第2話 十五を過ぎて、泣いて親に頭を下げる時は
――2日前。
8月7日水曜日午後8時55分、高木
既に感情は高まり、
事情は既に家族には話した。
今年、雅鳳は小学校中学校時代の男子新体操クラブでの全国大会での活躍を評価されて、東北のスポーツ強豪校に誘われスポーツ特待生枠で推薦入学した。
先日の初のインターハイを終えるまでの間、同校の男子寮で生活しながら、毎月1度、週末に長距離バスを使って東京のジェンダークリニックに通院。
これは中学3年の頃から打ち始めている薬であり、16歳になったら女性ホルモンに切り替える計画であった。
そもそも高校側からスカウトの打診があった時点で、高校と中学校側には現在療養中の性別不合を抱えているという事情は伝えていた。
それは『16歳になったら、選手生活をやめる。もしくは男子生徒の枠に身を置きつつ、女性ホルモン療法に移行しながら、部活動を継続する』という条件をスカウトに提示したところ、潮が引くように一気に誘いは減った。唯一、スカウトを継続してくれたのが東北のとあるスポーツ強豪校だった。雅鳳も同校の学生寮に入る形でそこに入学した。
あてがわれた寮の部屋は、男子寮の4人部屋だった。
内心はかなり辛かったが、それでも16歳までと腹をくくって、最初のうちは『男子生徒』としてかなり
幸いなことに、いわゆる典型的なスポーツ特待生らしく生活のほとんどは学校指定のジャージでいることが許されていた。制服に袖を通すことは入学式、始業式、終業式の3回だけだった。
その程度であれば、我慢することはできた。
まして、寮生の1年ともなれば男女の性差など気にしている余裕もない。トレーニングや練習以外の生活の殆どは一年生部員としての下働きと先輩の身の回りの世話であった。
その生活ぶりは過酷な上下関係こそあったが、まだ耐えられる苦痛だった。
問題なのは、その生活の最中に男性的に振る舞うことで男として埋没し続けることへの精神的負担、特に嫌悪感だった。
中学時代、雅鳳は新体操に没頭していなければ自殺未遂でも繰り返していたのではないかというほど精神的に荒廃した時期を過ごしたことがあった。自分が何者であるか気付くまで、針で満たされた泥の中をのたうち回るような気持ちを抱え続けていた。
男性の体でありながら女性という自己認識を持つ。本来対極にあるものを内包する自己定義が矛盾している状態がどれだけ本人の自意識を傷つけるか、想像できるだろうか。
強い葛藤と自己嫌悪、自己否定である。それを誰にも打ち明けることができずに抱え込んだ。そして吐き出す当てのなさが家庭内で暴走し、しばしば荒れた。
そもそも男子新体操を始めたのも、女子の新体操に憧れてのものだった。地元に男子新体操部を擁する小中学生向けのクラブチームがあると知って習い事として始めたのだ。
小学5年でコロナ禍を迎え、持て余した時間は矛盾した自意識の異常さに向いた。
最初に両親がおかしいと思ったのは中学1年の5月、コロナワクチン摂取を拒んだときだった。
選手として公式大会に復帰するには必要なものだった。だが、それを拒むと同時に「どうせならコロナにかかって死にたい」と言い出した。
結局その時はコロナワクチンは接種せず、年内の新体操の大会も欠場した。
女性としての自己肯定を獲得するに至ったのは、中学3年になってからだった。
きっかけは中2の夏休み最後の日の深夜、地元NPOの主催する自殺相談ダイヤルでの長電話だった。
電話口に出てくれた人が、たまたまトランスジェンダーの精神的葛藤についていくばくかの知識を持つ人だったのだ。いわゆるアライと呼ばれる種の人である。
黙って雅鳳の話を傾聴してくれた上で、いくつかのトランス当事者の動画やウェブマンガを勧めてくれた。
電話を切らずにタブレット端末でそのウェブマンガを読んだ。
トランスジェンダーだと自覚するまでの葛藤や、性別移行をするまでの苦悩。
そのどれもが涙が出るほど共感できた。
それから明け方まで、トランス当事者が自身の体験を語る動画を同時再生で見ながらぽつりぽつりと話し合った。
