第6話 見学する

 あれから約十年。

 星の時間にすれば人類の歴史のまだほんの一瞬かもしれないが、この村にとっては大きな変化の歳月だった。あの青い肌の侵略者


 ――ブルーバルアン星人が去った夜の記憶は、今でも村人の間で深く刻まれている。何より、その決戦を目の当たりにした少年、ぽん太の存在は、今の村にとって特別な意味をもつものになっていた。


 当時、ぽん太は子どもながら、夜の惨劇を間近で体験している。青い怪物に母親や仲間が寄生され、友人が失われる光景を目にしながら、最後には《光り輝く存在》


――俺に救われた。その出来事が、彼の心にどんな影響を及ぼしたのか。


 十年という月日を経た今、ぽん太はこの地域でも名の通った《教祖》になっていた。初めは村の古老たちに「神への祈りを語る不思議な子」として扱われ、同世代からは「ちょっと変わった男」と距離を置かれていたはずだ。


 しかし、いつしかその語り口と熱意が人々の心をつかみ、〈光の神〉を信仰する《新たな宗教》を発足させ、ここ数年で多くの信者を獲得するまでに至っている。



 その名も《光臨教》──ぽん太はそう呼んでいるようだ。



 十年前、青い肌の怪物たちが襲撃した夜、村を救った謎の発光体を「この星の守護神」として崇め、いずれ再び舞い降り、世を照らしてくれると説いている。その話を聞いたとき、俺としてはちょっと恥ずかしいというか、なんとも言えない気持ちになった。自分はそこまで崇められるような存在じゃないつもりなんだけど



……まあ、ぽん太にとってあの夜の光景は衝撃的だったんだろう。


 ともあれ、ぽん太の信仰心は十年のあいだに強固なものになり、今や周囲の村々にも同じ教義が広まっている。教祖となった彼は人々に「この星には創造主がいて、かつて侵略者を撃退し、いずれ再臨する」と説き、光の奇跡を証言する。実際、あの晩に見た俺の圧倒的な力は、伝説めいて語られても不思議じゃない。


 しかし、俺としては《体感時間》を操作しながら十年程度をサラッと見届けたにすぎない感覚だ。


 青い宇宙人を追い払ったあと、大きな干渉はなるべく控えてきた。村を俯瞰するように観察しているあいだも、当然ぽん太や他の人々の生活をじっくり眺めていたけれど、あえて姿を現すようなことはしていない。だからこそ、ぽん太が


「《光の神》はいつか再臨する」と叫んでも、俺がそれを否定もしないし、肯定もしていない。


 ──実際、もし再び侵略者が来て人類が絶滅の危機に瀕したら、俺は助けるつもりだ。けれど、そのタイミング以外では介入したくない。そうした一線を引きつつ、俺は空の上から彼らの歩みを見守り続ける。


 干渉しすぎれば文明が育たないし、かといって、また宇宙人が来て放置すれば寄生エイリアンがやりたい放題……さじ加減が難しいところだ。






 そして今まさに、ぽん太が住むあの村が一段と発展している様子が見える。以前は木造の家屋が数十軒ほどだったのが、いまでは石組みの壁や防柵が整備され、人口もぐっと増えた。かつて異形の襲撃で大きな傷を負った場所とは思えないほど賑やかになっている。農耕や牧畜も広まり、家畜の群れがあちこちで草を食んでいるのがわかる。


 村の中央にある広い広場は、あの夜、青い宇宙人との戦闘が繰り広げられた場所だ。そこに巨大な《教会》のような建物が建設中らしく、石材を積み上げて壁を作り、彫刻らしき装飾を施している工人たちが多数いる。


 一見すればヨーロッパ中世風の教会に近いが、違うのはそこに刻まれる《光の神》のシンボルだ。俺が長年見守ってきた限り、ぽん太を中心にした宗教がこの大プロジェクトを主導しているらしい。


「そりゃあ、俺が着飾られても困るんだけどな……」


 呟きながらも、少しばかり興味をそそられる。俺の姿をどう彫刻し、どんな物語を信者に語っているのか。以前からぽん太の説法をちょくちょく盗み聞きしていたが、かなり脚色されていて、聞いていると照れくさいほどだ。


