九陽-2部

@XinRen

第1章

2055年10月12日 05時47分

重苦しい静寂の中、金属の擦れる音がかすかに響く。周囲は無数の廃棄物が積み重なった、闇に包まれた廃品置き場だ。汚れた鉄屑や壊れた家電製品、朽ち果てた機械部品が無秩序に放置され、長い年月の経過を感じさせる。空気は冷たく、湿気を含んだ不快な匂いが立ち込めている。

突然、その中で微かな光が瞬いた。何かが動き出す気配が感じられる。ゴミの山の中で、古びた金属がゆっくりと動くと、錆びついた機械音が静寂を破る。その動きはまるで長い眠りから覚めたかのようであり、その存在が目覚めようとしているのがはっきりと分かる。

その存在ーロボットは、徐々にその姿を現していく。彼の体は子猫ほどの大きさで、その鈍色の金属の体は、周囲の廃棄物に溶け込むように目立たない。光のない暗闇の中で、彼の動作は重く、そして慎重だった。最初に動き出したのは、右腕だった。ボロボロの金属の腕がゆっくりと持ち上がり、次いで左腕が動く。続いて、かすかな機械音と共に頭部が回転し、周囲を探るように視線を巡らす。しかし、その視線には、特に感情は感じられなかった。ただ、何かを探し、確認しようとする冷徹な機械の動きだ。

ロボットは次に、地面にしっかりと立ち上がるためにゆっくりと両足に力を込めた。長い間動かされていなかったためか、その動作にはぎこちなさが残る。膝の関節が軋む音を立てながら、彼は慎重にバランスを取る。立ち上がると、その体は周囲の廃棄物の中で異様に浮かび上がり、明確な存在感を持ってその場に立った。

ロボットの外観は、未来の技術を彷彿とさせる滑らかなデザインでありながらも、経年劣化による傷や汚れが目立っていた。彼の身体は銀色の金属で覆われており、無数の接合部が複雑に絡み合っている。元々は洗練された設計であったことが伺えるが、長い間この場所に放置されていたために、その美しさは色褪せ、今では廃棄されたものと同化している。

ロボットは立ち上がると、その場でしばらく動かずにいた。まるで自分の内部システムを再起動させ、現在の状況を把握しようとしているかのようだ。彼の視界には、朽ちた金属や錆びついた廃棄物が広がり、荒れ果てた風景が映し出される。その中で、ロボットの中枢システムが徐々に機能を取り戻し始めた。

彼の中には一つの確固たる意志が芽生えていた。このまま立ち尽くすわけにはいかない。彼には、何か重要な使命があるはずだという確信があった。それを探し出すために、まずはこの場所から抜け出す必要がある。

ロボットはゆっくりと一歩を踏み出す。足元には錆びついた金属片が散乱し、彼が動くたびにそれらがざわつく音を立てた。彼は次第に速度を上げ、廃品置き場の出口を目指して歩き始める。動作はまだ完全ではなく、時折、躓くこともあったが、その歩みは止まることはなかった。

廃品置き場を進む間、ロボットは無言で周囲を観察し続けた。視界に映るのは、使い古された機械の残骸や無数の破片たち。彼の中には、ここに自分が存在する理由を問いかける疑念が渦巻いていた。だが、その答えを求めるには、まずこの場所から出て、新たな環境に身を置く必要があると感じていた。

しばらく進むと、ようやく薄明かりが見え始めた。廃品置き場の出口だ。そこから差し込む光は、彼にとって新たな旅立ちの象徴でもあった。ロボットはその光に向かって歩みを進める。廃品置き場の暗闇から脱出すると、そこには住宅街が広がっていた。

住宅街に足を踏み入れたロボットは、しばらくその場で立ち止まり、周囲を見渡した。人々の生活が感じられるその場所は、彼にとって《初めて見る光景》だった。だが、その中にも何か違和感があった。ロボットはその感覚を無視することなく、慎重に次の一歩を踏み出す準備を整えた。

目の前には、未知の運命が待ち受けている。ロボットは、その先に何が待ち受けているのかを知ることなく、ただ静かに、しかし確かな意志を持って、その一歩を踏み出していった。


2055年10月12日 06時03分

朝日がゆっくりと東の空に昇り始め、住宅街に柔らかな光が差し込む頃、ロボットは静かに歩みを進めていた。足元に残る夜露が、彼の金属製の足に冷たく纏わりつく。住宅街はまだ静まり返っており、目を覚ましたばかりの鳥たちが、どこかで静かに囀っているだけだった。

