ツイてない男

尾瀬 有得

『ツイてない男』

 自分はよくよくツイてないのだ。


 母親は若くして死に、物心ついた頃には飲んだくれの父の酒代を稼ぐためにをしたり、町の酒場で賭けポーカーをしたりという生活を強いられた。


 十三歳のとき、賭けポーカーでイカサマを見咎められ、落とし前として左手の小指を

 以来、『FF』と呼ばれるようになった。そう、四本指フォーフィンガーの略だ。


 そんなFFは今、銀行員としてこのとある町を訪れ、とあるうらぶれた酒場兼宿屋で、とある二人組の賭けポーカーのディーラーをしている。

 吹き抜けの二階からは、綺麗なドレスを着た女たちが艶やかな笑みで手を振っているのが見える。

 だが、そちらを見ているものはFF以外にいない。店内の客全員の注目を集めているのは、このテーブルの勝負の行方だ。


「なるほど、同情するよ、FF」


 そう言って、男はテーブルの上に配られた五枚のカードを一瞥し、腕を組んだ。

 長い両脚がテーブルの上にどかりと乗せられている。

 きちんと撫でつけた茶髪、清潔感のある整った口髭。白いシャツにダークブラウンのチョッキを着たその中年の男は、周囲を威圧するような独特の空気をかもし出していた。


 身の上話を語り終えたFFは、ぶるりと身体を震わせて、問う。


「カードの交換は?」


 男は椅子の背もたれにゆったりと身体を預けた。伏せられた自分の手札を触りもせずに。


「いらない」


「は?」


「カードの交換は必要ない。お分かり?」


 ゆっくりと発せられた単語一つに有無を言わせぬ迫力を感じ、FFはぴんと背すじを伸ばした。


 一体この男……何を考えている?


 視線を惑わせつつ、FFは再び自分の不運を呪う。

 俺という男は、よくよくツイてない。ああ、神様。どうしてこんなことに――


 FFがこの町を訪れたのは、借金の取り立てのためだった。一万ドルか、担保である農場の権利書を回収すること。


 農場主はサラ・ウェインライトという未亡人で、病気で夫を亡くしてから農場が、というところまではお定まりのよくある話。

 FFにしてみれば、農場へ借用書を突き付けに赴くだけの、楽な仕事のはずだった。

 ちょっとしたスケベ心で、この宿で娼婦と寝ようなどと考えさえしなければ……それが悪運を引き寄せたのだという後悔も後の祭り。


 事の始まりは、数十分前に遡る。


「ちょいと、そこのおたく。頼みがあるんだよ。そう、そこのイケメン。おたくだ」


 カウンター席でウイスキーを飲みながら二階から手を振る女たちを物色していたFFに、愛想良く声をかけてきたのが、誰あろう先ほどカードの交換を突っぱねた男だ。


「ええと、私、でしょうか?」


「ああ。今からポーカーをするんだ。ディーラーをしてくれないか?」


 その時は、この男が何者なのか、気持ちがすでに二階の方へ向いていたこともあって気に留めることはなかった。


「はあ……なぜ私に?」


 ぱちりと指を鳴らし、男は愛想良く笑う。


「おたく、指が四本だ。そいつはイカサマのツケを支払わされた証だろう。てことは、だよ。おたくはイカサマには手を貸さない。そんなことをすれば自分がどういう目にあうか、ちゃんと身に染みているからだ」


「……はあ」


 FFは曖昧に頷きながら思わず左手をポケットに隠す。よく見ている。だが、過去を言い当てられたのは、あまり良い気がしない。


 男はそんなFFの気持ちを汲んだのか、痛ましそうに眉を寄せ、首を横に振った。


「気を悪くしたなら謝るよ。ただ、俺も必死でね。一世一代の大勝負だ。信用できる奴にカードを切ってもらいたいのさ。お分かり?」


 殊勝にそう言われればこちらも譲歩するしかない。それに自分がポーカーの相手をするわけでもないのだと、仕方なくFFは頷く。


「まあ、構いませんが」


「助かるよ。来てくれ。こっちのテーブルだ」


 手招きされて男と共にそこへ行くと、丸いテーブルには一人の少女が座っていた。


 こうした酒場には似つかわしくない、服装は寄宿学校によくあるタイプの黒い制服を着ている。胸もまだ薄く、年齢はおそらく十三か四かといったところか。だが、抜けるような白い肌と奇麗な顔立ちで、あと何年もすれば男からの求愛が絶えない、そんな美女になるだろう。


 なんでこんな娘が……まさか?


