第44話 予知夢と文通

 ころころと笑い、電話が切れる。

 電車の音は聞こえていただろうに、どこに行くのか、という質問はなかったから、まあ今まで通り見ているのだろうな、と、勝手に予想を立てる。

 ひともまばらな駅のホームを、スマートフォンをしまって移動し、駅舎のなかへ。

「……うわ」

 あっけにとられた顔で、すごいな、と、声を洩らす。

「すっごく、へんぴ――いや。わびさびの感じられる駅舎ですねえ」

「進歩したんだねえ。前はなかったよ」

「え」

 一回、きたことがあるんだ、と、真顔で言う。

「そのときはまだ、会々島のことも、そしてここが純ちゃんの実家の最寄り駅だってことも、知らなかった。大学で、文学の授業を受けている最中、……ふと死にたくなって、ここにきたんだ」

 ちょうど入学式で、髪の長い後ろ姿を見かけた直後だった。

 春の日だったからここにも、桜の花が美しく咲いていたよ。

 外に出て、近くにあった大樹の幹を、そっと、やさしく撫でる。

「いま思えばきっと、甦って来ちゃったんだろう。キミを、見つけたことで」

 さみしげに、ほほえむ。

「この桜の木の下で、根っこに寄りかかって、しばらく目を閉じていた。少し寒かったから、このまま、飢えて凍えて、眠るように死んでしまいたいな、って」

「……」

 径と、声をかけようとして、思いとどまる。

 話の内容のわりには、彼はやけに、さっぱりとした顔をしていた。

「そうしたらね。夢を見たの」

「夢?」

「うん」

 奇妙な夢だった。

 ぼうっとして、ちょっと前のほうを見ながら、回想する。

「数人のひとに、囲まれている夢だった。誰もみな、知らない顔だった。でもね、ぜんぜん、怖いとか逃げようとか、そういう気持ちにならないの」

 不思議なことなんだよ、と、言い含める。

「ボクは、過去に体験した出来事から学習して、基本的には初対面の人間を、信じないようにしているんだ。久々利さんとか、烙理への態度からも、それは分かると思うけれど」

「たしかに、そうでしたね」

『いまさら謝られても、信用できないね』

『信用できませんね』

 あのときのとげとげした口調が、思い起こされる。

「だから、とっても不思議に思ったんだ、目覚めたとき。餓死も凍死も、もちろん、していなかった」

「まあ、目覚めてますからね」

「うん。自明な話だよねえ」

 あはは、と、笑う。

「しかもね。やけに、実感を伴った夢だったの。とっても楽しくって、明るくって、……いままでのつらい気持ちを、経験を、傷をすべて吹き飛ばしてくれるような、そんな夢だった」

 笑い合っていた。

 もう内容も、覚えていないけれどさ。

 バカ話をして、冗談を言い合って、けれど決して、お互いをおとしめたり、イヤな気持ちにはさせなくて。

 それでいて、大事なところはしっかりと、腰を据えつつ話し合って。

 とっても、しあわせな関係性が、そのなかでは、築けていたんだよ。

 話して聞かせる径の瞳が、ほんのかすかに潤んでいる。

「いま、思い出した。……みんなのことだったんだ。みんなの顔が、夢のなかに出てきていた」

「え」

 そうだったんですか?

 じゃあ、ひょっとしてそれって、予知夢ってこと?