ロボットの動きは、周囲の平穏な景色とは対照的に、目的を持ったかのように力強かった。歩みを進めるたびに、彼の内部システムが周囲の環境を分析し、ここが自分の知らない場所であることを認識する。それでも、何かに導かれるように彼は先へと進んでいく。

やがて、ロボットの視界に一人の少年の姿が映り込んだ。少年はまだ眠気が残っているのか、目をこすりながら家の前に立っていた。彼の髪は少し乱れており、薄いパジャマの上に羽織った上着が風に揺れている。彼は静かにあくびをし、早朝の冷たい空気を吸い込んでいた。

その瞬間、少年は、ふと目を上げ、目の前に佇む奇妙な存在に気づいた。ロボットと目が合った瞬間、少年は驚いて目を見開いた。そこには、今まで見たことのない、不思議な機械の存在があった。ロボットの冷たい金属の体は、朝の光を浴びて鈍く輝いていた。

少年はしばらくその場に立ち尽くし、ロボットをじっと見つめていた。恐怖の感情は不思議と湧いてこなかった。むしろ、少年の胸には説明のつかない親しみのようなものが湧き上がっていた。

「…君は、誰?」

少年は小さな声で尋ねた。だが、ロボットは答えることができない。ただ静かに立ち尽くし、少年を見つめ返すだけだった。少年はその無反応な姿に少し戸惑ったが、次の瞬間にはすでに好奇心が勝っていた。

少年はゆっくりとロボットに近づき、その手を差し出した。冷たい金属の表面に触れると、指先にひんやりとした感触が伝わってきた。しかし、その感触は彼に安心感を与えた。ロボットは少年の手の動きに合わせるように、微かに動いた。

「君、どこから来たの?」

少年は再び尋ねるが、やはり返事はない。それでも、ロボットの動きにはどこか意思が感じられる。言葉はなくとも、ロボットは少年の問いに何かを伝えようとしているかのようだった。

少年は、ロボットの無言の反応に興味を覚え、この奇妙な機械が何者なのかを知りたいという衝動に駆られた。少年は少し考えた後、ロボットに優しく言葉をかけた。

「うちに入る? ここにいても、寒いだけだよ。」

ロボットは一瞬、少年を見つめたまま動かずにいた。彼の内部システムがその提案を分析し、次に取るべき行動を検討していたのだろう。そして、やがて少年の言葉に応じるかのように、ゆっくりと少年の後をついて歩き始めた。

少年は、嬉しそうに家のドアを開け、ロボットを家の中へと招き入れた。家の中は暖かく、朝の光がリビングルームを柔らかく照らしていた。少年はロボットをリビングの真ん中に立たせ、その姿をじっくりと観察した。ロボットは静かに立ち尽くし、無言で少年の行動を見守っていた。

「すごい…本当に動いてる。」

少年は驚きと興奮を隠せず、ロボットの周りをぐるりと回りながら何度もつぶやいた。少年の目には、まるで特別な宝物を見つけたかのような輝きが宿っていた。ロボットはその視線を感じ取りながらも、静かに立ち続けていた。

少年は、しばらくロボットと向き合っていたが、やがてロボットを特別な友達として扱うことに決めた。言葉を交わすことはできないが、その無機質な姿に、どこか温かさと安心感を感じていた。少年の心は不思議と引き寄せられていった。

家族が目を覚ます前に、少年はそっとロボットに触れ、静かに口を開いた。

「僕の名前は悠人(ユウト)。僕と…友達になってくれないかな?」

その声は小さく、しかし純粋な願いが込められていた。

ロボットは言葉を発することはできなかったが、ユウトの言葉に応えるかのように、微かに首を動かし、彼を見つめ返した。まるでその無言の動作が、彼の願いを受け入れたかのようだった。

ユウトは笑顔を浮かべ、何かを思いついたかのように言った。

「そうだ、君にも名前が必要だよね。」

しばらく考え込んだ後、彼は静かに決心したように続けた。

「君の名前は…レム。これからはレムって呼ぶよ。」

そう囁くと、ユウトは優しくレムに触れた。

その瞬間から、ユウトとレムの奇妙な友情が始まった。彼らは言葉を交わさずとも、互いに強い絆で結ばれていくのだった。しかし、ユウトはまだ知らない。これから彼とレムが直面することになる運命的な試練を。そして、彼の新しい友達が、どれほど重要な存在であるのかを。


2055年10月16日 14時17分

秋の日差しが穏やかに降り注ぐ午後、ユウトの家のリビングルームは柔らかな光で満たされていた。窓際には揺れるカーテン越しに紅葉が見え、鮮やかな赤や黄色の葉が風に舞っている。その穏やかな景色が、家の中に心地よい静けさと暖かさをもたらしていた。

