モブキャラの俺、なぜか「氷の女王」と呼ばれるクール美少女から机にこっそりプレゼントを入れられる件。
抑止旗ベル
①
朝の登校時間、校門の前には今日も人だかりができている。その中心にいるのは、銀髪をなびかせながら静かに歩く氷見織姫だった。誰にも視線を向けることなく、まるで風のように教室へと消えていく姿は、どこか近寄りがたいものがあった。
そして、そんな彼女の前に玉砕した男子は数えきれないほどだ。告白してきたどんな相手に対しても「無理」「興味ない」の二言で切って捨てるその冷酷な姿から、氷見は『氷の女王』と呼ばれていた。
そんな氷見と、クラスのモブキャラを自称している俺、天崎優斗が関わることなんてありえないはずだった。本来は。
しかし。
「……マジか」
高校2年の7月。
1学期最後の席替えで、事件は起こった。
くじ引きで俺の隣の席になったのは、他でもない氷見だったのだ。
「……何?」
最後列の一番窓際に位置する席に座った氷見は、俺の視線に気づいたように顔を上げると、冷ややかな視線を俺に向けた。
「あ、いや……よろしくな、氷見」
「よろしく。ええと――邪魔崎くんだったかしら」
「天崎だ」
「ごめんなさい、天崎くんだったわね。忘れてしまっていたわ」
「仕方ないさ。クラスにおけるモブ的な存在だからな、俺は」
「改めて天崎くん、そんなにじろじろ見られると困るわ。やめてくれるかしら」
「わ、悪い」
俺が答えると、氷見は俺の存在を忘れてしまったかのように次の授業の準備を始めた。
これが『氷の女王』か……。さすが、名に恥じぬ冷たい反応だ。
休み時間になると、俺の友人、茂部沢がやって来た。
「席替え、大当たりだったな」
茂部沢は窓際の氷見を見ながら言う。
俺は小声で返す。
「でも、ちょっと怒らせちゃったみたいでさ」
「気にするなよ。『氷の女王』様は誰に対してもそんな感じだから。俺くらいになるとむしろそれが快感っていうか」
「変態だ」
うへへ、と気味悪く笑いながら、茂部沢が氷見を方へ顔を向ける。
その瞬間、怯えたよう氷見が顔をあげ、すぐさまこちらを睨みつけた。
「た、たまんねえ」
「お巡りさんこいつです!」
「……あなたたち、休み時間だからってはしゃぎすぎじゃないかしら」
氷見はため息をつくと、呆れたように言った。
「茂部沢、お前のせいで怒られただろ」
俺が小声で怒鳴る。
「何言ってんだ。『氷の女王』に罵倒されるなんてご褒美だろ」
「罵倒?」
「さっきも『休み時間だからってブゥブゥうるさいのよこの豚! 「私は氷見さまの汚い豚です」って言ってごらん!』って……」
「いや……さすがの氷見もそんなことは言ってない。っていうかそこまでいくとお前の頭の方が心配になってきたな」
「天崎くんと……茂部沢くんだったかしら」
俺たちの会話に冷ややかな声が割り込んできた。
「アッ、ハイ、豚改め茂部沢デスッ!」
茂部沢が裏返った声で返事をした。
「あなたたち小テストの勉強しなくていいの?」
「小テスト?」
俺が訊き返すと、氷見は再びため息をついた。
「前の授業で言われていたじゃない。次の授業で小テストするって。点数が低かったら放課後に特別補習が行われるそうよ」
「え、本当かよ、それ」
「わざわざ嘘をついてどうするのよ。あなたたちがあまりに能天気だったから教えてあげただけ」
「ああ、ありがとう、氷見!」
「別に感謝されるようなことでもないわ」
氷見は机の上に広げていた教科書に視線を戻す。
俺と茂部沢も慌てて教科書やノートを広げて無駄な努力を試みたが、そうしている間にチャイムが鳴って、担当の教師が小テストの用紙を配り始めた。
くっ、仕方ねえ。実力で勝負するしかない。
俺が答案用紙に向き合ったそのとき、氷見の様子がおかしいことに気が付いた。
形の良い眉を困ったように曲げて、不安そうにまばたきをしている。そして、右手で何度もシャープペンを振ったりノックしたりしていた。どうやらペンが壊れてしまったらしい。