 《光をまとって天から降り立ち、人を救い、魔物を封じた創造神》



 ……はいはい、まちがいでもないけど、そこまで神聖視されると背中がむずがゆい。



 ところで、ぽん太本人は《教祖ポンテウス》と名乗っているらしい。俺に言わせれば



「それ、ぽん太が難しくなっただけじゃん」



 という感じだが、どうもフォロワーが増えるにつれて、尊称をつけて呼ばれるようになったようだ。



 いまや近隣の集落からも信徒が来て、祈りを捧げたり、教えを学んだりしている。まさに一大宗教コミュニティだ。


 






 十年前、ぽん太はただの子どもだった。青い宇宙人に母親や仲間が寄生され、絶望の淵に立たされていた。そこへ光輝く存在



 ──つまり、俺が降臨し、圧倒的な力で侵略者を排除した。ぽん太にとってそれは《神の奇跡》そのもの。死の恐怖を味わった夜が一転、救済の光に包まれたのだから当然と言えば当然だ。



「もしかすると、あの夜の惨劇がトラウマになっているのかもな……」



 その《奇跡》の記憶が、ぽん太を《教祖》の道へと駆り立てた。あるいは言い換えれば神を信じ、人を導くという強い使命感を抱かせたのだ。とはいえ、それだけでは説明のつかない出来事が次々と起こっている。


 村の人々は十年で格段に生活水準を向上させ、木と土で作った家から石造りの建築物へ移り、農業の技術や牧畜、さらには金属加工の精度まで、あっという間に引き上げている。


 その急成長ぶりは、ぽん太が《神の啓示》と呼ぶ知識を説き、実際に実用化を指導してきたから……と村人たちは信じていた。けれど、俺が上空から見守る中で得た実感は違う。


 ぽん太の示す技術や発想は、確かにこの世界の人々からすれば《神の知恵》に等しいかもしれないが、実際には彼自身が持つ天才的なひらめきがすべての源なのだ。地球で例えるなら《エジソン》級の発明家に近い才能を秘めている。




「ぽん太は純粋な天才なのに、神のひらめきみたいな言い分だからなぁ」




 何がすごいかと言えば、彼はいまだ文字らしい文字すら未発達な環境にもかかわらず、効率的な灌漑や農具の改良、精度の高い土器や金属器の製作方法など、多彩な技術を生み出してしまうのだ。


 村人がそれを「神の啓示だ」と言えば彼も「そうだ、神が私に知恵を授けたんだ」と肯定する。


 しかし、本当に神──つまり俺が技術を教えたわけではまったくない。ぽん太の中に眠る発想力が形を成し、この星の技術水準を一気に押し上げているにすぎない。


 もちろん、ぽん太本人は自分の才能に気づいていない。彼は《光の神》を盲信し、十年前の記憶にすがる形で「神が自分にメッセージを与えているのだ」と解釈しているのだ。その思い込みこそが、彼の創造性を増幅させ、本人も気づかぬままエジソン級の発明を連発してしまう原動力になっている。




「エジソン以上の天才かもな。まぁ、エジソン会ったことないけど」





 さて、ぽん太は今や《教祖ポンテウス》と名乗り、数百人規模の信者を抱えるまでになった。あの夜の衝撃的な光景……青い異形の襲撃と、俺の降臨が語り草になり、「光の神は存在する」という信仰が一気に広まったのだ。


 さらにここ十年で彼が示した技術革新の数々が、いっそう人々の心をつかんでいる。新しい農耕法で収穫量が飛躍的に増え、道具の改良によって狩猟や木材の伐採が楽になり、疾病への対策も彼が《神の教え》として語る簡単な衛生管理。手洗い、火の通し方などだけで随分と違う成果が出た。


 たとえば、ぽん太が提唱した灌漑システムは、この世界の人々にとって革命的だった。もともと彼らは川から水を汲んで畑にまく程度の農業だったが、今や土地を均して水路を造り、水門を操作して効率的に水を回す方法を実践している。


 土砂の堆積や水位の管理など、かなり高度な知識が必要だが、彼はすべて「これは《神》が教えてくださった」と言ってのける。


 結果、飢えや食料不足が大きく緩和され、他の集落への余剰物資の供給も可能になった。これが《光臨教》の布教と組み合わさり、「神様すごい!」「この教えに従えば生活が豊かになる!」と、ますます信仰が広まっていくわけだ。



「流石は神のお知恵じゃ!!!」

「神のおかげでこの生活がある!!」


 しかし、真相は《ぽん太の天才性》にこそある。高校時代の俺の知識から見ても、彼の発想力には目を見張るものがある。下手をすれば、まだ文字らしい文字もない段階で蒸気機関か何かに到達しかねない勢いだが、そこまでいかないにせよ急激に文明が伸びる予感は十分ある。


