6:英雄令嬢のミーシャ
マシューに抱きかかえられたまま、庭へ。
この長い廊下を、六歳の子供が一人で歩くのは疲れそうだ。
「シエットは、この廊下を毎日歩いているのですか?」
「我が家だから当然だろう」
「それはそうですが、貴族のお屋敷って全部こう、長い廊下があるんですか?生活に不向きでは?」
「貴族であることを誇示するための不便だ。受け入れるほかない」
「へぇ…」
「もしもの話だが、領地を管理する貴族が、家の敷地が膨大にあるのに「生活に便利だから」と普通の民家を敷地内に建ててみろ。領民はどう思う?」
「ヤバい人と思われそうですね」
「そういうことだ。庶民には荘民らしい暮らしの水準があるように、貴族には貴族らしい暮らしの基準があるんだ。これでも当家は小さい方だ」
「そうなんですか!?」
「ああ」
ピステル家はこれでも小さいらしい。
これより大きい貴族のお屋敷というのは、おそらくエルファ家とかになりそうだけれど…行く機会なんてなくていい。
比較対象となる家に訪問する機会ができたら、確定で碌な目に遭わない。
「まあ、私はピステル家しか知る機会がなくていいので…」
「将来的にはシエットに同行し、他家の茶会や夜会、王家主催のパーティー等に護衛として参加して貰わないと困るのだが…」
「へ?」
「なんだ君。シエットを守りたいという気概は嘘か?どこにでもついていく心構えぐらいしておいてくれ。ついて行けないところは屋根裏に潜んででもついていく覚悟を持ち合わせてくれ」
…目が本気だ。冗談ではないらしい。
シエットと同じ月のような目は雲が覆ったように濁りきり、同時にそれが蠢くように靄がかかっている。
マシューの視線に身体がそれに恐怖を抱いたらしく、震えが止まらない
これ以上失言したら、ゲーム本編が始まる前に殺されそうだ。
「そ、その点は理解しています。ただ、私は「貴族の表面的な煌びやかな世界」には無縁のままですから」
「それもそうだな」
「…納得して貰えた」
「しかし、そういう立場ではあるが君にも最低限の一般常識や礼儀作法は身につけて貰わないといけない。君の先生となる三人を、食事会で紹介する」
「もういらっしゃるんですか」
「ああ。あのクソガキの一件から、あの子は立ち直った後…シエットが「心身共に強くなりたい」と、珍しく私にお願いをしてきたんだ。そうしてお招きしたのが三人の先生」
「…東桜国の、とか」
「ああ。武術家の先生は確か、東桜国の出身だ。最も、君が一番世話になるのは彼女ではない」
「…私は、どのような方に教えを請うことになるのでしょうか」
参考までに聞いておこう。
どんな人が、私の先生になるのか…気になるから。
「軍人一家の出身。史上最年少で遊撃部隊隊長を務め、数多の敵兵をなぎ払い勲章を得た「英雄令嬢」。残念ながらシエットは彼女のお眼鏡に叶わず…彼女は今、礼儀作法を教える先生を務めてくれている」
「…シエットを認めなかった?」
「ああ。確か彼女は…「彼女らしさを覆ってまで、私の技術を継承させるのは酷く惜しい」と、何かを見透かしたように告げた」
「…ふむ」
「君なら、彼女のお眼鏡に叶うだろう。むしろ、君が叶わなかったら誰が叶うのか見たいものだ」
何を見透かしているかは分からない。
戦場で実績を作り上げた英雄。そんな彼女が何を見ているかなんて、常人には理解できない代物だろう。
しかし、そんな彼女に教えを請えるのならば…。
「確かに、特異な立ち位置にいる人間としては興味がありますね」
「だろう?」
とある扉の前で、マシューは私を降ろしてくれた。
この先で、シエットと三人の先生が待っている。
「さあ、三人の先生を紹介しよう。お腹の調子はいかがかな?」
「ペコペコではあるのですが、不思議と空腹は感じませんね。落ち着かないからでしょう」
「では、その不安から消化していこう」
「よろしくお願いします」
重い扉が音を立てて開いていく。
その先に広がるのは、緑豊かな庭園。
こまめな手入れが施されていると、素人の目線でも分かる程に綺麗な場所だった。
「エレナ、お父様!」
煌びやかな庭先で、おひさまの様にキラキラしているシエットが待ってくれている。
