File.21「訓練・桔梗」

 ヒュドール学園での高校生活2日目、今日から早くも通常授業と放課後の訓練が始まる。


 午前中は現代文、数学、生物、日本史の授業をみっちり受け、俺は早くも疲労困憊していた。


 「あぁ……俺、留年しちまうかもなぁ……」


 「ん?なんだ陽彩、まだ授業初日だぞ?」


 昼休みになり、俺はマサ、白百合と一緒に食堂で昼食を摂っていた。


 「だってよぉ、クロッカスの訓練もしながら勉強もしなきゃいけないんだろ?俺、そんな器用じゃねぇって……」


 「なぁに、俺のクラスと比べたらまだ易しい方だ。それとも、中学の時みたいに雅也塾を開校してやってもいいんだぞ?」


 それが嫌だから気が滅入ってるんだよっ!この鬼畜眼鏡め。


 俺は地獄の再来を阻止すべく話題を少し逸らす。


 「そういえば、白百合さんって勉強は得意なのか?」


 「……っ、ふっ、ふいでふか……!?ゲフッ、ゲフンッ!」


 「おおっ、驚かせてすまん!大丈夫か?」


 急に話を振られたことに驚いた白百合は、咥えていたクロワッサンを喉に詰まらせてせてしまった。食事中に彼女に話しかけるのは控えた方がいいかもな。


 水を飲んで落ち着いた白百合は、過去を思い出すようにじっくりと考え込むような仕草をする。


 「結衣は……勉強は得意でした、と思います……校内ではいつも3位以内でしたし、クロッカスを目指すまではここの先進技術学科に入る予定でしたから……」


 「ええっ!?そうだったのか……」


 「……はいっ、勉強くらいしかやることもなかったですし……」


 それだけ学才に長けていながら、どうしてクロッカスを――ますます理由が気になるところだ。


 「陽彩、新しい先生、決まって良かったな」


 「えっ、ゆっ、結衣ですか……!?」


 「そうだな!”お前なんか”に教わるよりよっぽど有意義だぜっ、ハッハァッ!」


 俺は腰に手を当て、わざとらしく高笑いをしてみせる。


 「……昨日の首絞め、忘れたわけじゃないからな??」


 対するマサは俺の胸ぐらを掴んで高圧的な態度を取り、怒りを露わにしている。今にも眼鏡にヒビが入りそうだ。


 「じょっ、冗談だって!!昨日のことも謝るからさぁ……な?」


 俺は媚びるように両手を擦り合わせる。マサは俺の態度に呆れかえると、引き寄せていた腕を解き水をグイッと飲み干した。これ以上の争いは不毛だと察したようだ。


 「まあ、お互いぼちぼちやっていこう。クラスは違えど、俺たちは親友なんだからな。それに、白百合さんとも友達になれたわけだし」


 「えっ、ゆっ、結衣と……友達……」


 「ああ、もし陽彩に何か嫌なことでもされたら、遠慮なく俺に報告してくれよ?」


 「おまっ、俺を何だと思っていやがる……」


 俺はマサを睨みつけるが、クスクスと横で笑う白百合の可愛さに免じてゆるしてやろう。


 そうこうしているうちに、昼休みの終わりが近づいていた。食堂にいた生徒も続々と捌けていく。


 「よしっ!午後の授業も始まるし、そろそろ教室に戻ろうぜ」


 「俺のクラスは学級活動だが、そっちもか?」


 「ああ、学級委員長とか委員会とか、色々決めるんだってよ。マサはこっちでも委員長やりたいのか?」


 中学の時に生徒会長を務めていたマサは、生徒だけではなく、教師陣からも絶大な支持を得ていた。高校でもおそらく生徒会に入るつもりだろう。

 

 「そうだな、生徒会に入る一番の近道だし、元々ここの生徒会の仕事には興味があったからな」


 「生徒会、ねぇ……」


 俺みたいな人間が生徒会に入りでもしたら、それこそ学校崩壊の危機に陥るだろう。だが、翡翠先輩とマサが生徒会の仕事を通じて抜け駆けしようものなら、俺はコイツを社会的に抹殺する必要がある。


 そう、ヒュドール学園全男子生徒代表として。



————————————————————◇◆



 午後の学級活動が始まり、早速明智が学級委員長に立候補したことで、役割決めは滞りなく進行した。俺はジャンケンにことごとく負け続け、よりにもよって英語の教科委員になってしまったが。


