近づく程に暗くなる青空のように 〜メジャーデビューの門〜|エッセイ

シロハル(Mitsuru・Hikari)

近づく程に暗くなる青空のように 〜メジャーデビューの門〜

 渋谷の大通り。光沢感のある赤いスポーツカーが、私の前で停車した。運転席にいる男は、これまたテカテカの赤い革ジャンを羽織り、カマキリのような大きいサングラスをかけている。緩やかなパーマのかかった長髪の彼は、当時人気ドラマの主題歌を担当していたロックバンドのボーカル、Dさんだった。彼はプロデュース業も行っており、彼の主催するイベントに何度か出演させてもらったことがある。

 彼に誘導されて助手席に座り、お洒落なハンバーガー屋に連れて行かれた。Dさんと相席に座ると、私のみすぼらしい服装が目立つ。ふと、周囲の視線が気になった。いかにも芸能人らしいオーラを纏ったDさんをちらちらと見ている店員や客が数人いる。

 注文したハンバーガーは出来上がるまで時間がかかった。待っている間、Dさんは私の作曲方法を訊いたり、周囲の評価を話したりした。話の途中でハンバーガーが届く。これまで食べたことのない、とてつもなく美味しい味で驚嘆した。人目も憚らず貪り食う。Dさんは私を見てにやにやと笑っていた。


「いい食べっぷりだね。いいよいいよ。みつるくんの歌の繊細さとは大違い。ふふ」


 食べ終わってひと息ついたところで、Dさんは私の目を真っすぐ見据えて、真剣な表情になった。私も緊張しながら、身構える。話題はついに本題に入り、彼は淡々と話し始めた。


 来年、大手レコード会社から私をメジャーデビューさせたいと言う。ただ条件があり、彼のプロデュースするAとBのバンドもメジャーデビューを控えており、彼ら二組とチームを組んで、年内に大きなライブイベントを行ってほしいとのこと。集客には当然ながらノルマがあった。新規の客を三百人以上呼ぶこと。短期間でこの人数を増やすのは容易なことではない。AとBのメンバーと協力して、あの手この手を使ってなんとしても実現してほしいと言う。

 私は正直、その話を聞いたとき、あまり乗り気ではなかった。というのも彼のプロデュースするその二組のバンドと過去に一緒にライブをしたことがあるが、とても魅力のあるアーティストとは思えなかったのだ。それにDさんの醸し出す、人を見下すような雰囲気も苦手だ。ただ、ずっと目標にしていたメジャーデビューのチャンスが目の前にある。再びこういったチャンスはいつ訪れるかわからない。マイナスな点ばかり考えて何も挑戦せずに、この機会を逃すのはとても勿体ない気がした。


「もうAとBのメンバーからはOKもらってるんだけど。みつるくんはどう? できれば今すぐ返事をもらいたいんだけど」


 この業界は、その場で答えを出さなければ失ってしまう仕事がたくさんある。その頃、二十二歳の私は、その暗黙のルールを理解していた。


「わかりました。やらせていただきます。よろしくお願いします」


 それからすぐ、三組のアーティストが集い、ミーティングが行われた。もう既に二組で話し合いが進んでおり、イベントに向けてホームページの開設、ポスターやフライヤーのデザイン・印刷、グッズの作成など、私の知らぬ間に次々とプロジェクトが進行されていた。

 ホームページやポスターに載っている写真を見る。AとBはプロのカメラマンが撮影した宣材写真を使用していたが、私は友人が撮影したものをホームページから勝手に転載されていた。あまり好みの写真でもなかった。


「ん? なんか気に入らないとこでもあんの?」


「いや、大丈夫です。ありがとうございます」


 プロデュースを受けて活動してきた彼らにとって、私は「よそ者」だった。歓迎されていないことは明らかだ。私が彼らに何か意見を言うことは許されない空気があった。


 新規の客を集めるために、私たちが熱心に取り組むことになったのは、主にSNSの運用と路上ライブである。各々に課されたノルマに応じて、たくさんのブログにアクセスしコメントを残す。そこから私たちのブログやホームページに誘導して活動を認知してもらうという、多くの人が使う手法だ。ブログもメンバー内でローテーションして毎日更新した。


