異世界を統べる魔法の王による通信教育を受けた一般高校生、妖魔退治の本職を差し置いて最強になる

黒井カラス

第1話 手鏡

 親父が死んだのは俺が九つの頃、交通事故だった。

 いや、違うな。そんな言葉で誤魔化すのは違う。

 正確には不用意に道路に飛び出した俺を庇って死んだんだ。

 母さんは俺のせいじゃないと言ってくれたけど、とてもそんな風に思えなかった。

 だから。

 だから俺は親父に恥じない男になろうと思った。

 俺の身代わりになったのは大きな間違いだったなんて、草葉の陰で親父を泣かさないように。


§


「はぁ……」


 舞い上がった埃が四角い窓から差し込んだ朝日に照らされる。

 如何にも体に悪そうなそれをため息交じりに手で払って、足下に散らばった大量の巻物やら人形やら書物やらに目を落とす。

 今からこいつを片付けなきゃか。


「最高」


 現状とは真逆の言葉を吐き捨てて、惨状から目を逸らすように天井を見上げた。


「どうせ処分するんだから別に放置でもよく――ないな」


 親父に叱られる。

 思い直して足下の書物に手を伸ばす。


「眩しっ」


 持ち上げると光が反射して目が眩む。下に鏡が落ちてたみたいだ。

 それなりに大量の物が落ちて下敷きになったにしては、傷一つない手鏡が朝日を反射していた。


「使えそうなのはこれくらいか」


 手にしたそれに自分の顔が映る。


「親父に似てきた……か?」


 写真の中にしかいない若いままの親父。

 格好よかったのよ、なんてアルバムを開くたびに母さんは言ってたっけ。

 近づけてるなら、嬉しいんだけどな。


「ん?」


 いま。

 一瞬だけ俺の顔とは別の何かが映ったような。

 気のせいか?


創鍵そうけん。蔵になにか欲しいものあった?」

「特になにもねーな」

「そう。じゃあ、もう中のもの全部処分しちゃうからね。あと、もう出ないと遅刻するよ」

「わかったよ」


 手元の手鏡に目を落とす。


「ま、もらっとくか」


 捨てるくらいならと手鏡を学生服のポケットに仕舞って、残りの散らばった物を手早く元の位置に戻して蔵を出る。

 中の物をまるっきり処分したら取り壊される予定の石蔵は、曾爺ちゃんの代に建てられたものらしい。

 耐震基準だとか老朽化だとか、新しく畑を作るだとか、そんな理由で俺の代での取り壊しが決定した。

 曾爺ちゃんに祟られなきゃいいが。


「やべ。思ったより時間ないな」


 手鏡を自分の部屋に置いてこようかと思ったけど、まぁいいか。

 このまま学校に行こう。

 今のところ無遅刻無欠席の皆勤賞なんだ、今日で途切れさせてたまるか。


§


 握り締めた拳が相手の頬を打つ。

 最後の一人だったそいつは公園の地面に倒れて血の混じった唾を吐いた。


「ふざけっ……やがって」

「ふざけてんのはテメェだろ。朝っぱらから女子囲ってナンパなんてしやがって。お陰でこっちは遅刻寸前だ。皆勤賞なんだぞ、チクショウが」

「お、お前の顔……憶えたからな」

「五対一で負けた奴に凄まれてもちっとも怖かねーよ」

「今度はもっと大勢連れてきてやる!」


 そんな言葉を吐いて学生服を改造した不良どもが公園から逃げて行った。


「そんな情けない捨てセリフ初めて聞いたぞ――いつつ」


 流石に五対一で無傷は無理だったな。

 一発、良いのを顔に貰っちまった。

 まぁ、このくらいなら直ぐに治るだろ。


「あの」


 声がして振り返ると、不良に絡まれていた女子がいた。


「まだ居たのか? 逃げろって言ったのに」

「あはは、流石にそれは不義理が過ぎるっしょ。一言お礼を言いたかったし」

「そっか」


 しかし。

 人と人とが会話する適正距離の二倍くらい離れている。

 若干声が聞き取り辛いくらいだ。

 まぁ、助けるためとはいえ俺も喧嘩して人を殴ったし、怖がられてるのかもな。


「ごめんね、あたしこれ以上キミに近づけないんだ」


 妙な言い方。


「なんで?」

「キミを不幸にしたくないから。じゃ、ありがとねー。言葉だけでなんもお返しできないけど!」

「あ、あぁ。そいつは別に構わねーけど」


 それが聞こえたか否か、助けた女子もまた足早になって公園を去って行った。

 その長い髪が揺れて、消えて行く。


「不幸にしたくないから?」


 その不可解な言葉を頭の中で巡らせて、ふと思い至る。


白地密季しらちみつき。あいつ白地密季か」


 俺が通っている星連せいれん高校には関わってはいけない生徒が三人いる。

 そのうちの一人が白地密季。

 白地と関わった奴、特に男子には不幸が訪れるんだとか。

 駅のホームで突き飛ばされたように転んだり、自転車がなんの前触れもなくパンクして横転したり、身に覚えのない痣が複数箇所に出来ていたり、中には病院送りになった奴もいるとかいないとか。

 ただの偶然にしては、たしかに不自然なくらい連続して不幸が重なっている。

 クラスメイトの友達はみんな口を揃えてこう言う。

 白地密季には関わるな。


「ん?」


 ふと我に返ると公園の地面になにか落ちているのを発見した。

 女児アニメに出てくるような可愛らしい兎のマスコットのキーホルダーだ。

 随分と年季が入っているようで所々塗装が剥げているし、紐の部分が劣化して切れたように見える。


「子供の落とし物って訳じゃなさそうだな」


 紐が千切れるくらい年月が経っているなら、持ち主はいま高校生くらいか?


