45 期待と栄光への一歩

「カミヤさんの出現によって、予定より大分早まってしまいましたが……ついにここまで来ましたな」


 坑道付近に作られた集落にて、グラナルがそう呟く。


 集落に作られた建物の中に集まったのは、ケンジ、カミケン、グラナル、そしてフィーナ。


 四人の囲むテーブルの上に広げられた地図には、現在の神字が影響している支配圏が大雑把に記されている。


 確認すると、アグリム・ドゥガルの洞窟の手前まで結界が及んでいた。


「あとはこの洞窟に神字を刻むことが出来れば……」

「瘴気を完全にシャットアウトできる。……その上でアグリム・ドゥガルを討伐し、瘴気の根元を断つ!」


 レデニアにとっては三年越しでやってきた、宿敵へ一矢報いるチャンス。


 これまで八人のストライダーがレデニアにやってきたが、ここまで順調にことが進んだことはなかった。


 この機会を逃す手はない。


「こちらが、アグリム・ドゥガルの洞窟の簡単な地図になります。三年前に中に入った人間の情報になりますので、今は内部が変わっている可能性はありますが……」


 フィーナが取り出したのは、洞窟に入ったことのある人間から証言を取り、それを元に作成された洞窟の地図。


 幾つか分かれ道が存在しており、最奥に少し開けた空間がある。


 パッと見ではかなり単純な構造ではあるが、アグリム・ドゥガルが現れてから数年経過している。その間、極間近で瘴気を浴びていた洞窟の構造が変化している可能性は大いにありえる。


「証言では、この最奥の広間にアグリム・ドゥガルがいるということです。入り口から最奥までそれほど距離はありませんが……気になる情報を得ています」

「気になる情報、とは?」

「セルリナの外交官から聞いた話なのですが……」


 以前、セルリナから外交官がやって来た時、正教の実働部隊で起こった不思議な話を聞いた。


 それによれば北方へ遠征に向かっていた正教の実働部隊に編成されていた『神殺しの英雄』が呪いによって生ける屍となり、瘴気のある地域に潜んでいるとかなんとか。


「洞窟の入口に至るまでケンジさんもカミヤさんも、そういった存在に出会ってはいないとお聞きしています。となると、この洞窟に潜んでいる可能性が高いと思います」


 既に魔物と同じような存在になってしまった神殺しの英雄。瘴気のない場所では激しい苦しみを味わうと言うが、逆に瘴気の濃い場所はさぞ過ごしやすい環境だろう。


 快適な住環境を求めるなら、アグリム・ドゥガルの洞窟ほど住みやすい場所はないはずだ。


「最後の最後に手ごわい中ボスってところだね」

「まぁ、俺たちが力を合わせれば、大した障害じゃないよ」


 その神殺しの英雄とやらがどれだけ強かろうと、ケンジとカミケンの最終目的はアグリム・ドゥガルである。


 かの邪竜を倒す道のりに立ちはだかる壁があるのだとしたら、それらを全て乗り越えなければならない。


 たとえ神殺しの英雄であろうと、邪魔するのならば打ち倒すだけだ。


「心強いですな。レデニアの未来、頼みますぞ、ストライダー殿」


 ケンジとカミケンの言葉に、グラナルも満足げに頷く。


 きっとこの二人ならばレデニアに平和を取り戻してくれるのだろう。


 誰もがそう信じていた。



****



 四人が建物の外に出ると、広場でちょっとした人だかりが出来ていた。


 人だかりの面々を見ると、どうやらレデニアの職人連中と魔術師協会の連中である。


「あ! ストライダーが出てきたぞ!」

「囲め囲め!」

「わ、わ、なんですか!?」


 急に男共に群がられてしまったケンジ。


 見覚えのある連中しかいないのだが、何か悪いことをしてしまっただろうか?


