第24話 潔癖さとファッションセンス

「わかった」

 時間は?

 何時に、そこで待ち合わせる?

 尋ねてくる。

「うーん。志澄の、心の準備ができてからのほうが、いいよな?」

 祥先輩が、こちらを振り返る。

 おれは静かに、首を横に振った。

「いいえ。もう、大丈夫です。会いに行けます、用意ができ次第」

「え? お、おう」

 きょどきょどと、視線をさまよわせる。

「な、ならいいんだけどよ。大丈夫なのか、本当に? 緊張したりしないか?」

「案外、緊張してるのは祥なんじゃないの?」

 くす、と、ほのかに笑う烙理。

 祥先輩が、目をとんがらせて彼を見る。

「び、ビビってねえよ! 何言ってんだ、お前!」

「ひとことも、ビビってるなんて言ってないじゃん? やっぱそうなんだね。ふふふ」

「こんのクソガキゃぁ……!」

 空いた片手で首筋をつかまれ、ぎゃー、と、悲鳴を上げる。

 それでも、若干うれしそうな声色だったので、ひとまず安心した。

「打ち解けてきてるな」

「ぜんぜん!」

 真っ黒な目が、不平の申し立てをするように細まる。

「それより放すように言ってよ。ボクいま、首の傷が痛いんだってこと忘れてんでしょ、このひと!」

 しかめっ面で見上げ、放してよ、と、不平を垂れる。

「あ? ああそうだな、悪かった」

 手が離れる。

 自由の身になった烙理が、とにかく、と、あたりを見回す。

「ククリが来ないと、ボクたち、出かけられないよね。服、ないし」

「久々利?」

 電話口の向こうで、仰天した声。

「あの、『ダーク・マリオネットの久々利』か? え、ほんとうに?」

「なにそのダっサいあだ名」

 木島さんが眉をしかめ、あのヒトそんなふうに呼ばれてるんですか、と、祥先輩に尋ねる。

「いや、違うぜ。アイツが、勝手に自分で名乗り上げてるだけだよ」

「そんなことするタイプには見えませんでしたけど……」

「しそうじゃねえ? マンガ好きだし、アイツ」

「そうなんですか?」

 銀縁眼鏡のフレームを耳にかけながら、ぱちぱちと、レンズのおかげでより大きくなった瞳をまたたく。

「どんなジャンルが好きなんです?」

「あー? 俺はよく知らねえな。あんまそういうの、読んだことねえし」

 だから、お前が部室に本をドサドサ持ってきたときは、そりゃあびっくりしたぜ。

 懐かしそうに、目を細める。

「たくさんあったからなあ。本屋が移転してきたのかと思っちまった、一瞬」

 大げさですよ、と、声をひそめる。

 でも、まんざらでもなさそうに、鼻の頭をちょいちょいと掻く。

「ん。そういやあの部室に置いてあったの、寿敬の部屋にも並んでたな。いま途中までしか読めてないから、あとで古本屋に行くって言ってたわ」

「へえぇ……」

 古本屋?

 不思議そうに、小首をかしげる。

「ふつうの本屋には、行かないんですか?」

「あー。ああいうとこに行くと、アイツ必ず、周りの反応が気になっちまうみたいなんだよな。なんか、パンピーに紛れてるときの感じがイヤなんだと」

「まあ、あの格好はけっこう、えっと、目立ちますよね……」

 志澄、素直にヘンって言っていいんだよ、と、木島さんが複雑そうな視線をくれる。

「でもあれ、ほとんどアイツのアイデンティティに近いからな。黒スーツに、黒手袋。そのスタイルに、ちっちゃいころから憧れてたらしいし」

「気持ちは分かるな」

 相槌を打つと、木島さんがびっくりしたように、こちらを見た。

「え。志澄もあの格好、したいの?」

「い、いや、そういうわけではありませんけれども」

 あわてて、否定する。

「なんか、ひとと違うというか、……カッコ良くないですか? あのひと」

「カッコ良くはないよ」

 眉間に、ぎゅっとシワを寄せる。

 理解に苦しむ、とでも言いたげな顔。

「ひとに暴力を振るう時点で、ぜんぜん、格好良くはない」

 ぜんぜん、のところに、力がこもっていた。

 きっと本心なのだろうと、すぐにわかった。

「でも、径も俺のこと蹴ったじゃねえか」

「そうです」

「そこは言い訳しないんだね」

「は?」

 烙理の言葉に、眉をひそめる。

「何て?」

「いや。別にぃ」

 あごをくいっ、と上げ、ふうん、と、意味深につぶやく。

「何が言いたいんだい」

「いや。なんかさあ。そういうとき、ヒトってだいたい、自分のことは棚に上げて誤魔化したり、正当化したりしようとするじゃん」

 だから、えらいなって思っただけ。

「他にないのかい? もっとこう、責めるとか」

「ないけど。逆に、してほしいの、コミチは?」

 そういうことを?

