エージェント・チキンチック!!

織星伊吹

◆episode1.フライドチキンが死ねば、俺だってきっと死ぬだろう。

プロローグ

 小さな体躯を屈み込ませ、少女は掌底を顎に打つ。


 何かが引きちぎれる音と共に、宙に投げ出された警備員の光のない瞳がじっと青年を睨んだ。


 目の前で乱暴に首がぶっ飛んだ警備員の光景に、青年は全身が石のように凍り付く。


 青年は他人に暴力を振るうことができない。“臆病者”というレッテルを貼られてしまうのは仕方のないことだった。


 彼のコードネームが、『CHICKEN(チキン)』となってしまったのは、そのせいだろう。最近では「このチキン野郎」、とバカにされるのも耳はだいぶ慣れてきた。


「……PASSER(パッセル)、少しやり過ぎだぞ。もう少しそのバカ力をセーブしてくれ」

「えぇ~、なんでよ! このほうがデキる女っぽい」


 チキンの胸ほどの身長しかない黒スーツに身を包んだ少女は、先ほど一人の警備員の命を指先ほどの力で軽く摘んでしまった。その結果、彼は簡単に壊れた。


「ほれ見ろ、チキン野郎がビビって腰を抜かしてやがる、チビッちまったか? ガッハッハ」


 尻込みするチキンを一瞥し、パッセルとは対照的に大柄な男、OWL(オウル)が大声で笑う。


「そんなこと言われてもさー、それってあたしの存在全否定なんですけど! あたしのあいぜんてぃてぃがなくなっちゃうじゃない!」

「……アイデンティティだ」


 そうツッコミを入れたのは、コードネームCROW(クロウ)だ。


「どっちでもいいのよ、そんなものは! だからね、ぎゃくせつてきに考えて、あたしはこう言いたいの…………うん、……えっとね……うーんと……」

「ガッハッハ、あんまり子供が難しい言葉を使うもんじゃあねえぜ、ほれ、さっさと血を片付けよう。パッセルは首のほうな」


 オウルは黒いスーツの胸ポケットから白いチーフを摘まみ、床に飛び散った鮮血を拭き取りながら、死体の首へ被せてきつく結んだ。


「いいか、殺傷は最小限だ。それも一瞬だ。見られた場合はしょうがねえが、奇襲の場合はあんま血は流させずに静かにやってくれ。ド派手なのはパラディッド映画だけで十分だ。まったく、若いヤツは血の気が多くて怖いねえ」


 オウルは後退し始めた髪を掻き乱しながら、にやりと微笑を浮かべる。


「おう、チキン。大丈夫か? 顔色があまりよくねえな。やっぱりまだダメなのか」


 チキンは唇の端を引き締め、深呼吸をしてから、


「俺の顔色が悪いだって? 笑えない冗談は野良猫にでもくれてやれ。なんなら知り合いのピザ屋の野良猫野郎を紹介するぜ」

「……通常運転だな、なら大丈夫そうだ。オーケイ、ポンコツコンビとKUJAKU(クジャク)は左側の扉から。それ以外は右側の扉からだ」

「ポンコツコンビじゃないです、いい加減からかうのはやめてくださいオウル先輩。チキン先輩はポンコツですけど、わたしはどこからどー見ても生粋のエージェントじゃないですか」


 ミディアムの黒髪ポニーテールを靡かせながら、コードネームCHICK(チック)を持つ可憐な少女はむすっと頬を膨らませる。


「クレイジーだぜ、お前が生粋のエージェントだ? おい、このイカレ女。もういっぺん言ってみな、お前の慎ましやかなその胸が蜂の巣になる五秒前だぜ」

「はあ、慎ましやかと言いましたか、チ・キ・ン先輩。言っておきますけど私のバストは八四です。巨乳とまではいきませんが、スレンダーなわりにほどよく突き出てます。なんですか触りたいんですか? 正直気色悪くて背筋が凍りますよ、残飯を探し求めてる野良犬に視姦されてる気分です。あなたのせいで私の胸が萎んだらどうする気です?」