そこで初めて、自分が何者であるか自覚した。
そして、翌朝、始業式を休んで親に昨晩あったことを打ち明け、最寄りの精神科病院の予約を取った。
まずは性別違和かどうかを確定させることから始めた。そして病院からの帰り道、古着屋で似合いそうなスカートのある服を何着か買って帰った。
久々の母との買い物だった。その日のうちにコロナワクチン摂取の予約を取った。
そして木枯らしが吹く頃、精神科病院の紹介状をもって、初めて母の運転する車で東京に来た。最寄りの精神科病院ではホルモン療法の治療は受けられないということで、東京の専門病院、いわゆるジェンダークリニックの紹介を受けたのだ。
ジェンダークリニックでは、これまでの人生の身の上話のような診察を受けた後、声変わりが既に生じていることから、すぐにでも二次性徴抑制療法を始めることを提案された。
費用を聞いて、雅鳳はためらったが、母は惜しまずにその療法を受けることを推した。
「あんた、新体操にいくらかかってると思ってるの。それであんたが苦しまずに生きられるようになるなら、私は出すからね」
と。
中学3年の春、元々その大会で新体操を引退するつもりでいた。そのつもりで出場した県大会の個人部門で優勝した。そのまま全国大会に進出、更に全国大会で準優勝した。
これが決め手となって、いくつもの高校からスカウトの声がかかった。
優勝を逃した未練と、親の金に頼らずに新体操を続けられるかもしれない、という期待。
また自分が女性になろうとしているという事実……その両方を踏まえて、自身の現状と今後の性別移行の計画を条件として提示した。
その結果が、一校を残してのスカウト中断である。逆にその一校だけは、条件を全面的に受け入れてくれた。だから、その学校に特待生枠での進学を決めた。
それがほぼ1年前のことである。
それでも、実際男子だらけの他の部員に混ざって、いわゆる男社会的な環境にまみれてみると、途端に「自分の居場所はここじゃない」という不快感が湧くようになった。
特に耐えられなかったのが、同性愛嫌悪を含む、性的少数者を
先輩たちが何の気負いもなく言い合うのに対して、人権のない1年生として何も言い返すことも話題をそらすこともできず、ただ黙って聞こえていないふりをして耐えるしかなかった。
雅鳳の性自認について知るのは、一部コーチと顧問、そして担任と学年主任だけだった。
とてもではないが、カミングアウトなどできる雰囲気ではなかった。
仮にできたとしても、二次性徴抑制療法から性ホルモン療法へと切り替えて、体つきに変化が出始めてからだろう。つまり、2年生か3年生になり、きちんとモノを言える立場になってからだ。
それが、果てしなく遠く感じた。
一方で、心の支えになるものが全く無いわけでもなかった。
唯一の心の支えは、中学3年の県大会優勝時、朝礼で全校生徒に向けて優勝の報告とあわせてカミングアウトしたときだ。
その翌日、クラスメイトの柔道部の男子が、校則を破って持ち込んだプロレス雑誌を見せてくれた。
彼は、カラーページの多いその雑誌の中程のページを開いて差し出した。
そこには、キラキラした露出度の高いコスチュームを身にまとった筋肉質で、ほかの媒体で見るいわゆる典型的で理想的な女性像よりだいぶ体格の太い二人の女性が、泣きながら巨大な金メダルのようなものを抱えている姿があった。
『涼川ヒカリ・レイン組、デュアルスター王座初戴冠!!!』
そう見出しが書かれていた。
柔道部の彼は、その表紙を見せながら、こう言ってくれた。
「このレインって選手、お前と同じなんだよ」
「え?」
「トランスジェンダーで、いま女の人? ジェンダーレスって名乗ってるけど」
「え、いるの? プロレスでしょ? 格闘技でしょ?」
既に水泳競技を中心に、世の国際スポーツはトランス女性を女子スポーツ界から排除する流れが生じつつあった。
ネットニュースのトランスジェンダーのトピックのコメント欄も、荒れていた時期の自分自身の心の声の残響のような浅慮で差別的な言葉が目についた。