 路上ライブは週に三回行われた。新宿、渋谷、池袋、町田、横浜、川崎……。様々な場所でパフォーマンスを披露した。アンプやマイクスタンドなど、ライブに必要な機材の多くを、一番遠方に住む私が電車に乗って運ぶ。しかし、与えられた演奏時間は、私が一番短かった。

 Aのバンドは、ポジティブな歌詞を軽快なリズムに乗せた、ノリのよい曲調のものが多い。ライブ経験も豊富なため、客を煽るのも上手かった。彼らを囲むように人だかりができることもあり、若者たちの盛り上がる姿を何度も目にした。ただ、彼らは自分たちのライブに酔いしれていると、なかなか演奏を止めずに時間を守らない癖があった。

 Bのメンバーは、Aの慢心した態度やルーズな感覚に、いつも腹を立てていた。Bはビジュアル系ロックバンドで、Aとジャンルや音楽性は異なるが、ライバル関係のようである。Bの歌や演奏の技術は高く、外見的にもイケメン揃いだ。そのため、熱心な女性ファンが多かった。時に黄色い声援が飛び交う。だが、彼らの常にぴりぴりとした刺々しさは近寄りがたい雰囲気があった。

 AとBの音楽や人間性を見ていて、私はとても居心地が悪い気分になった。中身のない薄っぺらい曲と、客を自分たちがのし上がるための道具としてしか見ていないような姿勢が、どうしても気に入らない。私には彼らの音楽の何がいいのか、さっぱりわからなかった。もっとメジャーデビューするのに相応しいミュージシャンをたくさん知っている。


 一方、私には彼らのようなノリの良い曲が殆どなかった。歌詞も、聴く人によっては思わず引いてしまうような言葉がたくさんある。美しいことや楽しいことばかり表現していては、人の心の芯には響かないだろう。少なくとも、私はそんな音楽に救われたことがない。だから、私が拘る表現には、生々しい心の傷が存在していた。それは私が人の心の闇に寄り添いたいという信念があるからだ。だが、こういう曲は残念ながら路上ライブには向かない。これまでの経験からもわかっていた。それでも万人に迎合するような曲を演奏することに躊躇いがあった。それに、私だけ弾き語りスタイルだ。だから私のライブでは、彼らのようには客を集めることができなかった。そのことで、彼らからいつも責められた。特にBのボーカル、Nさんは明らかに私に敵意を向けていた。


「ああ、お前のせいでまた客が減るよ。みつるはさ、人のために曲を作った方がいいよ。今は、自分のことしか歌ってないじゃん。だから人の心に届かないんだよ。俺らを観てちゃんと勉強しろよ」


 彼らから学ぶべきものは確かにある。しかし、テイストやスタイルの違いも認めてほしかった。何より、人のために作っていないということは否定したい。が、できなかった。私は最年少であり、実力も実績も彼らに及ばなかったからだ。ただ「はい」と頷くことしかできなかった。


 路上ライブをハイペースでこなしながらも、チケットの売れ行きは不調だった。そのため、Dさんから、路上ライブでもっと注目されるように特別なことをやるようアドバイスをもらった。そこで私たちは、足を止めてくれたお客さんにお題を出してもらい、その場でラップを披露するという、即興ラップをやることになった。その他にも、オリジナル缶バッジを配布したり、お客さんの笑顔の写真をたくさん撮影してホームページに載せたりもした。


 路上ライブだけでなく、音楽の専門学校でも演奏を披露する場を提供してもらった。AとBはそこで知り合った女性たちと仲良くなり、頻繁にパーティーを開いては、参加者にチケットを売り捌いていた。Bのメンバーは、チケットを数十枚買ってもらう代わりに、体の関係を持つこともあったようだ。「財布を拾った」と言って、お金を出してくれる女性を見つけてにやにやしているメンバーに、とことんうんざりした。

 彼らが今回の企画を成功させてメジャーデビューを果たしたいという強い意志は理解できる。が、どんな手を使ってでもチケットを買ってもらおうとする考え方も手法も、私はどうしても許せなかった。