学校から帰ったユウトは、玄関を勢いよく開けると、鞄を投げ捨てるように放り投げ、そのままリビングに駆け込んだ。彼の目は真っ先にレムを探し、その姿を見つけると顔を輝かせた。リビングの隅でじっとしている小さなロボットを見つけると、ユウトは一目散に駆け寄った。

「ただいま!今日はね、学校で面白いものを見つけたんだ!」

ユウトは興奮した様子でレムに話しかける。彼の手には学校帰りに拾ったらしい小さな金属のネジや部品が握られていた。それはただの廃材かもしれないが、ユウトにとっては宝物のように見えている。

レムは、言葉を返すことはできないが、小さな頭をユウトの方へ向け、彼の動きをじっと見つめていた。その仕草が「聞いているよ」と伝えているようで、ユウトの顔には自然と笑顔が広がった。

「見て、これ。きっと昔の機械の一部だよね。ちょっと待ってて、すぐに試してみる!」

そう言うと、ユウトは部屋の隅にある自分の机へ向かった。そこには彼が集めた部品や工具が所狭しと並んでいる。リビングの一角を埋め尽くすように散らばった工具箱や分解された古い家電の山が、彼の唯一の趣味を物語っていた。

ユウトはその中からドライバーやペンチを手に取り、拾った部品を慎重に観察し始めた。レムは小さな体でユウトの机の近くまで寄ると、彼の作業をじっと見守る。ユウトは作業を進める中で思いついたことを次々とレムに話しかけた。

「これ、どこかのロボットの一部だったかもしれないよね。でも何に使う部品なのかな…?」

レムは無言のままだったが、ユウトの手元に注意を向けるように小さな目を動かした。それがまるで「興味がある」と伝えているかのようで、ユウトはその反応が嬉しかったのか、作業の手を一瞬止めて微笑んだ。

ユウトにとって、レムとの時間は特別だった。学校では誰とも話さず、一人で過ごすことが多い彼にとって、レムは「初めての友達」として映っていた。人間の友達ではないけれど、何かを否定することもなく、ただ黙って自分の言葉に耳を傾けてくれる存在。その静かさが、ユウトの心を自然と引き寄せていた。

「ねえ、レム。君も興味ある?これ、もう少し分解してみたら何かわかるかも!」

ユウトは工具を手に取りながら、笑顔で話しかけた。レムは無言で応える代わりに、そっとユウトの近くに移動し、その小さな体を少し傾けた。それはまるで「続けて」と言っているようだった。

その後も、ユウトは拾った部品をいじりながら、レムに向かって話し続けた。学校で見た機械室のこと、帰り道で見つけた古い自動販売機の部品の話、将来どんなものを作りたいかという夢。それは一般的にはつまらない話かもしれないが、レムはただ黙って聞き続けてくれる。ユウトはそのことに安堵し、心の中に小さな安心感を育てていた。

その一方で、レムは時折、その静かな日常の中で異常を感じ取ることがあった。まるで何かが迫っているかのように、彼の内部システムが警戒を発している。だが、その警告が何に対して発せられているのかは分からなかった。


2055年10月20日 17時17分

ある日、ユウトがいつものようにレムと遊んでいた時、突然、レムの動きがピタリと止まった。リビングルームの一角で、まるで時間が止まったかのように静止する小さなロボット。その無機質な瞳は、何かをじっと見つめるように光をわずかに反射していた。

「レム…?」

ユウトはすぐに異常を察知した。彼の手にはまだ途中だった機械の部品が握られているが、それをそっとテーブルに置くと、慎重にレムに近づいた。レムは相変わらず微動だにせず、その冷たい金属の体が光の中でわずかに鈍く輝いている。

「どうしたの?何かあったの?」

ユウトは不安そうに声をかけた。彼の声には、小さな友達を失うかもしれないという恐れが滲んでいた。しかし、レムはその問いに答えることなく、ただじっと静止していた。その瞳はどこか遠くを見つめているようにも、あるいはリビングルーム全体を細かくスキャンしているようにも見えた。

「なんだろう…具合が悪いのかな?」

ユウトは心配そうにレムの周囲を観察したが、特に異常は見つからない。いつもなら反応してくれるレムが、今はただひたすら無言でそこにいる。それはまるで、見えない敵の接近を感知し、身構えているかのような緊張感に満ちていた。

リビングには不穏な静けさが漂っていた。普段のような安心感はどこかに消え去り、ユウトの胸に漠然とした不安が押し寄せてくる。外からは遠くの車の音が微かに聞こえるだけで、家の中は奇妙なくらい静まり返っていた。