 俺としては、正直ドキドキしている。人類の歴史が“自然に任せて”発展するつもりが、ぽん太一人の天才ぶりでとんでもない速度になっている。このまま行けば、あっという間に近代レベルの技術に到達するかもしれない。


 それも《神の知恵》として崇められながら……。


 ぽん太当人は相変わらず


「これは自分の力じゃなく、神が降ろしてくれた教えなのだ」


 と信じて疑わない。どちらかと言えば、彼は自分が突出して賢いなどとは露ほども考えておらず、


「神様が僕たちを導いてくれている」



 と思い込んでいるのだ。その思い込みが自信を生み、人々を納得させる《説得力》にもなっている。





 光臨教の影響力は凄まじいが懸念点もある





 十年前は村一つがやっとだった教団も、今ではいくつもの周辺集落を巻き込み、大きな共同体を形成している。聖堂のような施設を新設し、礼拝の際には彼が発明したさまざまな道具が配されている。


 まだ金属加工のレベルは低いが、それでも農機具や調理器具などが次々と製造され、流通し始めているのだ。




 この変化を観察しながら、俺は「人類史の超圧縮版」をリアルタイムで見ている気分だった。地球でいえば数世紀かけて進んだ技術の発展が、たった十年そこらで成し遂げられてしまうのだから、文明が歪む危険も否めない。


 だが、ぽん太の強い指導力と信仰のパワーで、人々は現状をスムーズに受け入れ、むしろ熱狂しているようだ。




 ゆえに、当面の問題は、光臨教以外の集団や村との摩擦である。いまだ多数の集落が独自の慣習や信仰を持ち、「異形の宇宙人」こそが脅威だが《光の神》なる存在は見たこともない、という立場を貫く人々もいる。


 そうした勢力は、光臨教がもたらす急激すぎる技術革新や神話じみた伝承を警戒するし、ぽん太側も「神に背く者」と見なして距離を置きがちだ。




 それが大きな紛争になりかけたケースも何度かあった。光臨教が支持者を増やすにつれて、周辺地域の資源や領地をめぐる軋轢も表面化したのだ。


 ぽん太は「神の名のもとに血を流すことは望まない」として可能な限り対話を試みるが、それでも一部では衝突が避けられなかった。




 俺は「どうにもならなければ介入しようか」と思ったが、体感時間を緩めて見守っているうちに、ぽん太は《神の知恵》を駆使して紛争を和らげる方向へ動いていた。


 たとえば、自分の村で培った農業ノウハウや家畜の飼育技術を隣村に提供することで彼らの不満を減らす、あるいは特定の鉱山資源を共同管理にして利害を一致させるなど、いわゆる《ウィンウィン》の取引を提案しているのだ。


 結果、衝突が起こりかけても、いつの間にか和解してしまうケースが多かった。


 ぽん太は自分の中に眠る発想力を「神が与えた調停の知恵」と解釈し、邁進している。その頑なな信念が周囲を巻き込み、《光臨教》の求心力をさらに高めていく仕組みだ。




 こうして村はかつてない繁栄を迎え、周辺の集落も巻き込んだ小さな連合体へと発展を続けている。それを率いるぽん太、教祖ポンテウスは、もはや地域指導者として絶大な信頼を得ていた。しかし、彼の心中は必ずしも平穏ではないらしい。


 深夜、まだ建築途中の大聖堂で、彼が独り膝をついて祈る姿を俺は上空から何度か見ている。その背中にはやはり、あの夜のトラウマを拭いきれない重みがのしかかっているようだ。青い宇宙人がいつまた襲ってくるかもしれない



――その恐怖と、《光の神》が再び降臨してくれない不安。



「神よ……どうか私をお導きください。この《知恵》は本当にあなたが与えてくださったものなのですか……? それなら私は、どうしてこんなに恐ろしい夢ばかりを見るのでしょう……」



 彼はときどき、自分の発明があまりにも突飛すぎることに戸惑うようだ。夜な夜なひらめきが浮かび、矛盾なく理屈が組み上がってしまう。


 《神の声》としか思えないその瞬間に、彼は陶酔と戦慄を同時に感じているのだろう。実際はエジソン級の天才性ゆえだが、それを知らないぽん太は《理解できない偉大なチカラ》とみなしてしまうのだ。


 そして、自分がもし《神》の意志に反する行いをしているとしたら……? そんな疑問にさいなまれている気配もある。早すぎる文明の発展がこの星の摂理を壊すのではないか、あるいは《光の神》に迷惑をかけるのではないか、と彼は悩む。


