
ゾアンは強かな商人達に舌打ちをした。
「がはは、災難だったな……ところで一つ頼みがあるんだがいいか?」
「何だ?」
「……なぁ水をくれないか? ここまで歩き通しで喉がカラカラなんだ」
そう言って男は体を脱力させ、舌を出す。
男の身なりはお世辞にもきれいとは言いがたかった。
全身、砂埃で汚れていたので、歩いてきたというのは本当のことだろう。
バングウォール砦にやってくるのは、商機を嗅ぎ取った者たちが多いが、身一つでやってきたようなこの男の目的は見えてこない。
ただ目の前で行き倒れられては困るので、とりあえずゾアンは水の入った革袋を渡してやることにする。
「ぶはぁ〜生き返ったぁ! あんたは命の恩人だ、ありがとよ!」
「いや、気にしなくていい」
「なぁ、あんたもスラムから来たのか?」
「ああ」
男に尋ねられ、ゾアンは頷く。
スラム、というのはオルテナトリスの郊外にある不法滞在者の巣窟である。
ゾアンは、五年ほど前に戦火から逃れるために、祝福の地と呼ばれるようになったオルテノスへやってきて、スラムで生活するようになった。
「そりゃそうか、市民権を持ったやつは普通来ねぇよな。まぁ、かくいう俺も市民権はないが」
ゾアンは男が自分に近い境遇であると知り、少しだけ親近感が湧く。
男もバングウォールで市民権を得ようとやってきたのだろう。
「ゾアンだ。あんた名前は?」
「俺はドロウだ、よろしくなゾアン」
「ああ、よろしく」
ゾアンはドロウと握手を交わす。
バングウォールはお世辞にも治安が良いとは言えないので、こうしてコミュニケーションを取るのは大事なことだ。
「ここは稼げるのか?」
「ああ、オルテノスの兵隊様は金払いがいいからな」
ゾアンもかつては、妻と娘を食わせるのがせいぜいのしがない行商だった。
稼げるようになったのは、ある日、オルテナトリスで突然流通し始めた――「種無し綿花」の存在を知ってからである。
「あんた、まさかそれ、オルテノスコットンか?」
「ああ、そうだ」
ドロウはゾアンが展示しているオルテノスコットンの加工品を見て驚く。
ゾアンが、今ここで商売ができているのは、いち早く種無し綿花を扱うことを決めたからに他ならない。
「よく扱おうと思ったな、オルテノスコットンって言えば、いわく付きの品だろう? 司法院に目をつけられちまうんじゃねぇか」
「当然、扱うのは怖かったさ、だがそのおかげで他の商人より何十歩もリードできたからな」
種無し綿花を生産しているのは、かつて司法院と一悶着あった集団らしい。
他の商人たちは、司法院にビビって手を出せなかったが、そのおかげでゾアンは先駆者の利益を得られた。
スラムには、人手は余るほどいたので、女性を中心に針子を雇って、コットンを作り始めたらゾアンの事業は大成功した。
ゾアンの成功を見て、他の商人たちもこぞって真似をし、オルテノスコットンはスラムを中心として瞬く間に流通した。
「儲かってるみたいだな」
「まぁ、オルテノスコットンってのは未だに品薄だ。それだけ売れるんだ」
種無し綿花は、種がないために加工がしやすく、吸水性、保湿性、通気性も抜群、さらには肌触りも良いという革命的な素材だ。
通常の綿花よりも何倍も品質が良く、低廉、さらに安定供給も可能。
この夢の素材を前に、他の繊維産業が一気に廃れたのはいうまでもない。
今となっては、なくてはならない生活必需品になっている。
ただ奇妙なのは、種がないのにどうやって再生産を行うのかという点。
種無し綿花の秘密を探ろうと、株ごと盗もうとする輩は後を絶たないらしいが、盗んだところで増殖させることができないらしい。
「危なくねぇのか?」
ドロウは強盗に遭うことを心配しているのだろう。
オルテノスコットンという高級品を扱う以上、当然ゾアンも注意を払っていた。
「大丈夫だ、冒険者に護衛を頼んでるからな」
ゾアンは背後に控える男に視線を移して言う。
これはドロウに妙な気は起こすなよ、という警告でもある。
「なるほどな。だが、強盗に注意するだけじゃ足りないぜ。このバングウォールには、今、やべぇ連中が既に紛れ込んでいるからな」
「……やべぇ連中? なぜあんたがそんなことを知っている?」
「がはは、実は、俺は情報屋なんだ。あんたは俺に水をくれた恩があるし、もちろん情報は
ドロウは情報屋を名乗った。
がさつに見えるが、意外にも知恵者なのだろうか。
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