第40話 星見の挙句

 〈追跡〉のルーン石の導きに従い、シグは城内の古びた階段を上る。

 狭い踊り場の壁には絵画が飾られている。しかし、時間が経ちすぎてしまったのだろう。油絵具の劣化で絵に亀裂が走り、そこから剥離が始まっている。

 元々は女性が描かれていたのだろうが、顔部分の油彩は殆ど剥がれ落ちてしまっていた。どのような表情を湛えていたのか、もはや窺い知ることはできない。

 芸術に疎いシグだが、そこにほんの少しの物寂しさを感じる程度の感性は僅かばかり持っていた。


 階段を昇り切り、二階の廊下をしばらく歩いて角を曲がる。通路の左手側には窓が嵌められていた。外側には格子が付いているが、半ば外れかけている。

 外を覗くと、どんよりと重い雲が青空に蓋をしていた。雲の色は暗く、今にもにわか雨が降ってきそうだ。

 この城で雨を凌ぐことになりそうだ。せめて台所が使えれば良いんだが───そんな事を考えながら、視線の先でルーン石が止まったことに気づく。

 止まったルーン石の前には、他の部屋よりもどこか重々しい扉が立っていた。草花の彫刻やら装飾やらで飾り立てられているのだ。我こそ城主が使っていた部屋であると自分から主張しているようだ。

 腰に帯びた長剣の鞘を左手で掴む。

 どうか抜かせてくれるなよ───祈りながら、シグは扉に手をかけた。


 中を窺いながら慎重に足を踏み入れる。

 部屋に入ると、そこにはユアンの姿があった。

 執務机に後ろにある棚からあらゆる書類をひっくり返したのだろう、ボロボロの絨毯の上に文字の綴られた羊皮紙が散乱している。その真ん中で、ユアンは立ち尽くしていた。

 息を潜めて入って来たとはいえ、ユアンはシグに気づく様子は無い。入口側に背を向けたまま、呆然としているように見える。


「ここに居たか、ユアン」


 放っておけなくてシグは声をかける。

 するとユアンは、今ようやくその存在に気付いたかのように「ああ」と返事をした。


「眼帯クンか。ゴーレム達とヤァドの相手、ご苦労だったね」

「なに、仕事をしただけだ。それより、家探しをしてたんだろう。何か目ぼしい物は見つかったか?」

「目ぼしい物、ね」


 ユアンはシグに背を向けたまま、懐から何かを取り出した。

 手に持ったものをシグにも見えるように体の横へ差し出す。


「それは……」


 ユアンの手には、黄金の立方体が乗っていた。

 大きさは小さめのリンゴほど。六面に九つのマス目が刻まれており、その中に見た事も無い記号……あるいは文字のような紋様が刻まれていた。


「こいつを見た時、瞳に痺れが奔った。星見盤でこの城を視ようとした時と同じだ」

「ってことは、この四角の置物があんたの未来視を遮っていたのか」

「そうだろうね。まあ、僕にはそれ以上のことは分からない。いったい誰がコイツを作って、連中に渡してくれたのか、未だ謎だ」

「なら、知ってそうなヤツに聞くしかないな。下へ行ってアルフィンに見せよう───」

「───その前に」


 言い切る前にユアンは振り返り、あからさまな強い語気でシグの言葉を遮る。

 黄金の立方体を懐にしまうと、一枚の紙をシグの眼前に突きつけた。


「これに書かれていることについて、教えてくれよ」


 無機質に据わった眼がシグを捉える。その様子を訝しみながらも、シグは手紙を受け取り内容に目を通す。

 どうやら手紙のようだ。この古城を拠点していた連中に対しての物だろう、カヌエでの資金繰りやユアンへの警戒など、詳細に書かれている。

 文面を流し読んでいると、ある一文に目が止まる。ユアンにとっては思わぬ、しかしシグにしてみれば想像通りの内容だった。

 『眼帯の剣士、金髪の少女、エルフの三人組を見つけ次第、魔術書の奪取に動くべし。三人の命は問わない』


「……」

「……その無言から察するに、心当たりがあるようだ」


 心あたり、なんてものではない。

 彼らにしてみれば明白な、命を狙われる理由だ。


「そこに書かれている“魔術書”ってのは、いったいなんのことだい?

