【短編】宵の月

芥坂 紗世助

宵の月

茜に染まる空の下、石を蹴った僕は帰路についた。特別何か物を抱くわけではないがこんな生活はこの時ばかりは悪いとは思わない。空の色の変化を見ていると自分の心情が見透かされている様で、段々と闇夜に溶け出す心を月が照らすのは僕の中には存在しないが小説を書くことだけが僕を突き動かしている。


僕は冴えない学生である。成績は中の上。かなり懸命に努力をしているつもりなのでかなり物覚えの悪い人間であると思っている。特に好んでするものもなく、女性の扱いも心得ていない言わば弱小男性だ。こうなると生きるのも一苦労で自ら命を断つ程でもないが、そういった感情を強く思う夜がかなりの頻度である。その感情を小説というものに出力している訳だが、読んでくれる人もいないので俗に言う黒歴史になるのだろうと心の何処かで感じてい

た。


僕は机に向かい原稿用紙を取り出し万年筆を押し当てた。題名は「宵の月」劣等生のつまらない日常を書いたつまらない話。僕にはこれくらいしか書けない。僕の生み出すものは自分の経験に沿ったものしか書くことが出来ず、空想で何かというのはどうも難しい。才能があれば少しは違うのだろうが、そんなやつ一握りで後は有象無象のゴミだ。では、なんで小説を書くのかと言うとこれが分からない。承認欲求だろうか。いいや違う。もっとこう崇高な物だと思いたい。アイデンティティが欲しいのか。劣等感をそれで埋めたいのか。人と違ってたとしても優れている訳では無いのにそれが特別だと思いたかったのかもしれない。自己嫌悪に苛まれる夜を過ごすと不思議と思うことがあった。それは、戻れない過去はどんなに苦痛なものでも後で思えばそれなりに抱える事が出来ると言うことだ。あの時を思えば戻りたいと思うし、そればかりを大切にしたいと思う。贅沢なものだが仕方がない。人間というのもはそういうものなのだ。


小説を書いている訳だが、締めくくりが全く思いつかない。空には月が浮かんでおり、そこに惹き込まれる様に星が存在している。題を決めて突然書き始めたからこんな風になる。有名な詩人を真似た作品は何処か面白味に欠けるし在り来りなものになる。自分がない僕にはもしかしたら作家としての才能がないのかもしれないと思う。才能が海の広さ程欲しい。そう願って動いた瞬間遠退いた意識が凄く嫌だ。生きていくのに精一杯な僕に神がいるなら薄情なもので僕はそれが嫌いだと思う。不安ばかりが押し寄せる。時間は午前2時30分。朝方までの秒読みが始まる。まだ万年筆を握っている。夏の話を書き続けた僕には似たようなものしか書くことが出来ずに、自分の作品に対するマンネリズムに陥っている。不快だ。実に不快だ。敬愛する貴方の人生が嫌いになっていく。


脳が煮える様で外に出てみた。一本道をずっと歩いていると一つの閃光が視界に揺らぐのを感じた。空を切り裂くような彗星が僕の眼を反射していた。風がふわりと僕の髪を持ち上げた。「そうだ、こんな物を書こう。明日には。」眩い光に包まれた僕はなにかを思い出した。何を思い出したのか。作家を夢見る幼少期の日々を。


僕はしがない物書きである。

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