ラジオリスナー
@mamimumumo
第1話
エアコンから出る温風が喉を乾かす。
「そしたらさー、追い課金したのにまさかの再爆死でさー」
「残念ですねえ。でもガチャってそんなもんですよね」
時計をちらりと盗み見る、日付変わって午前三時。閉店まではあと二時間近くある。
相槌を打ちながら、今やるべき仕事が残っているか反芻する。大丈夫だ、ドリンクバーの排水はやったし、溜まったコップも戻したし、閉められるフロアはもう閉めた。今は客足がほとんどんないからフロントには誰もいなくて平気。あとは注文が来ないことを祈る。ワンオーダーの客は二組だけだから、可能性は低いけど。少しでもこの楽しい時間が長く続きますように。
この店は普段はそれなりに忙しいが、駅前のカラオケ屋なれど流石に平日の深夜は暇である。本来ならば掃除やら溜まった雑務やらやるべきなのだろうが、そんな将来有望な若者はそもそも夜勤なんぞに入らない。昼間の仕事に身を投じるべきだ。一生懸命に笑顔で働いて、爽やかな汗を流せばいい。
我々不真面目な夜勤の者は、最低限の仕事を済ませたら、監視カメラの死角に集まってスマホを取り出すのが常だった。SNSを眺めながら、やれソシャゲのガチャがどうだとか、今期のアニメがどうだなどをくっちゃべるのである。
俺はこの店の中では真面目で働き者な方ではある。仕事が早くて丁寧だと褒められたことすらある。しかしそれは生来の気質や奉仕精神によるものではなく、たださっさと仕事を済ませてお喋りしたいからに他ならない。
夜勤を選んだのも同じ理由である。俺は人との会話が好きだ。人と接していないと発狂する。
仕事場でお喋りがしたいなら、ゆるめのホワイト企業に行ったりホストでもやればいいのではと言われそうだが、それは察して欲しい。頭が良くなければ顔も良くないんだ。
今の職場は最高だ。とにかく空気がゆるい。売上のノルマはあれどそれは形だけで、俺たちバイトに過度な働きを求めたりはしない。
客層も悪くない。たまに変な奴はいるけど、大半はマナーを守った人たちだ。月一でゲロに出会うけど。
そして極めつけは嫌な人がいない。みんな喋りやすくて良い人ばかりだ。夜勤だからか、陽キャとは言い難いオタクの人ばかりだ。しかし趣味さえ合えばいくらでも会話は続く。
というわけで俺は、お金と将来の不安と親からの小言に目をつぶれば、かなりフリーター夜勤ライフを楽しんでいたのである。
「やっぱり新キャラを出すよかさ、既存のキャラの掘り下げをしてほしいわけ」
「分かります。初期からのキャラを大切にしてほしさありますよね」
「それそれそれ。……あ、そろそろ仕事しないとな」
先輩は時計を見ると苦笑いをした。
「玖々木さんはまだ休んでていいよ。いつも頑張ってくれるんだし、たまにはこっちがやらないとな」
「いや、大丈夫です。せっかくですし一緒にやりましょ」
「そう言って、隣でサボるつもりなんだろ」
「バレましたか。でもひとりで休んでるよりはマシなので」
俺らはキッチンを出た。
その後は喋りながら仕事をし、閉店時間になったら客を帰した。レジ閉めは先輩に任せ、俺は残りのフロアを閉めた。冬になったせいか日が昇るのが遅く、ひとりで閉め作業をするのはちょっと怖い。適度に手を抜き、スピードを意識して仕事をした。
やり残したことが無いかチェックしてから、フロントまで降りた。
フロントでは、まだ先輩がレジ閉めをやっていた。
「おー、まだかかりそうだから先に帰ってていいぞ」
「りょーかいです」
俺はタイムカードを切り、更衣室に入った。
ここの店の制服はレストランのボーイのようで気に入っているが、ベストやら前掛けやら着替える工程が多い。着替えも勤務時間に入れてもいいと思う。
私服に着替え、防寒具を身につける。白いコートにネッグウォーマー、そしてお気に入りのポンポンの付いた帽子だ。
「お疲れ様です」
「はいお疲れ様ー」
裏の非常口から外に出た。扉を開けた途端に、顔面に冷たく乾燥した空気が吹き付ける。顔を顰めるも、目に涙が滲んだ。
