第30話

 明朝、眠い目をこすりながら起き上がり、カーテンを開ける。朝のうっすらとした明かりが部屋に差し込み、少し冷たい空気が頬を撫でた。洗面台へ行き、いつものように支度をした後、後ろに結ばれた髪を解く。そして未だに寝ているもう一人の元へ行き、体を揺さぶりながら声をかけた。


「ほら、フィーナ、早く起きて!もう朝だよ」


「うーん...もう少しだけ」


 リゼに引きはがされそうになった布団を掴み、抵抗しながらそう答える。器用に足の指まで使いながら掴むその姿が酷く情けなく見えて、リゼはため息を吐いて布団を掴む力を緩めた。そして再び布団に包まり、二度寝をしようとする彼女の首元に手を入れ、冷気を流し込む。

 ひゃあ、という声と共に起き上がったフィーナの顔面に水をかけ、リゼが言う。


「早く顔を洗ってきて。今日はこのエリアのボスを倒す予定でしょ」


「はいはい、分かったすよ。...リゼちゃん、最近少し乱暴になってないっすか...?」


 ぶつぶつと何かを言いながら洗面台へ移動する彼女を見て、リゼは一安心する。

 彼と別れてからしばらくの間、彼女はほとんど眠ることができず、睡眠不足で体調が悪そうだった。しかし、最近はそんな素振りを見せず、しっかりと眠れているようである。

 ...少し寝すぎな気もするけど。

 洗面代から戻ってきた彼女と共に、今日の予定について話し合う。そして、手持ちのアイテムの確認をした後、宿から出て街の外へと歩きだす。

 早朝の街は人通りも少なく、お店のほとんども開店前で閉まっていた。フィーナはリゼに手をつながれ、彼女の後ろを眠気の抜けきらない顔で歩いていた。

 しばらく歩いていると、つないでいた手を突然後ろに引かれ、リゼは困惑しながら立ち止まる。


「どうしたの?フィーナ」


 振り向いて彼女を見ると、彼女は視線を動かさず、どこかをじっと見つめていた。その視線の先に目を向けると、一人の少女の姿が目に映る。


「あの子、昨日の...」


 そこにいたのは、昨夜のクエストの帰り際にこちらのことを見つめていたあの女の子だった。その直後、どういうわけかフィーナが突然走りだしてびっくりしたのを覚えている。


「あの子がどうかしたの?フィーナ」


 リゼが問うと、フィーナは我に返ったようにリゼに視線を戻し、首を振りながら言った。


「いいや、なんでもないっす。ちょっと気になっちゃっただけっすよ。こんな時間に一人きりで何してるのかなーって」


「確かに、迷子なのかな?心配だね、少し声をかけてみよっか」


 え、と声を出すフィーナの手を引っ張り、その女の子に近づいていく。ボーっと立っていた彼女は、近づいてくる自分たちに気づいて、少し驚いたような表情をしていた。


「あ、昨日の!」


「ごめんなさい、急にビックリしましたよね。その...どうして一人でいるのか気になってしまって。大丈夫ですか?」


 そう問いかけると、彼女は少し悩んだ後、はっとしたように答えた。


「うん、ただトオルが来るのを待ってるだけだ。昨日の夜に気になる店を見つけたからって、朝早くからどっかに行っちゃって...六時までには戻ってくるって言ってたはずなのに」


 そう言うと、彼女は困った表情をしながら近くのベンチに座った。迷子じゃないと聞いてリゼはひとまず安心し、彼女の横に腰掛ける。


「あ、オレの名前はカノン。見習いの鍛冶師だ。よろしく!それと、勘違いしてるかもしれないけど、オレ、十四だからな。この身長のせいで、子供と勘違いされやすいんだ」


 それを聞いたリゼの表情がどんどん青ざめていく。


「ありゃりゃ、やってしまったすね。リゼちゃん」


 フィーナがそう煽ると、リゼは慌てた様子で謝罪をする。


「す、すみません!もっと小さい子かと勘違いしてしまいました!同い年でしたか」


「ううん、気にしないで。慣れてるから」


 カノンが笑って答えると、隣で少し気まずそうにしているリゼをどけて、フィーナが彼女に話しかけた。


「それはそうと、昨日一緒にいた男の人がそのトオルって人なんすか?」


「ん?そうだぞ。どうしてだ?」


「いやー、少し知り合いに顔が似てたんすけど、人違いだったっすかね?それならいいっす。ほらリゼちゃん。大丈夫ってこともわかったっすから、そろそろ行くっすよ。じゃ、失礼したっす」


 フィーナはそう言うと、リゼを立ち上がらせてカノンに別れを告げる。そして、まだ話したそうにしているリゼの背中を押し、足早に去っていった。


 そんな二人に手を振り、カノンは彼女たちの後ろ姿を見つめる。

 昨夜見かけた時点でなんとなく察しがついていたが、今しがたのやり取りで、それが確信に変わった。彼女たちが、トオルの前のパーティーメンバーなのだろう。

 もし彼女たちと再会したら、なぜあの時にトオルの事を...イクリスの事を伝えなかったのだと問われるだろうか。意地悪に思われるかもしれないし、正直に言うと申し訳ないという罪悪感もある。でも、その事を伝えるべきなのは自分でない事くらい分かっているつもりだ。

