32 秘密の言葉、オープンセサミ

 鍛冶の神事が終わった後、町は静かなものだった。


 町で行う行事などはほとんど終わってしまい、越冬の準備も整った頃である。


「何故、フツ・レンツィスはボクの手元にないのか」

「仕方ないでしょ、魔術師たちの恰好の的になったんだから」


 不貞腐れるケンジに対して、マリナはいつもどおりの調子だ。


 二人は町の中を歩きながら、世間話をしていた。


 ケンジが不貞腐れているのは、フツ・レンツィスが未だ手元にないからである。


 神事の際に出来上がった剣、フツ・レンツィスは、一通りの工程も終わり完成したはずだったのだが、それは魔術師たちが持っていってしまったのだ。


 最初は中に宿っている魔力の調査と言う名目であったが、次第にその内容は変わっていく。


 あの剣は魔術師たちの研究対象になってしまったのだ。


 何せ、魔力を宿した剣などかなり珍しい代物だ。現在でもエンチャント等で後発的に魔力を宿すことは出来ても、元々魔力を宿した鉄を加工した剣など、そうそう存在しはしない。


 この剣に宿った魔力はどう利用できるのか、どうしたら発揮されるのか、どのように発揮されるのか、様々な疑問が魔術師の好奇心を煽ってしまったわけだ。


 結局、そのほとぼりが冷めるまではケンジの手元には戻ってこない雰囲気になってしまったのである。


「まぁ、ボクの剣はまだあるから良いんだけどさ」


 ケンジは腰に帯びた剣の柄に触れた。


 こちらに来てすぐに渡された剣は、もうケンジの手に馴染んでいる。


 何度かの戦闘も経験し、相棒と呼べるほど愛着も湧いている。


 今のところはこの剣があれば何かと事足りている。フツ・レンツィスがなくとも問題ないだろう。


 だが、もらえるはずのものを別の人間が好き勝手に扱っていると言うのは、あんまり良い気はしない。


 気落ちしているケンジに対し、マリナは適当に励ますように声をかける。


「まぁでも、魔術師だっておもちゃにしてるわけじゃないし、よりよくなって帰ってくるって約束してるんでしょ?」

「そうなんだけどさ」


 魔術師たちはフツ・レンツィスの更なる性能向上を目指して研究をしているらしい。それを考えれば不平をたれてばかりもいられないだろう。


 何せ、これから春が来るまで、ストライダーとしての仕事はほとんどなくなってしまうのだ。


 山に雪が積もってしまうと行軍も難しくなるし、そうなるとアグリム・ドゥガルへの道のりを切り拓くのも難易度があがる。


 そのため、次に神字を刻むのは次の春、雪が解ける時期を目処にしている。


 つまりはそれまで仕事なしである。


 名目上だけでもストライダーの仕事を助けるため、ひいては町の助けになるために行動を起こしている魔術師たちをクサするだけでは、ろくでなし街道まっしぐらであろう。


 そんなことを考えている間に、先を歩いていたマリナが足を止める。


「さぁ、着いたわよ」

「ここには何度か来たことあるけど、まともに中に入るのは初めてだなぁ」


 ケンジがマリナに連れて来られたのは魔術師協会の支部であった。


「もう一度確認するけど、アンタは古代語の意味をちゃんと理解出来るのよね?」

「えっと……多分ね」


 全く無自覚だったのだが、ケンジは魔術に使われている古代語の意味をほぼ確実に理解することが出来ていた。これは最初にエストから貰ったブレイヴに宿っていたもののお陰だと思われる。