既に一般人の間でもトランス女性が攻撃の的にされ始めていた。
そんな中で、このレインという選手が勝利を掴んだことが、この雑誌の文面の中では情熱的に称賛されていた。
『こういう世界があるのだ』とその時初めて知った。
そのとき、その柔道男子は、こういってくれた。
「まあ、お前が新体操の次に何やるのかわからんけどさ。こういう人もいるから、強く生きろよ」
その言葉が胸に残った。
その柔道部の男子が、トランスジェンダー当事者の苦悩についてなにか知っていたとは思えない。それでも励ましの言葉としては十分だった。
その日から瞬く間に女子プロレスにハマった。
小遣いから方向性の合う女子プロレス団体の親会社が運営するプロレスの動画配信サブスクリプションに課金を始めた。母方の祖父母のところに遊びに行ったときなど大枚のお小遣いをもらった時は、オンラインサイン会のポートレートなどでひいきの選手に課金した。
いくつかの団体を見る中で、最終的に一つの団体を箱推しするようになった。
東洋クインダム女子プロレス、略称はEQJW、ファンからは東クと呼ばれている。
その団体は東京を中心に活動している規模としては業界2位か3位ほどの団体だった。毎月のように後楽園ホールで大会を開催しており、地方や都内の大規模ホールにも隔月の頻度で興行を行っている。同じ資本傘下グループには、男子のプロレス団体もある。
この団体は他の団体のように選手間の遺恨や正規軍対悪役の対立といったギスギスとした構図や、純粋な強さを追求するスタイルを取らない。
勝っても負けても相手選手をリスペクトする言葉を交わし合う。そして時にはタイトル戦の後に互いを称え合って涙し合うような、心根の温かみに訴えかけてくるような試合をする団体だった。
そしてEQJWは、雅鳳の心を掴んだレイン選手も大規模大会ではしばしば参戦している団体だった。レインだけではない、アメリカから同じくトランス女性やノンバイナリの選手を招いて、自団体の実力派選手と対戦させている。
動画でそうした試合を見ても、客席からはトランスの選手を無闇に罵倒するような声はない。あるすれば『外敵』としてあえて悪役じみた反則を繰り出した時くらいだ。
それはプロレスにおいてとても真っ当な反応だった。
つまり、傍目に見て、客も団体もトランスジェンダーに対してそこまで悪い感情を抱えていない。そういう団体だった。
その団体で、雅鳳と同学年の新人、リングネーム望月雪花選手がリングに上った。
その望月選手はデビューまもなく、受験があるから休養に入ると言って試合に出なくなった。
衝撃的だった。そして、嫉妬した。
後楽園ホール1500人の客を前に、紙テープと声援を浴びながら登場し、自分が何者であるかを開放するように強く声を発しながら、格上の綺羅びやかな選手に挑んでいく。
その姿が、心から羨ましかった。
雅鳳自身の高校入学まもなく、男子寮という文化のカルチャーショックに打ちのめされている中で、EQJWが新人募集オーディションを開催するという報せが入った。
雅鳳は、少し迷ったがこれに応募することを決めた。
未成年は保護者の同意が必要ということで、ゴールデンウイークに家に帰った時「この書類にサインしてほしいんだけど」と言って父にエントリーシートの同意欄に署名と判子をもらった。
そしてバストアップと全身写真、そして自己PRをかねた手紙を添えて、応募した。
結果は、いつも届くサインポートレートと同じ封筒に入って届いた。
中身はエントリーシートと手紙と落選の通知、そして一通の手紙だった。
『高木雅鳳様、
そちらの事情は承知しました。
第三者の有識者を交えて検討いたしましたが、現状の当団体では、性別適合手術を受けていない選手をそのまま入門させることは難しいと判断しました。
法的、年齢的に先になってしまうことを含めて更に考慮した上で、「それでも女子プロレスの選手になりたい」というご意向ございましたら、弊社ではありませんが、受け入れ可能な団体をご紹介することが可能です。その際は弊社事務局にご連絡ください。同封した名刺の者がご対応させていただきます』
