星の織り成す物語「詩と剣編(仮)」

@enchanted_canvas

プロローグ一節:星霧の影に消えた塔――詩人を試すもの

星霧せいむの森……。人はどうしてこうも“知らない”ということに惹かれるんだろうな? 知らないことは怖い。けど、その怖さの奥に、期待が潜んでるんだ。未知の先に何か――たとえば、こんな霧の向こうに隠れた銀樹ぎんじゅの聖域みたいなものが――待ってると思うから、人は進むんだよな。」


 アルヴィンはリュートの弦を軽く弾きながら、霧の漂う風景を眺めた。その目は霧の中に何かを探すように鋭く輝いている。


「けど、もしその“何か”がただの空っぽだったら? 何もない、ただの森だったら? それでも人は進む――いや、進まざるを得ない。だって詩人にとっちゃ、進まないってのは死んだも同然だからな。」


 彼は少し得意げに笑いながら、再びリュートを弾いた。その音が霧に吸い込まれていく。


「で、もし俺がこんなことを言ってるのをたちが聞いてたらどうだ? 霧の中でひそひそ話しながら、『何もない森をわざわざうたにするなんて滑稽こっけいね』って笑われたりしてさ。それでも、そんな“滑稽”が詩の本質だろう? 空っぽの中に意味を見つける――それが詩人の仕事なんだから!」


古の民エルフか……。神々の代弁者みたいな存在だと言われてるけど、実際に見た奴なんているのかね? 伝説だろうがなんだろうが、この星霧の森にいるって言われると、それだけで胸が躍るのが不思議だ。」


 彼は自分の言葉に満足したようにうなずき、軽くリュートを爪弾つまびいた。そして少し思案するように霧の中へ目を凝らし、肩をすくめた。


「さあ、どうだ森よ。この俺を試してみるがいい。何もないのか、それともすべてがあるのか……。どっちでも、うたにはなるからな。」


 その言葉が静けさに溶け込むと、風がそっと木々を揺らし、まるで答えるかのように霧が少しだけ形を変えた。アルヴィンはその気配に微笑み、静かに歩みを進める。


 風が囁き、時の流れが止まったような世界。夜の帳が薄れ、星々が朝の光に溶ける中、彼が長い旅の果てに見つけたものは、突如途絶えた道と、その先に広がる壮大な雲海だった。


 森はそこでぷつりと途切れ、木々の影が消えた瞬間、視界が一気に開けた。アルヴィンは足元を見下ろし、苔むした岩肌が剥き出しになっていることに気づく。その岩々は崖の淵まで続き、そこから先には果てしない雲海が広がっていた。雲は星明かりを受け、白銀に輝きながら静かにうごめいている。その動きは、生き物が呼吸しているかのようで、どこか現実離れした感覚を漂わせていた。


 アルヴィンの目は自然とその先を追う。雲海の向こう、遥か遠くに何かがぼんやりと浮かび上がっている。それは星の光と影が織りなす幻想的な輪郭を持ちながら、ひとつの形に定まらず揺らめいていた。暗闇くらやみ微光びこうの狭間で、風が遠くにかすむ霧を動かすたびにその姿は変容し、まるで見る者の想像に応じて形を変えているかのようだった。


 アルヴィンはさらに目を凝らした。その影は時折、山の稜線りょうせんの一部のように見えたかと思うと、次には天空に浮かぶ塔のようにそびえ立つ。その光景は、自然が編み上げた奇跡そのものだった。彼は思わず息を呑み、目の前に広がる世界をただ見つめ続けた。


「……なるほど。これが星霧の森の全力というわけか。」


 彼は感嘆かんたんの息を吐き出しながら、霧の動きに目を凝らす。星の光が霧に絡みつき、無数の銀糸ぎんしが宙に舞うような幻想的な光景を作り出している。


「『知らないことは怖い』……なんて、さっきの俺は偉そうに言ったけどな。この森の『知らない』には敬意を払わざるを得ない。なぜなら――これだけ美しければ、怖くても進むしかないだろう?」


 彼はリュートを軽く弾き、その音色が雲海に抱かれるように消え、空気の中に溶け込んでいった。その音色が、森全体の静けさに溶けていく様は、まるで森自体が彼の演奏に耳を傾けているようだった。


「何もない場所を飾るのが得意なのに、ありのままの美しさには言葉が及ばない――それが詩人の矛盾ってやつさ。」


「これを聞いたたちならこうだろう――『人間ってやつは、美しいものをわざわざ歪めるのが得意ね』ってな。」


 彼はリュートを抱え直し、星明かりに揺れる霧の動きを目で追った。その顔にはどこか達観たっかんした笑みが浮かんでいる。


「でも、それでいいんだ。言葉なんかじゃ届かないからこそ、歌にするしかない――それが俺たち詩人の生きる道ってやつさ。」


 彼は少し笑いながらも、どこか震えるような声で続けた。


「だが、それでも――この森が隠している何かが、俺に歌わせようとしているのは確かだ。」


 彼の言葉が雲海に吸い込まれると同時に、森が呼吸するように風が吹き、木々がそっと揺れた。一瞬だけ霧の中に立ち現れた塔は、実体を持たないはずの影が実在感を帯びたかのようだった。そして、それが幻であると証明するようにまた消えた。