「……白地の落とし物か?」


 関わらないほうがいいって言われてるけど。


「白地のって決まった訳じゃないし、交番に届けるのが確実だけど……でもなー…」


 これだけ年季の入ったキーホルダーなんだ。

 きっと大切にしている思い出の品かなにかなんじゃねーかな。

 だったら一刻も早く返してやりたい。


「しようがないか」


 勘違いならそれでいい。放課後にでも交番に届けよう。

 そうと決めてキーホルダーを懐に仕舞い、公園を後にした。

 駆け足で向かった校門にはまだちらほらと登校中の生徒が見える。

 急いだ甲斐あってギリギリ遅刻にならずに済みそうだ。


「えーっと……あぁ、いたいた」


 誰も関わり合いになりたくないのか、白地の周りだけ妙に空いていた。

 学校中に広まっている噂のせいとはいえ、ああも露骨に避けている様子は、見てて気持ちのいいもんじゃねーな。

 高々、噂だ。

 ポケットにしまったキーホルダーを取りだしつつ校門を潜る。


「白地」


 声を掛けると驚いたような顔をして白地が振り返った。


「な、なに? って言うかあたしの名前」

「そんなことより」

「そ、そんなこと?」

「これ、白地の?」


 キーホルダーを見せると、白地は更に驚いて自分の学生鞄を確認した。


「落としてたんだ……それをわざわざ届けに来てくれたの?」

「あぁ」

「……あたしのこと気付いてるんだよね? 名前知ってるし。なのに?」

「噂は噂だろ? それに本当でも不幸なんて蹴っ飛ばしてやるよ。ほら」


 白地の手の平にキーホルダーを返す。

 それを大事そうに見つめているあたり、かなりの思い出の品なんだな。


「じゃ、そういうことで」

「あ、ありがとう。それと」

「ん?」

「気を付けてね」

「あぁ」


 噂ってのは結局、尾鰭がつくものだ。

 白地と接触してから起こったどこにでもあるような小さな不幸が誇張されただけ。

 ただ強く意識して目立ってるだけだ。

 こういうのなんて言うんだっけ? まぁいいか。


§


 それから放課後まで特になにも起こらず、不幸なんてものは訪れなかった。

 強いて言えば授業中に先生にやたらと問題の解答を求められたことくらい。

 なんてことない普通の一日だった。

 やっぱり噂は噂だ。なんてことない。


「創鍵。明日は?」


 陽助ようすけに呼びかけられて、帰り支度の手が止まる。


「特に用事はねーけど」

「だったらゲーセン行こうぜ。ゲーセン」

「まーたなんかの景品か?」

「マジカルバレット・ガンスリンガー! 頼むよ、得意だろ? クレーンゲーム」

「わかったよ。目当てが取れたらなんか奢れよな」

「奢る奢る! 転売ヤーに取られる前に確保しときたいんだよ。明日からなんだ」

「銃の模型かなんかか?」

「いや、ちびぬい」

「ぬいぐるみってことは何種類かあるな」

「全十三種だ。頑張ってくれ」

「時々、猛烈に友達止めたくなるよ、お前といると」


 とかなんとか言いつつ、陽助の後に続いて教室を後にする。


「それで明日は何時集合――」


 消えた。

 なにもなくなった。


「は?」


 教室を出た瞬間から、目の前にいたはずの陽助の姿がない。

 それまで聞こえていたクラスメイトの談笑も、グラウンドから聞こえてくる喧噪も、一切合切がなくなって、しんと静まり返っている。

 まるでここに、この廊下に、俺だけが取り残されたみたいな。


「陽助?」


 返事はない。

 振り返って教室を見ても、誰一人いない完全に一人。


「どうなって……」


 状況がうまく飲み込めない。

 なんでいきなり俺以外の生徒がみんな消えたんだ?

 それとも消えたのは俺のほうなのか?

 困惑していると廊下に自分ではない誰かの足跡が反響する。

 ほかに誰かいるのかとすぐに視線がそちらに向いた。


「なん……だ?」


 そこに居たのは生徒でも、人間ですらなかった。

 黒いもや。その集合体が廊下の真ん中に存在している。

 二本足で立っているようにも、浮いているようにも見えた。

 異常な状況で異常な存在を見て、直感的に感じたのは恐怖。

 あれに捕まったらどうなる?

 その答えは考えるまでもなく、頭は自分の両足に逃げるように指令を送り出した。

 それが到達するのが速いか遅いか、黒い靄が猛スピードで突っ込んでくる。

 何故か、それが通った後では音を立てて窓硝子が割れていく。

 その破片が廊下の床で飛び跳ねる中、俺は全速力で反対方向へと駆け出していた。


「不味い不味い不味い! なんだよあれ!」


 一息に廊下の角まで行き着き、左折してそのまま階段を飛び降りるように下る。

 とにかくここから、学校から脱出しないと。

 その一念だけで階段を何段飛ばしで駆け下りる。

 だが、それが完了する直前になって、黒い靄が目の前に降って来た。

 先回りされた。


「くっそ!」


 黒い靄から腕のようなものが伸びる。

 もう無理だと諦め掛けたその時だった。突如として発生した光の波動が黒い靄を弾き飛ばしたのは。

 なにが起こったのかはわからない。たしかなのは学生服のポケットから光が漏れ出したこと。

 鏡。今朝、蔵から持ち出した、あの手鏡だ。

 それが独りでに浮かび上がってポケットから抜け出してきた。



――――――――――


 

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