7:目的は二つ、誓いは一つ
「ミーシャ先生!何をされているんですか!」
「ああ、すまないな。シエット。少し、試したくてな」
狼狽えたシエットの声が庭に響き渡る。
マシューや他の先生二人だけでなく、食事の準備を進めていた使用人も驚きを隠さず、私とミーシャへ視線を向けていた。
こんな状況だが、一つ安心したい。刺されなくてよかったと。
しかし…試す目的だけで、人に刃物を向けないで欲しい。
額から汗が流れる感覚。しかしそれを拭う余裕は今の私にはない。
視線を逸らせば、その瞬間…死ぬ可能性だってあるのだから。
まさか、こんなことになるだなんて。夢にも思わなかったな。
「…流石にビビるか」
「…これは、一体?」
「しかし、泣き叫ぶことはなく…口を聞くことができると。肝が据わっているな。本当に六歳か?」
「…六歳です」
「だろうな。シエットと同い年だと聞いている。マシューもシエットも、嘘を吐く理由はないが…とてもそうには見えない。動けないのも、演技か?」
「…立ったまま、動けなくなっているだけです」
「そうか。そこは年相応の童と相違ないようだ」
しかし、だ。こんな状況でも、彼女には感心させられる点がある。
殺意を一切見せず、人をいつでも殺せる状況に持ち込んだことだ。
…あの感覚は身体というか、魂にしっかり刻まれてしまっている。
今の私はある程度それを感じ取れるようになっている…と、思っている。
それに彼女は顔が見えている分、奴と比べて考えていることは理解できる。
ミーシャは、間違いなくこの状況を楽しんでいる。
「…泣き喚かないのはいいな。新兵よりも価値があるぞ、お前」
「…お褒めに預かり、光栄です」
「それに、目線を私から逸らさない。素晴らしいよ」
…褒められても全然嬉しくない。命と隣り合わせだからだろうか。
ふと、ミーシャの背後で間に入ろうとし、マシューに止められているシエットが映る。
私の代わりにボロボロと涙をこぼし、私に手を伸ばす姿。
不安で、心配で、怖くって…今すぐにでも終わらせてやらないと、彼女にいらぬトラウマを作ってしまう。
彼女の身体を守れるようになっても、心は守れない。
「…それで、ミーシャ様。この行為には何の意味が?」
「私は、自分の技術をどこまで継承できるか興味があるんだ」
「…」
「私は今、二十五歳になる。私が勲章を得た十七歳までに同等の兵士を育てるとなると、自然と教育対象は六歳か七歳程度の童になるな」
「そうなりますね」
「仕込み期間は約十年。しかし、普通の童は私について来られない。泣き叫び、弱音を吐き、両親に甘え、守られ…逃がして貰う者ばかり。自ら教えを請うてきた分際で、だ」
目の前にいる彼女は大きなため息を吐き、私に鋭い視線を送る。
「だから、最近はついてこられる見込みがない童に関しては、予め断るようにしていた。そんなところでお前だ。エレナ・アルケー。私はお前を酷く気に入った。お前にその気があるのなら、私は持てる全てをお前に注ぐ」
「その言葉を、待っていました」
「元々、私の下につく気でいたのか」
「ええ。私はある目的を果たす為、強くならなければなりませんので」
「具体的には?」
「シエットを守るため」
「…っ!」
私達の問答の間に、シエットが息を呑んだ。
どうしてそこまで、と言いたげな目線には答えられない。
私が知る情報も、前世の事情も…何一つ伝えられない今。シエットを守りたいと思えた理由を、彼女自身に伝えることはできないから。
「上等だ。今日から私が訓練をつけてやるぞ、エレナ。光栄に思え」
「ありがとうございます」
「その代わり、私はお前を死ぬまで逃がさない。ついてこられないのなら、殺される覚悟でいろ。その程度の人間は、どこに行こうが生き残れないし、私は死んだ人間を何度も見た」
「先生が指導をしてきた人達は軍人、ですよね」
「その通りだ。エレナ」
やっと銃剣を降ろし、互いに一息つく前に…ミーシャは軽く、一言。
シエットに聞こえないよう配慮した上で、普通の六歳児には分からない話を少しだけ
「私が指導をした人間で…敵兵に死を穢された人間もまた、何人も見てきた」
「それって、精神的にですか?肉体的に…ですか?」
