第一章 砦墜とし編・7

「それで、弟子の得物はなんだ。鈍器か?」


 冒険者組合の地下には、建屋のある敷地と同等の広さの空間がある。修練室とも修練場とも呼ばれるここは、素人から玄人までが己の戦闘力を高める為に利用できるように解放されているのだが、都市部では利用頻度が非常に低く誰の姿も見られなかった。


 雑多な武器防具が隅に置かれ、あちこちに打ち込み人形などの的、それから建材や障害物なども無造作に置かれていた。


「そうね、それじゃあアコ、丸太と、それから岩と書いて補充してください。ヘルムはその程度じゃ即死はしませんが、一応【身体強化】の奇跡は掛けておきますので手加減などしないように。ではアコ、殺す気で動きなさい」


 アコニタムは初対面の気の良さそうなドワーフに対して、殺意を抱けと告げた上司に得も言われぬ恐怖を感じ閉口した。


 ヘルムントスはヘルムントスで、昔馴染みの巫女が既に戦場に心を置いている感覚を肌で感じ戦慄した。心が冷えてくると同時に身体が熱くなる。鉄火場のようなこの感覚をヘルムントスは嫌いではなかったが。


 アコニタムが羽ペンを走らせている様子を横目に、交互に腕を交差して体をほぐしながら、ヘルムントスは巫女長に聞いた。


「なあ戦巫女。勇者召喚の儀式は首尾よくいったんだろう? どうしてそんなにピリピリしてやがる」


「わたくしが言ったことをもう忘れたの? 宵の明星があの巫女に目を付けた。勇者たちそっちのけでね。だから、あの子をこの国から放り出さなきゃいけないの……」


「おい、何言ってんのかさっぱりだぞ」


 巫女長の厳しい横顔を眺めて、ヘルムントスはガリガリと頭を掻いた。巫女長は戦場が絡まなければそれはそれは面倒見のいい女性なのだが、一度心が離れると様々なものを置き去りにしてしまう。


「なんもわからんが、わかった。あの弟子に戦場の空気を教えればいいんだな。視野、運動、それから呼吸。そうだな、オレぁが指導すりゃ二十日もありゃ新兵に混ぜても死なんようになるだろ」


 巫女長がすっと流し目をヘルムントスに送る。

 その表情を見てヘルムントスは懐かしさを感じながら、どうやら自分が間違った返答をして失望されたと察した。


「そんな目をすんなや。無理なものは無理だ」


 ヘルムントスが邪険にするのも無理はない。

 アコニタムはどう見てもただの少女で、その動きには何ら光るものを感じない。

 今もふらふら、よたよたと精細さの欠いた無駄な動きで修練場の中を歩いている。


 生まれたてのヒヨコですらもうちょっとマシな動きをするわと、ヘルムントスは喉元までせり上がった文句が出ないよう堪えていた。


「時間がないっつったってよぉ、今すぐ壁外に出したら、あっという間に魔物の糞だぞ。おい戦巫女、そんな奴を彼の王が見初める訳ねぇだろうがよ。神託じゃぁなくて、白昼夢でも見たんじゃねぇのか?」


 アコニタムがとてとてと戻ってきたので、ヘルムントスは溜息を吐いた。

 彼女の表情は壁の傍に住む魔物に襲われた際の民衆のように悲壮感が漂っている。


 こんなか弱い少女を壁外に放り出すなんて、何と惨い事だろうか。

 人情にあついヘルムントスは、熱くなった目頭を揉んで誤魔化した。


「巫女長、ヘルムントスさん、準備が出来ました。あの、本当にこ、こうげき、してもよろしいのですか?」


 巫女長は言葉にはしていないが、くどいと言わんばかりに眉を眇めている。


「もう一度言います。ヘルムントスを殺しなさい」

「言い方」


 流石に侍女も黙っていられなかったのかツッコミを入れた。アコニタムとヘルムントスは巫女長の態度に引き気味になり、そそくさと修練場の一角に陣取り相対した。


「【神よこの者へ強靭なる肉体をしばし貸し与えたまえ】。アコ、始めなさい」


 巫女長が【身体強化】の奇跡を行使すると、ヘルムントスは淡い純白の輝きに包まれた。奇跡が成就した印しである。


「それではヘルムントスさん、えっと、いきます!」


 アコニタムは前に駆けだす。少女の左右前方、丁度目線の高さに二枚の絵札が浮かび、数歩前を先行する。


 何も聞かされていないヘルムントスは、何とも無防備に、しかもかなり遅い速度で近付くアコニタムを逆に心配する。


 余りにも戦闘慣れしていない挙動である。これなら犬と追いかけっこをしている子どもの方が素早いだろう。つまりそこらの野犬にすら負けてしまいそうである。


 彼女に必要なのは戦闘力ではなく腕利きの護衛ではなかろうか。しかも霊気もあまり感じられないのだから、本当に自分は何を相手にしているのかと首を捻る。


「ドワーフの娘っ子より足が遅いぜ? おい戦巫女、この嬢ちゃんの相手はあんのエルフの先生に任せた方がいいだろ!」


 アコニタムを指差しながらヘルムントスは完全に体の向きを巫女長の方に向けてしまった。


 これは訓練でも授業でもない、小さな娘と公園で遊んでいるような心境になったヘルムントスの心情も巫女長にはわからなくもなかった。だからこそ警告した。


「ヘルム、頭を守らないと本当に死にますよ」


 ヘルムントスの片眉が吊り上がる。幼児に殺される地の半妖精ドワーフがどこに居るのか、と反論する前に彼の身体は大岩に押しつぶされて修練場の土の床にめり込んでいた。


「えぇえ⁉ ヘルムントスさん⁉」


 アコニタムが慌てて声を上げるが、すぐに大岩を跳ねのけたヘルムントスが立ち上がる。

 数歩先のアコニタムを眼光鋭く睨むと、身体を半身にして両腕の甲を前後に向ける攻防一体の構えをとった。


「なんだ、何が起きた? 嬢ちゃんがやったのか? 霊気も詠唱もなかった――何をされたんだオレぁ」


 直ぐに動かないアコニタムから視線を外して周囲を見回す。

 隠蔽、隠密、術士による遠距離支援、はたまた精霊でも飼っていてそれに攻撃された?


 ヘルムントスは経験から答えを導こうと様々な可能性を巡らせて、次に起きる事象の起点を見つけようと最大限の警戒をした。


 戦巫女に豪傑と呼ばれるほどの御仁である。

 つい先ほどまで酒を飲んでいた気の良い男とは思えないほど、濃密な気炎に包まれていた。


 彼、ヘルムントスは正真正銘の益荒男である。

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