第6話 おばちゃん、魔王と対面

重厚な扉がごとりと音を立てて開く。

奥から冷たい風が吹き抜け、まるで誰かの視線がこちらをじっと窺っているかのように感じられる。

ジェードは気合いを入れるように深呼吸して、ロングソードの柄を軽く握る。

「準備はいいですか、おばちゃん。 …マーヴィンさんも。」

そう問いかける彼の声は緊張にわずかに震えている。


幸子は「そやな。 ま、行くしかあらへんわ」と飄々と答えながらも、城内の闇を見据えたまま足を踏み出す。

「マーヴィンさん、あんま後ろでモタモタしてたら危ないかもしれへんで。 一緒に行こ。」

マーヴィンはカバンをきゅっと抱え直し、顔を引きつらせながらうなずく。

「ほ、ほんまに入るんやな。 もし魔王に捕まったら、商売どころやないんやけど…儲け話にはリスクがつきもんやしな。」


一行が広い廊下を進むと、どこからともなく低い足音が響いてくる。

ジェードが身構えるが、幸子はむしろ音の正体を探るようにあたりを見回す。

薄暗い石壁に松明が点々と灯され、赤い絨毯が奥のホールへと続いている。

長い回廊を抜けた先には、威圧感のある大きな扉がそそり立っていた。


「絶対、あれやろ。 魔王がおる部屋ちゃうん?」

幸子が指をさすと、ジェードは「間違いないですね」と剣を握り直す。

マーヴィンが後ろで「武器とか持ってへんし、ウチ何したらええねん…」とぼやいている。

「まあ、ウチも似たようなもんやし。 行くだけ行こか。」


扉を押すと、冷たい空気がごうっと流れ出し、そこには広大な玉座の間が広がっていた。

天井近くからいくつものシャンデリアが垂れ下がり、石柱が両脇を支えている。

玉座の上には、漆黒のマントを纏った長身の男が静かに腰かけていた。

銀色の角がゆらめく灯りを受け、鈍く光っている。


「ついに来たか。 自称・勇者、それに噂の女。 そして…商人か。」

ディアス・ガルニエと名乗る魔王は、低く落ち着いた声で言い放つ。

彼の視線はジェードよりも、なぜか幸子へ向けられているように見える。

ジェードは勇ましく一歩前へ出て、ロングソードを掲げる。

「魔王ディアス。 俺が貴様を倒す。 覚悟してください。」


ところが、その言葉を聞いてもディアスはまるで歯牙にもかけない様子で、少し口元をゆがめる。

「そうか。 私を倒しに来たのならば、もっと堂々と挑むがいい。 だが、その女…一体何者だ?」

視線を向けられた幸子は、むしろ気負いなく玉座のほうへずかずかと近づいていく。

「あんた、顔色悪ない? なんかしんどそうに見えるんやけど。 腰、痛めてへんの?」


「な…何を言っている。」

ディアスは背筋を伸ばしつつも、思わずマントの下に隠した腰を気にする仕草を見せる。

アンネリーゼ・フロウラが玉座のそばに控えていたが、その予想外の質問に呆然とした表情を浮かべる。

「勝手に魔王様へ近寄るとは。 無礼も甚だしいぞ。」


幸子はヒョウ柄の服を揺らしながら、さらに一歩近づく。

「こんな暗いとこにずっとおったら、そら肩も凝るやろ。 しかも何か重そうなマントとか着てるしな。 ちょっと座らせてもろてええ?」

まるで喫茶店の椅子に座るような調子で、玉座のふもとに腰をおろそうとする。

「お、おばちゃん! 流石にマズいですよ!」とジェードが制止しようとするが、もう幸子はごそりと腰をおろしている。


ディアスは声を上げかけるが、幸子のあまりの気安さに言葉を失っているようだ。

アンネリーゼは「そんなはずない…」と硬い表情のまま、杖を握りしめている。

一触即発になりそうな空気の中、幸子はあくまでおかまいなしだ。


「見た感じ、あんためっちゃ真面目やろ。 その顔つきが言うとるわ。 でも、こんな暗いお城でずっとどっか痛めながらおるなんて、体に悪いで。 せやから、ちょっとストレッチしたほうがええわ。」