 ただ、彼が時間になっても現れなかったのは偶然か、それとも必然なのか、それを問いただす権利くらいはあるだろう。

 そう考えながら、カノンはトオルの帰りを静かに待つのだった。




 リゼとフィーナの二人は街の北門へと辿りつき、衛兵にギルドカードを提示して脇の扉をくぐって外へと出た。朝雲越しに薄橙の光が空を照らし、肌を撫でる風が少しづつ温められていくのを感じる。その空気を胸いっぱいに吸い込み、大きく深呼吸をすると、今日のクエスト目標であるモンスターがいる土地を目指して歩き始める。

 目標地点はここから4kmほど先。移動時間と魔物の討伐にかかる時間を考えれば、時間を無駄には出来ない。

 今日中にこのエリアのボスモンスターを倒して、明日にはまた次の土地を目指して出発する。彼が居なくなってからは、ずっとそんな生活を続けていた。


 あの日の翌朝。彼を見送った後にリゼに提案されたのだ。これからはできるだけすぐに魔物を倒して、次の土地へ移動しようと。

 一見すると、強くなるために効率的に動こうという一般的な意見の様に感じるだろう。実際に当時の私もそう捉え、元から早く強くなりたいという思いもあったため、深く考えることなく彼女の意見に賛成してしまったのだ。その提案をした、彼女の気持ちも理解せずに。


 それから、リゼは驚くほどに変わっていった。元々内向的な性格だったとは思えないほど積極的に人と会話するようになり、街のことについてや、周辺のモンスターの特徴など、色々な情報を集めるようになった。

 さらには、他の冒険者を師事して魔法を教えて貰ったり、戦い方の研究なども行うようになった。最近では移動する時でさえ休まずに訓練を続けているほどだ。

 はたから見れば、自分を変えようと努力をしているだけの喜ばしい行動だろう。しかし、私にはその変化を成長と呼んでいいのか分からなかった。

 長い間リゼを近くで見てきた自分だからこそ、彼女が今、どれだけ無理をしているのかが分かる。それを悟られまいと、気丈に振る舞い続け、自分を押し殺し続けていることも。

 止められるのならば、今すぐにでも止めてあげたい。しかし、自分がいくら言ったところで彼女の心には届かない。彼女が目標にしているのは、自分ではないから。

 フィーナはため息をつくと共に、目の前を歩くリゼに聞かれないように静かにつぶやいた。


「...早く戻ってきてくれないっすか。イクリス...」


 暗くなりかけていた気持ちをリセットするように首を横に振り、深呼吸して気持ちを切り替える。どれだけ悩んだところで、今の私にできることはないのだ。それなら、目の前の課題について考えたほうがよっぽどいい。


 気が付くと、既に目的地である森の近くまで来ていた。この森に生息するモンスターの討伐と狩猟、および素材の入手が今日のクエストの内容だ。

 今回の目標であるゴブリンの中には魔力を感知する個体もいるため、リゼの魔力探知ではこちらの存在がバレてしまう。そのため、かわりにフィーナが感覚を研ぎ澄まして周囲のモンスターの気配を探る。


「とりあえず、近くには居ないみたいっすね。このまま慎重に進んでいくっすよ」


 森の中で突如数を増やしたゴブリンの調査と討伐、それが今回の一つ目のクエストの内容だ。討伐と狩猟が一体になったクエストで、仕留めたゴブリンの血液を回収することになっている。

 正直に言うと、人型のモンスターからの剥ぎ取りは苦手なのだが、生活の為とおもえば我慢するしかないだろう。

 しばらく森の中を進んでいると、異質な気配を察知してフィーナが歩みを止めた。リゼに待機のハンドサインを送り、気配を消して木々の隙間を縫うように進んでいく。視線の先に少し開けた場所を見つけると、木の上に止まり、遠くから観察した。


(やっぱり...)


 違和感の正体を見つけ、フィーナは納得する。そこにいたのは、ゴブリンより知能が高く、人とほぼ変わらない体躯を持つ、ゴブリンの上位種「ホフゴブリン」であった。

 ホフゴブリンは通常のゴブリンに対して繁殖能力が高いため、ここ最近でゴブリンの数が急増したのにも納得がいく。ここで仕留めなければ、今後ゴブリンの急増で街に被害が出る可能性があるだろう。

 幸い、その場にいるホフゴブリンたちはこちらの存在に気が付いていない。3体程度の数ならば、このまま奇襲をかけて仕留めたほうが安全だろう。

 腰の矢筒から三本の矢を取り出してつがえる。最大限引き絞った後、そのホフゴブリンたちの頭を目掛けて矢を放った。

 彼女の手から離れた三本の矢は、同時に放たれたのにも関わらず、それぞれが別の軌道を描き、目標を正確に貫いた。

 突然の奇襲に動揺するゴブリンたちの隙をつき、フィーナは次々と矢を放ち、十体を超える集団を一瞬で制圧した。

 周囲の気配が消えたことを確認すると、リゼと合流するために木から飛び降りる。本当なら血液を採取したいところだったが、想定外の状況になったことを報告することが優先だ。