───話せよ」


 静かな語気で問うユアンの声は平坦で、だからこそ隠し切れない殺気が滲み出ていた。

 短剣を突きつけられたかのような緊張が背筋に奔る。一言でも発する言葉を間違えれば、致命的な決裂が待っている。そんな確信があった。

 アルフィンたちが魔術書を所有していることを話すのは、正直控えたい。どんな危険を秘めているかも分からない物だ。どこかから情報が洩れれば敵を増やす可能性が高い。

 しかし、下手に誤魔化して話が拗れては元も子も無い。


 シグは包み隠さず、全てを話した。

 魔術書を手に入れた経緯、それを狙う存在に追われていること。そして、人狼もまたその刺客であったことも。

 聞いている間、ユアンは一度も口を挟むことは無かった。


「───これが、ヴェルネで襲われるまでの経緯だ」


 シグが話し終えると、ユアンを堪えきれずに声をあげて、腹を抱えて笑いだした。高らかな笑い声が、どこか空虚に響き渡る。

 今の話にどこが笑いどころがあったのか。狂ったように笑い続けるユアンへ、シグは様子を窺うような視線を送り続ける。

 「そうかい、そうかい」とユアンは繰り返し口にしながら、力が抜けるようにその場に座り込み頭を抱える。


「なんだ───大元は君たちだったんじゃあないか」


 ユアンはひとしきり笑い終えると、眉間に眉を寄せ、憤怒の形相でシグを睨む。

飄々とした態度しか見せなかったユアンの、想像だにしなかった激情に、シグは一瞬たじろいだ。


「お前達が魔術書なんてものを手に入れていなければ、アイツは……!」


 喉の奥から押し殺したような声と共に、ユアンは抑えきれない怒りを吐き出すように力強く拳で床を殴りつける。衝撃で薄く積もった砂埃が舞う。

 何度も、何度も、強く拳で固い床を打ち付ける。

 震える拳から血が垂れ、古びたカーペットに染み込む。

 故意に手にしたわけではない、と言っても納得しないだろう。シグは黙ってユアンの怒りと相対した。

 しばらくして、落ち着きを取り戻したユアンは、息を切らしながら震える声で語り出した。


「……生き別れの弟が、死んだんだ。───ヴェルネで」


 シグはハッと息を飲む。

 人狼事件の夜、無惨に殺された三人の村人。その内の一人のことだろう。


「離れ離れになったのは、アイツが物心つく前のことだ。あっちは俺のことなんざ覚えていなかったろうな。けど……俺は覚えてた。あいつは優しい良い奴だ。この世界のどこかで、平穏に生きているんだって、信じていた。信じて……俺は俺で、好きに生きることを選んだ」


 言って、ユアンは自嘲するように鼻で笑う。


「その挙句、俺は弟を死なせた。目先の金に目が眩んで、ヴェルネを戦いの場にする事を良しとした。そこに一番大切な家族が居たことにも気づかずにな」

「弟がヴェルネに居ると……知らなかったのか? カヌエとの距離なんて、一日あれば行き来できる程度だろう。探しに行こうとしなかったのか? 一度たりとも?」


 シグのその言葉に、ユアンは可笑しそうに口を弧に歪め、力の限りの薄笑いを浮かべる。


「長い事、遠くを見て、生きて来た。星見盤を頼りに一日先の未来を視て、安全な生き方を、稼げる選択だけをしてきた。

 ───手の届くすぐ傍へ目を向けようなんて……考えた事も無かったよ」


 疲れ切ったような声と表情で、そうユアンは零した。

 氾濫した後悔の念に呑まれ、自分を構成していた過去も意思も、何もかもが流れ出てしまったのだろう。自分の命以外に失うものが無い者の顔つきだ。


 今の話で、シグの中にあった一つの疑問が融解した。人狼事件の夜、ユアンがゼウを通してエイシャに情報を流したのは、星見盤で弟が死ぬ未来を視たからなのだろう。未来が現実になる前になんとか弟の命を救おうと、彼なりに足掻いたのだ。

 だが、結果はどうしようもなく残酷だった。弟は死に、殺した人狼もシグの手に倒れた。そんな中で、悔恨と怒りの刃を向けられる相手は限られただろう。


「ここを襲撃して組織の手掛かりを得ようとしたのは、復讐のためか。人狼事件の元凶を殺すために」

「……みっともない、ただの八つ当たりだよ。自分の強欲で弟を死なせたって現実から目を背けたくて……弟が死ぬ原因を作ったであろう奴らに、何もかもぶつけていたんだ」


 力なく零されたその一言が、見えない刃となってシグの心に突き刺さる。ユアンが復讐するべき人間、ヴェルネの村人を死なせた人間に、自分たちも含まれていると改めて突き付けられているのだ。

 そしてその中には、誰あろうユアン自身も。彼の言葉の端々に、どうしようもない自責の念が籠っていた。

 主の居ない執務室の静寂の中、激しい雨脚が窓を打ち付ける音だけが絶え間ない。

 いつの間にか、ユアンの表情からは怒りが抜け落ちていた。

 ただ、家族の死を悼み、悲しむ青年がそこに座り込んでいた。


「……君たちは、その魔術書を使ってどうする気だい? 国盗りでもするつもり?」

「どうもしない。魔術学院の大書庫に封印する」


 力無いその問いに、シグは真っ直ぐに答えた。


「三人揃って、その手の大望にはてんで興味が無いんでな。それに、ロクでもない奴らに渡したらヴェルネの惨事が、それこそ世界中で起きるかもしれん」

「殊勝だねぇ……」


 ヴェルネの人々に世話になった以上、同じ惨劇を起こさせるわけにはいかない。それが、悲劇を持ち込んだ自分達を許すと言ってくれたレネック達へ通すべき義理なのだ。


「俺たちが魔術書を手にした為に亡くなった命がある、それは確かだ。……だからといって、力を手にした責務を放棄するわけにはいかない」

「……そうかい」


 一言そう口にして、ユアンは懐から黄金の立方体を取り出し、シグに向かって放り投げる。

 シグはそれを片手で受け取り、どういうことかと視線で問いかけた。


「どのみち僕にはもう関係のない物だからね。ソレは君たちに譲るよ」

「なにを言って───」


 問いかけようとした、その一瞬だった。

 シグの視界、ユアンが背を向ける窓の向こう。

 遠方を白に染める激しい雨の奥で、何かが鋭い光を放った。

 何かが飛んでいる、こちらに向かって飛翔している。

 気づくと同時に、シグは声を張り上げた。


「───伏せろっ!!!」


 困憊したユアンの動きは緩慢で、反応が遅れている。

 シグは駆け出し、懸命にユアンに手を伸ばす。だが、遅かった。


 耳をつんざく、窓ガラスの割れる音。

 静けさを引き裂く甲高い音と共に飛び込んできたのは、金色の槍。

 ───その、矛先が。血に塗れた金色が。


「───っ、ぇ……」


 ユアンの細い頸を貫き、抉り抜いた。

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