第47話 白百合の姫

 ◇◇◇◇



「エルミア様、湯浴みの準備が出来ました」

「分かったわ」


 エルミアは側仕えのフラエッタの言葉に返事をした。

 先ほど、兄に放った心無い言葉を思い出す。


「お兄様……」


 どれもこれも本当に思ってなんかいないと、兄は分かってくれるだろうか。


 これまで兄と喧嘩したことは何度となくある。

 殆どエルミアの気まぐれやわがまま、駆け引きが原因だったが、エルミアがどんなに兄を遠ざけても、兄はほつれた糸を直すように修復してくれた。

 兄はエルミアにとっては大樹のような存在だ。

 エルミアの全てを肯定し、丸ごと包んでくれる。

 だからつい、その懐の深さに甘えてしまう。

 エルミアに婚約者が決まってしまった夜も、兄に寄りかかった。

 母が死んだ時も、その悲しみを埋めるために、兄に寄りかかった。


 兄の存在はエルミアの全てだった。


 だからこそ、一抹の不安が拭えない。

 

 それは――いつか兄が消えてしまうのではないかという不安。


 ある日、それは唐突に現実になった。

 夜中、兄のぬくもりが消えていることに気づき、エルミアはパニックになった。

 ベッドから飛び起きて、必死で兄を探す。

 そして城を出ていく兄に出くわした。


『ごめんなエルミアたん。少しだけ行かないといけないところがあるんだ』


 はにかんだような兄の顔を思い出す。

 敏感なエルミアは即座に、兄が死地へ向かうのだと感じ取った。

 このまま行かせたら兄はきっと消えてしまうと思った。

 それは、確実に訪れる未来のはずだったから――。



「お花?」


 湯浴みに向かおうとして部屋を出ると扉の前に、一輪の花が落ちていることに気がついた。

 エルミアはそれを拾い上げて、香りを嗅ぐ。


「姫白百合。誰が落としたのかしら?」


 廊下の先を見やると、もう一輪の『姫白百合』が落ちている。

 そしてその先にも続いている。

 誰の仕業かはもう分かった。


「お兄様の仕業ね……」


 いたずら好きな兄。

 昔からエルミアはよく兄にからかわれていた。

 肩をとんとんと叩かれて、振り返ると人差し指で頬を突かれる遊び。

 エルミアのぷっくりした頬が兄のお気に入りだったのだ。

 『もう。お兄様、やめてくださいまし』と抗議するエルミアを見ては、にへらと兄はだらしなく笑っていた。


「今度は一体何を企んでいるのかしら」


 エルミアは一本一本拾い上げては、砦内を進んでいく。

 行き着いた先は石階段、その先は高台。

 魔力感知などしなくとも、上に兄がいるのだろうと分かった。


 高台の上に登ると、夏の夜の風がエルミアの長い髪を撫で、鈴のような風情のある虫の鳴き声が聞こえた。

 星あかりが暗闇を照らしだす。

 エルミアの目の前には幻想的な光景が広がっていた。


 ――真っ白な花畑。


「すごい。お花畑なのかしら」


 よく見たらここにあるのは、全て摘まれた姫白百合みたいだ。

 誰かさんが高台を姫白百合で埋め尽くしたらしい。

 エルミアは呆れるようなホッとするような不思議な気分になる。


 花の中で何かがゴソゴソと動いた。

 人影がキザっぽく飛び出してきた。


「よくぞお越しくださいました。美しき白百合の姫」


 兄のシャルカだ。

 恥ずかしいことを言った自覚があるのか、兄の顔は真っ赤になっていた。

 エルミアはそんな兄を見てたまらなく愛おしく思う。



 ◇◇◇◇



 やってやったぞ。

 激寒サプライズ。


 姫白百合はかつてのオルテノス王国の国花だった。

 王家の象徴であるホワイト系の美しい髪になぞらえて付けられた名前らしい。

 近くに群生地を発見したのを思い出して、これだと思った。


 ちなみに姫白百合の花の香は優雅で上品な香りで知られ、香水の材料にもなる。

 そんなエルミアを象徴するような花をニコレッタと急ピッチでかき集めて高台内を満たすのは、そこそこ苦労した。


「これ全部シャルカが摘んできたの?」

「えと、はい」

「……全く、オルテノス家の長男ともあろう者が一体何をしているのかしら」

「エルミア様とお話がしたいのです。今日は天気がいいですから、この花畑で一緒に星でも眺めませんか?」


 俺はエルミアに左手を差し出す。