「さあ、始めようか。お嬢ちゃん」


 男はそう言って少女の向かいに座る。そして、なにが面白いのかへらへらと笑いながら、テーブルの上にどかりと両足を投げ出した。

 鈍く、それでいて大きな音が響き、店内は水を打ったように静かになる。


「一発勝負。あんたの要求通り、俺はこいつを賭ける」


 男がテーブルの上に置いたのは、二丁のシングルアクションアーミーだ。銃床に小さな銀の十字架飾りが揺れている。


 少女はそれをじっと見つめながら、表情を変えることなく頷いた。およそ年齢にそぐわない、窮地にあって活路を見出そうとする強い意志と必死さが、その首肯一つから感じられた。


 FFの頭の中で疑惑は確信に変わった。

 勝負は、この男と少女がするのだと。


 少女は胸に手を当て、口を開く。


「……賭けます。私自身を」



 そうして始まったのが、FFの眼前で行われている、この賭けポーカーだった。

 男は銃を、少女はその身を賭けるという。


 一体、どうしてこんなことに?


 詳細は不明。こんな事態に行きずりで巻き込まれる羽目になるとは、本当にツイてない。


 店内の客はいつの間にかテーブルの周りに輪を作っていて、全員が固唾をのんで勝負の行方を見守っていた。


「なあ、あんた、生まれは?」


 カードを配っていると男にそう問われ、FFは自分の生い立ちを簡単に話した。そして、今に至るという次第。


 しかし、カード交換もせず、そもそも見さえしないとは……一体この男は何を考えて――


 少しして、少女は指を二本出してこちらを見た。FFが頷いてカードを二枚配ると、少女はポーカーフェイスで受け取り、手札を伏せた。


 これで手札は決定。あとはお互いに賭けるものを上乗せするか否か、勝負を受けるか、否かを決めて、手札を開ける。


 そこに至り、男は「さて」と口を開いた。


「勝負の前に、もうちょっとお喋りしようじゃないか。なにせ一世一代の大勝負だからな」


 少女は綺麗な顔に冷笑を浮かべた。


「私はさっさと勝負をしたいのですが」


「焦るなって、お嬢ちゃん。見なよ? ギャラリーもたっぷりだ。皆どうしてこんな勝負がおっぱじまったのか、興味津々なのさ。教えてやるのが人情ってもんだよ。お分かり?」


「なにを話そうというのですか?」


「まずはお互いの自己紹介。そして、なぜこの勝負をするに至ったかを聞かせてやろう」


「なんのために?」


「それを聞けばここにいる誰もがお嬢ちゃんを応援したくなるからさ。応援ってのは力になるぜ? 


「あなたが神を語るなんて、不遜です」


「こいつは手厳しい。だが、俺はこう見えて信心深いんだ。生まれは牧師の家柄なんだぜ?」


 そう言って男はくすくすと笑うと、背もたれに身体を預けた。視線がこちらを向き、茶目っ気たっぷりにウインクを一つ。


 ぞわり、とFFの背筋に冷たい汗が流れる。


 牧師の家柄。十字架飾りのついた二丁のシングルアクションアーミー。まさか――


 男の正体に思い至り、FFは全身の血の気が一気に引いた。その場にへたり込んでしまいそうになるのを必死で堪える。


「ジョニー・ブラックウッド……」


 つばを飲み込み思わず呟くと、男――ジョニーはぱちんと指を鳴らした。


「まいったね。有名人はつらい」


 ジョニー・ブラックウッド。

 銀行強盗と列車強盗を繰り返し、州から一万ドルの賞金を懸けられているが、「奪うのはシルクハットを被った紳士からだけ」と嘯き、一部で異様なほどに英雄視されている無法者。

 

 愛用の二丁拳銃に十字架を施し、牧師の家柄と公言しているが、敵と見れば殺人さえもいとわない非情さで知られてもいる。


 一年ほど前に仲間の裏切りにあって銀行強盗に失敗したらしく、それからどこに身を潜めていたのか目立った話は聞かなかったが……まさかそんな大物が目の前に!


 ジョニーは少女に視線を戻し、微笑んだ。


「どうやら俺の自己紹介はいらないな。この町に来たのは十日ほど前だ。ちょっとした野暮用でね。居心地が良くてつい長居しちまってる。そんな折、だ」


 ジョニーは先を続けるように少女に手で促す。少女はため息をついて後を継いだ。


「私はコーディ・ウェインライト。十四歳です。私の家は農場を営んでいます」


 なんだって?


