セイクリッド・レガリア~熱砂の王国~

西崎 仁

プロローグ

依頼

 照明を落とした室内に、電子音が鳴り響いた。

 枕もとで青い光を明滅させるそれを、伸びた腕が無造作に掴む。通話機能をオンにした男は、気怠けだるげに応答した。


「……はい」

「シリル、俺だ」

「なんだ、おまえか。テッド」


 男はベッドから身を起こすと、すぐわきのナイトテーブルにあったシガレットケースに手を伸ばした。取り出した1本を口にくわえながら、気のない声でそっけなく応じる。


「おいおい、相変わらずツレねえなあ。せっかくいい儲け話を聞かせてやろうってのによ」

「おまえが持ってくるのは大抵、ただウマいってだけじゃねえからな。割に合わねえ厄介ごとはゴメンだよ」


 言いながら、銜えたままの煙草に火をけ、深々と吸いこんだ紫煙を一気に吐き出す。小型画面に現れた熊のようなむさ苦しい髭面が、「まあ、そう言うなって」と悪びれもせずニヤニヤとした笑みを浮かべた。


「天下のシリル・ヴァーノンともあろう御方が、みみっちいこと言いなさんなって。オレがあんたにババ引かせたことあるか? 今度の依頼は、なかでもとびっきり。マジもんだぜ」


 相手の言葉に、男はなおも、どうだかと無関心に肩を竦めた。


「正直、今回の案件はあんたにしか頼めねえ。そのぶん、ギャラも破格だ」


 画面の中で、テッドは指を開いた右手を思わせぶりに顔のまえに上げて見せた。


「片手かそこらで破格だと? 多少割がいい程度だろうが。大袈裟に言うな」

「バカ、おまえ。桁が違う。プラス、ゼロふたつ。ミリオンだ」

「なにっ!?」


 さすがの男も、顔色を変えて眉を跳ね上げた。途端、背後で寝息に混じった「う、ん……」という小さな声とともに寝返りを打つ気配がする。男はチラリと後背に目をやると、手近の椅子の背に掛けてあったローブを羽織って隣室のバスルームへと移動した。


「なんだよなんだよ、今度はどこの女とねんごろになってやがる。行く先々で美女たちの引く手あまたとは羨ましいかぎりだねえ。オレもあんたみてえな色男に生まれたかったぜ」


 洗面台の縁に浅く腰掛けるように寄りかかった男のローブ姿を見て、画面向こうのむさ苦しい髭面に下卑た笑いが浮かんだ。


「くだらねえ与太話はほかでやれ。依頼の詳細は?」

「おっと、ようやく本気で聞く気になったか。シリル、あんたいま、どこにいる?」

「ミスリルのはずれだ」

「そりゃまた都合がいい。軍との契約は満了してるか?」

「確認済みのうえで連絡をよこしてるくせに、なにを言ってる」

「いや、まあ、そうなんだがよ。次の契約の話が持ちかけられてるってことはないな?」

「いまのところは未定だな。なんせ、契約が切れたのが昨日の話だ」


 おまえが一番乗りだと言われて、テッドは満足そうに鼻の下を指でこすった。


「へへ。そいつぁ運がよかった。オレとしても、こんなデカいヤマに出くわすなんざぁ滅多にねえことだからな。あんたに請け負ってもらって、なんとしても仲介料をいただかねえとよ」

「いいから早く依頼内容を言え。運搬か? 護衛か?」

「そのどっちもよ」


 答えを聞いて、男は、まあそんなとこだろうと頷いた。額が額であることを考えると、おおかた天然水かレアメタルに類する天然資源、もしくは軍事兵器といったところだろう。だが、それにしても500万UKドルとは破格どころの話ではない。そこそこ名の通った大都市の一等地に、即金でプール付きの大豪邸が買える金額である。これまでにも高額の依頼料を積まれた経験はそれなりにあるが、今回の案件は、確実にふた桁ほど飛び抜けていた。


「運び屋としても傭兵としても超一流。あんただからこそ頼める仕事だ」


 断言したあとで、髭面の熊男は告げた。


「あるものを、エリュシオンまで運んでもらいたい」

「王都に?」


 ああ、と頷いたあとで、テッドはすぐさま付け加えた。


「ただし、ブツについては現場に着くまで明かせないそうだ」

「なんだそりゃ」


 話にもならないと、男は途端に関心をなくして鼻哂びしんを放った。そんな胡散臭い依頼に飛びつくほど、金にも仕事にも不自由していない。だが、テッドはまあ待てと、早々に見切りをつけようとしたシリルを押しとどめた。


