第3話 初出勤

 さあ、今日は初出勤だ

 俺は鏡の前で寝ぐせを直すのをついにあきらめ、頬をパンッと叩いて気合いを入れて、部屋を出る。

 急遽決めた安いアパートだが、学院へは比較的近い、バイクで五分とかからない距離だ。

 学院が見えてきた。

 懐かしの我が母校だ。

 古い石造りの校舎は、西洋建築を取り入れたもので、一階の窓がアーチになっているのが特徴的だ。

「懐かしいな……」

 俺は玄関前でバイクをとめ、三階建の古い校舎を見上げた。

「すみません、玄関を塞がないでもらえますか、通りたいんですけど」

 後ろから声をかけられ、俺は慌てて振り向いた。

 そこには、きっちりと紺のスーツに身を固めた女性がいた。

 その顔を見た俺は、

「あー!」

 と思わず声に出してしまう。相手は一瞬何事かという顔になったが、同じように「あっ、その鳥の巣頭」と声を出した。

 俺の脳裏に嫌な過去の思い出が蘇る。


 母が仕事を辞めたことで、学費のためのバイトに明け暮れていた大学時代、俺はいつも単位がギリギリだった。

 そんな4年生の時だ。

 朝から工事現場で交通整理のバイトに入っていた時、現場で軽い接触事故が起きた。

 現場から出てきたトラックに、通行してきた女性が引っかかったのだ。

 その女性が急に走ってきて、俺の静止も聞かず通ろうとしたためだったが、そんな言い訳はきかなかった。交通整理をしていた俺の責任だ。

 足に軽い怪我したその女性を病院まで運び、事故の対応にあたった。

 そのため、俺は、その日の午後からあった大学の試験を受けられず、単位を落としてしまう。間の悪いことにその単位は取り直しがきかなかったため、結局俺は単位不足で、1級天術師の国家試験を受けることができなかったのだ。

 まあ、教師になる分には、2級さえあれば成ることはできたので、すでにこの学院の試験に受かっていた俺は、そのまま卒業を優先して、なんとかこの春を迎えることになった。

 経済的に厳しい俺には、大学にもう一年という選択肢はなかったのだ。

 そんな、いわくのある彼女が、今、目の前にいた。

 よく見ると世間一般でいう美人というのだろう。肩まである髪は栗色で、鼻筋が通った端正な顔立ちに、切れ長で大きな目と口角の上がった唇は、どこか気の強さを表している。

 当然、彼女はそんな俺の事情など知るよしもなく、「あの時の」と軽くお辞儀をされて、俺は「やあ」と、なんとも間の抜けた挨拶をするしかなかった。

「もしかして、ここですか」

「ええ、奇遇ですね。よろしくお願いします」

「あの時は、ご迷惑をおかけしました。私の方が急いで飛び出してしまって。確かお名前は……」

「白嶺紡希です」

「私、南條志音といいます。今年は新人が3人でしたよね。もう1人おられると……」

「ちょっと、なぜこんな所にバイク停めてるんですか。非常識な」

 不意に背後から厳しい声が割り込んできた。

 見ると、そこには黒の高そうなスーツに身を固めた背の高い男が立っている。七三にきっちり分けた髪、鋭い視線がこちらを見下ろす。

「あ、すみません」

 俺がバイクを降りて動かすと、男は冷めた一瞥をくれると玄関に入って行った。

「今の人、面接で見たわ。あの人ですね、3人目は。じゃあ、私たちも行きましょうか」

「そうですね」

 俺は、これからの職場となる、古い校舎、帝立大阪天術学院へ、ゆっくりと足を踏み入れた。


 着任してドタバタと様々なレクチャーを受けて、わずか一週間、いよいよ入学式の日を迎えた。

 俺は、1年7組の担任をすることになった。

 1年は7クラスあり、今年の新人は、皆1年のクラス担任だ。

 ちなみに5組が南條さんで、6組があの初日にあった背の高い男、石御門だ。

 なんでも彼は、天術の名家の出らしく、一族は皆、軍や政府の機関に数多くいるとか、そういうこともあってか、両親がただの教師にすぎない普通の家に育った俺は、彼からは、全く相手にされていない、いやどちらかと言うと見下げられているようだった。

 今朝も、入学式に入る前にわざわざ俺を呼びとめて彼が言った。

「白嶺先生は、聞くところによると、2級天術師の資格しかお持ちでないとか、大丈夫ですか、今日のアピールタイムは、あれで今年の生徒が決まるっていうじゃないですか。先生だけですよ、今年の1年担任で、1級の資格をお持ちでないのは」

 それだけ言うと、片方の眉だけをあげて笑いながら去っていった。近くで聞いていた南條先生は、難しい顔をしていたが、俺と目が合いそうになると避けるように席を立って出て行った。

 俺は、小さくため息をつく。

 確かに今日は、どう乗り切るべきか、迷うところだった。

 今日の教員紹介は、この学校では非常に重要なものだ。

 昨日も、1組担任の須貝先生が、その鼻の下の髭を撫でながら、話してくれた。

「この出来によって、3年間が決まるといっても過言ではない。若い白嶺先生にとっては、最初の試練だね」と。

 生徒たちは、この教員紹介を元に、この学校で3年間、自分が教えを乞う教師を決めるのだ。

 つまりここでは、生徒が教師を選ぶ。

 3年間クラス替えなどないため、それは極めて生徒にとって重要なものだった。

 天術は、個人的な指導が重視されるので、いわば担任教師と生徒は、師弟関係を結ぶようなものなのだ。よって、生徒たちは皆、できるだけ術に長けた教師、指導力のある教師を選ぶことになる。

 生徒は第三希望まで書くことが許されるのだが、クラスには20名という定員があって、希望が多い時は入学試験の点数順に決められる。自分の学院生活、いやもしかしたら天術人生を左右することになるだけに、明日の教員紹介は、生徒たちにとっても、教員にとっても真剣勝負の場になるということだった。

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