第31話 相似と馬脚
「バレてたのか、って……」
その、あまりにも淡白な認め方に息が詰まって、二の句が継げなくなる。
「どういうことですか?」
隣に座っている木島さんが、追及する。
「なんで、お前に話さなきゃいけねんだよ」
細い眉をひそめる。
きっぱりと、言い切る。
「友達だからです」
「……ぷっ」
友達?
唇をゆがめ、睥睨する。
「ならオレは、小学校のとき、志澄の親友だったんだが。昔取った杵柄とはいえど、オレのほうが格上ってことになるんじゃないか?」
「……」
数秒間、押し黙る。
「オレのほうが、ずっと、志澄といっしょにいた。見た感じ、あんた、そこまで仲が良いわけじゃないし、付き合いが長いわけではないだろ」
勝ち誇ったように、片手を広げる。
「とにかく。新参者のあんたに、しゃしゃられる覚えはねえんだよ。すっこんでろ」
「いいえ。すっこみません」
「はあ?」
おかしな日本語に、相手の目が点になる。
「引っ込みません、のほうがいいんじゃないかと。木島さん」
「あっ。……うん、ありがと。志澄」
えへん、と咳払いをし、続ける。
「僕は、おっしゃる通り今日、志澄と出会って、友達になったばかりです」
「それ見ろ」
肩をそびやかし、あごを上げて睨みつける。
何故だか分からないけれど、すごく、敵意をむき出しにしている様子だった。
「それだけ日が浅いのに、いったい、志澄のなにが分かるってんだ? 知ったかぶり、出しゃばりも大概にしとけよ。偽インテリメガネ」
「にせ……」
思いもよらない暴言めいたあだ名。
一瞬言葉につまり、すぐに体勢を立て直す。
「僕には、かつて、仲が良かった友人がいました」
「木島さん!?」
ぎょっとして、なおも語り続けようとする彼の肩を、つかんで止める。
「なんだい、志澄」
「い、いえ。おれにしか話したくないって言ってたのに、その――」
「いいんだよ。どうせもう、話すしかなくなってるから」
「しか、ない……?」
疑問形。
それに、ため息が返ってくる。
「あのね。相手はいま、ともに過ごした年月で、マウントポジションを取ってこようとしてる。志澄に関しての自分の主張を、是が非でも通させるために」
「は、はあ……」
「分からないのかい?」
とがめるような目。
「す、すみません」
「謝らないで。それは下手にでるのと、ほとんど同義の行為になるんだよ、場合によっては」
加害者にとって、被害者が自分に謝ってくるということは、自分の行為が正当化される材料と見なせる。
そんな危険な行為を、うかつに行っちゃ、いけないよ。
眼鏡の奥の瞳が、ドス黒く光る。
「だから僕は、どれだけ酷いことをされても、許しを請うために謝ること、それだけはしなかった。そうしたらさらに、状況も行為もエスカレートすることが、さらなる地獄に叩き落とされることが、はっきりと諒解できていたから」
「木島さん……」
「ね。だから、謝らないで。たとえ、僕相手であっても」
僕はたしかに、僕自身が嫌いだ。
この世界のなかで、いちばんね。
手のひらを、ぐっ、と握り込む。
まるで、自らの弱みを、否、――抱える痛み、そのものを、消してしまいたいと願っているように。
「けれどだからこそ、二番目に嫌うもの達と、たとえ模式的、疑似的にではあっても、同じになんてなりたくはない。僕自身は変えられないんだから。わざわざ二位に成り下がるなんて、自分のランクを落として変わり果てるなんて、まっぴらごめんだ」
向かい合う。
飆は黙って、彼の独白に聴き入っている。
「そのひとは、僕の、たった一人の友達でした。大事にしたい、したかった、たったひとりの」
けれど。
僕の無理解、無遠慮が原因で、死に至ってしまいました。
僕の、せいで。
そう、はっきりと告げる。
手のひらに立てた爪を、しっかり、引っかいてしまわないように精神力で、抑制しながら。
「……それで?」
冷淡に、続きをうながす。
「それが志澄と、何の関係があるってんだよ?」
「似ているんです。その子と」
僕の好きだった、ひと――近江ヶ海純と。
「……ああ」
ぱちぱちと目を、意表をつかれたようにしばたたく。
「隣町で、そんな名前の女子が死んだって、そういやニュースで見た記憶があるわ」
「えっ」
覚えてるんですか、と、問う。
「もう、ずいぶん昔のことなのに」
「ショッキングだったからな。なんとなくだけど、印象に残ってたんだよ」
じっと、木島さんを見る。
「そうか。あの女子の、友達だったのか」
「はい。友達です」
そうか、と、反芻する。
なにかを思い出そうとしているように、じっと、動きを止める。
「ああ、そうそう」
そのことなんだけどな。
ちょっと、不可解な点があってよ。
「何ですか?」
張り詰めた声で、木島さんが食いつく。
「身構えんなよ。大したことじゃねえ」
手を、ひらひらと振る。
「もう知ってることだったら、申し訳ないんだけどな」
口の端を、ほんのわずかに吊り上げる。
「その事件以降、問題の起こった小学校で、ホラー関連の書籍が軒並み、キレイさっぱり消えちまったそうなんだ。地元の裕福な地主が買い取っただとか、事件の影響で精神衛生上悪いから規制された末のことだとか、原因は不明なんだけどよ」