 そして、来たる放課後――


 「いいか諸君、これからクロッカスの訓練スケジュールについて説明する。必要に応じてメモを取りたまえ」


 俺たちは入試と同様、クロッカス訓練場の広場に整列した。牡丹田はマイクを片手に俺たちの表情を覗うようにして巡回している。


 「本日から4月末までは、基礎体力訓練を2時間行う。瞬発力、筋持久力、跳躍力、肺活量などなど、クロッカス公式ライセンスの基準を満たすような肉体に仕上げてもらうぞ。男子と女子で基準は異なるが、かなり厳しい訓練を課すつもりだ。覚悟しておけ」


 牡丹田の鋭い口調につい鳥肌が立ってしまう。運動神経に自信はあるものの、クロッカスの過酷さは計り知れないからな。


 「では、男子と女子に分かれてもらう。男子はトレーニング施設へ移動、女子はこの場に残れ。1時間後、交代してもらうぞ」


 牡丹田の指示により、俺たち男子生徒24名は特別棟に併設してある巨大倉庫のような建物に移動した。


 建物内では、既に上級生と思わしき人々が筋力トレーニングに励んでいた。汗水を垂らし、唸り声を上げ、何とも暑苦しい雰囲気だ。最新のトレーニング器具が多数配置されており、それぞれの器具にはAIによる肉体管理システムが導入されているそうだ。


 目の前に広がる光景に圧倒されていると、俺たちの存在に気がついた一人の上級生が満面の笑みで近づいてきた。ボディービルダーに見紛うほどの肉体を身に纏った男は、20kgと刻印されたダンベル片手に俺たち新入生を舐め回すように見渡す。


 「やあやあ!後輩くん達、初めまして!僕はクロッカス2年の徳川とくがわだ。今日から2ヶ月間、君たちの筋トレコーチを務めさせてもらうよっ!フンッ!!」


 徳川と名乗った上級生は、自慢の力瘤ちからこぶを俺たちに見せつける。余計なポージングが少々腹立たしいが、決して悪い人ではなさそうだ。


 「筋肉は!絶対に!裏切らないからね!フンッ!!継続は!力なりっ!!フンッ!!」


 まずいぞ、かなりウザいかもしれない。


 「とりあえず今日は、器具の正しい使い方を一通り説明させてもらうよっ!怪我なく、楽しく筋トレ!これが僕のモットーだからねっ!」


 徳川先輩は数十種類もある器具の使用方法を一つ一つ丁寧に説明していく。その度に最重量の設定にしては自慢の筋力を披露し、その度に白い歯を輝かせている。こんな筋肉バカ先輩よりも翡翠先輩に教わりたいものだ。


 「よしっ!説明は以上だ。残りの30分は好きな器具を使ってみてくれ!分からないことがあれば、遠慮なく僕に聞いてくれっ!フンッ!!」


 俺たちは空いている器具に散らばり、手探り状態でトレーニングを開始した。俺は徳川先輩からの監視の目から逃れるべく、部屋の隅に置かれたベンチプレス台に腰掛けた。筋トレ専用の器具を使ったトレーニングは初めてだが、前々から興味はあったので楽しみだ。


 「えーっと、この両端についてる重りがプレートで、あのマッチョ先輩は120kgぐらいでやってたよな……俺でも80kgくらいは上げれるんじゃないのか?」


 俺はプレートを80kgに設定し、ベンチに仰向けになると目の前のバーをガッチリと握る。


 「胸を張って肩甲骨を寄せる……こうか?」


 俺は深呼吸をして慎重に両腕を胸元に移動させる。そのあまりの重さに腕はプルプルと震え、全身の筋細胞が破裂しそうだ。しかしこの程度で挫けていては、到底クロッカスのライセンス試験は受からないだろう。


 「うぐっ、何の……これしきっ……!!」


 俺は腕をそのまま垂直に持ち上げ――ようとするがバーベルはビクともしない。


 「くっそ、なんでっ、上がらねえんだああああああああ!!!!!!!」


 俺の悲痛な叫びが部屋中に響き渡り、脚をバタつかせながら必死に藻掻いている様子をクラスメイトに晒す羽目になっている。


 すると、俺の危機的状況にいち早く気がついた徳川先輩が俺の元に駆け寄り、100kg近くあるバーベルをいとも容易く元の位置に戻してみせた。


 「はぁ……はぁ……死ぬかと思ったぜ……」


 「後輩くんっ!大丈夫かね!?怪我は!?」


 「あっ、いいえ、大丈夫ですっ……すみません」


 屈強な肉体に加えて迅速な判断力を兼ね備えた、まさに人助けのエリート。たった1年でこれだけの差が生まれるものなのか。


 「無事なら何よりだよ!ベンチプレスは君の体格だと……30kg辺りから始めるのがいいかな!回数や重量を徐々に増やしていって、ちゃんと継続すれば100kgも夢じゃないぞ!」


 徳川先輩はパワーを注入するかのように俺の背中を強く叩き、「ハッハッハッ!」と高らかに笑った。


 やっぱりこの先輩、良い人かも――


 「さあ後輩くん!大きな声で復唱してくれっ!筋肉は、裏切らないっ!!」


 「えっ、ええっ!?」

 

 おいおい、いきなり無茶振りかよ!?