俺は教師の目を盗んで手を伸ばし、予備のペンを氷見の机に置いた。
氷見が驚いたように顔をあげ、俺を見る。
「……いいから使えよ」
小声でささやくと、氷見は俺に向かって頷き、答案用紙に回答を書き始めた。
そして小テストが終わり、何とか補習を免れた次の休み時間。
「天崎くん、その――ちょっと良いかしら」
「ちょっとって?」
「いいから、一緒に来て欲しいの」
氷見は焦れたように俺の手を取り、そして俺は氷見に引きずられるように教室を出て行った。
廊下へのドアを潜る瞬間、クラス中が動揺している声が聞こえた。
「あ、あの『氷の女王』が天崎を!?」
「あいついったい何をしたんだ!?」
「『氷の女王』と二人きりで――羨ましい!」
「一体どんなお仕置きプレイが!? じゅるり」
―――いや、聞かなかったことにしよう。
とにかく俺は氷見に連れられ、階段裏の人が来ないスペースへやって来た。
「天崎くん、さっきは、その――ええと」
「……手、いつまで握ってるんだ」
「ひゃっ!? こ、これは別にその、たまたま放すのを忘れていただけよ!」
氷見が慌てたように俺の手を放す。
「わざわざこんなところに連れ出して何の用だよ?」
俺が訊くと、氷見は恥ずかしそうにもじもじと手を動かしながら、「ええと」と呟いた。少し頬が赤くなっているように見えた。
「い、一応、お礼を言ってあげようと思ったのよ。さっきはありがとう、ペンを貸してくれて」
「お互い様だよ。俺も小テストのこと教えてもらったし」
「これ返すわね。ずいぶん使い古してあるようだけれど、使えなくは無かったわ。だけどせめて、もうちょっと良いのを買ったらどう?」
氷見がペンを差し出す。
「余計なお世話だ。あとそれ、今日一日貸しておくよ。無いと困るだろ?」
「……良いの?」
「どうせ予備のペンだから気にするなって」
「あ――ありがとう」
「用事ってそれだけか? だったら俺、教室に戻るから」
「ちょっと待って、天崎くん」
「なんだ?」
「あ……いえ、なんでもないの」
「じゃあ、また後でな」
教室に戻ると、茂部沢が俺を待っていた。
「で、どうだった?」
「何が?」
「『氷の女王』と二人きりで何かあったんだろ? 俺とお前の仲じゃないか。な、何があったんだ」
「別に何もねえよ」
「何もないわけないだろ!」
「本当に何もなかったって!」
「ムチかロウソクぐらいはあっただろ!!」
「そんなモノがあるのはおまえの頭の中だけだ!!」
その後、茂部沢だけでなくクラス中の男子から質問攻めにあった俺だったが、何もなかったと言い続けていると、まあ天崎みたいなモブに何かあるわけもないかと納得されてしまった。それはそれでショックだった。
◆◇◆◇
そして翌日。
登校してきた俺が1時間目の準備をしながら、そういえば昨日のペン、まだ返してもらってないよなあなんて思っていると、机の中に見慣れないものが入っていることに気が付いた。
取り出すと、プレゼントのように包装された小さい箱で、氷見に昨日貸したペンも一緒になっていた。
箱を開けてみると、新しいシャープペンが入っていた。
「……これって」
隣の席を見ると、氷見も俺の方を見ていた。目が合った瞬間、氷見は慌てたように顔を窓の外に向けた。
「なあ氷見、これって」
「知らないわよ。あなたが使ってるペンがあまりにも古かったから、どこかの親切な人が恵んでくれたんじゃないかしら。せいぜい感謝して使うと良いわ」
「ああ、ありがとう。使わせてもらうよ、これ」
「だから私、知らないって言ってるでしょ」
その日から、毎朝俺が机の中を確認するたび、何かが入っているようになった。
可愛らしい包みで飾られたそれは、文房具だったりお菓子だったりした。
しかし氷見に尋ねても、氷見は何も知らないからと無関係なふりをするのだった。
そんなある朝、俺の机には映画のチケットが入っていた。しかも二人分。
「……なんだこれ」
「映画のチケットに見えるわね」
隣の席から、氷見が白々しく答える。
「なんで2枚?」