店からは歩きで駅まで行き、電車に乗って、降りた駅からまた歩く。
吐いた溜息が白いモヤになって空に昇った。
今日はあんまり喋られなかったなあ。
先輩がいつもより不機嫌だった気がする。こっちも不自然に素っ気なくなったかもしれないなあ。というか一度相手が興味ない話題振っちゃったし。
仕事終わりは、開放感より疲れが先にくる。早朝はほとんど外を歩く人がいない。俺を見てくれる人がいないとどこまでも気が腑抜ける。
ふと、ちらりと白いものが視界を掠めた。
空を見上げると、雪が降ってきていた。何処までも、際限なく降りてくる。
心臓が締め付けられるような心地になった。雪を見ると、どうもセンチメンタルな気分にさせられる。特にひとりでいるときは。雪が周囲の音を奪って、孤独を強調するからだろうか。
俺は首を振って、駅までの短い道を走った。
次の日シフト表を見ると、面接の予定がメモされてあった。座藤さん十五時から、と。
新しい人が増えるかもしれないのか。普通に人手足りてないからな。面接の時点で飛んだりする人じゃあないといいな。
一週間ほど経った頃、その日もいつも通りに出勤した。フロントに立っている人に挨拶をし、事務所に入る。すると見慣れぬ顔があった。
男の人だけど少し童顔。体格は俺より小さい。髪はピンクのインナーカラーを入れている。
ついジロジロと見ていると、目が合った。どきりとして反射で目を逸らす。
「おはようございまーす」
後ろから店長がやってきた。
「うわっ、おはようございます」
店長は俺とドアの隙間を通り抜けるとパソコンのある机に座った。
「新しい人ですか?」
「うん。今日から遅番はいる座藤さん」
俺は座藤さんに喋りかけた。
「玖々木です。よろしくお願いします」
「……よろしくお願いします」
座藤さんは一瞬だけスマホから目を離してすぐに視線を画面に戻した。
「基本的なことは教えてあるから。じゃあ今日から上手くやってね」
「はい」
遅番はふたりだけなので、俺がフロントに立ち、座藤さんに注文を任せた。
平日の夜といえば客はほとんど来ないのが常で、俺はカメラの死角に椅子を置きスマホをいじった。
さて、座藤さんとはどんな話をしようか。
定番のゲームや漫画? ちょっと王道を外して映画。創作系の趣味かもしれない。意外とアウトドアだったりスポーツ好きだったり。天気デッキはまた切りたくないなあ。政治と野球は論外。
客が来ない間、そんなことを考えた。
互いの休憩が終わり、仕事も尽きる時間がやってきた。
「なんかやることないすか」
「うーん、ないかなあ。閉店間際までゆっくりしてていいよ」
「はい」
座藤さんはキッチンの隅に寄りかかった。
俺はそれに合わせて座藤さんに近づいた。
「座藤さんって、趣味とかあるの?」
「……ないすね」
「ゲームとかやったり、漫画よんだりしないんだ」
「しないす」
「スポーツとかは?」
「興味無いす」
「キャンプとか釣りとか、そういうのもない?」
「ないっす」
「んー、そうなんだ……」
そのとき、フロントに店員を呼ぶベルがなった。
「ごめん。行ってくる」
客の受け付けを終わらせ、キッチンに戻ると座藤さんは掃除をしていた。集中しているようだったので、俺は諦めてフロントに戻った。
レジ閉めをしていると、レジのお金に大きく差額が出た。この場合、原因を探して書類を書かないといけない。これがまためんどくさいんだ。
そうこうしていると、仕事を終えた座藤さんが降りてきた。
「まだこっち終わってないんだ。先帰ってていいよ」
「わかりました」
タイムカードを切った座藤さんが事務所から出てきた。
「お疲れ様ー」
「お疲れ様です」
す、を言い終わる頃にはほとんど姿が消えていた。
俺は店内BGMがよく聞こえるなか、ひとりで閉め作業を終わらせた。
いつもより一本遅い電車に乗る。座席に付けられたヒーターがふくらはぎを焼いた。
ほとんど喋れなかったな。でも仕事してたし話かけるのも悪いよな。そもそも最初の時点で会話が上手くできてなかった気がする。趣味ない人ってこの世に存在するの?