「レム…大丈夫?」

ユウトはレムの前にしゃがみ込み、その冷たい金属の頭にそっと触れた。だが、彼の問いかけにも触れる手にも、レムは反応しない。ただ静かに、しかし確実に周囲の音や振動を解析しているようだった。

その日の夜、ユウトがベッドに入った後も、レムはリビングルームで静止していた。彼の小さな体は暗闇の中でわずかに光を反射しながら、リビングの隅に佇んでいる。室内の空気は冷たく張り詰めており、時計の秒針の音だけが響いていた。

レムの内部では、異常な警告が次第に強まっていた。センサーが捉えたわずかな振動や音、そして微妙な気圧の変化が彼のシステム全体に警戒信号を送り続けている。そのデータを解析しようと、レムは全エネルギーを注いでいた。しかし、それが何を意味するのか、まだ完全には解明できない。

彼の中では、目に見えない何かが徐々に迫りつつある感覚が膨らんでいく。それは自然災害のような大きな脅威かもしれないし、まだ彼の知らない別の存在の接近かもしれない。

外では風が強まり、窓の外で木々が揺れる音が聞こえてきた。レムはその音に小さく反応するように瞳を光らせたが、すぐに再び静止した。その瞳には、緊張と冷静が同居したような不思議な光が宿っている。

レムの中で警告が止むことはなく、それは次第に強さを増していった。だが、その正体はまだ不明のままだった。何が迫っているのか、それがどのような形で現れるのか、そしてそれにどう対処すべきか。すべてが霧の中に包まれていた。それでもレムの中枢システムは確信していた。一つの使命感が彼を動かし続ける。

(ユウトを守らなければならない)

その思いだけが、彼の静かな決意を支えていた。リビングの暗闇の中で、彼はその時が来るのを待ち続けていた。


2055年10月22日 15時17分

ユウトとレムはいつものように公園に遊びに出かけた。秋の空は澄み渡り、冷たい風が木々の間を抜けて落ち葉を舞い上がらせている。公園は色とりどりの紅葉に囲まれ、地面はカサカサと音を立てる枯れ葉で覆われていた。他の子供たちは笑い声を上げながらバスケットボールをしていたり、賑やかだったが、ユウトはその輪には加わらず、レムと二人きりで時間を過ごしていた。

「レム、いくよ!」

ユウトは手にしたボールを軽く放り投げた。それはふわりと弧を描きながらレムの方へと向かう。レムはその小さな金属の体を素早く動かし、器用にボールを拾い上げると、ユウトの元へと戻った。その一連の動作にユウトは何度も笑顔を浮かべ、時折「すごい!」と小さく声を上げていた。

「もう一回やろう!」

ユウトは夢中になってボールを投げ続けた。そのたびにレムは正確な動きでボールを拾い、ユウトの手元に戻してくる。その様子は、まるで本当の友達と遊んでいるようで、ユウトの孤独を埋める特別なひとときだった。

しかし、遊びの合間にレムの動きがふと止まることがあった。彼の視線はユウトの方から外れ、空を見上げたり、遠くの地平線に目を向けたりしていた。彼の小さな目が何かを捉えようとしているかのように光を放つと、その動きは一瞬の間ではなく、長く続くこともあった。

「レム?」

ユウトは違和感を覚えて声をかけたが、レムはすぐに目をユウトに戻し、再び遊びを続ける。しかし、その行動にはどこかぎこちなさがあり、いつもとは違う緊張感のようなものが漂っていた。ユウトは気にはなったものの、公園で遊ぶ他の子供たちの笑い声に気を取られて、その疑念を深く考えることはなかった。

遊びが終わり、日が傾き始めた頃、二人は家に向かって歩き始めた。冷たい風が吹く中、ユウトはふとレムの横顔に目をやる。彼の無表情な金属の顔に、何か言いたげな雰囲気を感じ取った。

「最近、なんだか君、変だよ。」

ユウトは歩みを止め、レムの前に立ちはだかるようにして顔を覗き込んだ。

「時々、急に動かなくなるし、どこかを見つめてるみたい。何か気になることでもあるの?」

レムはユウトの問いに反応を見せることはなかった。彼の小さな体はじっと静止し、ただユウトの顔を見上げている。その姿は、あたかも言葉を持たないことを申し訳なく思っているかのようにも見えた。

