八月朔日夜桜の混迷

ぜろ

第1話 八月朔日夜桜の唸り

「わっかんねぇ~……」


 科捜研のPCに向かいながら唸っているのはあたしこと八月朔日夜桜ほずみ・よざくらである。事件が起きて十二時間、そろそろ解剖学所見を提出しないと訝られるところだが、あたしにだって分からないものはあるのだ。電子パイポをがりがり鳴らすと同僚や客人がちらちらと見てくる。だがあたしはそれを無視して、PCの画面を覗き込む。


 被害者は三十代男性、死因は椎骨骨折による動脈の傷からの出血死とでも言おうか、まあつまり首を絞められて殺されたというのが有望視だ。だが手の跡もロープの跡もない死体だったことが、あたしを唸らせた。マフラーや帯なんかの幅の広いものを使った可能性はあるが、それにしては傷が華奢だ。


 うーうー唸っているとリリィこと百合籠天斗ゆりかご・たかとが画面を覗き込んでくる。何に唸っているのか分からないのだろう。あたしだって分かんねえ。でも紐じゃないことは確かだ。じゃあなんだ? ピンポイントに骨を折る。なんだ、それは一体。


「ミス・オーガストにも分からないことがあるんだねえ」

「姉と被るから止めろって言ってるでしょ。あたしだって天才じゃないんだから分からないこともあるよ」

「ご謙遜を。医師資格免許をストレートで取って以来法医学教室に籍を置き続けている才媛が」


 アーサーもとい朝比奈禄あさひな・ろくはぷか、と葉巻を燻らせながら言う。って言うかここ禁煙。あたしだってパイポで我慢してるのに、嫌がらせかこいつ。学生時代はヘビースモーカーだったけれど、ちょっとした臭いも手掛かりになる科捜研では止めているのだ。なのにいつもぷかぷかしやがって。私だって往年の名探偵のようにパイプを燻らせて優雅に検死死体と向かい合いたい。でもそれは許されない。


「分かんないって? 夜桜ちゃん」

「凶器よ。椎骨をピンポイントで最小限に折るものが分からない」


 季節は冬、容疑者たちはみんな一緒に被害者を訪ねた。貸した金を返してもらうためだ。みんなマフラーをしていたし、職業もバラバラ。ピアノ講師、空手家、前衛画家。共通点はみんな被害者にある程度の金を貸していたこと。


 どうしたもんかとPCを覗き込んでいると、アーサーもこちらを覗き込んでくる。葉巻の臭いが不快だ。ふむ、と頷いて、アーサーはあたしを覗き込む。


「ちょっと時間くれるかい? ミス・オーガスト」


 だから止めろっつってんだろうが。何度も言わすな。

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