大坂燃ゆ ~幸村を支えし女たち~
沙羅双樹
第1話 竹林院(小夜・さよ) ~静かなる炎~
慶長19年(1614年)の初冬。和歌山、九度山の麓。冷たい風が吹き荒れ、木々の葉はほとんど落ち、枯れ枝が寂しげに空を掻いていた。山間を流れる川のせせらぎだけが、かろうじて生きている証のように聞こえる。その川沿いにひっそりと佇む、萱葺きの粗末な小屋。そこで、小夜(さよ・竹林院の実名)は凍える指先を温めるように時折息を吹きかけながら、針仕事をしていた。
彼女の顔は、かつての華やかさを失い、幾分やつれていた。しかし、その顔立ちの美しさは、厳しい生活の中でも失われていない。高く結い上げられた髪は乱れ、着ている着物も色褪せているが、その瞳には芯の強さが宿っていた。彼女の指先で縫われているのは、古くなった夫の陣羽織だった。何度も繕われた跡が、この数年間の苦労を物語っている。肩のあたりには、擦り切れて薄くなった箇所があり、小夜はそこに丁寧に布を当てていった。
夫、真田幸村は、関ヶ原の戦い後、高野山に蟄居を命じられ、月に一度、こうして人目を忍んで会うことしか許されていない。かつては織田信長の重臣、大谷吉継の娘として、京の都で華やかな生活を送っていた小夜にとって、この質素な暮らしは耐え難いものだった。しかし、彼女の心には、夫への深い愛と、いつか必ず来るであろう日のための覚悟という、静かな炎が燃えていた。
障子の隙間から差し込む薄い光が、部屋の隅に置かれた小さな仏壇を照らしていた。小夜は手を合わせ、静かに祈った。「どうか、夫に力を。そして、この苦難の日々が終わる日が来ますように…」その祈りは、日々の生活の中で何度も繰り返される、切実な願いだった。
その日の夕刻、待ちに待った幸村が訪れた。門の前で微かな物音がしたかと思うと、すぐに戸が開いた。小夜は針を止め、顔を上げた。そこに立っていたのは、以前よりもさらにやつれた夫の姿だった。頬はこけ、目の下には隈ができている。しかし、その瞳には以前にも増して強い光が宿っていた。それは、絶望ではなく、希望の光だった。
「小夜…」幸村はかすれた声で妻の名を呼んだ。その声を聞いただけで、小夜の胸は熱くなった。長い間待ち焦がれていた声。苦しい日々を支えてくれた、大切な人の声。
小夜は駆け寄り、夫の手を取った。その手は、かつて戦場で多くの敵を倒した勇猛な武将の手とは思えないほど、かさつき、冷たくなっていた。「お帰りなさいませ…」小夜は震える声で言った。「お待ちしておりました。」
幸村は小屋の中に足を踏み入れ、囲炉裏の火にあたった。火の粉がパチパチと音を立てる中、しばらく沈黙が続いた。小夜は熱い茶を淹れ、幸村に差し出した。
幸村は茶碗を受け取り、一口飲んだ。「温まる…」と小さく呟いた。
「お身体、お辛そうですね…」小夜は心配そうに言った。
幸村は少し俯き、静かに口を開いた。「九度山での暮らしは、心身ともに堪える。だが…」顔を上げ、小夜の目を見つめた。「必ずや、この屈辱を晴らす日が来る。豊臣家のため、そして…わが子のためにも。」
小夜は夫の手を握りしめた。その手は、かつて戦場で多くの敵を倒した勇猛な武将の手とは思えないほど、かさつき、冷たくなっていた。「私は信じております。あなた様ならば、必ずや…」
「小夜…」幸村は優しく妻の手を握り返した。「お前がいてくれるから、わしはこうして耐えていられる。」
幸村は小夜の目を見つめ、力強く頷いた。その瞳の奥には、静かな炎が燃えていた。それは、九度山の厳しい冬の寒さにも決して消えることのない、不屈の闘志の炎だった。小夜もまた、その炎を見つめ返した。夫の傍にいる限り、どんな苦難も乗り越えられる。そう確信していた。
**竹林院とはどのような女性だったのか**
真田幸村(信繁)の正室である竹林院(ちくりんいん)は、謎に包まれた女性ですが、分かっている情報をまとめると以下のようになります。
出自: 豊臣政権の有力者であった大谷吉継の娘とされています。ただし、妹あるいは姪を養女にしたという説もあり、母親が誰なのか、実名(諱)は何なのかもはっきりしていません。一般的には「小夜(さよ)」という名で伝えられています。
幸村との結婚: 幸村と竹林院がいつ結婚したのかは定かではありませんが、父・吉継が病で豊臣政権から離脱したとされる文禄3年(1594年)以前、天正年間(1573年〜1592年)頃と推測されています。小田原征伐(1590年)の前後という説もあります。
幸村との間の子: 幸村との間には、嫡男である真田大助幸昌(後の真田幸昌)をはじめ、四女二男をもうけました。
九度山での生活: 関ヶ原の戦い後、幸村は高野山(後の九度山)に蟄居させられますが、竹林院も同行しました。九度山での生活は困窮を極めたと言われており、竹林院は上田地方の紬の技術を応用して「真田紐」を考案し、家臣たちに販売させて生活を支えたという逸話があります。
大坂の陣: 慶長19年(1614年)、幸村は大坂城に入城し、大坂の陣で活躍しますが、竹林院も同行したと考えられます。幸村は大坂夏の陣で討ち死にしますが、その後の竹林院の消息ははっきりしていません。
人物像: 史料が少ないため、竹林院がどのような人物だったのかを具体的に知ることは難しいですが、激動の時代を幸村と共に生き抜き、夫を支え続けた強い女性であったと想像できます。特に、九度山での困窮生活の中で真田紐を考案し、家計を支えたという逸話は、彼女の才覚と行動力を示していると言えるでしょう。
竹林院は、幸村の生涯において重要な役割を果たした女性であるにもかかわらず、その生涯は多くの謎に包まれています。今後の研究によって、彼女の実像がより明らかになることが期待されます。
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