 だが一方で、私は彼らを批判的に捉えつつも、自分の積極性の乏しさを自覚しており、手持ちのチケットが減らないままでいた。

「みつるはチケット何枚売った?」と、会う度に、皆からしつこいくらい質問された。メールで訊かれることもある。その度に心臓がぎゅっと締め付けられた。この状況が常にプレッシャーで、どうしたらよいかわからずに葛藤する日々が続いていた。


 イベントライブの日まで近づく中、Dさんからこのイベントのテーマ曲を作るように課題が与えられた。話し合いの結果、三組それぞれテーマ曲を作り、よい部分を取り入れていく方法が採用されることになった。

 後日、DさんとAとBのメンバーが作成したデモ音源と歌詞がメールで送られてきた。この音源をよく聴いて、次回のリハーサルまでに練習してくるように、と一言添えてある。私の歌詞やメロディーは一切採用されていなかった。この曲をライブの最後にメンバー全員で演奏し、私もボーカルで参加するということらしいのだ。

 やはり私は「よそ者」であることを拭うことができず、強い疎外感や孤独感から、イベントに対してポジティブに捉えることができないでいた。


 本番前、スタジオでの最後のリハーサルを迎えた。メンバー一同が集い、テーマ曲の練習を中心にしながら、本番の流れに沿ってワンフレーズずつ披露する。緊張感があり、皆がぴりぴりしているのを肌で感じた。少しのミスも許されない。

 Aの演奏後に、Bのメンバーがダメ出しをしたことをきっかけに激しい口論が始まった。Aのボーカルは怒ってロビーに行ってしまう。

 そんな険悪ムードの中、私もはらはらしながら自分の曲を演奏した。片付け終わって座ると、Nさんが私の近くに来て、いつものように詰ってきた。


「やっぱりだめだね。そんなんじゃ盛り上がらない。お前はさ、これまで何を学んできたの? お前のパフォーマンス中に、客が帰ったら俺らに迷惑がかかるんだぞ?」


「……すいません。これが僕の音楽なんです。この音楽を信じてついてきてくれているお客さんもいるんです」


「何言ってんの? ずいぶん自信過剰だな。ライブに呼べる人数考えろよ。全然チケット売れてないくせによく言えるよな」


「ノルマに貢献できてないことは、本当に申し訳ないですけど……でも、人数がすべてとは思ってないです。言っちゃ悪いですけど、このライブが終われば離れていく客も多いんじゃないですか?」


 Nさんは近くにあったマイクスタンドを蹴り飛ばした。私の胸ぐらを掴もうとする。そばにいた他のメンバーが必死に取り押さえた。


「お前はさ! 最初から気に入らなかったんだよ! Dさんのプロデュースも受けずに、苦労も知らないでここまで来やがって。客が呼べないと話になんねえんだよ。そんなんで俺らと同じようにメジャーに行こうだなんて、虫が良すぎるんだよ」


 私だって彼らとやりたくなかった。メジャーデビューという甘い誘惑に乗せられ、Dさんからの提案を安易に了承してしまったことを後悔している。

 Aのベーシストに連れられ、私はスタジオの外に出た。息苦しさを感じ、涙が止まらなくなった。だんだんと過呼吸を起こし、しばらくロビーのソファで横になっていた。

 私は、何のためにこんなことをやっているのだろう。メジャーデビュー? こんな思いをして通る門なのか? この門の向こうに、かつて夢見ていた景色は、本当にあるのだろうか? 近づけば近づく程に暗くなる青空のように、私の心も周囲の人間関係も、どんどん黒くなっていく。

 深夜だったこともあり、そのまま少しだけ仮眠を取った。目が覚めると、テーブルにペットボトルの天然水が置いてあった。


 本番当日。渋谷のライブハウスに、続々と人が集まる。騒がしくなる会場の様子を時折覗きに行くと、たくさんの人で埋まっているように見えた。お客さんの顔を見ていると、俄然、鼓動が高鳴ってくる。大手レコード会社の関係者、某有名アーティストも来ていた。このイベントに向けて、所属アーティストたちからのビデオレターもたくさんいただいた。