「きっと、一人で見に行くのは寂しいだろうからっていう親切心じゃないかしら」
「誰と行くんだよ、映画なんて」
「あら、天崎くん映画一緒に行ってくれる友達がいないのかしら。可哀そうに」
「別にそういうわけじゃねえよ。茂部沢だっているし、高校違うけどヨシオくんとかテツヤくんとか……」
「友達の数、水増ししようとしてない?」
「し、してねえよ」
「まったく仕方ないわね。どうしてもというのなら私がその映画、一緒に行ってあげてもいいけど? たまたま明日は予定もないし」
ふふん、と流し目でこちらを見つめる氷見。
「分かった、頼むよ」
「それなら12時半に駅前で集合しましょう。13時半に上映開始の映画だから、余裕で間に合うわ」
「ああ、そうしよう。でも、映画が始まる時間なんてよく知ってたな」
「………か、関係ないでしょ、そんなことっ」
そう言うと氷見は唇を尖らせて窓の外を向いてしまった。
仕方ないので、氷見の言う通り明日の12時半ごろに駅前へ行くことにした。
◆◇◆◇
翌日、改札を抜けた俺は、駅前で小さな人だかりを見つけた。
嫌な予感がして急いで近づくと、中心には――氷見織姫がいた。
ヤンチャな感じの男二人組が、氷見にしつこく声をかけている。
「ねえ、お嬢さん、一緒にお茶しない?」
「そんなに待ち合わせに早く来るなんて、俺たちを待ってた?」
――いや、絶対違うだろ。
声を掛けようとした俺だったが、その前に氷見が顔を上げた。
無表情を貫いていた氷見は、俺を見つけると、男たちを冷たく睨みつけ、彼らを振り払うようにまっすぐこちらに向かってくる。
「遅かったわね。私を何分待たせるつもり?」
「約束より10分も早いけど……。氷見、何分前から来てたんだ?」
「……わ、私も今来たばかりよ。ちょうど良かったわね。別に天崎くんのことなんて全然待ってないから安心して! 別に今日のことなんて楽しみでも何でもなかったし」
氷見は頬を赤くして、急に早口で言った。
「はいはい。まあ、とりあえず行くか」
近くの映画館までは歩いて5分くらいだ。
「友達の少ないあなたのためにわざわざついてきてあげているんだから、ちゃんと感謝して欲しいわね」
「だから、別の学校には友達いるんだって。ヨシオくんとか」
「そのヨシオくんって誰なのよ。イマジナリーフレンドってやつかしら」
「実在の人物だ」
氷見は白のシフォンブラウスにミントグリーンのフレアスカートを合わせていた。胸元には銀のネックレスをしている。服全体の色合いが、氷見の銀髪によく似合っていた。
さすが高校一の美少女と名高い氷見。駅前に人だかりができるのも頷ける。
「ほら、天崎くん。今日はきちんと私をエスコートするのよ」
と、氷見は俺の袖を軽く引っ張り、少しだけ笑みを浮かべた。
「了解、女王様」
「だ、誰が女王よ! もう……!」
氷見の白いシフォンブラウスとミントグリーンのスカートが、夏の光に映えている。
その姿が、少し眩しく見えた。
◆◇◆◇
映画を観終わった俺たちは近くのショッピングモールをぶらぶらして時間を潰していたが、ウインドウショッピングにも飽きたので帰路についた。
「映画の感想は?」
人通りの少ない路地を歩きながら、氷見が訊く。
「意外と面白かった。まさか途中で教官が殺されちゃうとは思わなかったけど」
「ラストシーン、泣けたでしょ?」
「ああ、まさかあの歌に泣かされるとはね」
「私は映画を観るときは監督で選ぶようにしているのだけれど、また次回作が公開される予定だからそのときは――きゃっ」
通行人とすれ違った瞬間、相手にぶつかられたのか、氷見は悲鳴を上げて倒れた。
「おいてめぇどこ見て……ああ、昼間のお嬢ちゃんじゃねえか」
立ち止った男たちに、俺は見覚えがあった。
駅前で氷見に声をかけていた二人組だ。
氷見は二人組をひと睨みすると立ち上がった。
「行きましょう天崎くん。こんな人たちは相手をするだけ時間の無駄だわ」
「おい待てよ、ぶつかって来たのはお前の方だろ?」
「!」