いやいや、まだ会って一日目だぞ。向こうも緊張してたのかもしれないし。しばらく経てば上手くいくさ。
しかし、何度シフトが回って来ても座藤さんとまともに話せた日は来なかった。
どんな話題を振っても喋ってくれない。何を言ってもああとか、はい、しか言わない。俺が船舶免許持ってる話をしても無反応だったし。俺のコミュ力って他者ありきだったのか?
他の人に聞いてみたが、誰に対してもあまり喋らないらしい。仕事に関する意思疎通はできるし、よく働くから気にならないとも言っていたが。俺はそれじゃあ駄目なんだ。仕事はできなくても構わないから、会話ができる人がいい。
何度目かのチャレンジ、隙を見つけて座藤さんに話しかけた。
「ねえ、座藤さんは……」
「あの」
「なに?」
初めての反応だ。今日こそは喋ってくれるかもしれない。
「仕事に関係ないことで話しかけないでもらいませんか」
「……なんで?」
「自分はここにお喋りする為に来てるんじゃあないんで。うるさいです」
それ以降は、仕事以外のことで話しかけても無視されるようになってしまった。
その日の帰りは、雪が降っていた。
店長に座藤さんとのシフトを減らしてもらえないか相談した。難しいと言われた。
一ヶ月経って、座藤さんは本当に仕事が上達した。早くなった。すぐに仕事が終わる。なくなる。無言の時間だけが続く。増える。
フロントで直立したまま宙を見る。何度も聞いたヒットソングが耳を通過しては抜ける。
ある日それもなくなった。機械の故障で店内BGMが流せなくなった。今日も俺はフロントだった。
外は大雪。客は来ない。
エアコンのゴオーーー、とした音だけが聞こえる。
代わりに頭の中がうるさくなってきた。エアコンの音を追うように轟音がする。文章にならない思考が溢れてくる。
時計の針が進むごとに頭の騒がしさは増していく。脳内で響く音が環境音を超えたとき、座藤さんが降りてきた。
徐ろに身体が動いた。
床を拭くらしく、モップと水をしぼるやつを持っていた。
俺は踵から床に付けて歩いた。彼のすぐ背後まで立つと、肩を掴んでこっちを向かせた。
そして左腕で頬を殴った。
座藤さんはよろけてモップを踏み、水をしぼるやつもろとも転んだ。べちゃりと水の上に倒れる。
彼は濡れた手を頬に添えると、ゆっくりとこちらを向いた。
「なにするんですか!」
俺の口角は痙攣するように上がった。無意識のうちに目が細まる。
「……あ、ようやく喋ってくれた。でもダメだよなァ、人を殴っちゃった。でもでも無視は良くないよね人としてダメだよ。でもでもでもこっちが上手く話せないのが悪いのかな。俺には君がノレる話題提供できなかったんだよね。趣味もない何にも興味持てない君もヤバいけどさ」
座藤さんの怒りの表情が徐々に抜け落ちて、引き攣っていった。
「ごめん。先に休憩入るね」
その後、座藤さんは辞めた。
「座藤さんさー、すぐに辞めちゃったね。仕事できるから気にってたのになー」
「なんでしょうねー。他にワリのいいバイトみつけたんですかね」
「あー、でもやっぱり無愛想だったしな。玖々木さんとは話すの楽しくて助かるよ」
「ははは、ありがとうございます」
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