武田信玄上洛記
懐かしの磁気ネックレス
第1話 蘇る虎、新たなる牙
永禄十二年(1569年)――甲斐の国は、重苦しい空気に覆われていた。武田家の当主、武田信玄が病に倒れ、その容態は日に日に悪化の一途を辿っていたからだ。領内には不安が広がり、敵対する上杉謙信や後北条氏の動きも活発化していた。
躑躅ヶ崎館の一室。薄暗い部屋の中で、信玄は床に伏せていた。かつては威厳に満ち溢れていたその顔は、今は蝋のように青白く、痩せ細っていた。枕元には、近習の者たちが付きっきりで看病をしていたが、その表情は暗く、誰もが絶望の色を隠せないでいた。
その静寂を破ったのは、一人の若い男の声だった。山本雪之丞と名乗るその男は、信玄の側近たちに付き添われ、部屋へと通された。雪之丞は、信玄の枕元に跪き、深々と頭を垂れた。
「おやかた様…」
雪之丞の声は、かすかに震えていた。信玄は、重い瞼をゆっくりと開けた。焦点の合わない目で、雪之丞を捉えようとしているのがわかった。
「…雪之丞か…」
信玄の声は、かすれて弱々しかった。
「…おやかた様…ご容態はいかがで…」
雪之丞は言葉を詰まらせた。信玄の容態は、誰の目にも明らかだった。
「…わしは…もう長くないかもしれん…」
信玄は、静かに言った。その言葉に、部屋にいた者たちのすすり泣く声が漏れた。
「…しかし…」
信玄は、力を振り絞って言葉を続けた。
「…武田の灯を…消すわけにはいかん…」
その言葉に、雪之丞は顔を上げた。その瞳には、強い光が宿っていた。
「おやかた様…わたくしに…お考えがございます」
雪之丞は、懐から一通の書状を取り出した。それは、彼が長年温めてきた、上洛のための秘策が記されたものだった。
数日後、奇跡が起きた。信玄の病状が、嘘のように回復し始めたのだ。医者たちも首を傾げるほどの回復ぶりだった。信玄は、再び政務を執り始め、館には活気が戻ってきた。
回復した信玄は、雪之丞を呼び出した。
「雪之丞…そなたの策…詳しく聞かせよ」
雪之丞は、信玄の前に跪き、巻物を広げた。そこには、詳細な地図と、複雑な作戦が記されていた。
「これは…『第2キツツキの戦法』…と名付けました」
雪之丞は、静かに語り始めた。
「我らは、軍を二手に分けます。一方は、東海道を進み、織田・徳川連合軍を引きつけます。これは陽動部隊。敵の注意を惹きつけ、釘付けにするための囮となります」
信玄は、雪之丞の言葉に耳を傾けながら、地図をじっと見つめていた。
「そして、もう一方は…」
雪之丞は、地図の別の場所を指し示した。
「北陸道を進み、大きく迂回して京都を目指します。敵が手薄となった山岳地帯を抜け、奇襲をかけるのです」
信玄の目に、鋭い光が宿った。それは、かつて「甲斐の虎」と恐れられた男の、野心と知略が蘇った証だった。
「…面白い…実に面白い…」
信玄は、低い声で呟いた。
「雪之丞…そなたの策…わしは気に入った」
信玄は、力強く頷いた。
「…上洛する…天下を…この手につかむために…」
ここに、武田信玄の新たなる戦いが始まった。それは、病からの復活という奇跡を背景に、雪之丞の奇策を携え、天下統一を目指す、壮大な物語の幕開けだった。
その後、信玄は迅速に部隊編成に取り掛かった。
東海道軍: 大将には、武田四天王の一人、勇猛果敢な馬場信春。副将には、その機動力と突破力で知られる山県昌景。兵力は一万五千。
北陸道軍: 大将は、信玄自らが務める。副将には、知略に長けた真田幸隆(または昌幸)。兵力は八千。
その他: 上杉謙信への備えとして、春日虎綱(高坂昌信)率いる三千の兵を北信濃に配置。後北条氏への備えとして、小山田信茂率いる三千の兵を相模方面に配置。甲府の守りには、武田信豊率いる二千の兵を残した。
万全の体制を整え、信玄は来るべき時に備えた。静かに、だが確実に、その牙を研ぎ澄ませていた。
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