 あのブレイヴによってケンジはこの世界で使われている言語の意味を理解できるようになったが、その副産物として古代語の意味も理解できるようになったらしい。


 その証拠に、この世界の魔術師が魔術を使う際の呪文を、普通の言語のように理解することが出来ている。


「ボクは魔術の呪文も現代語だと思ってたよ。それがまさか古代語だったなんて……」

「私としては、アンタがそう思ってたのが信じられないわ。いつも使ってる言葉とは全然違うじゃない」


 魔術を使っているマリナとしては、その言葉は全く違う言葉だったのだ。


 そしてその言葉こそが遥か過去にこの世界で使われていた古代語である。


「東におわす風の竜よ。――今のが普通の言葉に聞こえてるなんて、ストライダーってのはホントに変わってるわ」

「めっちゃ普通に聞こえてるもん。ボクがおかしいわけじゃない」


「私はてっきり、レデニアン・グリムの写本を作った時にでも、ヨネスから教えてもらったんだと思ったんだけど」

「写本を作る時には最低限の読み書きぐらいだったかなぁ」


「まぁ、そんな事ぁどうでも良いのよ。今大事なのは、アンタが古代語の意味を理解できるってところ」


 マリナはケンジをぐいぐい引っ張り、支部の奥へと連れ込む。


 支部はエントランスを過ぎるとほとんど全てが研究スペースになっており、そこかしこで魔術師が自分の研究に没頭していた。


 その横をマリナとケンジが通り過ぎても、ほとんど目もくれない。


「魔術師が研究熱心ってのは本当だったんだなぁ」

「自分のことにしか興味ないのよ。それはそれでありがたいけどね」


 二人をガン無視する魔術師たちを通り抜けて、やって来たのは研究スペースの最奥。


 そこは今も数人の魔術師が研究を続けているレデニアン・グリムの間であった。


 レデニアン・グリムの写本が幾つか展示されており、それを予約制で順繰りに解放しているのである。


 すぐにレデニアに移住してきた魔術師などは既に穴が開くほど読んだ、と言わんばかりで、最早この部屋には見向きもしないので、予約を取ること自体はそれほど難しくはない。


「今は下っ端も下っ端の魔術師しかいないけど、それはそれで好都合よ」

「レデニアン・グリムは、都合上ボクも読んだけど、今さら何があるってのさ?」

「ふふふ、ここなら怪しまれないでしょう」


 周りを確認したマリナは、懐から一冊の分厚い本を取り出した。


 それはケンジも見覚えのある装丁の本である。


「そ、それ、原本……!?」

「声が大きいわよ! 誰かに聞かれたらどうするの!」


「だって、マリナ……」

「これぐらい、市長の娘なんだから、当然の権利よ」


 なんと、マリナはレデニアン・グリムを盗み出していたのである。


 その盗難劇には、実はフィーナがかなり手を貸しているのだが、それはまた別の話。


「あんまり長い時間。持ち出しているとすぐにバレちゃうから、さっさと済ませるわよ」

「な、何をさ?」

「アンタに意味を理解してもらいたい一文があるの」


 マリナはすぐにレデニアン・グリムを開き、目的のページを指差す。


 そこは写本には写されていない部分。マリナがこの文章の事を知っていると言うことは、前々から彼女はレデニアン・グリムの原本を盗み見していたと言うことになる。


「君は本当に悪いことばかりするな」

「バレなきゃ平気よ。それより、ここ」


 マリナの指差した部分の文章は、確かに古代語である。


 使われている文字が既に現在のものとは大きく変形しており、現代語の読み書きしか出来ないケンジには、それを読む事すら出来なかった。


「ボクには読めないんだけど」

「私が読むから、アンタは意味だけ理解しなさい。いい? いくわよ」


 そう言って、マリナは静かな声音でその文章を読む。


「私の半分はこの本に、もう半分は遥か地下に。その結晶たる我が片腕をそこに」

「私の半分……? その結晶?」


「意味がわかったのね!? よし、それじゃあすぐにずらかるわよ!」

「ずらかるって……本気で小悪党だな」


 周りを気にしつつ、そそくさと部屋を退散するマリナに続いて、ケンジも外へ出た。



****



 その後、庁舎に戻ってレデニアン・グリムを返却した後、二人は町の広場にやってきていた。


 既に昼を過ぎているこの時間では露店もなく、道行く人々は寒くなってきた風から逃げるように通り過ぎるばかり。


 ここで立ち止まって二人の話を立ち聞きするような人間はいないだろう。


「なるほど、あの文章はそういう意味だったのね」

「あれはなんだったのさ?」


 ケンジが理解した意味を聞いたマリナは、しきりに頷く。


 どういうことだかいまいち理解し切れていないケンジは首を傾げるばかりである。


