第12話

 政党の代表としては些か若年に過ぎ、あまつさえ女性。ただでさえ風当たりが強い抜刀葵ばっとうあおいに嘲りの眼差しがいくつか向けられた。揶揄やゆ含みで“鉄の心臓”と評される抜刀葵は、自分を刺そうとするそうした目線にも眉ひとつ動かすことなく続け様に発言した。

国民総給付金こくみんそうきゅうふきん制度の施行」

 国民総給付金制度とはなんだと声が上がった。

「申請しさえすれば年齢性別職業問わず、日本国籍を持つ者には毎月十五万円給付される。制度の施行は同時に、八十年以上続いてきた年金機構の解体を意味します」

「年金を廃止する? 誰にでも十五万配る?」

「誰にでもではありません、日本国籍を持つものつまり日本国民のみです」

 昭和十七年から始まった公的年金制度。今やあって当然である制度をなくすというのは些か大胆に過ぎた。

 集まった議員はさざめいた。

 それでも、槐智則さいかちとものりだけは抜刀葵を野放しにすることに決めた。今後総裁選を控えている槐としては、まずはそれに勝つ。そのためには抜刀葵のごとき軽輩の言葉に乗り、時分まで軽率な発言をすることは控えなくてはならない。

「そんなもん、人気集めのバラマキ政策だろ!」

 静観を決めた槐とは違い、脊髄反射的に言葉に噛みついた荒井議員によって矢庭に討論がはじまった。

 抜刀葵は再度眼鏡を押し上げ淡々と続ける。

「議員歳費の値上げ」

 歳費とは謂わば国会議員の給料のようなものだ。

「国民におもねりたいのか怒りを買いたいのかわからん。歳費の値上げとはつまり国民の税金を上げるということだがわかって言っているのか?」

 抜刀葵は結局眼鏡をはずした。

「歳費の値上げそれ以前に議員の給料自体を完全歩合制とします。国会議員としての貢献度や公約達成度等を第三者の目で個別に査定するのです。議会に参加せず公約も果たさず公人としての活動もない、そんな議員に支払う税金などない。その代わり、国そして国民に貢献したと認められる活動をした議員には、成功報酬という形で規定額に上乗せした形で歳費を支払う」

「繰り返すが歳費とは税金だ、削減ならばともかく、値上げとなれば国民から相当の反感を買う」

「議席数削減」

 抜刀葵は場が静まるのを待つ。そして誰も気づいていない、場の空気が僅か支配されつつある。

「原子力発電所の再稼動」

 それには原発廃止を訴え続けている友和未来の寧寧ねいねい平和党登野とのが声を上げた。

「原発再稼働なんて、安全性も不確かなままものを? 冗談にも程がある!」

「また地震が来る! 二度と繰り返せないんだ、あの過ちは」

「発電をいつまでも火力に頼っていては国は細る一方」

 凛とした姿勢で抜刀葵は発言者を見返した。

「国営ギャンブルの統合。競馬競輪競艇の集約開催、カジノの併設。それに伴い不透明な運営業態であり、射幸性が強く中毒に陥りやすいパチンコ、パチスロの廃止」

冗談じゃないと机を叩かんばかりの勢いで荒井議員が声を上げる。

「なんと乱暴な! カジノなど作ってみろ、治安が悪化する!」

 同じ党ながら派閥が違う。総裁選では敵同士になる。

 過激な抜刀葵は基本的に野放しにすると決めたが、頭に血が上りやすいタイプである荒井議員は総裁選に於いては敵とは言え、同じ党の議員。この場所ではその首根っこはしっかり掴んでおかなくては、栄光党自体の評判を下げかねない。

「それもあっての集約開催。局所的なものであるなら管理や警備の強化も可能」

「そんなに簡単にいくものか」

「可能性を潰していると身動きできなくなりますよ」

 フンと鼻を鳴らし、荒井議員は浮かせた腰を下ろした。

「国営放送、広告代理店の完全解体」

「全国でどれほどの失業者が出ると思ってる!」

 最早怒声だ。抜刀葵は静かに頷いた。

「最低時給の百パーセント増加。倍に増して二千円に満たない地方自治体は最低賃金を一律二千円に引き上げる。それと共に外国人実習生制度の廃止」

「経営者を圧迫するだけだ、倍……倍だと?」

「今までが異常過ぎたと何故思わないのです。日に八時間以上、月に二十日以上労働し、それでもなお生活が立ち行かない労働者が五万といる現実は、はたしてまともと言えるのか」