「たぶんね。いや、そうじゃないのかもしれない」

 きっと、僕が人生をやめかけていたから、やめるな、って、誰かが言ってくれたんだろう。

 誰かは、わからないけれど。

 思いついて、おれは言った。

「純ちゃんじゃないんですか?」

「えっ?」

 ぱちくりとまたたいた目が、こちらを、まじまじと見つめる。

「純ちゃんが、きっと、がんばれって、言ってくれたんじゃないですか?」

「……」

 しばらく、彼は黙っていた。

 あは、と、おかしそうに笑う。

「そうだね。信じてみようかな」

 彼女が、ほんとうに僕のことを許してくれていて、そのうえ応援してくれていたのかなんて、わかりっこないけどさ。

 おれの手を、やわく握り返す。

 ふわふわした、だけれど傷痕だらけで、ざらざらした手。

「そんな奇跡を、信じてみたい。いや、――。信じて、みる」

 だって、キミが言ったことなんだもん。

 純粋な、あどけない表情で、おれに笑いかける。

「もう、すぐそこだよ。今日は早く、寝ようか」

 また、しあわせな夢が、見られるかもしれないから。

 なんてちょっとクサいかな、と言って、はにかむ。

「いえ。おれもおんなじこと、言おうとしてましたから」

「あは。うっそだあ」

「うそです」

「あはははは」

 宿屋の主人にチェックインする旨を告げ、室内に入る。

「畳のいい匂いがするねえ」

「そうですね」

 布団がすでに敷いてあった。

 径が、えっ、と声を洩らす。

「な、……なんで、おっきいのが一組しか、敷かれてないんだろう?」

「ああ、こりゃあすみませんね」

 割烹着を着たおかみさんが、ひょっこりと、ふすまのあいだから顔を出した。

「それしか、余ってなかったんですよお。いやほんと、申し訳ありませんです」

「い、いえ、大丈夫ですけれど」

 ふるふると首を振って、これでも寝れます、お気遣いなく、と、微笑みながら声をかける。

「ありゃまあ。ありがとうねえ、こちらの手違いなのに」

 どこかよそよそしかった敬語口調が一気にくずれ、親しみやすい雰囲気になる。

「おにいさん、やさしいねえ。話しやすい子が来てくれて、あたしゃうれしいよ」

 あとで、たくあんなりとも持ってくるからねえ。

 つまらんもんだけれども、ぜひぜひお食べ――。

 ほがらかにそう言い残して、意気揚々と去っていく。

「よかったね、志澄。話しやすいだって」

「……」

 にわかに、信じられない思いだった。

 ソーシャル。

 それは自分込みの定義ではない、というのが、おれの考えの根幹に、いままであった。

「径」

「ん?」

「ひとと話せるのって、こんなにうれしいんだな」

 まん丸い瞳を、うれしそうに、三日月にする。

「あは。――そうだね。よかった」

 志澄がひととコミュニケーションが取れるようになってくれて、僕も、自分の子どもみたくうれしいよ。

 畳の上で、くるくると、フィギュアスケートの選手のように回る。

「あ、そんなに回ったら、危ないですよ」

「へいきへいき。……あっ」

 バランスを崩し、倒れ込む。

 あわてて、そのちいさな身体を受け止める。

「うわわっ!」

「だ、大丈夫ですか?」

「う、うん」

 弱々しく、うなずく。

「どこかケガしてませんか?」

「し、してない。はやく、はなれて」

 そう言いつつ、きゅっと身体をちぢこまらせて、ぜんぜん、突き放すそぶりがない。

「……」

「……」

 しばらく、そのままの体勢。

 おたがいに真っ赤になった、頬。

 それがなんだか、ゆでだこみたいに見えておかしくて、ほとんど同時に吹き出す。

「あはっ。あはははは!」

「うッ、……うふふふふ」

 ツボに入ってしまって、手を叩く。

「ヘンな笑い方しないでよお」

「こっ、径のほうこそ……!」

「はーいたくあん持ってきたよー……って、あら」

「あっ」

「あらららららあ。なにがあったの、あんたら? んー?」

「あわわわわわ……!」

       ◇

「いやあ、ひどいめにあったね」

「ああ」

 布団に寝転がり、さっきまでの尋問に近い恋バナしぼり出しを思い出しながら、疲れ果てた笑いを洩らす。

「おばちゃん、どんだけ恋バナ好きなんだよ。精魂尽き果てちゃった、お墓参り前なのに」

「ビッグイベント控えてるのにですねえ……」

「ほんとだよ、まったく」

 もう寝よう、と消した電気のせいで、相手の顔はよく見えない。

「さ。おやすみ、おやすみ。早く寝ないと、明日に障るよ。猫ちゃんも結局撫でに行けなかったから、明日終わったら行かないと」

「あ。そのことなんですけど」

「なに?」

 寝返りを打ち、こちらを向く。

 よく見たら、そのパジャマも猫柄だったことにいまさら気づき、くすっときそうになる。

「一週間後に、また、……ここに来ませんか」

「どうして?」

「そのときに、そこで、髪を切りたいんです」

 長い髪を、撫でる。

 あの日以来、うなじの傷が痛むことは、一回たりともなくなっていた。

「おれもいよいよ、この傷に別れを告げるんだって思ったら、……ちょっと特別なシチュエーションで、とっかかってみたいなってなりまして」

「ああ。なるほどね」

 うん、いいよ、いいと思う、と、やわらかい声で言う。

「ありがとう」

 礼を言い、そっと身を起こして、――キスをする。

 真っ赤に照れて、わあわあ言ってくるかと予想していたのだが、意外なことに、彼は静かだった。

(寝ちゃったのかな?)

 おでこに、もう一度、唇を落とす。

 あつい。

「って、わぁ!? 気絶してる!」

 まだまだ刺激が強かったみたいだ、と、嘆息する。

 布団にくるまり、やれやれ、と目を閉じる。

 すぐに意識が、睡魔に呑み込まれていった。

       ◇

「純ちゃんについて、……何を話したかったんですか?」

 深刻な表情をし、向かい合う、径と渓太おじいさん。

「うむ。これについてだ」

 重々しくうなずき、部屋の角の棚から、一冊の本を取り出す。

「!」

 径の顔が、わかりやすく曇る。

 タイトル。

『足をなくした怪異、テケテケのおはなし』

「純の病室に、置いてあった。持ってきてくれたのは、径君、……きみじゃろう?」

「はい」

 うなだれる。

「僕が何も考えずに持って行った、本です。たしかに」

「責めてはおらんよ」

 ごつごつとした、血管の浮き出た手を、ひらひらと振る。

「問題なのは、この本に挟まっていた、のほうなんじゃから」

「えっ?」

 手紙?

 復唱する声に、ああそうじゃ、とうべなう。

 開きグセのついていたらしき真ん中あたりに、ちいさな紙片。

「これ、……僕が誕生日にプレゼントした、便箋だ」

「読んでみなさい」

 わしは、内容は見とらんよ。

 きみが来たときに、渡してあげようと、ずっとそう考えとったんじゃ。

 かさり、と慎重な手つきで、開封する。

 目を通していた径が、目元をぬぐいだした。

 覗き込もうとして、やめる。

 これは、ふたりだけの最後の、――文通であるべきだったから。

「純ちゃん」

 つぶやく。

 もうそこに、未練は一片たりとも、なかった。

「ありがとう。……ありがとう」

 長い睫毛が濡れて、朝の太陽を浴び、光っていた。

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