 FFは思わず口元を押さえ、少女、コーディを見つめる。

 ウェインライト――ということは、彼女はこれから取り立てに向かう農場の娘か!


「私の家は南北戦争の戦争孤児を引き取って育てています。私もその一人です。兄弟姉妹は十五人。両親と血の繋がった子供は一人もいませんが、本当に良くしてくれているし、皆で支え合って暮らしています。でも……」


 コーディはそこで初めて表情を曇らせる。


「昨年、父が亡くなり、農場に大きな借金が残っていること知りました。一万ドルもの大金です。収穫が上手くいかなかった時期が続いて、それが積み重なったからだと母は言いました。明日にも銀行が取り立てに来る。農場は手放すしかない。母は泣きながら私たちに謝りました。私たちこそ謝らなくちゃいけないのに……私は両親の苦労も知らないで学校にまで行かせてもらってるのに……」


 滔々と語り終えると、コーディは悔しさをにじませるようにぎりっと歯を食いしばった。そして、憎々し気に向かいのジョニーを睨む。


「睨みなさんな、お嬢ちゃん。そこから先は俺が話そう」


 当のジョニーは飄々とした態度で肩をすくめた。


「ちょっと町をうろついていたんだ。保安官も誰も、皆ビビっちまっててね。ちなみにだが、この場で俺をとっ捕まえたいっていう奴は?」


 悪戯っぽく笑い、周囲が微かにどよめくのを面白そうに眺めると、ジョニーはようやく両足を下ろして、テーブルに身を乗り出した。


「そう。この通り誰もいない。つつましいね。もし俺をどうにかできたら、一万ドルが転がり込むっていうのに。だが……」


 ジョニーはそこで言葉を切ると、たんと掌でテーブルを叩いた。


「そんな勝負に一発賭けてみようという剛の者が現れた。それがこの弱冠十四歳、家族のため、農場のためにこの俺に勝負を挑んできた、コーディ・ウェインライト嬢だ」


 芝居がかったジョニーの動きが彼女の神経を逆なでしたらしい。コーディは明らかな侮蔑の目つきで周りを流し見ると、その先を継ぐ。


「あなたのような無法者がどうして大手を振って歩いていられるのか、私には理解できません。私たちは明日にも家を失います。私たちの安住の地は紙一枚で失われるんです! なのに、なぜあなたは……そう思ったら無性に腹が立ちました。だから町で偶然見かけたとき、捕まえてやろうと思ったんです」


 なんて、無茶を……FFは思わずため息とともに首を横に振る。


 ジョニーは、あのピンカートン探偵社でさえ手を焼く無法者。

 この町の者たちが、この場の者たちが手を出さないのは、そうすれば問答無用で殺されることが分かっているからだ。

 彼は早撃ちの名手として知られているのだ。


 しかし、そもそもこの少女がそんな無謀な賭けに出たのは、FFが鞄の中にしまい込んでいる一枚の借用書が原因である。


 ああ、ツイてない。これも縁というのだろうか。FFはこの場から今すぐにでも逃げ出したい衝動を必死に堪える。


 気づまりな沈黙の後、やがてジョニーは心底嬉しそうに両手を広げた。


「彼女の話を聞いて、賭けを提案したのは俺さ。ゾクゾクするね。ただの殺し合いならお嬢ちゃんは俺の相手にはならない。でも、賭けは公平だ。とても不条理で、人の意思なんか入らない。イカサマをしない限り、結末は神が決定する。俺はそれにだけは従うよ。神がお嬢ちゃんの清らかな心と、苦境に立ち向かう精神を買って俺を裁くのなら、喜んで受け入れる。どうせこれまでだって何度も死にかけた安い命だ。まあ、俺だって死ぬのは怖いから、必死にあがくつもりだがね?」