「……」

 そこまでは言ってないだろう、と反論する声が、幾分勢いをなくしている。

「コミチはねぇ」

 指を一本立て、烙理が講釈を垂れ始める。

「潔癖すぎるんだと思うよ。特に、身体とかの面というより、心のほうが」

「はあ」

 納得いかなそうに、のろりとした動きでうなずく。

「自分の罪なんて、忘れちゃえばいいんだよ。ボクみたいにさ」

 にぱッ、と、吹っ切れたように、しろい牙をのぞかせる。

「そうすれば楽になるし、毎夜毎夜、悩んで苦しんで、悪夢にうなされることもない。いくらおいしい食べ物をたらふくほおばっても、罪悪感でぜんぶ吐いちゃうなんてこともないんだよ。ね、最高じゃない?」

「……ずいぶん、見てきたように語るじゃないか」

 言葉を、絞り出すように。

 得意げに講釈する烙理を、暗い目で睨む。

「僕は、そこまで吹っ切ることは、残念だけれどできないよ。そこまで含めて、僕の受けるべき罰だと思ってるから」

「まあそうだよね。忘れられるタイプには見えないもの、あんた」

「というよりも、――忘れたくないんだ」

 胸の前に、そっと手を添える。

「罪をまるまま忘れてしまったら、そのなかに残っている淡い思い出まで、もろともなくしてしまいそうな気がするから」

(……あ)

 さっき感じたことを、思い返す。

 暗くて苦い記憶の詰まった、パンドラの箱。

 その内側にとどまっていた、わずかだけれども確かな、希望。

 二人で過ごした、時間の積み重ね。

「ふうん」

 ぽりぽりと頬を掻き、理解した、と、しかつめらしくうなずく。

 ふざけているわけではなさそうだった。

 目には真剣な、光。

「そういうものなのかもしれないね、案外。やっぱ、ボクが楽観的過ぎるのかも」

 現にこうして、忘れてたことでの弊害が出てきてるわけだしね。

 首の傷に、そっと手を這わせる。

「おばあちゃんに、電話してみないとね」

 はあ、また怒られるかもだからしんどいよぉ、と、肩を落とす。

「その前に、そろそろ服を着たいね」

「いい話してたけど、そういやお前ら素っ裸だったんだよな」

 祥先輩がTシャツでぱたぱたと腹をあおぎ、意地悪な顔をする。

「マッパで話してる内容との温度差がエグすぎて風邪ひきそうだぜ」

「うるさいですよ。もう一回蹴り飛ばしましょうか? 急所を」

 木島さんの笑顔に殺意があふれている。

「すまん悪かった、この通りだからやめてくれ急所蹴りだけは」

 両手をつく真似をすると、ため息をつきながら上げかけた脚をおさめる。

「あ。帰ってきた、ククリ」

 烙理の声に、入口を見やる。

 扇風機に長い後ろ髪を流されながら、彼がのれんをくぐってくるところだった。

「どうも。帰りましたよ、烙理くん」

 にこ、とご機嫌そうに微笑み、手にぶらさげていた袋を掲げてみせる。

「調達してきました、貴方たちの着替え。センスがバチバチですので、着こなせるかは、はなはだ不安なのですがね――」

「別の意味でだろ」

「なんですって、祥? 耳が遠いからか、よく聞こえませんでしたねぇ」

 愛想よく祥先輩のツッコミを流し、まずラクリくんにはこれ、と、真緑の無地Tシャツを取り出す。

「……これ、子供服?」

「違いますよ。サイズ見てください、これがキッズ用なわけありますか」

「いや、でもさあ……」

 言葉を濁す。

 烙理が言わんとしていることは、十分すぎるほど飲み込めた。

 ――胸のところに、信じられないほどファンシーでプリティーな感じのするくまのワンポイント刺繍。

 暗めの地の色と相まって、かなり雰囲気的に浮いている。

「思ったよりマシだったな」

 そう、祥先輩が驚愕の評価を下し、袋の中身を取り出す。

「で、これは誰だ?」

「あちょっと、勝手に取らないでくださいよ。順番に渡そうと思ってたんですから」

 それはえっと、コミチくんでしたっけ? その銀縁眼鏡の子。

 彼のなかで存在感が薄かったらしく、きょろり、と目を上に動かして、やっと名前を思い出す。

 微妙な顔をしながら、ありがとうございます、と礼を述べ、木島さんが手を伸ばす。

「……わあ」

 一見したところだと、ごくふつうの畳まれた、真っ白なニットだった。

 少しクリーム色が混ざっているので、生成り、と表現するのが適切かもしれない。

「おお、センスいいじゃねえか」

 そう意外そうに口にしていた祥先輩の顔が、瞬間接着剤でも塗られたように固まる。

「げっ」

 雑に畳まれていたのでわからなかったが、それはタートルネックだった。

 そして、その妙に長い首元には、あらかじめセットになっていたと思しき、真っ青なスカーフ。

 しかも、絶妙に、やわらかい色合いの本体とマッチしない、どちらかというとビビッドすぎる配色。

「これ、とれないんですか?」

 木島さんが、おそるおそる訊く。

 不思議そうに、ポニーテイルを揺らし小首をかしげる。

「? とる必要ありますか? ぴったりじゃないですか」

「うわぁ……」

 烙理が鼻にシワを寄せ、確かにセンスいいね、と、死んだ声でこぼす。

「でしょう? かわいいですよね」

「は、……はい」

 さすがに指摘するのも酷かと思い、あいまいに返してお茶を濁す。

 自分のはどんなものが出てくるのか、むしろ楽しみなまであった。

「さて。最後は、志澄くん――なのですが」

 これだけ、調達ルートが違うのですよねえ。

 私の好みとはやや合いませんが、まあいいでしょう。

 そうぶつくさ言いながら、ラストの一枚を取り出す。

「――えっ?」

 取り出された服には、見覚えがあった。

『大学に入ったときのために、とっておこうかねえ』

 小学生のときに見せられた、父のお下がりの黒いスーツ、一式。

 まぎれもなく、それは、――おばあちゃんの家にあるはずの、もの。

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