「そんなもの個人の問題だろう、いい仕事に就くために皆若いうちから努力するんだ。会社が潰れて再就職先に選択肢がないとかそうした不幸はまああれだが」

 尻すぼみの言説。聞くに値しない。

「経営側と労働側双方の前時代的な意識の低さが悪因のひとつとしてある。例えば、ラーメンやハンバーガーを安価で販売して利益が出るのは、企業努力などでは決してない。現場で働く人間の、理不尽な労働環境だろうと不平不満をかかえながらも仕事をしてしまう奉公人根性、よく云えば馬鹿げたまでの忍耐力のお陰でなりたっている。おさないころから逆らうことはみ出ることを悪と教えられてきた、その悪習が因果となっている」

 寧寧議員が腕を組んだ。

「笑わせないで、今の不景気は政治が稚拙だっただけでしょう?」

「一日八時間労働から変更し、五時間労働を基本とする」

 荒井議員が腰を浮かせた。

「外国人実習制度を廃止すれば、貴重な労働力が失われ窮することは火を見るより明らかだ。あなたの言うのは独りよがりの理想論じゃないのか。政治家ならまず現実を見るべきで、長引く不況下のこの国で、現実問題として安い賃金で、日本人が敬遠するような仕事でもすすんで働いてくれる貴重な人材なくして最早日本は立ち行かない!」

 どう貴重なのですか。そう尋ねる抜刀葵の眼差しはぞくりとするほど冷ややかだ。

「荒井議員は食肉加工業者であるアライ食品の関係者ですね」

 関係者どころか創業者である現会長の次男である。長男が社長職を継いでいる。

「それがなんだ? すくなくともあなたよりは実際の労働者に近い立場だ」

 そうでしょうか。抜刀葵は整え忘れか多少毛羽立った眉を片方あげた。

「いいか。賃金を上げれば物価の上昇を生む、猿でもわかる! 余計に市民生活は困窮する! 猿でもわかる!」

 荒井議員は見る見る顔を赤くした。

「例えば物価が今の倍になったとします。今まで百円だった物が二百円になった、千円の物が二千円になった。しかし二十万だった手取りが四十万になったなら、これはそれほど打撃ではない」

「ケ。子どもの屁理屈か?」

「アライ食品の社員は二種類あるそうですね。正社員と準社員」

「それがなんだ」

「正社員募集と求人広告にはあるが、じっさい就職すると準社員扱いだった。記載された給料と支給された給料も数万円違いがあったとの声があります。一応募集要項には月十五万以上とあるようですが」

「たしかに休みの配分なんかで十五万に満たない月もあるが」

「募集していた工場のある地域の最低賃金が九百二十三円、一日の実労働時間が七時間半、月の労働日数を年平均にすると約二十日。これでは十四万にも届かない。実労働が七時間半でも拘束時間自体は九時間を超す」

「当然だろう、通勤の時間や休憩時間というものがある。だいたい工場は定時に終わることがほぼない。残業がある。それを含めての募集内容だ」

「募集要項にあるのだから、規定時間内での労働で支払われる給料だと思うでしょうね。わたしがモノを知らないだけでしょうか。もっとも月平均二十時間超の残業をこなしたところで、支給額は二万ほどしか上乗せされない。どうでしょう、荒井議員、通勤時間が加われば一日十時間以上の拘束で月給十四五万。そんな月給で、あなたなら納得できますか?」