「それだけ機密性の高い、極秘案件ってことだ」

「依頼人はだれだ」

「ローレンシア連邦科学開発技術省」


 仲介人の言葉に、さすがの男も絶句した。銜えたままの煙草の先から、灰の塊がまとめて床に落ちた。


「……政府じきじきの依頼だってのか?」

「ああ、そうだ」

「なんだっておまえみたいなちんけな仲介屋なんぞに、国の上層部から声がかかる?」


 失礼な物言いに、テッドは「おいっ」と語気を強めた。しかし、すぐさまトーンを落とすと、深々と嘆息した。


「まったく、口の悪さも天下一品だな。だが、お察しのとおりだよ。向こうはオレがあんたと繋がりがあることを重々承知のうえで、今回の話を持ちかけてきたって寸法だ」

「胡散臭ェ話だな。国家ぐるみで非合法の依頼か?」


 男は鼻を鳴らした。彫りの深い精悍な貌立かおだちの中で、野性味を帯びた漆黒の双眸そうぼうに皮肉が宿った。馴染みの仲介屋は、そんな男に懇願の眼差しを向けた。


「頼むから断るなんて言ってくれるなよ? こんなウマい話、ひょっとすると、この先一生だってありつけねえかもしれねえからな」

「断らねえよ」

 どこまでも気のない様子で、それでも男は応えた。


「おまえっていう闇業者を中継にしてる以上、公にするにはマズい内容なんだろう。だが結局のところ、俺を特定してご指名がかかってる。なら、受けるしかあるまいよ」

「ありがてえ。頼むぜ、相棒!」


 おまえなんぞと手を組んだおぼえはねえよ。男は画面越しに擦り寄る髭面をすげなく撥ね除けたが、相手は意に介さなかった。


「浮かれるのはいいが、おまえこそ寝首掻かれねえよう、せいぜい気をつけるんだな」


 男の言葉に、実際、かなり浮かれ調子だったテッドはギョッとして顔を硬張こわばらせた。


「おい、いきなり物騒なこと言うなよ」

「冗談でこんなこと言うと思うか? おまえも裏社会で生きてきたなら、甘い考えは捨てることだな。大金に目が眩んでると、後ろからグサリとやられるぜ」

「わ、わかった……」


 むさ苦しい髭面を蒼褪あおざめさせた仲介屋は、「オレ、おまえに護衛頼もうかなぁ」と、まんざら冗談でもなさそうな口調で心細そうに呟いた。男はあたまからそれを聞き流した。


「で? 王都への運搬はいいとして、受け渡しの詳細はどうなる?」

「あ、ああ。あとで依頼内容のデータを転送するが、とりあえず受け渡し場所は、おまえがいまいる軍事都市ミスリルの北東に、キュプロスってえ研究都市があるだろ? その中にある、シュミット研究所ってとこに行きゃわかるそうだ」


 名前を聞いた途端、男は得心顔でなるほどと内心独りごちた。仲介人が口にしたのは、工学全般をひろく扱う、世界有数の専門機関だった。エネルギー、自然科学はもちろんのこと、人文社会科学、生化学、軍事兵器といった多岐にわたる分野が研究対象として扱われている。政府の息がかかった、世界トップクラスの研究者らが集まることでも知られていた。シリルに委託された任務は、そのいずれかの研究対象物ということだろう。公に示せないということは、相応に倫理基準に反するか、もしくは法に抵触する内容であることは間違いない。


 任務遂行後、消されるおそれがあるのは、ひょっとすると自分のほうかもしれない。


 思いつつ、テッドとの通話を切った男は、バスルームに移動したついでにシャワーを浴びてベッドルームへと戻った。


「もうご出発?」


 キングサイズのベッドに横たわる女が、身支度を調える男を見て物憂げに問いかけてきた。数時間前の情交の跡も生々しい乱れたシーツの上で、女は見事なプロポーションの裸身を惜しげもなく曝していた。


「次の仕事が入った」


 女の眼差しの中に含む媚態びたいに関心を払うことなく、シリルは事務的な口調で応えた。行きずりの関係とするには、ほのかな執着と情念が女の中に透けて見える。気づきはしたが、シリルは取り合わなかった。


「そう……」


 ラベンダーグレーの双瞳に、かすかな諦めと失意がい交ぜになる。手早く身支度を済ませたシリルは、


「精算は済ませておく。縁があったら、またどこかでな」


 女に告げると、ホテルの部屋をあとにした。

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