君にはなにもかけない

よしなに

本編

 創作を感じた後の、背中を押すような全能感にずっと酔いしれていた。

 映像はど迫力だけどストーリーが強引なハリウッド映画。ひらがなばかりで読みやすい、中身はありがちな青春小説。アイデアでゴリ押した、1時間くらいで終わるインディーのバカゲー。DTMをいじってたら生まれました、と説明文にあるボカロ曲。

 何かが、少し足りない。

 素人にもそう分かるような、それらが抱く稚拙と未熟は僕の冷めた優越感をずっと刺激し続けた。

 僕は馬鹿だったから、それをずっと「創作欲」と呼んで憚らなかった。


 小学生のとき、区の塗り絵コンテストで奨励賞を取ったことがある。

 平日の午後4時くらいから区役所のホールで始まった表彰式、着慣れない子供用のスーツでステージに立ったことを忘れられない。

 これから先、どこまでも僕の目の前にはこれに近い景色がずっと続いていると五感で理解する。

 

 表彰式の後、塗り絵の展示コーナーが総合案内の隣にこっそりと設置されていた。

 大賞の塗り絵を観たとき、これには勝てないと確信した。

 僕が知らない目いっぱいの青色がぎっしりと海と空の中を覆い尽くし、いくつかは雲に飛び散っていた。

 まるで初めからそこにあったかのように、色は大胆に塗りつけられていた。

 レベルが高すぎる、と思ったその時にはもう別の作品に目が移っていた。

 なるべく近いレベルの作品を観ようと思って、賞名のランクをどんどん下げていった。

 最後にたどり着いたのは、僕の作品ともう一人の作品。

 色使いが大胆で、大賞のやつみたいな細かな美しさは無いけど、何となく惹かれる感じ。

 気分が良かったから頭の中で「凄い」とお世辞を言って、でも本当は「同じレベルだ」と傷を舐めるような安心を覚えていた。

 そうしめ僕がまじまじと絵を見つめていると、視界の端に人影が入ってくる。

 同い年くらいの女の子で、僕に負けじと僕の作品を見つめる。

 その光景は僕にはちょっと気恥ずかしく、ゆっくりと、後ろ向きにその場を離れた。

 今思い出せるのは、そのくらい。他にもイベントはあった気がするけど、もう自分では思い出せない。

 認められた、ということが最も大事で唯一大切だったから。

 僕はその日から、確かに「くりえいたー」に憧れ始めた。


 それから僕にとって「創る」は最後の支えになった。

 美術で課題が出されると、ありきたりなテーマでみんなと被らないように注意を払った。

 パースの壊れた変な建物を休み時間まで描く羽目になったが、やりきったことに満足していたし、先生もチャレンジを褒めてくれた。

 音楽の混声合唱はアルトのほうがカッコいい気がして、無理に高い声を出した。

 結局すぐにテノールに移されてしまって、とりあえず音楽は向いてないと知った。

 どちらも5なんて取ったこともなかったが「奨励賞」の3文字はその事実を跳ね返すほど輝きを放ち、僕が「くりえいたー」であり、いずれそうなる根拠を与え、尊厳を守ってくれた。