 花畑、満点の星空の下、グッと来るシチュエーション、のはず。


「はぁ」


 エルミアは呆れたようにため息を付いた。

 ……駄目か。

 少し安直だっただろうか。

 プロポーズみたいで気持ち悪かったかもしれない。

 エルミアは差し出した手を取らなかった。


「えっ」


 その代わりに俺の右手を手に取る。

 俺の握った右手をエルミアの手が優しくほぐしていくと、そこには金貨が現れた。


「やっぱり……まだこの癖、治ってないのね」

「……どうして」

「当然でしょう、私はシャルカのことは誰よりも分かってるもの。気が小さいのに昔から無茶ばかりして、その度金貨それを触っていたでしょう」

「ありゃぁ、バレてましたか」


 俺はバツが悪いのを隠すために、冗談めかして頬をぽりぽりと掻く。

 エルミアの言う昔というのは幼少期の頃だろう。

 武術、魔法、どれも飲み込みが早かった俺は、毎日、治癒魔法が絶えないほどに、人一倍厳しい訓練を課せられていた。

 そんな俺の姿をエルミアは物陰から見ていたのだろう。

 あの頃のエルミアは今のように快活ではなく、どちらかといえば泣き虫の引っ込み思案だったと思う。

 いつからか人が変わったかのようにオルテノス侯爵の地位を意識し始め、今のような上位者然とした振る舞いをするようになった。


「その調子だと初陣でも苦労したのよね?」

「いえ、そのようなことは……」

「ごめんなさい……私ったらシャルカの気も知らずに、酷いことばかり言ったわ」


 エルミアにさっきまでの険のある態度はない。

 サプライズが功を奏したのか、時間経過で鎮火したのか。

 なんにせよいいことだ。


「いいんですよ。初陣も大したことはありませんでしたから」

「バカを言わないで、星級と複数戦ったのでしょう? 怪我はない?」

「ええ、無傷ですよ」

「そう………本当に、よかった」


 エルミアは安堵のため息をついた。

 おそらく冷静になっていろいろ物事を考えられるようになったのだろう。


「……こんな風に今更心配したところで遅いわよね。シャルカは私のこと嫌いになった?」


 エルミアはおずおずと聞いてきた。

 表情に不安の色が見え隠れしている。


「エルミア様を嫌いになったりしませんよ。むしろ私のほうが嫌われたのだと思ってますし」

「……ねぇ私がシャルカの事を嫌いになるなんて、本当に思ってるの?」

「いや、でもさっきは大嫌いって」

「あんなのは嘘よ」


 エルミアはあっさりと言ってのける。

 全く、嘘でも言われた方は溜まったものじゃないというのに。


「嘘、ですか?」

「ええ、つい勢いで言ってしまっただけよ」

「ええ……」

「どうして私がシャルカのことを嫌いになれるというのかしら。シャルカは本当に心配性ね」


 いきなり浴場に飛び込んできたくせに、心配性はどっちだ。


「……はぁぁぁ〜」


 俺は急に安心したからか腰が抜けてしまい、花を敷き詰めた床にへたり込んだ。


「ふふ、シャルカったら私が嫌いじゃないと知って安心したのかしら?」


 エルミアは俺の目線の高さまでしゃがみ込み、微笑みを浮かべながら俺の頬を撫でた。

 流石にここまで兄の面目を潰されれば、口調も荒くなる。


「勘弁してくれ、がどれだけ気を揉んだことか」

「まぁ、そのような言葉遣い! 私は次期当主なのだから……きゃっ」


 調子に乗り出したエルミアのおでこをツンと小突く。

 これだけ振り回されたら、流石に少し意趣返したくもなる。

 するとエルミアは体勢を崩して、こてん、と後ろに転がり尻餅をついた。

 ミニスカートがめくれ上がって下着が露出する。


(ほう、ピンクコットンか)


 オルテノス印のコットンの中でも一パーセントほどしか採れない、上質なカラーコットンで編まれた下着だろうな。

 当然、オルテノスの姫とあってはそのへんの下着を着るはずもない。


「ふふ、兄をからかった罰だ」


 俺はそう言ってニヒルに笑う。

 下着を見たことなど微塵も感じさせず、爽やかに。


「もう」


 エルミアはぷんすかと頬を膨らませる。

 もう一波乱あるかと思ったら、エルミアはしおらしく体を寄せてきた。

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