第28話 強引な魔法

 有栖川の特典会終了後、私はライブハウスを後にした。ステージフロアに戻ることもできたけれど、有栖川の余韻を残したまま帰りたかったから。


 有栖川は片付けがある上に、今日の夜はバイトらしい。練習で休みがちだった分、働くのだと言っていた。

 さすがに深夜の清掃バイトはなく、ファミレスでのバイトだけらしいけれど。


 早く家に帰って、プロットの続きを書きたい。書きたいものがはっきりとした今ならきっと、ちゃんと形にできる気がする。


「……でもまずは、夕飯の買い物しないと」


 せっかくだから、豪華な料理を作って有栖川の帰りを待とう。ケーキを用意するのもいいかもしれない。

 19歳の有栖川はまだ酒を飲めないから、代わりの飲み物も用意しないと。


 帰ってきた有栖川は、どんな顔で喜んでくれるだろう。想像するだけで嬉しくなって、私は早足で駅へ向かった。





「……ちょっと気合入れすぎた?」


 今日のメインディッシュはローストビーフだ。奮発して買った高い牛肉を、時間をかけて調理した。

 生ハムでくるんだポテトサラダも手作りで、かなり手間がかかった。

 スープが欲しくてクラムチャウダーも用意したし、デザートとしてホールケーキもある。


 しかもホールケーキは、デパ地下で奮発して買った。正直二人で食べる大きさではないと分かっているけれど、今日は見栄えも大事にしたかったから。


 有栖川が帰ってくるまであと数時間。プロットを書きながら有栖川のことを待つとしよう。





 インターフォンが鳴って、慌てて玄関の扉を開ける。そこに立っていたのは、疲れきった顔をした有栖川だった。

 だけど私を見て、ふにゃっとした柔らかい微笑みを浮かべる。


「ただいま、翡翠さん」

「おかえり。夕飯もうできてるよ」

「今日の夕飯なんですか?」

「ローストビーフがメイン。ポテトサラダとスープも用意した。あとデザートにはケーキも買ってあるから」


 なるべくいつも通りに振る舞おうとしたのに、自覚してしまうくらいには、私の声は浮かれていた。

 有栖川は瞬きを繰り返し、え? と私を見つめる。


「……練習、頑張ってたし。お疲れ様ってことで」

「あ、ありがとうございます。その、私……本当にびっくりしちゃって。嬉しいです!」


 戸惑った様子ではあるものの、有栖川は言葉通り嬉しそうだ。その顔に安堵しつつ、手洗ってきて、と有栖川の背中を押す。

 有栖川が手を洗っている間にスープを温めて、飲み物を用意してあげよう。





「翡翠さん、これって……?」

「シャンメリー。有栖川、まだお酒飲めないでしょ。だからこれでいいかなって」


 他のジュースも考えたけれど、なんとなくシャンメリーにしてみた。お祝い感が一番あると思ったから。

 ちなみに、私のグラスに注がれているのもシャンパンではなくシャンメリーだ。悪酔いして有栖川に迷惑をかけたくないから。


「すごい……。料理も全部、翡翠さんが作ってくれたんですよね?」

「うん。まあ、クラムチャウダーは牛乳入れただけだけどね」


 さすがにクラムチャウダーを一から作れる気はしなくて、缶詰の物を利用した。とはいえ、十分に美味しい商品である。


「乾杯しよ、有栖川」


 私が言うと、有栖川は慣れない手つきでグラスを持った。いつも使っているコップとは違うから、使いにくいのかもしれない。


「今日は本当にお疲れ様、有栖川。すごく輝いてたよ」

「……翡翠さん」


 乾杯、とグラスをゆっくりぶつけ合う。真っ先にローストビーフを口に入れ、美味しい、と有栖川は呟いた。





「じゃあ、そろそろケーキ食べようか」


 作り過ぎた料理は少し余ってしまったけれど、ラップをかけて冷蔵庫に入れておけば問題ないだろう。

 それより、せっかく用意したケーキを食べたい。


「いろいろあったけど、定番かなと思って生クリームのケーキにしたの。タカセって店分かる? フルーツ専門店で、ケーキも美味しくて……」


 ケーキの説明をしながら立ち上がった私の腕を、ぐいっ、と有栖川がいきなり引っ張った。

 バランスを崩した私をあっさり受け止めた有栖川が、なぜか冷ややかな眼差しで私を見つめている。


 ……なんで?


 豪勢な料理に驚いていたものの、有栖川は美味しそうに食事を楽しんでくれた。さっきまでは笑顔だったし、いろいろと話もした。

 なのにどうして今、こんな顔をするんだろう。


「有栖川、どうか……」


 したの、という私の言葉は音になる前に消えた。有栖川が荒々しく私の唇を奪ったからだ。

 いきなりのキスに驚いていると、舌で強引に口をねじあけられる。あっという間に有栖川の舌が入り込んできて、私の口内を好き勝手に蹂躙した。


「んっ……ふっ……」


 有栖川は離れてくれないし、私の口からは情けない吐息が漏れるだけ。

 呼吸が苦しくなって有栖川の背中を何度も叩くと、ようやく私の唇が解放された。


「翡翠さん」


 なぜか有栖川は、泣きそうな声で私を呼んだ。


 たぶん今、余計なことは言わない方がいい。


「きて」


 有栖川に再び腕を引っ張られる。そしてそのまま私は、ベッドの上で有栖川に押し倒された。

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