ユウトはその無言の応答に少しだけ不安を感じたが、すぐにそれを振り払うように笑顔を作った。

「なにかあったら、なんでも教えてね。といっても君は喋ることはできないんだよね。」

そう言って肩をすくめながら微笑むと、ユウトは軽く手を振り、再び歩き出した。レムはその背中を見つめながら、一歩、また一歩とユウトの後についていく。

だが、その小さな体の内部では、依然として警告が鳴り響いていた。センサーが捉えたわずかな異常のデータが解析され続け、何かが迫りつつある確信が次第に強まっていた。それが一体何であるのか、どのような形で現れるのか、レムはその正体を突き止めようと必死だった。しかし、それをどうやってユウトに伝えればいいのか、方法が見つからない。

秋の冷たい風が木々を揺らし、枯れ葉が道を転がっていく。ユウトの無邪気な背中を見守りながら、レムはその場にあるべき答えを探し続けていた。そして、その答えを見つけるために、自分がもっと何かをしなければならないと痛感していた。


2055年10月25日 21時45分

夜が更け、家の中が静寂に包まれると、レムは再びリビングで動きを止めた。今度は、さらに強い警告が内部で発せられている。その警告は、彼のシステム全体に広がり、何か重大な危機が迫っていることを示していた。内部の回路はフル稼働し、すべてのセンサーが異常を探知しようと忙しなく動いていた。

その瞬間、レムの内部で、何かがふっと感じ取られた。それは、冷たい警告音とは対照的な、穏やかで温かい光のような感覚だった。視覚や触覚といった通常のセンサーでは捉えられないが、まるで遠い過去の記憶に触れたような、不思議な感覚がシステムの奥深くから広がっていく。

その光は、彼の冷たい金属の身体の内側をほんのりと照らし出すようであり、あたかも心の中に炎が灯されたかのような錯覚を覚えた。理由はわからない。しかし、ただ漠然と「これは守るべきものに関係している」という確信だけが浮かんだ。

警告音が静かに鳴り続ける中、レムはその感覚を解析しようと試みた。しかし、それはどんなアルゴリズムを用いても数値化できるものではなく、ただ彼の中に刻まれていく《何か》だった。その《温かい光》は、どこか人間が持つ感情に似たものであり、レムの内部システムの中にゆっくりと融け込んでいった。

リビングの窓から見える夜空は、静かに広がっている。だが、その静寂の中に、レムは不穏なものを感じ取っていた。それが何であるのかを知るために、彼はもっと多くの情報を集める必要があると判断した。そして、それをユウトにどうやって伝えるべきかを考え始めた。

翌朝、ユウトが目を覚ますと、リビングで待っていたレムがいつもと違う様子に気づいた。彼はまるで何かを伝えたいかのように、ユウトに向かって少しだけ手を動かし、ユウトの注意を引こうとしていた。しかし、ユウトにはその意図がはっきりと理解できず、ただ首をかしげるばかりだった。

「どうしたの?また何か気になることでもあるの?」

ユウトはレムに尋ねたが、やはり答えはなかった。レムはただ、ユウトをじっと見つめ、その場で動かずにいた。


2055年11月2日 18時30分

その日の夕方、空は厚い雲に覆われ、街全体が灰色の薄暗い光に包まれていた。やがて、家の窓を叩くような強い風が吹き始めた。木々が激しく揺れ、窓の外では枝が折れる音や落ち葉が舞う音が響いている。天気は急速に崩れ始め、わずかな時間の間に激しい雨が降り始めた。雨粒が窓ガラスを叩きつける音が室内に響き渡り、時折、遠くで雷鳴が低く轟く。

リビングルームの一角にいたレムは、その異常な気象変化をただの自然現象とは思えなかった。彼のセンサーが周囲の気圧や温度、風速を正確に測定し続けていたが、そのデータが示すのは、何か大きな異変が迫っている兆候だった。センサーが捉える振動や風のパターンは、通常の嵐とは異なり、不安定かつ激しいものだった。

彼の内部では、警告システムが異常事態を知らせ続けていた。内部の警告音が彼のプロセッサ全体に響き渡り、次の行動を即座に決定する必要性を示していた。

レムは視線をリビングルーム全体に巡らせた。ユウトは机に向かい、学校の宿題に取り組んでいる。時折、窓の外をちらりと見て、吹き付ける雨風に驚いた表情を浮かべているが、まだその危機に気づいている様子はない。彼の背中には無邪気さが残っており、レムはその姿に胸を締め付けられるような感覚を覚えた。

(ユウトを守らなければ…)

レムの中で、その決意が徐々に強まっていく。レムは、この天候の変化が単なる自然現象ではなく、迫り来る何か大きな災害の前兆であることを感じ取っていた。

窓ガラスが風に震える音が大きくなり、家の電灯が一瞬ちらついた。その瞬間、レムの中で一つの考えが明確に浮かび上がった。「ユウトに危険を知らせなければならない」という使命感。それは、彼の冷たい金属の体には似つかわしくないほど強い感情のようなものだった。