 そんな風にケンジが怯えていると、むさくるしい連中に紛れていたエニとレンツが細長い荷物を持ってケンジの前に立つ。


「ほら、お姉ちゃん、足元危ないから気をつけて」

「うん、平気ぃ。ありがとう、エニ」

「エニ、レンツさん、どうしたんですか、こんな遠いところまで!?」


 レンツは目が悪い。


 自宅ですら足取りが覚束ないのに、レデニアからかなり離れたこの坑道までやってくるのは、彼女にとってとてつもない運動であっただろう。


 しかし、それでもレンツはここへ来た。


「姉がどうしてもって聞かなくて……」

「ウチの手ぇから渡したかったんですぅ。……この剣、あなたの相棒となりましょう」


 そう言って包んでいた布を取り払うと、鞘に収まった一振りの剣があった。


「これ……まさか」

「そうですぅ、フツ・レンツィスが出来上がったんですぅ」


 レンツから剣を受け取り、ケンジは鞘から刀身を抜き放つ。


 陽光を照り返す美しい輝き。その新品の剣の腹には古代文字が刻まれてあった。


「その文字は、魔術師さんたちが考案した魔術を宿しています。彫ったのは町の職人さんたちなんですよ」

「みんなが……」


 エニから説明を受け、ケンジは周りにいた職人たち、魔術師たちを見回す。


「俺たちはストライダーに助けられっぱなしだからな。これぐらいはやらねぇと、罰が当たっちまうぜ」

「我々も、あなたのお陰でレデニアン・グリムを研究できている身です。これぐらいのことはお安い御用ですよ」


「ケッ、テメェら魔術師は、好き放題に魔術を詰め込もうとしてたじゃねぇか! 俺らが『そんなに文字は突っ込めねぇ』っつってんのによ!」

「ふん、あなた方こそ、自分たちの未熟さを棚に上げて、アレは出来ないこれは出来ないと七面倒くさいことを言っていたではないですか」


 ここまで来てケンカを始めそうになる職人たちと魔術師たち。


 だが、それでも彼らが協力してこの剣を作り上げたのは間違いない。


 睨み合う職人と魔術師を割って、エニが一歩前に出た。


「もちろん、研ぎは私が行いました。この上ない仕上がりになったと思います」

「ありがとう……ありがとう、みんな」


 ケンジが持つ剣の重さが、ズシっと増した気がした。


 この剣は単なる剣などではなく、レデニアの復興の証であり、町のみんながかける希望なのである。


 これを託されたと言うことは、それだけ責任重大であると言うことだ。


 だが、その重圧も心地よい緊張感となる。


 この期待を裏切ってはいけない。ケンジはそう心に誓った。


「皆さん、ボクたちはきっと、アグリム・ドゥガルを討伐してみせますから!」

「おぅ! 頼んだぜ、俺たちのストライダー!」

「頼みましたよ、我らの安寧たる研究の日々を守るため」


「そして、私たち――」

「――ウチらの町を救うために」


 町のみんなの期待と希望を胸に、ケンジは改めてアグリム・ドゥガルの討伐を決意するのであった。




 そんな様子を遠巻きに見つつ、カミケンは小さく笑う。


「羨ましいな。粕谷はこっちの世界で、あれほどの人望を得られたんだ」

「……それはカミヤさんも得られる可能性のあったものですわ」


 独り言を呟いていると、それを聞いたフィーナが隣で笑った。


「フィーナさん……それはどうでしょう。俺には粕谷ほど上手く出来たか、ちょっと自信はありません」

「もし、ケンジさんの代わりにあなたが先に町へ来ていたなら、もしかしたらあそこで囲まれていたのはあなたかもしれません。私はその可能性も充分あったと思います」

「そうだったら良いですね」


 たらればを話していても仕方ないが、カミケンは自分のことをそれほど信じられる性格ではない。


 もし、カミケンが先にレデニアを訪れていたなら、今のこの状況を作り上げられていただろうか? アグリム・ドゥガルに肉薄することなど、可能だっただろうか?


 自己評価の低い男は、心配げに俯く。


「正直、俺は怖いですよ。粕谷にこれだけ負担をかけて、一人でぬくぬくと成長してきたのに、もしアグリム・ドゥガルを倒せなかったら……」

「ご自分が信じられませんか?」


「出来るだけのことはやります。でも……」

「私は信じていますよ。あなたのことも、ケンジさんのことも」


 フィーナはカミケンの手を取り、彼の前に立つ。


 視線を合わせ、真っ直ぐに見据えるフィーナの瞳は強い光を宿していた。


「私たちのストライダー様は、きっとあの邪竜を討ち、レデニアに平和を取り戻してくださいます。……それとも、カミヤさんは私を疑いますか?」

「それは……」


「ふふ、もっと周りの人間を信用してください。私やレデニアの人間だけでなく、ケンジさんやエスト様のことも」

「粕谷やエスト様……」


 カミケンを信じてくれるレデニアの人々、カミケンと共に戦ってくれるケンジ、そしてカミケンを育ててくれたエスト。


 カミケンが自分を信用しないと言うことは、カミケンを信じた彼らを信用しないと言うことにも繋がる。


 それはあまりに不義理だ。


「わかりました。俺も少しは自分のことを信じてみます」

「はい、そうしてください。そして、また帰ってきてくださいね、レデニアへ」

「はい、必ず!」


 良い顔になったカミケンを見て、フィーナも満足そうに頷く。




 こうして準備は全て整い、アグリム・ドゥガル討伐に向けて、最後の戦いが始まろうとしていた。



****



 翌日。


 坑道の集落で、ケンジとカミケンの二人は、集まったレデニアの人々に見送られていた。


「頼んだぞ、ストライダー!」

「レデニアを救ってくだされ!」

「我らに勝利を!」


 口々に応援の言葉を投げかけてくるレデニアの人々。


 それを受け、二人のストライダーは覚悟を決める。


「さぁ、行こうか、粕谷」

「ああ」


 顔を見合わせ、頷きあう。


 これから向かうのは最後の決戦の地、邪竜の棲み処。


 そこは死地になってしまうのか、否か。


 山へ一歩踏み出した後、ケンジはチラリと後ろを窺ってしまう。


「どうした、粕谷?」

「いや、なんでもない」


 これで最後になるかもしれないと言うのに、マリナの姿が見られなかったのが心残りであった。

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