ディアスは硬直したままだが、「ストレッチ…?」と困惑の声を漏らす。

アンネリーゼが「魔王様、気にされてはなりません」と釘を刺すように言うが、ディアスは半ば呆気に取られている。


幸子はカバンから飴ちゃんを取り出し、「甘いもん食べる? 疲れがとれるかもしれんで」と手を差し出す。

「だ、断る。 …私は魔王だぞ。 飴など…。」

そう言いながらも、ディアスはわずかに視線を逸らす。

腰痛のせいか、いつもの威圧的なオーラが薄まっているのが、ジェードやマーヴィンの目にも明らかだ。


アンネリーゼは「騙されてはいけません」と顔をこわばらせる。

「その女は何か術を使って我々を懐柔している可能性が…」

しかし幸子は「そんな大層なもんちゃうて。 ウチはただのおばちゃんや。」とさらりと言う。

「暗い部屋でじーっと睨んでても気が滅入るだけや。 もうちょい窓開けるとか、換気するとかせな。」


ディアスは徐々に気圧されてきたのか、焦りまじりの声を出す。

「私は世界を征服する魔王だぞ。 …おばちゃんなどに世話を焼かれる謂れは…」

そこで腰の痛みがぶり返したのか、微かに顔をしかめる。

「ほら、やっぱ腰痛めてるやないか。 こんな姿勢で玉座に座ってたら負担やろ。 タオル敷いたら、ちょっとマシなるかもしれへんで。」

幸子の突拍子もない提案に、アンネリーゼは顔面をこわばらせたまま思わず後ずさる。


ジェードは「こうなると止められへんわ…」と呟き、マーヴィンは唖然とそのやりとりを見守る。

敵対していたはずの魔王とおばちゃんが、まるで近所の公園で井戸端会議をしているような空気感になってきたからだ。


ディアスは威厳を保とうとするものの、その努力は幸子の気さくさの前でほとんど意味を成していない。

「こんな会話が成立するはずない…」とアンネリーゼは呆気に取られる。

一方、幸子はさらに前のめりにディアスの顔を覗き込む。

「アンタ、紅茶好きなんやろ? ほのかに甘いのがええとか聞いたけど、もし痛み止めとかあったら混ぜて飲んだらどう? まあ、薬もほどほどにせなアカンけど。」


ディアスは一瞬、「なぜ私の好みを…」と驚いたような表情を浮かべたが、すぐに「まさかこいつが調べたのか?」という警戒の色を見せる。

その警戒心をよそに、幸子は「あ、さっき魔物やら何やらに会うたとき、ちょこちょこ話聞いとったらそんな話が出とったからな。」と飄々と言ってのける。


こうして本来の対峙はどこへやら。

まるでおばちゃんの世間話に巻き込まれる形で、魔王ディアスや幹部のアンネリーゼは大いに困惑していた。

ジェードは武器をしまいかけ、マーヴィンは「これ、ワシ商売できるんちゃうか?」などと呑気な独り言を漏らす。


「とりあえず、あんたらも座って話しようや。 こんな寒い石床の上は嫌やろけど、まずはそこに敷物でも敷いたらどや?」

幸子はまるで友人の家にあがりこむかのような態度で、手早く場を仕切ろうとする。

アンネリーゼはついに「魔王様…」とディアスへ視線を送るが、肝心のディアスは対応策を見いだせずにいる。

威圧感を振りかざして追い返そうにも、なぜか空回りするばかりだ。


そうして、「魔王と勇者」の構図で始まるはずだった緊迫した場面は、いつの間にか雑談モードに変わりつつあった。

玉座の間には大阪の空気が流れ出し、魔王軍側の兵士たちまで遠巻きに首を傾げている。

誰も予想しなかった光景に、アンネリーゼは苛立ちを覚えながらも、その奇妙なやり取りに言葉を失っていた。


ディアスもまた、気づけば腰の痛みを軽減する姿勢を保ちながら、おばちゃんのやたら親身な話を聞かされている。

本来なら即刻排除すべき存在だったはずの一行が、こうも自然に城内へ入り込むとは、誰が想像しただろうか。

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