「……!」
木島さんの呼吸が、止まった。
目を、思わず見つめる。
限界まで見開かれた、ゆがんだ色。
「おい、どした?」
怪訝そうに眉をひそめて問いかける声も、まるで耳に入っていないようだった。
呼吸がだんだん、浅く速くなっていく。
「木島さん――」
手を、伸ばす。
――強い力で、払いのけられた。
「え」
「純ちゃん」
言葉を、落とす。
悪夢でも見ているように。
「純ちゃん」
もう一度、つぶやく。
二度、三度。
何度繰り返しても飽きることなど、永久にないような声音で。
「径……」
「僕は」
吐き出す。
呪詛を。
「救えなかった。だから、謝ろうとしたんだ。――直接」
「どっ、どういうことですか?」
ふるふると、首を横に振る。
「あのね。志澄」
正気の光が、ほんの少し戻った瞳。
まっすぐ、おれを射抜く。
「ごめんね。僕は、キミを利用しようとしていた。純ちゃんと同じくらいに長い髪を持つ、キミを」
――死者蘇生。
宿っていたまともな光が、す、と、完全に消え失せる。
淀んでいる。
雨にいつまでも降られ続けてどろどろに濁った、地面に溜まる泥濘のように。
「キミの命と引き換えに、僕は、……すでに帰らぬ人となった純ちゃんを、呼び出そうとしていたんだよ」
◇
「径、お前、……マジで言ってんのか?」
「うん」
祥先輩の、責め立てるような声に、あっさりとうなずく。
きょとんとした表情。
何言ってるんだコイツ、当たり前じゃないか、とでもあとに続きそうな。
「死者蘇生なんて、できるわけねえだろうが。現実を見ろよ」
「は?」
ぎらりと、真っ黒に光を反射する。
黒く、黒い。
闇に身体をまるまま、飲み込まれ乗っ取られてしまったみたいな、眼光。
「祥先輩。いくらあなたでも、否定しないでください。この感情を」
あなたには分からないでしょうね。
大切なひとがそばにいて、へらへら幸せそうに笑ってるばかりの、あなたにはね。
低い声。
聞いたことがないくらい、感情をあらわにした。
「少なくとも、子どものころは、それを本気にしていたんです。だから使えるものをなんでも使って、オカルト関連の書籍を読み漁った。血肉に、してきた」
頬の筋肉を、不自然に引きつらせる。
それがいまの、彼なりの笑みだということに、十数秒経ってやっと気がついた。
(木島さん……)
『これだから、距離感おばけって言われるのかな、僕って。あはは』
『あはは。びっくりしてるねえ』
『あは。ずいぶんと、言うようになったね。さっきまで、地蔵みたいに黙ってたのに』
彼の発言が、わらう声が、頭のなかで回る。
『やれやれ。こんなのにダマされるのがいるだなんて、日本はやっぱり、まだまだ安泰みたいだねえ――』
(ああ。そうだったのか)
ダマされる、だなんて表現を、彼があのとき使っていたこと。
今やっとその意味が、ストンとスムースに、腹に落ちてきた。
「初めから、そのつもりだったんですか。木島さん」
吐き出した息が、ふるえる。
「騙していたんですか。おれを。いちばん初めに、会ったときから」
「うん。すまない」
無表情のまま、冷酷に言い放つ。
「キミのことは、徹頭徹尾、純ちゃんの相似形だとしか見ていなかったよ」
かすかに、眼鏡の奥の眼を、しかめる。
小鼻のあたりをつまみ、すん、と鼻をすする。
目を、ぎゅっ、とつむる。
「うん。……うん。ほんとうに、そうとしか思っていなかった」
自分に催眠をかけるように、平坦な声で、ゆっくりと言い含める。
「純ちゃんさえ蘇らせられれば、他の人間なんて、全員、ひとり残らず、どうだっていいんだよ。そのために僕は、いままで、孤独を貫いてきた。祥先輩にもこの素顔は決して、見せなかった。たまに感情が揺らぐことはあったけれども、何があってもこの目的だけは隠し通しておいて、無事に遂行ができるよう、打ち明けるなんてポカはやらかさなかった」
でも、……ねえ。
バレちゃったや。
あはッ、と、おかしそうに笑う。
しだいにそれは、くるったような哄笑に変わりそして、――耳をふさぎたくなるような慟哭へと、変わっていった。
「ねえ? どうして、純ちゃん?」
問いかけが、空しく響く。
答えるひとはもう、この世にはいない。
至極当たり前の、そんな現実。
それを受け止めきれないまま、彼は、――ここまで、生きてきたのだろうか。
胸が、締め付けられるようにずきずきと、痛む。
「ねえ? どうして? なんで死んじゃったの? 僕、きみのこと、とっても大好きだったのに。愛していたのに。たったひとりしかいない、大切な友達だったのに!」
手を、気がふれてしまったようにかきむしる。
皮が剥け、肉が裂けて、血がにじみ流れ出す。
「径、やめろ!」
「近づかないでよッ!!」
祥先輩が伸ばした手を引っこめるほどの、凄まじい剣幕。
血まみれの手で頭を抱え、ぐしゃぐしゃッ、と掻き回す。
所々混じった白髪が、暗い赤色に染まっている。
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