 地面に着地し、走り出そうとしたその時だった。「バキッ」という音と共に、自分が先ほどまでいた木の枝が折れ、まっすぐ落ちてくる。

 咄嗟に腕で弾こうとした時、見覚えのある光線が目の前を通り過ぎ、落下していた枝を消し飛ばした。


「フィーナ!さっき魔力探知を感じた!たぶん気づかれてる!」


 後方から飛んでくるいくつもの光線をシールドで防御しながら、リゼがフィーナの元へと駆け寄る。


「魔力探知っすか!?だとしたら、相手はゴブリンメイジじゃなくてウィザード以上ってことになるっすよ!」


 後ろを振り向き、リゼの魔力探知と感覚を共有しながら弓を射る。放たれた矢は、姿を消す魔法で隠れていたゴブリンメイジたちの額を貫き、次々と絶命させていく。

 普通なら自分にまっすぐ飛んでくる矢など簡単に避けることのできるゴブリンたちであったが、フィーナの曲射スキルにより複雑になった軌道には対応できず、明後日の方向にシールドを張っては、その頭を矢に貫かれていた。

 多少は減らせただろうかと安心していると、その直後に左右からそれ以上の増援が出現する。前方広範囲ならまだしも、完全に左右からの進行となると、フィーナの弓術スキルでもカバーしきれない。


 しかし、その程度のことはさほど問題にはならない。むしろこの状況こそ、自分たち二人が得意とする、言うなればいつも通りの動きである。

 フィーナは本来多数の敵を相手にするのではなく、ごく限られた敵に対してダメージを稼ぐ準単体アタッカーであり、リゼこそが、周囲の敵に対してダメージを稼ぐ広範囲アタッカーなのである。

 リゼがほんの数秒だけ意識を集中させると、周囲に二十はゆうに超えるほどの魔方陣が出現する。そして、同時に射出された光線が近づいてきていたゴブリンたちを捉え、一撃で仕留め切った。


「ふぅ...、んー...頭がぐらぐらする」


 リゼが頭を押さえながら、ため息と共に呟く。レベルアップ以外で知力を上げてはいたものの、流石にこの数は負荷が酷い。


「ゴブリンウィザードの位置は確認できたっすか?」


「...ううん、今討伐した中に確認はできなかった。まぁ、戦力の要がそう簡単に前線に出るとは考えられないし、とりあえず周囲は安全みたいだから、今のうちにクエスト用の血を採取しておかない?」


 周囲に転がっている死骸を一か所に集め、その体から血液を採取する。血液でいっぱいになった袋をフィーナのインベントリへとしまうと、ついでにゴブリンの討伐証明用の部位をはぎ取っていった。


「こんなもんっすかね。時間は...十時前っすか。あんまり余裕はないみたいっすね」


 残りのクエストはケプシの実の採取クエストのみだ。どこかの木の枝にでもくっついているだろうから、帰りがてら採取していけば数は集まるだろう。

 それよりも、ゴブリンの上位種が増えている原因を探らなければ。先ほどのホフゴブリン、ゴブリンウィザードたちは、自分たちの意志で行動しているようには見えなかった。つまり、それ以上の存在が彼らの後ろに控えているということだ。

 もしかすると、その存在こそがこの地域のボスである可能性もある。もしいるとするなら、ゴブリン達の集落にいるはずだ。すぐに発見できれば、撤退する余裕ができ、準備や対策を考えてから再度挑むこともできる。今はとにかく、その集落を発見することを優先しよう。


「リゼちゃん」


 フィーナが声をかけると、リゼは「うん」と頷いて返した。彼女も同じ結論に至ったのだろう。リゼに隠密魔法をかけてもらい、フィーナはゴブリンの集落を探すため森の中を駆け出して行った。

 フィーナが離れていってからしばらくすると、リゼの耳飾りが静かに振動する。リゼはその耳飾りに手を当て、小さな声で囁いた。


「どうしたの、フィーナ」


「見つけたっす、それも...とんでもなく大きい集落を。こんなの、ゴブリン達の知恵じゃ...」


 音声にノイズが走り、そこから先の言葉が聞こえづらくなる。リゼが通信強度を改善しようと耳飾りに魔力を流そうとした時、遠くの方から爆発音が聞こえた。


「え...フィーナ!フィーナ!無事なの?」


 必死に問いかけるが、彼女からの応答がない。焦って問いかけるうちに、二度、三度と爆発が続いていく。


「フィーナ!フィーナ!」


 何度も何度も叫んでいると、ノイズ交じりの声で応答が返ってきた。


「リゼ...ん...ごめ....さ...いっす」


 その言葉を最後に彼女の耳飾りは沈黙し、二度と反応を示すことはなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る