大柄な方の男が、氷見の肩を無理やり掴む。氷見は居たそうに顔を顰めた。
「おいやめろよ!」
俺は咄嗟に男の手を払っていた。男は不機嫌そうに舌打ちをする。
「いい度胸してるな、お前。覚悟できてるんだろうな?」
男が俺の胸倉を掴み、威圧的に顔を近づけて来る。
やべー、と思いながらも俺は答えていた。
「……肩をぶつけてきたのはお前たちの方だろ」
「知らねえな、オイ!」
男の膝蹴りが思い切り俺の腹部にめり込んだ。痛みに思わず声が漏れる。
「なあお嬢ちゃん、こんなダサい男よりも俺たちと遊ぼうぜ」
もう一人の男が氷見の腕を掴んだ。
「い、いやよ! 私、あなたたちなんか嫌い!」
「や……やめろ」
声が掠れる。
「うるせえんだよ、さっきからよぉ!」
大柄な男の拳が俺の顔面を捉えた。目の前に火花が散ったように感じ、頬のあたりが熱くなった。
そのとき、路地にもう一人別の男が現れた。
スキンヘッドで地黒の、タンクトップを着た男だ。
「おうお前ら、何してんだ」
男はドスの利いた声で言う。
「あ、よ、義雄さん! いや、生意気な奴がいたんでシメてたとこなんスよ」
俺を蹴った男が猫なで声で言う。
「生意気な奴?」
スキンヘッドの男と目が合った。
次の瞬間。
「ふざけんじゃねぇ、てめぇ!」
スキンヘッドの男は、怒鳴り声と共に二人組を殴った。
何が起こったのか分からないとでも言いたげに茫然とする男を、スキンヘッドの男がさらに殴る。
「よ、義雄さん!? な、なんなんスかぁ!?」
口から血を流しながら男が言うと、スキンヘッドの男は更にドスの利いた声で答えた。
「俺のダチだ、こいつは!」
「だ、ダチっスか!?」
「消えろてめぇら、オラ! どうせお前らからちょっかいかけたんだろうが!」
スキンヘッドの男が、二人組を蹴とばすようにして追い払う。二人組は逃げるようにして路地裏から消えていった。
「悪い、助かった」
俺が言うと、スキンヘッドの男はすまなそうに自分の頭を撫でた。
「いやあ、俺の方こそ。迷惑かけちまったな、天ちゃん」
ひとり氷見だけが、きょろきょろと俺たち二人を見比べている。
「ど……どういうことなの、これ」
「ああ、こいつ、俺の友達なんだよ。ヨシオくん」
「よ――ヨシオくん? あなたが?」
「天ちゃんとは幼稚園の頃に家が隣でさ。大丈夫かよ、顔」
「このくらい大したことない。たまたま来てくれてよかった」
「俺の縄張りだからさ、この辺は。ま、なんかあったら呼んでくれよ。すぐ行くから。それから、あいつらちゃんとシメとくからさ。じゃ」
スキンヘッドの男――ヨシオくんはそう言い残して帰っていった。
「……氷見、ごめんな。台無しにしちゃって」
「ぜ、全然平気よ。それよりあなたはだいじょうぶなの? けっこうひどく殴られてたみたいだけど」
「ああ、音ほどじゃなかったよ」
「あんな友達がいるのね、天崎くん」
「ああ。一応、別の学校には友達いるんだよ、何人か」
「そういう意味でもないのだけれど……」
と、氷見が俺の口元にハンカチを押し当てる。
「何かついてたか?」
「口、切れてるみたいね。このハンカチは貸してあげるから、押さえておきなさい」
「でも汚れちゃうんじゃないか」
「良いのよそのくらい。気にしないで。それと……」
「何?」
「さっきの天崎くん、かっこよかったわ」
◆◇◆◇
月曜日になった。
学校へ来た俺がいつものように机の中を探ってみると、違和感があった。
というか。
「…………………」
教科書を入れられないくらい、俺の机の中はリボン付きの四角い箱でぎゅうぎゅう詰めになっていた。
「あ、あのー、氷見さん?」
氷見はいつものように素っ気ない声で答える。
「……知らないわよ」
そう言う氷見は、やっぱり少し顔が赤かった。
モブキャラの俺、なぜか「氷の女王」と呼ばれるクール美少女から机にこっそりプレゼントを入れられる件。 抑止旗ベル @bunbunscooter
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