「あのページには何が書いてあったの?」

「ふふん……それはまだ秘密よ。これから私はあのページに書いてあったことを確かめに行かなきゃならないんだから」


「……危ないことはするなよ?」

「平気よ。私を誰だと思ってるの? 天才魔術師のマリナ様よ?」


「そういう増長した態度が危険だ、って言ってんの」

「ちょっとした冗談じゃない。私だって引き際くらい弁えてるわ。……だから、そんな怖い顔しないでよ」


 ちょっとたじろぐマリナ。


 ケンジとしては本気でマリナのことを心配しているのである。


 夏の頃、北の森に入った時にも不用意に離れ離れになって魔物に連れ去られる事態になった。もう、あんなことはごめんだ。


「出来れば、その確認とやらにボクも連れて行って欲しいぐらいだけど」

「アンタはこれから、自警団の詰め所で訓練でしょ? その間にチャチャッと終わらせるつもりなんだから、そんな時間はないわよ」


「日を改めるぐらい出来るでしょ」

「誰かに先を越されたらどうするのよ」


「んなワケないだろ。公開されてないレデニアン・グリムの一節を確かめるのに誰が抜け駆けするってのさ?」

「あー、うるさいうるさい。もう決めたの!」


 座っていたベンチから勢い良く立ち上がったマリナ。


 その意思は固いらしく、どうしても今日、これからすぐに確かめに行くつもりらしい。


「誰がなんと言おうと、私は行くからね!」

「マリナ!」


 頑固な態度のマリナに対して、ケンジも大声を出してしまう。


 これだけ心配して言っているのに、どうしてわかってくれないのか。


 その気持ちがだんだん裏返り、苛立ちに変わってしまった。


「な、なによ! 大声出すことないじゃない!」

「ボクは君が心配で……ッ!」


「そんなの必要ないって言ってるでしょ! もし危なそうだったらちゃんとすぐに帰ってくるし、戻ってきたらちゃんと報告もするし!」

「そういう話じゃなくて……」

「どうしてわかってくれないのよ、私は……」


 二人の口論がヒートアップしそうになったその時。


 視界の端をチラリと白い何かが通り過ぎた。


「……なに?」

「雪……?」


 見上げると、曇天から白い雪が舞い落ちてきていた。


 最近は特に冷えると思っていたのだが、もう既に冬にどっぷり入り込んでいたのだ。


 ハラハラと降って来る雪を見て、二人は白い息をほぅと吐き出す。


「一旦落ち着こう」

「そうね」


 冷静にならねばならない。


 お互いに激情のまま気持ちをぶつけていてもわかりあうことなんて出来ない。


「マリナ、確認するけど、本当に危ないことはしないんだね?」

「何度もそう言ってる。ケンジが心配してくれるのはありがたいけど……私だって、何かアンタの役に立ちたいのよ」


 不意打ちでマリナの本心をぶつけられた。


 その言葉はケンジにとっては嬉しいという以上に、予想外すぎた。


「なに言ってるのさ。マリナにはいつも助けられてるよ」

「でも、私はあの時の借りをまだ返せてない」


「あの時……?」

「私が、あの犬のバケモノに攫われた時」


 それはケンジがレデニアに来て間もなくの頃。


 レデニアのすぐ近くにまで瘴気が迫り、とうとう壁を越えて瘴気が町の中にまで入ってきた時のことだ。


 マリナはコボルドに攫われ、ケンジはそれを助け出した。


「マリナはあれを借りだなんて思ってるの?」

「そうよ、悪い?」


「……ボクはさ。これでも一応、救世主として呼ばれたんだよ? マリナを一人助けるぐらいなんてことない。なんなら、それが仕事なんだから」

「わかってるわよ。でも、私はアンタに命を救われたの。……それ以上に――」


「ん? なに?」

「な、なんでもない!」


 言葉を濁し、マリナはプイとそっぽを向いた。


 なんて言ったのか、聞き出すのは無理そうである。


「とにかく、私はちゃんとアンタに借りを返したいの。そのために、今回はちょっと偵察するだけ。本気でアンタの力が必要なら、ちゃんと相談する」


 マリナの瞳には強い意志が感じられる。


 これを折るのは最早不可能だろう。


「はぁ……わかったよ。でも、絶対に危ないことはしないでよ?」

「わかってる。それは約束する」


 マリナが何を『確かめ』ようとしているのかはわからないが、これ以上止めても無駄だろう。


 彼女も本当に危険なことならばしっかり誰かに相談するはずだ。それをしないと言うのなら、その程度のことである……と、言うことにしておこう。


 今はマリナのことを信じるしかない。


「吉報を待ってなさい、ケンジ」

「ああ、期待し過ぎない程度にね」

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