 その瞬間、声が響いた。


「アルヴィンよ……歌を紡ぐ者よ……」


 突如として耳に届いた声に、アルヴィンは息を詰めた。胸の奥を冷たい何かに掴まれるような感覚が走った。それは逃げ場のない運命に触れた瞬間のようだった。振り返るが、森は依然として静けさに包まれている。ただ、遥か彼方の霧は、今にも手を伸ばして自分を捕まえそうに思えた。


「おいおい……森がしゃべるなんて聞いたことはないぞ? いや、か? それとも――俺の頭がとうとう詩人らしくなりすぎたってわけか?」


 彼は冗談めかして言ったが、その胸の鼓動が高鳴っていることに気づいていた。また霧が揺らめいた。


「運命は今、星々の糸と共に編まれる……」


 声はどこからともなく響き、彼の名を呼び続けた。その響きは、耳を通じた音ではなく、胸の奥底で直接振動しているような感覚を伴っていた。


「……これは……運命、ってやつか? いや、冗談でも言ってないと……」


 声が静まり返った後も、その余韻は彼の中で波のように広がり続けていた。アルヴィンはリュートを再び弾き始めた。その音色が、自分の中に渦巻く恐怖と期待を和らげてくれるように。


 アルヴィンは崖の淵に立ち尽くしていた。霧が揺れ、霞む塔が視界の奥に現れては消えるその光景は、ただ圧倒的だった。星々の光に照らされたその影は、幻のように揺らめき、まるで自分を試すように静かに訴えかけてくる。


 彼の胸の中には、言葉にできない感情が渦巻いていた。それは恐れか、それとも期待か――いや、両方だ。彼はそれを認めるように小さく息を吐いた。


 やがて、東の空が青みを帯び始める。夜明けの気配が静かに世界を包み込み、星々の輝きが一つ、また一つと消えていった。アルヴィンは肩にかかった冷たい夜露を払いながら、目の前の塔に視線を戻した。


 その時、霧の中の影が揺れた。星々の後を追うように、霞む塔の輪郭が夜空に溶けていった。その消失は、夜が明ける瞬間の儚さそのものであり、アルヴィンの心に深い余韻を残した。


「……結局、詩人の役目は同じか。」


 アルヴィンは皮肉な笑みを浮かべながら呟いた。


「これだけの光景を前に、歌を紡がないなんて選択肢はない――運命だろうが、幻だろうがな。」


 彼はリュートを抱え直し、弦を軽く弾いた。その音色が夜明けの冷たい空気に吸い込まれるように響く。彼はその場に腰を下ろし、星々の消えた空を見上げた。


 塔の影が完全に消えた瞬間、彼は胸にわずかな喪失感を覚えた。それは、確かに存在していた何かを手放すような感覚だった。だが、その感情はすぐに新たな使命感へと変わっていく。


「見えなくなったからといって、なくなったわけじゃない――そうだろ?」


 彼は小さく呟き、リュートの弦にそっと指を滑らせた。音色が夜明けの光に乗り、雲海の上を滑るように響き渡る。その旋律には、霧の中に浮かび上がる塔の記憶と、それを追い求める自分自身の思いが織り込まれていた。


 星霧の森――それは北方の奥地に広がる、古の民エルフが住むと言われる神秘の地。だが、という存在は神格化されて久しく、誰もその姿を見た者はいない。

 伝承の中で語られる彼らは、銀のように輝く木々の奥に隠れ、夜明け前の一瞬にだけ囁く声を残すという。その声を聞いた者は、道を示されると言い伝えられている。


 **

「星霧の森、銀樹の奥、

 神の影が踊る道を辿る。

 雲海の裂け目、東風の先、

 忘却の谷を越えた先に。


 宝石の光は枝葉に隠れ、

 真実は銀樹の囁きの中。

 夜明けの星が紡ぐ道、

 運命の塔が影を抱く。」

 **


 旋律を紡ぎ終えた時、太陽は山の稜線りょうせんを照らし始めていた。星霧の森は朝の光を浴びて霧が薄れ、また新たな静けさをまとうようになっていた。アルヴィンは立ち上がり、霧の中に消えゆく塔の方へ目を向けた。


古の民エルフが聞いていたら、こう言うだろうな――『人間ってやつは、何も知らないくせに歌を作るのだけは得意ね』ってさ。」


 苦笑混じりに呟きながら、彼はリュートを抱え直し、塔の消えた方向へ視線を送り続けた。その目には、消えてしまった何かを追い求める決意の光が宿っていた。

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