 ライブは、想像以上に観客との一体感が生まれ、AとBのパフォーマンスは激しい盛り上がりを見せた。路上ライブの成果なのか、最初に出会った頃より遥かに魅せる力を身に付けていた。

 盛り上がりに欠けるとメンバーから言われていた私の音楽は、涙を流して聴いてくれる人が大勢いるのがステージからもわかった。届いているという実感に、改めて曲に魂を吹き込む。


「生きていてくれて、ありがとう」


 最後のMCで、自然と出た言葉だった。 

 

 今回のイベントは、レコード会社の方たちから一定の評価をもらえたようであった。また、私も異色な存在としてオーラを放っていたと認められ、お客さんや業界関係者にたくさん声をかけてもらった。

 しかし、残念ながら、新規の客は三百人に至らなかった。「約束していたのに来なかった奴がたくさんいる」と、AとBのメンバーは楽屋で怒っていた。イベントの盛況とは関係なく、ノルマを達成できなかったことには違いなく、Dさんはこの結果を決して褒めたりはしなかった。出演者を楽屋に集め、Dさんから叱責の言葉を浴びた。


「今回の企画は、失敗だった。その要因は何だったと思う? お前らで考えろ」


 Dさんは一人ひとりの目を見て、それだけ言うと、部屋から出ていった。しばらく全員黙っていた。先程までのライブの高揚感が嘘みたいに静かだった。が、Nさんが口を開いた。


「……みつるがチケットをもっと売ってたら、ノルマを達成できてたんじゃねえの?」


「まあまあ。落ち着けよ。いろんな要因はあると思うよ。まあ、でも確かに、みつるがあまりチケットを売らなかったのは、その要因の一つであることは間違いないな。でも、今そればっかり責めても仕方ないだろ」


「すいませんでした……」


 Nさんの言うとおり、私の集客が少ないのは問題だった。それは反省しなければならない。だが、もっと根本的な問題はたくさんあるように思えた。それでも言える立場にない。ただ謝るしかなかった。

 楽屋に不穏な空気が流れる中、ライブハウスのスタッフが入って来て、機材を片付けるように促された。

 この後、DさんとAとBのメンバーは居酒屋へ打ち上げに行った。私は誘われることなく、ギターを抱えてぎゅうぎゅうの山手線の電車に揺られて帰宅した。


 それから数週間後、かつての渋谷のハンバーガー屋にいた。


「なんとなく、そんな気はしてたけどね。でも、本当に辞めるの?」


「はい。せっかくいただいたチャンスですが、今回は辞退させていただきます。いろいろ勉強になりました。ありがとうございました」


「そっか。本当にデビューさせたかったのは……まあいいや。また何かあったら連絡してね」


 私はこの企画を降りることにした。つまりそれは、ほぼ確定していたメジャーデビューを蹴ることを意味していた。私にはもう限界だったのだ。

 二人で席を立って、会計をしにレジに向かう。そこで、Dさんは黒いロングコートを後ろに払いながら、私を振り返った。


「そういえば。Nが、みつるくんの歌に嫉妬するって言ってたよ」


「え……」


 Dさんは、にやにや笑みを浮かべていた。


 赤いスポーツカーが渋谷のネオンの光へ溶けていく。私は、深々とお辞儀をしたまま動かなかった。しばらくマフラーの音が響いていた。


 およそ二年後。新宿のタワーレコードに立ち寄ると、偶然にAとBのCDが並んでいるのを見つけた。彼らはあの後、Dさんのプロデュースのもと、メジャーデビューを果たしていた。ジャケットの彼らは、ギラギラした目をしている。

 彼らの活躍を私は知らないが、大して名前を聞かない様子から、さほど売れなかったのではないかと思う。

 久々にホームページを検索したら既に存在していなかった。

 彼らにとって、そして私にとって、あれだけ取り憑かれていたメジャーデビューとは、何だったのだろう。自己顕示欲や承認欲求ばかりの、幻想だったとは思いたくない。人を感動させたい、楽しませたい、もっと言えば、生きる希望を共有するための最大の手段だったのだ。


 あのときの熱を、私は忘れない。


 今でも時折、あの熱にうなされる私を、彼らは笑うだろうか?

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