 その頃、放課後の美術室にはいつも草村という女がいた。 

 線はヨレヨレ、色塗りはガサツ、ついでに自分の字を間違える。

 美術の授業では決まって実習のあとに作品の講評を全員で行うのだが、彼女の絵だけはどうしても感想を書くのに苦労して、つい空欄で提出してしまった。

 下手なものは下手だ。

 それ以上も、それ以下もなく。

 でも拙さに言及するのは暗黙のタブーだったので、僕は空欄を選ばざるを得なかった。


 草村と最初に、そして最後に話したのは中2の冬だった。

 僕は冬休みの課題の絵に納得がいかなくて、部活の終わりに美術室を使っていた。

 あの角度が違うとか、この建物がズレているとか、ああでもないこうでもないと描き直しに描き直した。

 描きかけの画用紙が10枚を超えた頃、ドアを開く音がした。

 僕は一瞥し、そこに草村の姿を見るが、特に挨拶をするでもなくまた絵の方に戻った。

 美術室は吐息が聞こえるほど静かになったとき、甲高い声がした。

「あのさ」

 僕はちょうど背伸びをしていた最中で、振り返る。

「めちゃくちゃ急でごめんだけど、塗り絵コンテストで入賞してた……よね?」

 実際あまりに急だったので、僕は彼女を凝視した。

「そう……だけど」

「ああ! やっぱり」

 やっぱり、というのを深掘りすると、どうやら彼女は僕の作品を観たことがあるらしい。

「色の分け方がパキパキしてて、あれ好きだったな〜」

「ああ」と声に漏らして、しばらく二の句が継げない。

 僕の描いたものは確かに誰かに届いていた。それを初めて知ることは、天にも昇る心地だった。

「あ、ありがとう」

 喉の奥から言葉を絞り出して、それから彼女とは色々話した。 

 彼女はイラストレーターを目指していて、美術部のないこの中学校の、夕方にはがらんどうの美術室に残って絵を描いているという。

「やっぱり、練習?」

 彼女は朗らかな瞳で首を横に振る。

「なんか、描きたくなっちゃうんだよね」

 描きたくなる、という言葉に僕はうんうんと頷いた。

 やれと言われなくてもやりたくなり、頭の片隅でずっとそのことを考えている。

 僕らのような生き物にとって、創作は呼吸と同じだ。

 僕と草村は同志だ。その数分だけは本気で思っていた。

 すぐ後で、彼女がキャンバスの隣に積まれた、描きかけの画用紙たちに気づくまでは。 


「これなに?」

 僕が座る横に席を近づけて、彼女は指を差す。

「これ? ゴミだけど」

 事実を言っただけなのだが、彼女の顔がやけに曇るのに気づく。

「どうかした?」

「……凄く良いところまで描きかけなのに」

 言っている意味が分からない。描きかけなのは認めるが、良いところにいけていないのだからここに積まれているのだが。

「いや、全然ダメなんだよ。例えばここの位置とかさ」

「ダメなのは、ダメなのかもしれないけど」

 その言葉に少しイラッと来たのは、草村がド下手で有名だったのを思い出したからだろう。

「でも、完成させないとこの絵が可哀想じゃない?

 ダメかどうかは、その後にまた決めればいいと思う」

 さっきまでの仲間意識が嘘のように、無性にイライラした。

 これだけでなく、僕は作品を完成させることができないことが多々あった。

 自分のコンプレックスを刺激された僕は強く当たった。

「50点だと分かって量産してるのに、そんなこと言える?

その方が可哀想じゃないの?」

 彼女は目を見開いたあと、目をうつむかせていた。

「50点だと分かってても、私は完成させたい」

 怖かった。

 バッシングを分かっていて、そんなものを世に生み出そうとするなんて、純粋に化け物みたいで。

 不幸になるとわかっていても子供を産むことを止められないことに等しい。

 草村が震える声で放った意思は、少なくとも僕にはそう見えた。

 さっきまで同志だと思ってたのに、いつの間にか異物を見ている気分になって、僕はすぐに身支度を始めた。

「僕、正直その考えには共感できない」

 共感できないのではなく、共感した瞬間に自分を支えていた何かが決定的に変わってしまう気がした。

 だから逃げた、一言残して。

「あの塗り絵も50点の出来だったの?」

 さすがに草村も怒ったようだった。

「だから君は――」

 そこまでしか聞こえないままその場を去って、草村とはそれきりだった。


 今思えばあの時から僕の夢は狂い始めたようだった。

 冬休みの課題では、遂に絵を1つも完成させることができなくて、内申は2に下がってしまった。

 それでも伝統的な描き方に興味がない、なんて嘘をついてその時は誤魔化せた。

 高校に入って初めて隣になった子が、暇つぶしに描いた漫画を見せてくれた。

 絵や話は並だったけど、コマ割りのテンポが週刊誌みたいでキレがあった。

 目を瞑ってきた「才能」というやつに死角から石を投げられたみたいで、僕はしばらく創作から遠ざかってしまった。

 部活はテニス部、進路は普通大学の社会学部。クリエイティブのクの字もない道を、サボったり真面目にしたりしながらダラダラと歩いてきた。

 道の途中で何もなかったわけではない。痒いところに手が届かない創作を見かけると途端に欲が刺激された。

 しばらく頭の中をいっぱいにして、たまに紙を1枚、ペンを持って再スタートを切ろうとした。

 でも大学では滾々と流れる怠惰に身を任せるほうが楽だったから、続かなかった。


「くりえいたー」には、今でもなりたいと思っている。でも以前ほどの真剣さを持ち合わせるには、時間がかかりすぎていた。


 たまたま目に入った区の若者に向けたインタビュー記事。

「草村さんの作品」という小さな文字の入った扉絵に釘付けになった。

 あのカッチリとした色使いは原色を効果的に扱うセンスに昇華し、線も繊細に描かれている。

 そこに50点の作品はもうなかった。

 なんだか気持ちが悪くなって、壁にもたれる。


 僕は何になりたかったんだ?

 僕は何をしていたんだ?


 目を落とした先には「素敵なイラストには感想を送ってあげてください」と書いてある。

 自分の気持ちをごまかしたくて、感想欄をちぎってペンを持ってきた。

 何も思い浮かばくて、いや、あえて言葉を封印しているのが分かった。

 きっとこの封印を解いてしまったら、もう二度と透明な気持ちで創作することはできなくなる。


 だから、君があの時言おうとしたように、僕にはなにもかけない。

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君にはなにもかけない よしなに @hemu-hemu

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