添えられた名刺の名前は乾ケンジ『TOKYOファイト 東洋クインダムプロレス部門代表』という肩書がついていた。
……悪く言えば『性別適合手術を済ませてないなら東洋クインダムに入門するのは無理だよ』という落選通知の追い打ちである。
打ちのめされた気持ちになった。
夢を売るプロレスという商売も所詮、世間体という現実の上にあるのだと思い知らされたような気分だった。
それでも、その手紙と履歴書と名刺は捨てられなかった。
インターハイ明け、帰省した夜。
その捨てられなかった書類を家族に見せながら、雅鳳は伏して泣いた。
初のインターハイ出場、全国個人20位という一年生としては非常に優秀な結果を残して夏休みに入った。
そんな8月7日の夜だ。雅鳳は限界だった。
とにかく限界だった。物静かな男のふりをして男にまみれて生活するのも、そこでパワハラや未必の故意とはいえセクハラ同然のマイクロアグレッションを喰らい続ける日々も、体より心が耐えられそうになかった。
その夜、両親と祖父にオーディションに応募していていたことを話した。そして、落選したことも。
「頼む、一度だけでいい。この人に連絡とらせてほしい。もうあの学校は無理なんだ。いじめとかそういうのはないけど、ただ、自分が男だってつきつけられるのが本格的にキツイんだ」
それを聞いて、両親は戸惑ったように顔を見合わせていた。
学校に男子として順応できないから高校をやめたい。そこまではわかった。
だが、『だから女子プロレスラーになりたい』というのは少々飛躍しすぎていた。
……黙って考え込む両親より少し遠いところで、親側として最初に口を開いたのは祖父だった。
「がぁちゃんは、ちっちゃい頃からキラキラしたいっていってたもんなあ」
つけっぱなしのテレビの下のブルーレイデッキの傍らで『アナと雪の女王』のパッケージが薄く埃を被っている。2作目のパッケージは雅鳳の部屋の棚に置いてある。
……小さい頃の雅鳳は、アナ雪の曲ばかり歌っていた。初めて小学生になって新体操クラブの大会の個人演技の曲も、アナ雪のサントラからコーチに選んでもらった。
その時とった参加賞のメダルと、小学校高学年から中学生時代に取ったいくつかの入賞楯やメダルが玄関の片隅の透明アクリルのコレクションケースに並べられている。
そして中学に上がってから、雅鳳は少女趣味的な要素を急に身の回りから排除し始めた。
他の小学校から上がってきた子に馬鹿にされたのだ。
「男子なのに新体操なんかやってんのかよ」
と。それでも新体操はやめなかった。
小学校高学年のときには県大会上位入賞の常連になっていたからだ。将来も怪我などすることがなければ、アクロバット系のエンターテイメントへの進路を考えるようになっていた。
だから、より男らしくあろうとした。小学校時代から仲の良かった女子グループとの交流を断ち、髪も短めに整えるようにした。
しかし、その途端に心身に不調をきたすようになった。男らしさを目指すほどに感じる強烈な違和感、自分の身体が女性的な柔らかさからかけ離れていくことへの吐き気がするほどの苦痛。
それから目を逸らすように、学校のクラブ活動には参加せず、クラスの誰よりも早く家に帰り、クラブチームの誰よりも早くスクールの練習場に入ってストレッチをした。新体操に没頭することで、かろうじて心のバランスをとっていた。それができないスクールの定休日には家でずっとイライラとしていた。
……居間のテーブルには家族の趣味の雑誌に混ざって、雅鳳のプロレス雑誌もある。たまたま最新号の表紙には、王座のベルトを戴冠した女子レスラーが写っている。ラメとベロア生地をふんだんにつかったミニドレスのような赤いコスチュームと、白い帯のベルトが鮮やかだった。
業界最大手団体、ロータスの涼川ヒカリ、今や同団体の若手組エース選手だ。
俯いて垂れた髪をかきあげ、先に口を開いたのは母だった。