「ハッ、お前の胸に興味があるって? この俺が? くそったれ女! 残飯探し求めてる野良犬野郎のケツにキスした方が断然マシだぜ」


 チキンは噛みついてくるチックと正面から罵倒を投げつけ合いつつ、懐から取りだした超小型時限爆弾を壁面へ設置する。


 ――確かここはポイントRの地点で問題なかったはずだ。


 今回のミッションの到達地点を目前にしながら、秘密結社BIRD(バード)のポンコツコンビがいつものように罵詈雑言のデッドヒートを繰り広げる。


 見飽きた光景に溜息をつくメンバーは、揃って一人の人物へ視線を走らせる。


「いやはや、とてもいいコンビだよ、君たちは」


 メンバーの思いを汲んでチキンとチックの間に割って入ったクジャクは、驚異的なまでに整った美形を眩しいくらいの笑みで埋め尽くして、口げんかの仲裁を引き受けた。


「うわっ、寄るな変態野郎が」

「セクハラ行為です、クジャク先輩」


 チキンとチックは、顔を蒼白させてクジャクから距離を取った。


「ハハハ、是非とも今度三人で乱交パーティーでも開催しようじゃないか」


 世界の男女が憧れ、恋い焦がれるような顔を持つ色男は、ウェーブがかったライトブラウンの髪を撫でつけながら、その身分を持つ者が絶対に口にしてはならない言葉を喋った。


「ほれほれ、もう終わりにしよう。お前ら自分らが世界にどれだけ影響を与えるミッションに従事してるか本当にわかってるか? パーティーは無事任務完了後に取っておけよ」


 オウルが手をぱんぱんと叩き注目を集め、メンバーの焦点を目の前へ集める。


 正面には三つの大きさの異なった扉がある。真ん中の大きな扉はおそらく薬剤や開発品の搬入口として使われているのだろう。すると、左右の扉がここで働く科学者などが使用するものになる。大きな扉の対面側には長い廊下だけがある。チキンたちは廊下の壁に張り付いて後方に視線を散らす。


 この“超人類保護研究所(ネオ・ヒューマンラボラトリー)”の地下シェルターへ潜入を開始してから、既に一時間が経過している。


 チキンを含んだ秘密結社バードのエージェント六人は、とある男の計画を阻止するべく、また『擬人類(デミ・ヒューマン)』と呼ばれる人物の身柄を確保するため、結社のボスからの重要ミッションを遂行中であった。


 ――ここに来るまでに十六個ほど、超小型爆弾を設置した。これで半壊くらいだろうな。


「……まずは私が行く。扉のロックを解除したら無線で連絡する」


 クロウは黒のスーツの上に白い白衣を着込んで、研究所の科学者に成りすました。

 首に下げた従業員証を揺らしながら、IDとパスワードを入力し、研究所の第六セキュリティを通過した。

 残ったメンバーは左右の扉に散ってクロウの合図を待つ。


《オーケーだ。搬入口から堂々と入ってきて構わない》


 クロウからの無線をキャッチして、長い廊下に視線を送ってから、飛び込むように超人類研究所、第六区への侵入を果たした。


 広大な広さを持った研究所内部は、数々の機密設備が駆動音を響かせながらその存在を主張させていた。


「クロウ先輩は……?」


 チックがいぶかしげな表情で周囲を見渡す。


「どっかの宿舎でジャポンの萌えアニメの再放送にでも見入ってるんじゃないのか。ほっときゃ帰ってくるだろ、あのオタク野郎」

「……チキン先輩も似たようなものじゃないですか」

「俺があのオタク野郎とおなじってか!? 面白いジョークを言うようになりやがったな、チック。オーケイわかった、じゃあこうしよう。俺も今まで大人げなかった。四つ年上だってことに免じて今のは聞かなかったことにしておいてやる。俺もお前も何も聞いてないし、喋ってない。そうだろ?」