 コーディはふんと鼻を鳴らす。


「だったら、どうしてカードを交換しないのですか?」


「神が俺を生かしおくつもりなら、これでお嬢ちゃんに勝てるからだ。見なくても分かるさ。このカードで俺は勝つ。お分かり?」


「……あなた、狂ってます」


「よく言われるよ。だがね、人生というのはそういうもんなんだ」


 ジョニーはふっと自嘲気味に笑う。


「もののついでだ。お嬢ちゃんよりも少しばかり長く生きているから、学校では教わらないことを教えてやろう」


「結構です! あなたのような無法者に――」


 激高したコーディをジョニーは手で制すると、すっと表情を引き締めた。伴って、彼の身に纏う空気が冷たさを帯びる。


「人間ってのはな、ポーカーと一緒だ。生まれた時、最初に配られたカードを、一回だけ交換することが許されてる。何度もあるだろうって? いや、ない。本当に重要な交換は。その交換によって、手札が良くも悪くもなるかもしれない。それは神が定めた運命だ。自分の手札が悪いことを嘆こうが喚こうが、二度と交換の機会はない」


 そこでジョニーは腕を組み、再びどんと長い足をテーブルの上に投げ出した。


「重要なのはな、神が定めた役でその先も人生は続くってことだ。良い役だろうが悪い役だろうが、一生それで勝負を続けなきゃならない」


「……なにが言いたいんですか?」


 少し冷静さを取り戻したのか、コーディは唸るように問う。

 ジョニーは再び元の笑顔になり、「別に」と肩をすくめた。


「お嬢ちゃんの人生のは、こんな俺みたいな奴との勝負じゃないと、そう言いたかっただけさ。なあ、お嬢ちゃん。自分を張るなんて軽々しく言うもんじゃない。住む家を失おうと、農場を失おうと、お嬢ちゃんには大事な家族がいるんだからな。お分かり?」


「分かってます!」


「いや、分かってない。俺が勝ったらお嬢ちゃんをどうするつもりか一応言っておこうか。俺は東部のギャングどもに売り払うつもりでいる。あんたみたいに綺麗な処女だ。さぞ高く売れるだろうぜ。。だが、その金は俺のものだ。お嬢ちゃんは帰る場所と家族を失った挙げ句、純潔と尊厳を奪われ、まず二十歳まで生きられない」