「わかった、というか、覚悟はしてた」
そう言って彼女は軽く唇を噛んだ。新体操で優秀な成績を収めるのは、この母子の夢だった。
……あらゆる競技でいえることだが、若齢で成功する選手は幼い頃から親子で目標が一致している事が多い。この母子もそうだった。
というより、母親は自分の稼ぎのほとんどを雅鳳の新体操選手生活に注ぎ込んでいた。
これに、雅鳳は驚いて顔をあげた。
「え?」
本当は悔しくてたまらない。そんな表情で母は黙って頷いた。
その言葉を継ぐように父が口を開いた。
「寮生活に耐えられそうになかったら、ちがう生き方を探すのを手伝おうって、こっちでも話してたんだよ。大学は大検でもいい……いや、今は高卒認定っていうのか、そういうのでもいい。そこから先で、タイかどこかで性別移行済ませて、なにか国家資格でもとって、その資格で女性として就職すればいい、って」
「本当に?」
二人はそれぞれのペースでうなずく。
そして父は待ったというように頭を掻く。
「ただ、その新しい希望進路がプロレスとはなあ」
「私は怪我が心配」
これに祖父が揺り椅子から身を乗り出す。
「いやあ、俺はがぁちゃんが女子プロレスが好きになったって言い出した時から、これはばぁばの孫だぁと思ったよぉ。お前ら知らんだろうけど、俺と結婚するまでビューティーペアとか女子プロレスにどっぷりだったんだから。全女のオーディション受けて書類選考で落ちたって言ってたし」
「お義父さん、それは前にも聞きました……パパも、なんでサインしたの!」
「俺も、これの保護者欄にサインしたとき、芸能事務所かなにかに送るんだと思ってたんだよ。今はそういう芸能人も多くなってきただろ、多様性とかなんとかで……ちっちゃい頃から目立つのは好きだったし、高校卒業したらそっちの道に行くための準備を始めたんだと思ってた」
それをきいて、への字口でため息をつく母。その顔色を伺うように、雅鳳が尋ねる。
「……だめ?」
「だめったって、この手紙は『やる気があるなら話だけならきくよ』って意味でしょ? それはある意味、脈ありってコトなんじゃないの?」
母のぶっきらぼうな言いように、雅鳳は、
(あれ、意外と悪くない感じ?)
と思った。そして、手紙を今読み返すと、確かにそうも読み取れる。
というより、手紙を最初に読んだ時は精神状態がネガティブに振り切れていて、別の団体への誘導という文脈が『ただの
そこに更に助け舟のように祖父がぼやく。
「中学の時、何日もまともに飯食わずに死にたいって言い出したときを思えばかわいいもんだ」
母は口を尖らせてうなずいた。
「うん……あの時はほんっとうにどうしていいかわかんなかったし。こうやって泣くほど本気で気持ちを話してくれて、頭まで下げてるんだから、考えないわけにもいかないでしょ……明日の朝にでも連絡する? 今はもうこんな時間だし」
そういって、午後9時を回った時計を指差す母。
「ありがとう」
雅鳳は床に手をついて深々と頭を下げて礼を言った。
「そのかわり、今度は女として認めてもらえたら、逃げちゃ駄目だよ」
これに顔をあげて、神妙な面持ちではっきりと頷いた。
「じゃあ、そういうわけで、今日はそろそろ解散しようか」
「はい、家族会議終了」
「あぁ、がぁちゃん、ばぁばの仏壇にカスタードまんじゅうあるから、お下がりもらっちゃって。おれらの分は食べたから」
「うん」
「ちゃんとお線香とのんのんするんだよぉ」
「わかってる」
そういって、雅鳳は仏間に移った。
その背を見送って、父と祖父はそれぞれテレビのリモコンを取ったり、缶ビールを取りに台所に消えたりとすみやかに日常に戻った。
母は流れた悔し涙を拭いながら、大きく息をついた。
……線香を焚き、お鈴を鳴らして手を合わせる。実家にいたときは毎日嗅いでいた、懐かしく感じる香りだった。
家に帰ってきた、雅鳳はやっとそう思えた。
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