 チキンはチックに指を指しながら頭を震わせる。


「……疲れるんですよね、その変な口調を毎日聞き続けてるこちらの身にもなってください」


 チックはふうと溜息をついて辺りを見渡した。


「おいポンコツコンビ、夫婦漫才もいいがそろそろミッションに集中してくれな。お前らの家の布団が吹っ飛んじまっても知らねえぞ」

「…………」


 チキンとチックは冷たい視線をオウルへと向けた。


「ガッハッハ、今どきの若人の視線はときに冷てえよ。なっ、クジャク」

「……巻き込まないでくれないか」


 メンバーは研究所内を詮索した。しかしいくら探してもクロウの姿は見えなかった。


「クロウってば、どこいったんだろうねーもしかして……裏切った?」とパッセルが陽気な声を上げたそのときだった。


 上空から何かが振ってきた。もの凄い速さで急落下してきた物質は、研究所内の設備機器を派手にぶっ飛ばした。


 その正体は、凡そ人間の形状を保つことを諦めたような、怪異的な容姿を持った人間の姿形を真似た生き物“擬人類”だった。


 擬人類の少女は、無表情に色の失せた瞳を自らのか細い手へ一瞥。

 途端、突如として柱ほどに太くなる肉塊のような腕をしならせて、一番近くのチキンへと矛先伸ばす。


「おいおい、冗談だろ?」


 半分笑いながらチキンは、胸元の漆黒のネクタイを止めている銀色のピンを外した。

 すると黒ネクタイはチキンに従順な蛇のように宙を曲がりくねり、遂にはピンと直立した。


『タイロープブレード』。特殊な繊維でできた伸縮自在、硬化も軟化も可能なエージェントたちの必需品である万能ネクタイである。


 所有者の意思で変形自在、硬化させれば刀剣として使えるし、軟化させてロープやムチのようにも使用することができる。


「ああ、チクショウ、これだから肉屋は嫌なんだ。生肉なんてグロテスク以外の何ものでもないじゃないか。あんなもん店に並べるなんて、ナンセンスもいいところだ。いいか、俺は悪くないぜ、正当防衛ってヤツだろ?」


 チキンは産まれ持った饒舌さで、皮肉を言いつつ、手に持ったタイロープブレードで向かってくる肉塊を縦に一刀両断。


 二つにスライスされた肉の波を何と名付けたらいいだろうか。チキンはそんなことを考えていると、擬人類の少女が、張り裂けるような悲鳴を研究所に轟かせた。


「ヒステリックな女はこりごりだ」


 チキンは両耳を塞いで、擬人類の少女の咆哮をやり過ごす。

 少女の裂けた肉塊は、やがて一纏めになってか細い少女の白い腕へ変形していった。

 そこへ革靴の音を高鳴らせて、一人の男がエージェントたちの前に姿を表した。


「……やあ、エージェントの諸君」

 白い白衣を纏った男は、二階からチキンたちを見下ろす形で、一つ結びの黒髪を靡かせる。

「できれば死んでくれるとありがたい」


 男の不気味な笑みにチキンは見覚えがあった。


「やっと本性を出したってわけだな、このマッドサイエンティスト野郎」

 チキンが二階へ視線を注目させたとき、すぐ近くでなにかが倒れる音が耳に入った。

「……おい」


 メンバーも表情を強張らせたまま、地面へ倒れ込んだ人物を凝視した。


「なにふざけてやがんだ、さっさと起きろ」


 チキンが倒れた人物の腕を引く……が、

 血がどくどくとワインボトルから注がれるように、傷口から溢れ出てきて止まらない。

 突然の出来事に驚いたチキンはスーツが血塗れになるのも厭わずに、傷口を押さえた。


「…………お、おい……う、嘘だろ……死んでる……じゃねえか」


 不気味な笑みの男の言葉が、まるで呪詛のように起こりえた真実をチキンたちへ突き付けていた。


 一方で一人の人物がかつかつと革靴を踏みならした。


「……お前が、やったのか」


 チキンは問う。


「……殺したのか……仲間を」


 もう答えは出ている。チキンの前を歩く人物が引きずるタイロープブレードの切っ先からは、真っ赤に塗れた鮮血が地面をなぞっていた。


 裏切り者はくるりと身を翻すと、かつて仲間だった者たちへ微笑を浮かべ、こう言った。


 ――騙される方が悪い。と。

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