 まるで冗談でも言うようにジョニーは語る。

 だが、彼は本気でそうするだろうし、彼の語る結末もまた真実だろう。


「さあ、これが俺のブラフだ。本当なら賭けたものは勝負を下りても戻らないが、今なら。どうする? 決めるのはお嬢ちゃんだ」


 コーディはぐっと唇を噛み、ぶるぶると震え始めた。

 それを見てFFは悟る。

 彼女のポーカーフェイスは、必死に恐怖を押し殺し、装い続けた、彼女の精いっぱいのブラフなのだと。


 気詰まりな沈黙の後、誰かのグラスの氷がかちりと解けた音が店内に響いた。それを合図にコーディは口を開く。


「……受けます。何と言われても、私は勝負を下りない。勝って、私の家を守ります」


 悲壮感の漂うコーディの顔つきは、自分の逃げ道など最初から断った、追い詰められた者の顔。覚悟を決めた者の顔。


 FFはごくりとつばを飲み込む。

 ジョニーはじっとその顔を見つめている。

 店内の張りつめた空気。静寂。


 どれ程の時間が経ったか、ジョニーはやがて盛大なため息をついた。


「分かった。じゃあ。俺の負けだ」


 え、とFFが驚いてジョニーを見ると、彼は頭を掻きながら苦笑を浮かべている。


「いやなに……今のブラフであんたを勝負から下ろす作戦だったんだが、当てが外れたよ。まさかそこまでの覚悟だったとはな。大したタマだよ、お嬢ちゃん」


 ジョニーはそう言ってテーブルから両足を下ろして立ち上がると、二丁の拳銃を手に取り、くるくると回して持ち手を彼女の前に差し出した。


「約束通り、こいつはお嬢ちゃんのものだ」


 あまりに唐突で、予想外の結末。静まり返る店内の空気は、重たい。


 手札も晒さずに自分が勝利したこと、その結果としてこの銃を得たこと、その事実が一気に押し寄せて混乱しているのか、コーディは目をしばつかせている。


「あ、あの……でも」


「なんだ? 賭けはお嬢ちゃんの勝ちだ。こいつで俺を撃ち殺すなり、脅して保安官のところに引っ立てるなりするつもりだったんだろ? 家族を守る一万ドルのために」


 おずおずと銃に手を伸ばすコーディ。その手が銃に触れようとしたその瞬間、ジョニーはそれを再びくるりと回転させ、素早く撃鉄を起こすとコーディに向けて狙いを付けた。


 ひっという小さな悲鳴。コーディの目が恐怖に見開かれる。


「え、ちょっと――」


 FFが声を上げた瞬間、ジョニーは躊躇することなく引き金を引いた。そして――


 カチ、カチンという乾いた音が二つ。

 だが、銃口から弾は発射されていない。


 少し遅れて、閉じる間もなかったコーディの目から涙が溢れた。

 荒い、断続的な吐息が彼女の口から漏れる。


「脅かして悪かったな。俺が賭けたのは銃だけだ。弾までは賭けちゃいない」


 ジョニーはそう言うと、くるくると銃を回して再びコーディの目の前に差し出した。


「いいか、お嬢ちゃん。俺は無法者。賭けに負けたからといって、正直に銃を差し出す保証なんてどこにもないんだぜ。負けた奴が腹いせに相手をどうこうするってのは、。これに懲りたら、こんな馬鹿は二度とするんじゃない」


 テーブルの上に銃を置き、ジョニーは再び椅子に座った。


「だが、安心しな。俺は賭けの結果には従う主義だ。神が決めた決定だからな」


 過呼吸寸前のコーディに、ジョニーは諭すように続ける。


「とはいえ……困ったな。その銃は俺の大事な相棒だ。できれば失いたくない」


 ジョニーはそこでどこへともなく手招きをする。すると周囲の客たちは各々のテーブルに戻っていき、その中の一人が小さな革袋をもってやってきた。

 客が革袋の中をテーブルにぶちまけると、百ドル札と小銭が音を立てて散らばる。

 そこに至り、FFは今さらに理解した。


 この店の客たち……まさか――


「ここは俺たちの貸し切りだ。知らないのはお嬢ちゃんとFF、おたくらだけ。はは、こいつらもなかなか演技派だろ?」


 ジョニーの声に、周囲はどっと沸き立った。その様子に満足げな笑みで応え、ジョニーが静まるように両手を上下する。


「さて、話を戻そう。お嬢ちゃん、ここにざっと一万ドルと五百くらい。こいつでその銃を買い戻したいんだが、どうだい?」


 ジョニーの問いに、コーディは息をぐっと飲み込んだ。見開かれていた目に色が戻り、荒かった息が徐々に深いものに変わっていく。


「……そんな……どうして――」


「言ったろ? そいつは大事な相棒。一万ドルなら安い買い物さ」


 被せるように言い、ジョニーは再びどかりとテーブルに足を乗せ、ウインクをして続けた。


「母親には、町にいた東部の慈善家から寄付されたと言いな。なに、お嬢ちゃんの覚悟は。それだけのことさ」



 コーディが何度も頭を下げてから店を去っていた後、FFはジョニーと共にカウンターでウイスキーを飲むことになった。お礼に一杯おごらせてくれというのだから従わない理由もなく、また断る勇気もなかったのだ。


 しばらくすると、店内に新しい客が入ってきた。三人組で、しかし真っすぐにジョニーのところに向かってきたところを見ると、やはり彼の手下のようだった。


 ちょうどFFの反対側から、一人がジョニーに耳打ちをする。それを受けてジョニーは目を見開き、やがてふっと苦笑を浮かべた。


「そうかい。カーティスの野郎が、ね」


「カーティス?」


 FFがオウムのように繰り返すと、ジョニーはこちらを見て口の端を上げた。


「なに、さっきこの町に来たのは野望用だと言っただろ。実はそいつを探してたんだ。一年前に俺を裏切った、金勘定だけが取り柄のつまらん銀行屋ダフ屋さ。落とし前を付けにね」