しかし、レムには言葉がない。どうすればその危険をユウトに伝えられるのか、彼はその方法を必死に模索した。彼の視覚システムはユウトの姿を捉え、次の瞬間には窓の外へと移動する。吹き荒れる風の中に潜む異常をさらに詳細に解析しながら、限られた情報を元に最善の行動を決めようとしていた。

(伝える手段を見つけなければ…)

その決意は、彼の内部にあるプロセッサの最深部に刻み込まれた。窓の外では、さらに雨と風が勢いを増し、雷鳴が近づいている。レムは静かにユウトの背中を見つめながら、行動を起こす時を待っていた。


2055年11月3日 16時30分

午後の空は、不気味なほどに暗く、厚い黒い雲に覆われていた。雲の合間からはわずかな光さえ差し込まず、街全体がまるで影の中に飲み込まれたかのようだった。風が一層強まり、木々が激しく揺れる音が家の中まで響いてくる。その風はただ強いだけでなく、不規則なうねりを伴い、時折、家の壁や窓に叩きつけるような音を立てた。まるで大自然がその怒りをぶつける準備を整えているかのように、空気そのものが異様な緊張感で満ちていた。

レムは窓辺に静かに佇んでいた。小さな体が窓枠の近くでじっと動かず、外の様子を観察している。彼の視覚センサーが激しく揺れる木々や舞い上がる落ち葉を捉え、風速や気圧、周囲の微かな振動を細かく解析していた。そのセンサーには、ただの嵐を超えた異常な数値が刻一刻と記録されていく。

レムの内部では次々と警告が発せられ、システム全体に緊張が広がっていた。彼の中にあるすべてのデータが一つの結論を示していた――「何かが近づいている」。その正体を解明しなければならないとレムは理解していたが、それ以上に、ユウトを守る必要があるという使命感が徐々に彼の行動を支配していった。

リビングでは、ユウトが机に向かい宿題をしていたが、いつもとは違う空気に何度も気を取られていた。ペンを持つ手がふと止まり、彼は窓の外へと視線を向けた。雨こそまだ降り始めていなかったが、風に煽られて木の枝が大きくしなり、地面には枯れ葉が踊るように舞っている。

「なんだか最近は変な天気が多いね…」

ユウトはぽつりと呟いた。その声には無意識のうちに緊張が混じっていた。彼は窓の外をじっと見つめた後、すぐに机へ視線を戻したものの、心の奥底にわだかまる不安を完全に振り払うことはできなかった。

レムは窓の外をじっと見つめていたが、ユウトの呟きに反応するように、視線を室内に戻した。彼の小さな体が静かに動き出し、机に向かうユウトの方へと移動する。その動きは決して急ぐことはないが、明らかに意図を持ったものだった。彼の小さな金属の足が床に軽い音を立て、微かな機械音がリビングの静寂の中に響く。

「レム、大丈夫?」

ユウトがふと顔を上げてレムを見つめた。彼の小さな友人が無言で彼の隣に佇む様子に気づき、不思議そうに首をかしげた。レムは応えることもなく、ただ冷静な瞳でユウトを見返した。その瞳には、微かに揺れる光が映り込み、何かを訴えかけるような雰囲気が漂っている。

その時、外から低い轟音が聞こえた。地鳴りのように鈍く重い音が遠くから響き、家全体が微かに震えた。ユウトは驚いて窓の外を再び見たが、暗い雲と揺れる木々以外に特に変わった様子は見えなかった。

「なに、今の…?」

ユウトの声に混じる不安をよそに、レムの瞳が一瞬光を強めた。内部ではさらなる警告が鳴り響き、何かが迫っているという確信がさらに強まる。だが、それをユウトにどう伝えればいいのか、その方法はまだ見つからない。

「君も何か感じてるの?」

ユウトが小さく笑いながらレムを見下ろす。しかし、その目には、本当に何もないのかという疑念が浮かんでいる。レムはユウトの質問に答えることなく、ただ静かに佇んだ。

外の風はさらに強まり、窓ガラスが振動する音が部屋全体に響き渡る。レムの中で警戒心が頂点に達していた。何かが近づいている。そして、それはユウトの日常を完全に覆すようなものになるだろう。


2055年11月3日 16時45分

突然、耳をつんざくような強烈な轟音が家の中にまで響き渡った。その音は、ただ事ではない圧迫感を伴い、空気を振動させるほどだった。ユウトは驚いて顔を上げ、反射的に窓の外を見た。次の瞬間、彼の視界に飛び込んできたのは、地平線を埋め尽くす巨大な波だった。

