第39話 戦い終えて

「───っ……」


 砕けた石礫が散乱した古城の広間。砂埃が舞い、朧な視界の中、ヤァドは膝から崩れ落ちた。打撲による腫れや斬り傷が体中に刻まれている。まさに満身創痍という有様だ。

 鼻先には鋭利な切先が付きつけられている。長剣の穂先、銀鉄の斧槍を難なく手繰るは黒風の戦士、眼帯のシグだ。


「───まあ、こんなものだろう」


 ヤァドが戦闘不能になったと見たシグはルーンの呪言を紡ぐ。斧槍は無色の光に覆われ、元の長剣の形へと戻った。


「間合いの差は歴然。お前が卓越した遣い手なのは確かだが、こればっかりはな」


 言いながらシグは長剣の腹で肩をトントンと叩く。

 昨日ぶりに邂逅した二人の戦いは、実に一方的に終わった。

 ヤァドが距離を詰めて接近戦に持ち込もうとするものの、シグは斧槍の長大な間合いで中距離からヤァドを叩く。真向からの殴り合いは好みではあるが、明確に機能する間合いの利を捨てるほどシグも馬鹿ではない。

 遠間から突いては払い、遠心の力を乗せて叩き伏せる。

 これが農兵の操る拙い槍ならヤァドもやりようはあった。だが、相手は熟達の戦士。間合いの差を覆すには、今の彼では足りない。


「つくづく惜しいな。お前ほどの腕があれば、あの男の下でなくとも稼ぎ口は見つかるだろうに」


 冒険者に限らず、実力ある戦士に実績が伴えばすぐに引っ張りだこだ。用心棒に怪物退治、頼まれる仕事は枚挙にいとまがない。

 それというのも、上澄みになればそれだけ危険な仕事も任されやすく……言葉を飾らず言えば、死人も少なくない。先月まで贔屓にしていた冒険者が、昨日には依頼先で死んでいた、なんてざらにある話だ。

