諏訪湖の未来の御神渡り
アイス・アルジ
第1話 諏訪湖ゴールドスタジアム
諏訪湖に、今日の日を焼き付けるかのように残照が広がる。湖面は明と暗に染まり、しばらく拮抗した後、その境界は少しずつ消えてゆく。夕暮れの湖面に円盤のようなスタジアムが浮かび、明かりが灯る。諏訪湖ゴールドスタジアムに命が宿った。まもなく落成記念の最初の試合が開催される、新たな一ページが加わる。
スタジアムは上諏訪側の岸から300mほど沖に建設された人口島だ。湖底の泥を浚渫し、焼成した煉瓦土を盛って基礎としている。周囲の浸水エリアには矮性の芦が植えられ、草原のように人口島の上を取り巻いている。その様子は遠くから見ると。縄文土器の波模様のように見える。芦は筏に植えられ、建設中から人口島を取り囲んでいた、土砂の流出や湖水の濁りを防止することに役立ち、その後も残された。島の中央部には白い卵殻のような壁に包まれた、巨大な観客スタンドがあり、刈り込まれた緑の芝生のグランドを包み込んでいる。壁はライトアップされ、諏訪を象徴する祭りのイメージが投影されている。
諏訪地域で大地震が起きたら、山に囲まれたこの地域は主用道路や鉄道が遮断され、陸の孤島となる可能性がある。近年、内陸部で起きた大地震の教訓から、スタジアムはスポーツ施設というだけでなくヘリポートを兼ねており、災害時などの緊急防災拠点として利用可能だ。屋上と屋根部には太陽光発電パネルが装備され、近くの湖上にも発電パネルの筏が浮いている。スタジアム全体を維持するために十分な電力を得ることができるし、災害時の緊急電源にもなる。
スタジアム建設促進のための湖底調査のとき、金の含有量の高い堆積層が発見され、ちょっとしたゴールドラッシュが起こった。金を含んだ地層は薄く広がっており、工事現場以外での金の採取は禁止された。取り出された金は建設費の一部に充てられた。この金がなければスタジアムの建設は中断されていただろう。技術系企業の多い諏訪地域でも地域経済は低迷が続き、建設費の確保は難しくなっていた。
島と岸をつなぐ橋は、歩行者と自転車専用で自動車は入れない。試合の開催日にだけ電動バスの運行がある。橋脚にはスクリューが設置され、水のよどみが起きないよう水流の調整が行われている。
ミスズはeAiスクーターで峠道を下った。彼の家は峠の中腹にあるスマートボックスハウスだ、組み立てやすいコンパクトハウスだが、強度、耐火性、断熱性能は高い。ログハウスのように森林地区によく似合う。夕闇の迫る諏訪湖が黒い瞳のように見渡せる。その中にスタジアムが白く輝いて見える。建設中に何度も見ていたオレンジ色を帯びた弱い明りではなく、力強く天に向け光を放っているように見える。湖の周囲には街灯が点々と並び、まばらな街明かりの夜景が広がっている。まだ日暮れ直後ということもあるが、昔のように一晩中、煌々と照らすような明かりは無い。成長の時代は過ぎ、今や過去に整備されたインフラに頼っている。それでも現状を維持することは難しくなっている。維持費削減のため、街中の道路は片側車線だけの一方通行が増え、もう片側は歩道や自転車道、タウン駐車スペースなどに変わり、地域住民によって維持されている。eAiスクーターはこういった道にぴったりだ。AIが道路状況を検知して車体バランスを保ってくれるため、整備の遅れた道でも安全に通ることができる。湖岸の道を通りぬけ上諏訪駅へ向かった。
上諏訪駅からスタジアムへの道は再整備されている。維持費が減る一方で、優先度の高い整備は行われ街は今でも変化を続けている。駅を降りると広々とした芝生の広場に出る。手入れされた木々が植えられ公園のようだ。これが最近はやりの公園スタイルだ。昔のような込み入った商業ビルはなく、芝生を囲むように低層のショッピングハウスが並ぶ。設置解体費用の少ないプレビルドハウスを連結し、構成された建物だ。広場を抜けると、諏訪湖へまっすぐ伸びた広い通りへ出る。歩道わきには手前にケヤキが植えられており、遠くの花梨並木へと続いている。やがて道の先、正面に諏訪湖とスタジアムが見えてくる。ミスズは弟ケンジの車椅子を押しながらスタジアムを目指した。
通路にはスタジアムへ向かう人々のざわめきがあふれ、湖面を渡る風は、期待の香りを運んでくるようだ。スタジアムのゲートをくぐると、周辺の湖面から一斉に花火があがり観客の顔を染めた。グランド上ではセレモニーとして伝統の木やり節が披露され、観客全体が歓声に包まれた。スワファイアスワンズとグリーンサンダースのサッカーリーグ公式戦がまもなく始まる。ケンジはこの光景を待ちわびていた、できれば、かつて夢見た緑に輝くこのグランドの上で。そして目に焼き付けた。
諏訪湖の未来の御神渡り アイス・アルジ @icevarge
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