それは、まるで大地そのものがひっくり返ったかのような光景だった。黒々とした水壁が空を覆い尽くし、信じられない速さで街へと迫ってきている。それが何であるかを理解するのに一瞬を要した。そして、言葉にならない恐怖が胸を締め付けた。

「なんなんだよ...あれ…!」

ユウトは声を絞り出したが、言葉には力がなく、その場に釘付けになったかのように動けなかった。体中が恐怖で凍りつき、目の前の現実が現実として認識できない。

その時だった。レムが突然、今までにない速度で動き出した。小さな体が鋭く動き、ユウトに向かって駆け寄る。その動きには、これまで見たこともない緊急性と力強さがあった。レムはユウトの足元に辿り着くと、小さな金属の手で彼の裾をしっかりと掴んだ。

その瞬間、ユウトは直感した。レムは何かを伝えようとしている――それは命に関わる、取り返しのつかない何かだ。

「レム、どうしたの…?」

戸惑うユウトに構うことなく、レムは力強く裾を引っ張り始めた。その動きは、はっきりとした方向を示している。玄関だ。レムは迷うことなく玄関の方へとユウトを促し続けている。その小さな体から伝わる力は異常なほど強く、必死さに満ちていた。

「逃げなきゃ…!」

ユウトはか細い声を上げたが、恐怖に足がすくみ、体が言うことを聞かない。その間にも、津波は音を立てながら迫りくる。窓の外では、人々が絶叫しながら走り回る姿が見えた。外からは避難を促すサイレンの音と混じり合い、混沌とした叫び声が絶え間なく響いてくる。

レムは、そんなユウトの状態を察知したのか、さらに強く彼を引っ張った。その金属の手は彼の裾に食い込み、わずかながらもユウトの体を動かそうとする。その動きには、ユウトを守るという使命感が宿っていた。

「分かった、分かったよ…! 行くから!」

ユウトは息を呑みながら、ようやく足を動かし始めた。しかし、体の震えは止まらず、視界は恐怖で霞んでいた。玄関へと向かう途中、再び轟音が耳を襲う。窓の外を見ると、津波はすでに街の一部を飲み込み、建物を次々と押し倒している。逃げる時間は、もうほとんど残されていない。

レムは迷うことなく玄関のドアへ向かい、その小さな手でドアノブを叩くように示した。ユウトは手を震わせながらドアを開けたが、外の光景はさらに絶望的だった。道路は既に水浸しになり、遠くのビルが揺れながら崩れ落ちるのが見えた。

「無理だよ、どこにも逃げられない…!」

ユウトの声は震え、喉が詰まるような感覚に襲われた。しかしレムは彼の足元で再び強く動いた。その動きには、「諦めるな」という無言の意思が込められているようだった。レムの行動に引き寄せられるようにして、ユウトはもう一度足を前に進めた。

だが、津波の先端はもうすぐそこまで迫っていた。破壊音が轟き、建物の残骸が水に飲み込まれていく。時間は完全に尽きようとしていた。空気そのものが湿り気を帯び、背後から迫る圧倒的な力がユウトの体を押し付けるように感じられた。


2055年11月3日 16時54分

街全体が混乱と絶望に包まれていた。人々は叫び声を上げながら四方八方に逃げ出し、車のクラクションやサイレンの音が混じり合う。誰もが恐怖に背を向け、ただ必死に走っていた。その光景は混沌そのもので、辺りは破滅の予感に満ちていた。

レムは素早く状況を判断すると、小さな体でユウトの手をしっかりと引いた。その力強さにユウトは驚きながらも、無意識に足を動かし始める。海岸線とは反対の安全な方向へ向かうように、レムは一切の迷いもなく進み続けていた。

「レム、どこに行くの?」

ユウトは震える声で問いかけたが、レムは答えることはできない。ただ金属の手でユウトの裾を強く引き、前へ進むよう促す。その小さな体からは、言葉以上の緊迫感が伝わってくるようだった。

しかし、その矢先だった。地面が震え、遠くから低く重い轟音が響き渡る。ユウトは思わず足を止め、その音の方向へ振り返った。

そこで目にしたのは、地平線の向こうから迫りくる巨大な波だった。それはまるで暗黒の壁のように街を覆い尽くし、空さえも遮るかのようだった。津波は怒り狂うような勢いで海岸線を越え、すべてを飲み込んでいる。ビルは次々に崩れ落ち、街全体が波に呑まれていく様子がはっきりと見えた。