 ヤァドの実力であれば、容易く死にはしないだろう。すぐにでも中堅並の仕事をあてがわれ、相応の報酬が与えられる。こんな汚れ仕事をせずとも生きていける額だ。

 何故ボルドーに付いているのか、それがどうにもシグには解せなかった。


「……」


 シグを見上げるヤァドの顔は依然無表情。鉄の仮面を貼り付けているかのようだ。

 戦いの最中にも惑いを見せず、膝を折ってなお気が揺らぐ様子も無い。

 闘士の胸の内を覗くことはできないが、少なくともボルドーに付くことは彼の意思だったのだろう。


「……余計なお世話だって話だよな。悪かった」


 人生の事情など、それこそ人の数だけある。他人の生活にいちいち口出ししていられるほど、暇な生き方はしていない。

 それよりも今はボルドーだ。ゴーレム達は全滅させ、ヤァドも下した。あとはあの鼻傷男を捕まえて、洗いざらい吐かせるだけ。

 それで何もかも片付く……なんて都合の良い話は無いだろうが、手掛かりの一つでも引き出せなければ骨を折った甲斐が無い。


「さて、アイツらは無事でいるのかどうか……アルフィンが居るから下手は踏まんだろうが」


 果たしてシグのその心配は杞憂に終わった。

 廊下からひょっこりとリーフが顔を覗かせ、シグ達の様子を見に来たのだ。


「いま奥の部屋でボルドーを捕まえたんだ。皆そっちに居るから、合流しよっ」


 そう言った後、リーフはヤァドに視線を送り、おそるおそる尋ねた。


「……あ、あなたも、一緒に来る? その、傷の手当とかっ……した方が、良いしっ」


 予期せぬ提案に目を丸くするヤァド。

 ポカンと呆けた様子を見かねて、シグが口を開いた。


「俺たちはアイツから話を聞きたいだけだ、アンタらの命を奪るつもりはない。抵抗しないのなら、俺たちも危害は加えないと約束する」


 どうする? そう問われ、ヤァドは目を伏せる。

 何を考えていたのか、それとも特に当ても無いのか。暫くして闘士は無言で頷き、彼らの後に続いた。




 リーフに連れられ古城の廊下を進むシグとヤァド。

 部屋の中に入り、目に飛び込んできたのは、なんとも奇妙な光景だった。

 部屋の右手側に、全身が緑色に覆われた人が壁に背を預けて座っている。よく見ると、男を包んでいるのは鬱蒼と茂った植物、蔦のようだった。

 男の真正面には絹のような金の長髪、アルフィンの姿が見える。その横にはエイシャが膝を抱えて座っていた。


「あ、シグ君だ。無事だったんだね」


 エイシャが入口に立つ三人に気づき手を振る。

 ヤァドも一緒に居ることに首を傾げたが、「まあいっか」と軽く流された。命のやり取りをした相手をそれで済ますのは流石にいかがなものなのか。

 シグは苦笑いを浮かべ、今の状況について尋ねる。


「この緑色……コイツはまさか……」

「ボルドー……?」


 呟いだヤァドに、エイシャは頷いて答える。


「彼があんまりにも暴れるものだから、アルフィン先生の植物で抑えてもらったの。今は色々と事情聴取をしてるところ。手荒な真似はしてないよ」

「事情聴取?」


 聞き返してシグはボルドーの様子を見る。

 ボルドーの目はアルフィンの顔を真っ直ぐに見つめ、どこか上の空のようにブツブツと何ごとかを呟いている。

 そこでアルフィンの悪癖について思い出した。彼の目は確か、魔力の昂りに応じて催眠の作用が生じるのだ。それを受けた相手は秘密などを漏らしやすくなってしまう。

 実際にその効果を身に受けたことのあるシグは「ほう」と感心した。


「なんたらと鋏は使いよう、か。尋問係としても食っていけそうだな、アルフィン先生」

「誉め言葉として受け取っておきますよ」


 目線をボルドーから動かさないまま、アルフィンは皮肉に返事をした。


「あんたらを狙う連中についての話は聞けそうか?」

「ちょうどそれについて伺っているところです。ただ、本人の記憶が曖昧なのか、どうにもとりとめが無く……聞き取りにはもう少し時間を要するやもしれません」

「わかった。ならそっちが終わるまで、一息つかせてもらう」

「そうしてください。聞いた内容をまとめ次第、お声がけします」


 シグはその場から去ろうとする前に、呆然とボルドーを見つめるヤァドを一瞥する。

 あんなロクデナシを心配しているのだろうかとも思ったが、そっけない表情や肩の力みの無さを見るにそうでもないらしい。


「お前も座ったらどうだ。俺が言うのもなんだが、その傷を放っておくのはよくないだろう」


 放っておけずに声をかけると、ヤァドは首だけをクル、と回してシグを見つめ、一拍の間を置いてから小さく頷いた。

 なんだか、どうにもやり辛い。シグはポリポリと頬を掻く。


「リーフ、頼めるか?」

「う、うん。じゃあ、こっちへ座って。応急処置だけしていくから───」


 ヤァドは幾つかのボロい椅子を並べて作った寝台へ引っ張られる。手を引かれるまま大人しくその上に座り、リーフの手当に身を預けた

 その様子を数歩離れたところからシグは見守る。


 ───こうして見ると、まるで子供みたいだな。


 ヤァドの様子を見ていると、そんな考えがよぎる。

 戦っている時に相対すると鬼気迫るものを感じるというのに、平時のヤァドを見ると、背丈体格に比べてやけに幼い印象がある。彼の顔立ち自体が童顔なのもあるだろうが、どうにもそれだけとは思えなかった。

 仮に……シグの想像よりも年若い少年だったのならば、若くしてあそこまで戦えるヤァドの潜在能力は凄まじい物だ。まだ経験不足故の拙さは残るが、実戦を経験していけば指折りの戦士となるだろう。その時、自分にどれほど迫っているだろうか。

 黒風の戦士と比肩しうる戦士などそうは居ない。心の底で滾る想いに、僅かながら口角が上がるのを自覚する。


 その時、ふと気づく。ユアンの姿がこの場に無かった。


「そう言えばユアンはどうした? 姿が見えんようだが」

「彼は城内の探索に行ったよ。星見盤の未来視が弾かれた原因を探ってくるって」

「怪我人なんだから大人しくしとけばいいのに、聞く耳もたないんだもん。せっかちというか無茶というか……」


 聞いたシグはただ一言「……そうか」とだけ返し、スタスタと早歩きで部屋の扉へと向かっていく。


「ちょっと、雇われさん何処へ行くのさ!?」

「少し探検に。俺も男でね、こういう古い城に来ると血が騒ぐんだ」

「はぁっ!? ま、待ちな───!」


 リーフが言い切るのを待たずシグは部屋を飛び出した。

 廊下の床を見る。注視すると、積もった砂埃に靴の跡が付いている。

 扉の前に複数の足跡。これは自分やリーフ達がこの部屋に入った時のものだろう。

 それとは別に、廊下の更に奥……二階へと続く階段へ向かう一人分の足跡があった。見たところ出来てから間もない。

 おそらく部屋の中に居ない人物、ユアンのものだろう。


「探検探検っと……」


 言いながらシグは懐から一つのルーン石を取り出す。それは昨夜にも使った〈追跡〉のルーンが刻まれている石だ。

 石を床に置き、指で軽く弾いてやる。するとルーン石はふるふると小刻みに震え、滑るように廊下を進み始めた。

 シグが念じ、追跡するよう命じた人物の元へ向かっているのだ。

 ルーン石が進む方向は廊下の奥、一人分の足跡の方向だ。


「……もう一人、事情を聞く必要があるようだな」


 誰ともなしに呟いて、シグはルーン石の後を追いかける。

 左手は、いつでも剣を抜けるよう鞘を掴んでいた。

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