「……なるほど」


 ところがだ、とジョニーはくつくつと笑う。


「天罰ってのはあるんだな。どうも道端で誰かにぶっ殺されたらしくてね。殺った奴はまだ分かってないそうなんだが、顔も潰されて、身ぐるみ剥がれて真っ裸だったそうだ」


 どくん、とFFの心臓が早鐘を打つ。それをよそにジョニーは尚も可笑しそうに先を続けた。


「だから身元が分かるまで時間がかかったのさ。検めたのは娼婦らしい。一物のショボさで分かったんだと……ん、どうした、FF。顔色が真っ青だぜ?」


 いえ、とFFは首を振った。なに、ビビることはない。犯人はまだわかっていない。

 話題。そう、話題を変えよう。


「あの、胸に響きました」


 ん、とジョニーが首を傾げつつもグラスにおかわりを注いだので、FFはそれを一息に干して先を続ける。


「ぷは……人生はポーカーと同じ」


 よせやい、とジョニーは笑い、自分のグラスにも注ぐ。


「少し気障だったかな」


「そんなことは……面白い考え方でした」


「そうかい」


 FFはすんなり話題が変わったことに安堵のため息をつく。


 咄嗟のことだったが、胸に響く言葉だったのは本当だ。

 人生はポーカー。カードの交換が一回だけ許されている。少しの交換、あるいは


 俺は生まれ変わるんだ。別人に。


 決意を新たにして、FFは吹き抜けの上から手を振る美女の一人と目を合わせ、手を振り返した。


「あの、そろそろ……」


「おっと、引き止めて悪かったな」


 ジョニーは自分のグラスに再びお代わりを注ぎながら、ひらひらと手を振った。


「あばよ、FF。なぜかな……おたくとはまた会えそうな気がするよ。神のご加護を」


「ありがとう。ミスタ・ブラックウッド」


 二度とごめんだよ。


 カウンターを離れ、FFは二階への階段を上る。そして胸元の強調されたドレスを着た年若い娘の手を取り、うきうきと部屋の中へと入っていった。



 ずきんという頭の痛みで、FFは目を覚ました。

 薄く陽の光が隙間から入っている。身体の自由が利かない。手足を伸ばそうにも何かにつっかえている。


 え、ここは……? 俺は一体?


 そう口にしたつもりが、言葉は出なかった。猿轡を噛まされているらしい。身体は蹲っているような形で、両手足も縛られているようだ。


 微かに草の香りがする――これは、麻袋? 俺はそれに入れられている?


 落ち着け、と頭痛に耐えながらFFは状況を整理する。


 三日前。郷里から町にやってきた。

 幼い頃からの浮浪者同然のみじめな暮らしを変えようと、通りすがりの身なりの良い男を襲ったのが二日前。

 漁った荷物から借用書を見つけ、この殺した男が銀行屋で、これから借金の取り立てに向かうのだと知った。


 使えると思った。着ている服をはぎ取り男になりすませば、と。


 酒場での一件は計算外だったが、宿屋で娼婦と楽しんだ翌朝、晴れた気分で農場に赴き、目論見通りに一万ドルを回収した。


 上手くいくのはわかっていた。FFの顔を見てコーディは驚いていたが、彼女は口を噤み、お互いに無視を決め込んだ。それはそうだろう。彼女が一万ドルを得る顛末をFFは目の前で見ていたのだ。

 だが、こちらとしては何も問題はない。金さえ受け取れれば彼女たちのことはどうでもいい。


 あとは簡単だった。借用書を破棄し、金を受け取る。銀行はカーティスが持ち逃げしたと思い追跡する。

 だが、あいにく俺はカーティスじゃない。そのままドロン、さ。

 そうして晴れ晴れした気分で農場を後にしたところまでは覚えているのだが――


「もぞもぞ動いているところを見ると、目が覚めたな。手下が手荒にしてすまないね、銀行屋さん」


 聞き覚えのある声がした。この声は――


「おたくは仕事に来ただけだし、きっと真面目な奴なんだろう。でも、ツイてなかったな。おたくがウェインライト夫人から受け取ったその一万ドルはやっぱり俺のものなんだ」


 声の主に思い至り、すっとFFの顔から血の気が引く。この声は――ジョニー?


「あの時のカード……確認してみたら、俺の手札はストレートフラッシュ、あの子はフルハウスだったんだ。ああ、すまない。なんの話かわからないよな? おたくには関係ない話さ、聞き流してくれ」


 あの時――俺が配ったきり伏せたままだった、あの手札? 嘘だろ、カードを一枚も変えちゃいないのに、そんな強運バカツキがあってたまるか!


「ま、ハナからウェインライトのお嬢ちゃんには一万ドル渡すつもりでいたんだ。なぜって、。俺は弱きを助けた名声を。お嬢ちゃんは農場を守る金を。損くじ引くのはおたくら銀行だけ。悪いな、俺は金貸しって連中が心底嫌いなんでね」


 違う、違うんだ、ジョニー。俺は――


「しかしまあ……数多の取り立ての中でこの顛末を引き当てるとはな。おたくも。さて、と」


 かちり。聞こえる撃鉄を起こす音。


「名残惜しいが、もう行くよ」


 待ってくれ。俺は――


「さようなら、銀行屋さん。神のご加護を」


 瞬間、乾いた銃声が無慈悲に鳴り響き、FFの意識はそこで闇に沈んだ。

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