「シエット可愛い〜」
「うちの娘、天使すぎる…。天使になって貰ったら困るけど天使…」
「エレナ…お父様…どうしたの?お父様は相変わらずだけど…」
「…(あんた、娘の前で全然隠せてないじゃないか!表人格の意味!)」
「…(アイコンタクトも使用できるのか君っ…!どこで覚えてきた!)」
「…(ゲームで少々囓りました!)」
「…(何を言っているかさっぱりだ!)」
「…(とにかく学ぶ機会があったと言うことです。で、なんですか、これ。シエットから引かれているじゃないですか)」
「…(仕方ないだろう!?こんな可愛い娘が目の前にいて理性的に振る舞えるのか!?)」
「…(できませんね)」
「…(わかってくれて嬉しいよ!)」
「エレナ、お父様。目がかゆいの?何度も瞬きをしているけれど…大丈夫?目薬を持ってきた方がいい?」
「大丈夫だよ、シエット。ずっと室内にいたから、屋外が眩しくて…」
「なるほど。お父様は?」
「同様の理由だ。心配は無用」
「そっか。何もなくてよかった。落ち着いたらご飯を食べようね」
「うん!」
「…ああ」
この父親は娘の前だろうが、人の目がある場所では表人格で無愛想なのか…。
面倒くさいな…。
しかし、そういう人格も
特徴的だけど、二人とも家族が大好きなんだなと感じさせられる。
今の人生、親がいない私にとってその光景は…とても、眩しく見えた。
同時に恋しくなる。前世のお父さんとお母さん、そしてお姉ちゃんのことを。
「…ねえ、エレナ。私、紹介した人達がいるの。ついてきて!」
「う、うん」
空気の変化を感じたのか、シエットが私の手を引いて…三人の女性が会談している場所へと連れて行ってくれる。
今日、この場には誰かが招待したゲストはいない。
と、いうことは…この三人が。
「先生!」
「どうしたのだ、シエット。いつになくはしゃいで」
「紹介したい人がいるってお話したでしょう?この子なの!」
「あらぁ…同い年の女の子だったのねぇ。シエット様も普段通りに振る舞えるお友達ってところかしら」
「そうなの!」
最初に声をかけてくれた筋肉質かつ和服を身に纏った彼女が武術の先生なのだろう。
この世界にも、和服という概念はあるらしい。
次に声をかけてくれたのは、羨ましいと思うほど美しい肌をこれでもかと露出した衣服を着用した金髪の女性。
彼女も、先生なのだろうか…。とてもじゃないが、先生には見えない…。
「あれ?ミーシャ先生は?」
「ここにおるぞ、シエット」
そして最後にやってきた彼女。
フリルをふんだんに使用した真紅のドレスに身を包んだ、赤髪の少女。
幼い容姿から浮いた、鋭い翡翠の眼光。
紹介されなくても分かる。
彼女だ。
「ミーシャ殿」
「おお、マシューか。と、いうことはこの
「ええ。名を、エレナ・アルケーと言います」
「ふむぅ。なかなかに変わった…本当に六歳児か?」
「六歳です」
あえて声を低くして問いかけるが…その声にはうっすらと笑いが込められていた。
遊び半分で脅しているのは、見え見えである。
「間髪入れずに答えるか!普通の子供なら、ここで泣き出すぞ?シエットも泣き出したな?」
「え、エレナの前で言わないでください!恥ずかしい!」
「で、この問答に意味はあるのですか?」
「特に意味はない、が。お前、なかなかに見所があるな」
「そうですか」
「…嬉しくないのか?私に見所があると言われ、喜ばない人間は」
「私、貴方の名前どころかどんな人物か存じていませんので」
「それもそうか。いいだろう」
フリフリピンクさんは赤髪を軽く靡かせ、その場の空気を揺るがすほどの声で名乗りを上げる。
「私こそ、ヴォリアニクス軍遊撃部隊隊長「ミーシャ・アルステン」!」
激しい戦場でも通るような声で、愛らしい見た目からは想像つかない口調。
そしてどこからともなく出してきた銃剣を指先で器用に回転させ…。
「通りは、英雄令嬢の方がいいだろうか?」
それを、私の首元に向けてきた。
将来、私の先生になってくれる彼女は…私を見下ろしつつ、これからの享楽を想像し、笑みを浮かべた。
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