「うーん……ぽん太、そこまで謙虚じゃなくてもいいんだぞ」


 俺は上空からその姿を見ながら苦笑する。彼が抱く悩みは的外れではないものの、実際には「天才ゆえに文明が急激に伸びている」だけなのだから、さほど問題ではない。ただ、彼自身がそれを理解していない以上、この葛藤は続くだろう。




「俺としては、日本に近づいてくれればなんでも良いんだけどねー。別にガンガン進めてもらっても良いんだけど」



 十年という歳月のなかで、周辺の村々だけでなく、さらに遠方からも《教祖ポンテウスの噂》を聞きつけて旅人が訪れるようになった。


 驚くべき技術が手に入るとか、神の奇跡が実際に起きたなど、噂はどこでどう膨らむかわからない。一部では「ぽん太は神の化身だ」という極端な説も広まっているようだ。


 当のぽん太は「私は《神》ではなく、《神の使徒》にすぎない」と明言し、むしろ身を低くしている。


 だが《天才レベルのアイデア》を連発するせいで、信者の一部は彼を完全に神格化しようとしている。各地の集落をめぐり、あちこちで紛争を収め、農業や工業の発展をもたらし続けるその姿は、まさに英雄にも等しいからだ。


 ある集落では疫病が流行りかけたのを、ぽん太が《衛生管理》と《熱処理》を勧めることで沈静化させた。別の地域では森林火災を適切に防いだり、金属の冶鍋(いかなべ)を工夫して高温で溶鉱できるようにしたり……。


 そのすべてが《光の神》のご加護、と言われるが、実は彼の超人的頭脳が生み出す成果だ。


 俺としては干渉しすぎず、見守るだけという方針を維持している。


 正直言って、こんな急激に文明が伸びるのは予定外だが、まあ面白いからいいか……というのが今の気持ちだ。数千年かけてゆっくり進化を見守るつもりだったのが、100年どころか数十年ですごいところまで行きそうなのだ。


 体感時間操作を使いながら、俺はまるで加速度的に膨らむバブルを見ているように感じる。だが、それこそ人類が選んだ道なら、無理に止める理由もない。ぽん太自身も「神が導いているのだから、問題はない」と信じ切っている以上、むしろ俺がここで姿を現して「じつはおまえの才能だから」とバラすのも余計なお世話だろう。



 ただし、ぽん太の内面には《わだかまり》がある。俺は何度も夜の聖堂(まだ完成しきっていない)の中で祈る彼を観察していて、そのたびに彼がつぶやく言葉を聞いている。


「……神よ、なぜ再び降臨してくださらないのか? 私たちはこれほどまでにあなたの教えを広め、文明を発展させているというのに……」


 彼の言葉には少しだけ拗ねたような響きもある。十年前に助けられたあの夜以降、俺は姿を現していないわけだから、ぽん太からすれば《神の沈黙》が続いている状態だ。それを《神の試練》と受け止めて奮闘してきたが、心のどこかで


「自分は本当に神に認められているのだろうか」と不安になっているのだ。


 一方で、俺としては「また顔を出せば、人類の成長を妨げる」と思っているから、当分顔を出す気はない。もし侵略者が襲来したり、人類が絶滅の危機に瀕したりすれば介入するが、今のところそんな大事態ではない。彼らはむしろ絶好調だ。だから俺が出る幕はないはずなのだ。


 このすれ違いこそ、ぽん太の苦悩の根源なのだろう。彼は《自分の驚異的な知恵が本当に神のものなのか》を確かめたくて仕方がない。


 できれば直接光の神と対話したい。そうすることで自分の行いが正しいか、確信を得たいのだ。



 そんな折、《光臨教》は新たなプロジェクトとして《大規模な運河》の建設を計画しているらしい。ぽん太いわく


「この近辺の川と湖をつなぎ、舟で物資を運べるようにすれば貿易が発展する」


 とのこと。まるで古代エジプトの時代に大規模土木をやるようなものだが、すでに彼にはインフラ工事の構想があるらしい。


 実際に工程をざっと見てみると、驚くほど理論的に整合性がとれている。堤防の築き方や、水位のコントロール、土地の標高差を解消しようとか。




「いやー、ぽん太すげぇ」




 まぁ、そろそろ何か起きそうな気がするけどね。宇宙人じゃなくて、人間に攻められそうな気がするなぁ。



 ぽん太が面白くない奴が多そうだしな。




「ふーむ、介入すべきかね」









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