Angelo di Selse

蒼月イル

Angelo di Selse ep.1


 事件現場は、実に凄惨せいさんだった…―。





 ロンドン市内で人知れず起きていた連続美少年誘拐事件。その捜査に着任していたアレクサンダー・ステュアート警部は、目前に広がる光景の余りのむごさに絶句した。



「こんなの…こんなの、人間のする所業じゃない」



 震えたアレクの声が、薄暗い地下室に溶ける。彼の足許あしもとに幾多にも転がっている少年達の瞳には、まるで生気が宿っていなかった。皆、かろうじて呼吸はしているものの、焦点が定まっていない者だらけだ。


 変わり果てた少年達の姿。残酷だったのは、人間としての扱いをされない劣悪な環境下に晒されても尚、彼等の美しさが一切劣化していない事だった。



 連続娼婦殺人事件、通称「切り裂きジャック」の話題で世間が持ち切りとなっている最中で起きたこの事件。ロンドン市民の誰一人として、アレクの捜査していたこの事件に関心を向けてはいなかった。


 それはアレクの勤めているスコットランドヤードも同様であった。連日ロンドン市内を脅かしている「切り裂きジャック」に対し、上流階級の貴族から不安を訴える苦情が殺到した。その為、スコットランドヤードは切り裂きジャック逮捕へ全神経を注いでいたのだ。



 アレクが着任しているこの連続美少年誘拐事件にスコットランドヤードがてた人員はアレクを含めて僅か二人。この捜査での相棒となった新米警部のジョージは、アレクの隣で顔面を蒼白させおぞましい光景に身体を震わせていた。



「ごめんなさい…ごめんなさい…お歌を上手に歌えなくてごめんなさい…」



 本来ならば美しいはずの金髪を掻き毟りながら闇に向けてひたすら謝罪の言葉を並べる少年を視界に捉えたアレクは、残虐な環境への吐き気を押し殺して少年の傍らに歩み寄り相手の華奢な肩へそっと手を置いた。



 大袈裟なまでに少年の肩が揺れた。彼は間違いなく一年前に失踪したとされる少年だった。本来、少年期の一年間における成長は著しい。しかし彼はどうだろうか、アレクが入手した写真の中にある姿と顔つきがまるで変っていない。


 恐らく、過度なストレスと想像を絶する行為を与えられたのが成長を妨げた原因なのだろう。ガタガタと震えながら、数回瞬きをした少年は漸くアレクがスコットランドヤードの刑事であると認識したのか、青色の瞳に僅かに光を灯らせた。



「アレクサンダー警部…これは、これは一体どういう事ですか。この状況は何なんですか…第一どんな魔法を使ってこの屋敷の捜査に踏み切れたんですか…「恐かったね。寒いだろう?僕のコートを着ると良いよ」」



 戸惑いと混乱を隠せないジョージの言葉がアレクの声に遮られる。アレクは自らのコートを脱いで華奢な美少年にそっとそれを羽織らせた。最初は肩を跳ねさせて怯えた様子を見せた少年だったが、コートをぎゅっと握りながら小さく頷いた。



「無理強いはしないよ。ただ、ここで起きていた事を少しだけでも話せるかい?」

「……」

「慌てなくて大丈夫。ゆっくり息を吸って」

「…セルセ……セルセの天使になれなかったから…パパが僕達を見放したの。“あの人”みたいに…上手にお歌が歌えなかったから僕達は捨てられたの」



 唇の震えを止める様に前歯で噛み締めながら、少年が恐る恐る紡いだ言葉にアレクは「やはりそうか」と表情を曇らせ嫌悪感を滲ませた。一方で、新米警部のジョージは少年の話す内容がてんで理解できない様子で「セルセ?セルセの天使って何ですか?」と首を捻らせている。


 アレクは立ち上がって暗闇の中で違和感を放ってるバスタブを指差した。猫脚の上品なバスタブには白色をした液体が並々と張られていた。




ep.1 End



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