 荒井議員は欧米人のようなしぐさで両手をあげ、首を左右に振った。

「なにもしらないで。いいか、言い方は悪いが、誰でもできる仕事だから給料も安い。準社員がする作業は資格も免許もいらない」

「後学のため、アライ食品の加工工場を見学させてもらいました」

「は?」

 いつ? 口に出さずとも荒井議員の顔にはそう書いてある。

 おそらく公式にではないのだろう。月一回の保健所の立ち入り検査にでもまぎれ込んだか、いずれ行動力のある人物だ。

「私には誰でもできるとは思えない。入場してまず感じたのがものの腐ったような饐えたにおい。床といわず壁といわず濡れ、絶え間なくつづく機械音、夏でも肌寒い場内の温度」

「食肉を扱っているんだ、それで拒否感を覚えるなら何も言えない。しかしそれは甘えだ。そんな根性ではどこに行っても駄目だ」

「誰にでもできる仕事ではないとの話をしている。甘えだの根性がないだの、仕事とはつらく苦しいものでなくてはいけないのですか?」

 そういうことをいいたいんじゃないと荒井議員はまた声を大きくした。

「間口を広く採用するのはそうした事情があるからではないのですか。常に人を選べるほどの余裕はなく、来るもの拒まずの姿勢でいて、そのなかから継続して就労できる人材を獲得する。そうした体制であるため、通常の職場ではなかなか出くわすことのない人間も少なからず奉職しているように見えました」

「よくわからんな」

「暴力的。具体的には怒鳴り声」

「は。そんなもの機械が絶えず動いているんだ、指示する声も大声でなくてはならない。暴力的とは無礼だ。感じ方は個人差があるだろ。ハナからネガティブな目を持っていれば尚更。月平均二十時間の残業も多いとは思わない。ブラック企業や、過去に過労死事故のあった会社の残業は百時間を超していた。当然サービス残業もない。準社員には休日出勤もほぼない。誰にでもできるといったのは仕事そのもののことだ。一度説明を受ければあとは慣れ。単純労働。特殊な技能の必要ない仕事にそれほどの高給は支払えない」

「通常、残業とは、本人が無能か無理な量の仕事をゆだねられた場合に発生する。信じられなかったのはその通達方法だ。作業時間中に場内放送で、本日の残業はどのくらいですと流す、ご協力お願いします、みんなで作ろうたのしい職場。馬鹿にしてるとしか思えない。ご協力のお願い、ならば拒否できるのか。それにしては工場自体は山の上にあり、送迎バスで通勤している従業員がほとんどだ、残業を拒否したなら山道を歩いて帰るか、あとは自腹でタクシーを呼ぶか家族に迎えに来てもらうか」

「残業が多いのはノルマがあるからだ。食肉を卸す各企業に対して、期日の超過と数量の不足は顧客離れの重大な事由になる」

「残業させなくてはノルマはこなせない。薄利多売のおろかな論理、低賃金ゆえの安易な発想。日本経済を今の窮状に追い込んだ要因のひとつは、薄利多売という商売方法にある。安く作りやすく売る、利益を得るには数と早さで同業他社に負けてはいけない。そのため、従業員の給料は安く労働時間は長く。給料が高くては長時間の残業はさせられない、労働時間が八時間を超過した場合、一時間当たりの賃金が通常の二十五パーセント増しになる。基本的な時間給が高ければ高いほど利益は薄くなる」

「そのレジュメをいただけますかね。具体的にどれほどアライ食品の労働時間が長いのか」

「レジュメとは」

「レジュメもしらないとは無学すぎやしませんか。レジュメとは要約資料のことでしょうが、今や基礎知識だ! だいたい企業が儲けることのなにが悪い。われわれは仕事のない地方に工場を建て、雇用を生んでいる! 学歴職歴に関係なく従業員を採用し、障がい者雇用にも積極的だ!」

「他人の人生を軽視しすぎている。時間とは人生そのもの。その人生を搾取する権利があなたがたにはあると?」

「エビデンスもなしによく言う」

「エビデンスとは」

「う、ら、づ、け! すこしは言葉を勉強してはどうか。常識だッ!」

「自分の常識が世間の常識だと思わないことです。伝わらない言葉はゴミと同じ」

「ゴミだと! 自分の不勉強を棚に上げてなんたる言い草だ!」

「レジュメは要約資料、エビデンスは裏付け。しっかりした日本語があるというのにどうして小難し言い方をするのか、私にはそのほうが理解に苦しむ」

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