「両方だ。弱い人間は淘汰されるものだ。そうなる前に、私が手を下し、綺麗かつ楽に殺してやる」
「…上等です。私は絶対に死にませんので。本日よりよろしくお願いいたします、先生」
「いい覚悟だ。それからエレナ。一つ聞かせろ」
「なんでしょう」
「お前、最後に焦りを表面化させたな。理由は?」
「あのまま行動を起こさなければ、シエットの喉が枯れるじゃないですか」
「…ははっ。お前、シエット・ピステルの何になる気だ?」
「そう、ですね。貴方が国を守って英雄になったように…私はシエットを守る英雄になりたい…とか?」
目を逸らさずに、当たり前の事を淡々と述べる。
そこでやっと、ミーシャから余裕の笑みが消える瞬間を見ることが叶った。
何を思ったのかは知らないが…この状況を楽しむ心だけは、消し去ることができたらしい。
「…なあ、マシュー。この童、正直怖いんだけど」
「そうか?シエットの事を大事に思ってくれる素敵なお嬢さんだぞ?」
「お前は
「娘が一番で何が悪い」
もう主人格を隠す気配もないマシューの事は置いておいて、優先すべき事は…と、マシューの足下に目を向けた瞬間。
私の元に、とてつもない勢いでシエットがやってきた。
ぎゅうっと、力強く抱きしめて…ボロボロと涙をこぼしながら、私の肩へ顔を埋めてくる。
「…シエット。心配かけてごめんね」
「怖かった」
「もう大丈夫だから」
「死んじゃうかと思った」
「ミーシャ先生は本気じゃなかったよ」
「頭の中ではわかっていたの。ミーシャ先生、優しい方だから…エレナを傷つけたりしないって」
彼女の呼吸が落ち着くように、背中を撫でる。
しゃっくりをしながら、少しだけ力を緩めてくれる。
きちんと、向き合えるように。
「でもね、ああして…武器を突きつけられた瞬間、エレナが死んじゃうかもって思って…怖くってぇ…!」
「うん」
「あとね、あとね…ミーシャ先生と話しているエレナ、いつものエレナじゃないみたいで怖くって…!」
「…ど、堂々とした振る舞いが重要かと思ってね!大丈夫!いつもの私だよ!」
「ほんと?」
「本当本当」
「…いなくなったり、しない?」
「大丈夫。いなくならないよ」
ポケットからハンカチを取りだして、彼女の目元に残っていた大粒の涙を拭う。
彼女から涙が消えた後、両手を握って、私はここにいると証明するように…そして安心させるように軽く揺らす。
「さ、シエット。泣いちゃう時間はおしまい。ご飯を食べよう。食べられそう?」
「…わかんない」
「じゃあ、落ち着くまで庭の散歩でも…」
しようか、と提案しようとしたら、私のお腹が抗議してきた。
今の今まで、空腹状態だったことをやっと思い出せた。
同時に、厄介事が一段落したことも…理解できた。
「ふふっ。エレナのお腹はご飯をご所望みたい」
「みたいだねぇ。やっぱり、先にご飯でいい?」
「勿論。その後、庭のお散歩をしよう」
「いいよ。楽しみだなぁ。広いお庭だから、何があるか教えてね、シエット」
「案内頑張るね!」
目はまだ赤く、涙の後は残っているけれど…元の調子に戻ってくれたシエットは、私と共にやっと昼食の時間を迎えることができた。
用意された小皿の上に、一口サイズのサンドイッチを二つ載せた。
ブルーベリージャムのサンドイッチと、イチゴジャムのサンドイッチ。
マシューの協力を得ることができた。
強くなる目的を果たす教えをできるミーシャが先生になった。
二つの目的を果たし、本編に向けて盤石の体制が整いつつある。
一仕事を終えた後のサンドイッチを同時に口の中へ放り込んだ。
二つのジャムが混ざって不思議な味をしていたが、パンはもちもちふわふわ。
あっという間に食べきってしまった。
そんなものにかまけているから、肝心のイベントを見逃してしまうのだが。
「…エレナを失うと思うと、とても怖かったな」
「…エレナもこの気持ちでいるから…この道を選んだ」
「だったら私も…もっと」
この日、シエットも本編並の…否、本編以上の強さを手に入れる布石も打たれてしまっていた。
サンドイッチを頬張る私は、それに気がつかない。
そのことに気がつくのは…まだまだ先の話だ。
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