 ……だがこれも訓練の一環だ。クラスメイトからやばいヤツ認定されるのは癪だが、もしやらなかったら徳川先輩に何をされるか分からない。


 俺は唇を強く噛み締め、羞恥心に抗うように拳を天高く突き上げる。


 「筋肉は!!!裏切らないっ!!!!!」


 誰か、俺を殺してくれ……



————————————————————◇◆



 「はぁ……初日からとんでもなく疲れたぞ……」


 身も心も疲弊しきった俺は、千鳥足になりながら部屋の前まで辿り着いた。


 筋トレ後、後半の1時間はノンストップの持久走が行われた。学園の外周をひたすらハイペースで走り続け、俺は24人中7位と、まずまずの結果だった。ちなみに、あの黒華は堂々の1位、加えてヤツの取り巻きの二人も俺より上位だ。


 「これが週に5回……俺、耐えられるのか……?」


 扉に壁打ちするように弱音を吐いていると、扉の奥から私服に着替えたすずが姿を現した。


 「うわっ、にぃにゾンビみたいな顔してるけど、どうしたの……?」


 「……あぁ、すずか、ただいま……ちょっと訓練で疲れちまっただけだ、心配すんな」


 俺の顔色を見た瞬間、汚物を見るような目で眉間に皺を寄せるすずだが、今の俺はそこにツッコむ気力すら起きない。


 「あーそうそう、これから学生会館のスーパーに買い物に行こうと思うんだけど、にぃには部屋で休んでる?」


 正直なところ、今すぐにでもソファでくつろぎたいところだが、すずに家事を任せっきりにするのは兄として気が引ける。もしそれが親父にバレでもしたら――考えるだけで寒気がするな。


 「……いや、俺も行くわ」


 「うんっ、荷物持ちよろしくね」


 「はいはい」


 ――我が妹様よ、さっきの心配はどこいったんだよ。



————————————————————◇◆



 学生会館内のスーパーではヒュドールだけではなく、学園都市内の別の高校に通う生徒の姿も散見された。学園都市を名乗るだけあって、顧客の9割以上が中学生〜大学生のようだ。


 「えーっと、人参と玉葱とじゃがいも……にぃに、カレールーとお肉持ってきてもらえる?」


 「おう、任せろ!」


 記念すべき寮生活で初めての自炊はカレーだ。親父が俺たちにプレゼントしてくれた”御角家秘伝のレシピ”を頼りに、料理スキルを向上させようという話だ。


 「カレールー……カレールー……ここか」


 カレールーがみっしりと陳列された棚を見つけた俺は、お目当ての商品の場所まで近づく。


 「んっ、あの子……」


 カレールー棚の向かい側、最上段に置かれている調味料に手を伸ばしているやや小柄な少女。キリッとした目元、少し青みがかった髪をサイドで結んでいる。制服とリボンからして、うちの高等部の2年生だろう。限界まで背伸びをして全身がプルプルと震えているが、周りに助けを求めようとする様子はない。


 見かねた俺は、彼女がほしがっているであろう調味料をヒョイっと棚から引き出し、彼女に手渡す。


 「……欲しかったの、これで合ってますか?」


 何とも近寄りがたいミステリアスな雰囲気を身に纏う彼女は、視線を次第に俺へと向ける。


 「……どうも」


 少し目を見開いた彼女は、お目当ての商品を受け取るとそそくさと去ってしまった。


 「なんだよ、無愛想だな……あれっ、あのポーチ、もしかして――」


 「あっ、にぃに!……何してるの?」


 俺が彼女の後ろ姿を目で追いながらブツブツと独り言を呟いていると、俺を探しにきたすずに声をかけられた。


 「……悪いな、あの人の手助けをしてただけだ」


 「あの人……綺麗な髪……高等部の先輩かな……」


 すずは立ち去る少女の後ろ姿にすっかり見とれてしまい、ぼーっと立ち尽くしてしまっている。


 「……すず?」


 「……はっ!ごめんにぃに、行こっか」


 我に返ったすずは俺の腕を引いてレジの方向へと歩み出す。


 あの少女、間違いない。クロッカスの先輩だ。


 翡翠先輩と同じ学年なら、連絡先くらい聞いておけば良かったか……なんてな。



 ――その日の晩は、何故だか彼女の横顔が時折ぎってしまった。

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