第2話

「奨学金を返さないと結婚もできないよ。相手はいないんだけどさ」

 そう言って笑い、亜都は席を立つ。

 同僚とともに一階ロビーに降りると、空気がピリッとしていた。

「やだ、雲上人がご降臨よ」

 きゃぴっと声を上げた同僚の視線の先に、香宝怜也が秘書の男性をお供に歩いていた。


 黒髪に細身のスーツがしゃきっとしている。長身で手足が長くてまるでモデルだ。若い頃にはカホウ化粧品のイメージキャラをしていたらしい。


「社長の息子で三十三歳にして専務のクールイケメン。でもコーヒーを零して僻地に飛ばされたとか、書類の日付を間違えたら首を切られたとか、ジョークを言ったら睨み殺されたとか、冷酷非道な噂ばっかり」


「こわっ! 私、事務で良かった」

 亜都は思わず自分を抱きしめる。

 ふたりで楽しくランチに行き、午後は御曹司など忘れて仕事に集中した。




 平凡な日常が壊れたのは夕方のことだった。

 定時に退社し、寒風に吹かれて駅に向かっていたとき。

 父からスマホに電話がかかってきた。出ると、父は気まずそうに話し始めた。


「亜都、元気にしてるか」

「元気だよ。どうしたの?」


「実は、工場をやめることにしたんだ」

「どうして!?」


「工場の修理が間に合わなくて、取引先がうちとは取引をやめて別に発注すると言うんだ。借金を増やす前に辞めるよ」

「お父さん、工場だけが生きがいじゃない。従業員も若くないから再就職できないかもれしれない、再建するって」


「相談じゃなくて報告だから。なにも心配しなくて良いからな」

 父は返事を待たずに切ってしまった。


 そんな、と亜都はぼうっと地面を見つめる。

 工場は隣だったから工員たちと親しくしていた。彼らは優しくて、大学進学で地元を離れるときには餞別を送ってくれて、一緒に泣いた。

 そのみんなの行き場がなくなってしまう。


「琴峰亜都さんですか?」

 声をかけられ、亜都は顔を上げた。

 青白い顔をした和服の美しい女性が、黒い服の女性を従えて立っている。


「私、香宝怜也の妻の清良きよらと申します。お願いがあって参りました」

 続いた言葉に、亜都はただ驚いて彼女を見た。

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