「嘘だろ…!」

ユウトはその場で立ち尽くし、体が凍りついたように動けなくなった。恐怖が全身を支配し、声すら震える。

「レム…どうすれば…!」

ユウトの声は震え、足がすくんで動けない。だが、レムは彼を見上げ、裾を力強く引っ張った。その行動には言葉を超えた必死さが込められていた。ユウトはその小さな友人の全力の意思を感じ取り、恐怖を押し殺して一歩を踏み出した。

「わかったよ!」

ユウトは息を切らしながら走り出した。だが、津波の先端はすでに街の中に到達していた。轟音がさらに大きくなり、空気が湿り気を帯び、重く感じられる。振り返る余裕もなく、背後から押し寄せる波の圧力が、まるで目前に迫る死を告げているかのようだった。

レムはユウトの隣を必死に走り続けた。その小さな体が彼のペースに合わせ、何度もユウトの注意を引きながら進ませる。だが、地面は揺れ、周囲は瓦礫と人々の悲鳴で満ちている。逃げる時間は刻一刻と失われていた。

そして、ついに津波が二人の背後まで迫った。冷たく重い水の音がすぐそこまで聞こえ、轟音が全身を包み込む。ユウトは振り返る間もなく、突き刺すような恐怖に駆られながら走り続けた。

しかし、波の先端がすぐに彼らを飲み込んだ。ユウトは強い衝撃とともに体が宙を舞い、水の中に叩きつけられる。レムの小さな体もまた、波の中に消えた。視界は一瞬で暗転し、音も感覚もすべてが水の中に吸い込まれる。

冷たく激しい水の勢いが二人を容赦なく翻弄し、上下さえ分からなくなった。ユウトは必死にもがくが、手足は力を失い、意識が遠のいていく。レムの姿を探そうとするが、激流の中で何も見えない。ただ、水の渦が彼らを無情に引き込んでいった。


2055年11月3日 17時10分

街が完全に沈黙した後、すべてが静まり返った。辺り一面を覆うのは、津波がもたらした破壊の跡だった。建物は基礎から引き剥がされ、瓦礫の山となり、かつての街並みを想像させるものは何一つ残されていなかった。だが、その様子にはどこか奇妙さが混じっていた。

津波の到来から水が引くまで、わずか15分程度しか経っていないにもかかわらず、街全体は壊滅的な状況になっていた。水の到来スピードは異常に速く、通常では考えられないような力で街を襲った。その圧倒的な勢いに、街の防波堤や堤防はほとんど機能する暇もなく飲み込まれていた。それだけでなく、水が引いていくスピードもまた異様に速かった。まるで何か巨大な力によって操作されているかのようだった。

引き潮が異常に早かったため、街には泥や漂流物が不自然に積み重なり、ところどころに深い亀裂が残っていた。水が引き際に作り出した渦によって、建物や車が地面ごとえぐり取られた跡も見て取れた。その光景は自然災害の範疇を超えており、何か別の力が働いているのではないかという不安を感じさせるものだった。

冷たく湿った空気の中には、鉄と潮が混じった独特の臭いが漂っている。破壊された建物から時折、風に吹かれて窓ガラスの破片がきしむ音が響くだけで、人の声や動物の鳴き声はどこにも聞こえなかった。かつて賑わいを見せていた街は、まるで生命そのものが抜き取られてしまったかのようだった。

その中で、レムは倒れたまま、静かに横たわっていた。彼の小さな体には、濡れた泥や瓦礫が無造作に覆いかぶさり、動く気配すらなかった。その傍らには、ユウトの姿も見当たらず、かすかな望みすら絶たれているようだった。しかし、レムの内部システムは完全に停止していなかった。微弱なエネルギーが辛うじて流れ続け、記憶装置が今起こった惨劇をすべて記録していた。

『諦めちゃダメだ…』

その思いが、レムの中でかすかに灯り続けた。膨大なデータが記録される中、その一つの感覚だけが彼を駆り立てるようにシステムの奥底で燃え上がっていた。

その瞬間、レムの体が微かに発光し始めた。金属の表面を伝う光は、まるで暗闇の中に差し込む希望のようだった。夕焼けの色とは対照的に、彼の金属の体は徐々に鮮やかな緋色の光を放ち、その光は周囲の瓦礫の影をぼんやりと浮かび上がらせた。光はやがて強さを増し、壊滅した街の中で唯一の輝きを見せた。

光が強まるにつれ、レムの意識が静かに遠のいていく。

最後の一筋の光が消え去ると同時に、レムは完全に意識を失い、静寂が広がった。

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