第一章 砦墜とし編・1
白の空間が消え去り、後に残されたのは元から儀式場にいた現地人と、そして新たにこの世界に加わった異世界人が35名。
「我らが君王、ここに【勇者召喚の儀式】は成りました! お喜びください――正しく中位上級以上の精鋭が35名、あなた様の麾下に加わりました。この日、いよいよ知恵ある者たちの反撃の狼煙が上がるのです」
そう若い教皇が報告すれば、顔から険がとれた国王は、綻びそうになった表情を一瞬で引き締めると鷹揚に頷いた。
王子や王女などは随分と明るい表情をしているが、父であり一国を束ねる者の矜持ある横顔を見やり、居住まいを正した。
儀式前の緊迫していた雰囲気は穏やかさを取り戻す。
召喚された少年少女たちは様々な感情を抱えて色めき立つが、聖職者と巫女達が直ぐに鎮静化の祝福を施すと、まだ動揺はあれど聞く耳を持って国王と教皇、そして話しは宰相が引き継ぎ、勇者召喚の儀式とこの国のおおまかな諸事情を黙って聞いていた。
そんな一連の流れの中、ただ一人アコニタムだけは聖堂の石畳にへたり込んで、苦しそうに喉首を押さえて震えていた。
神域が消えた瞬間、体感したことがない心身の不調に襲われ、少し後ずさった後に脚を縺れさせて座り込んでしまったのだ。
誰もが召喚された異世界人たちの方を見ていて、アコニタムの様子に気が付いていないのだ。
アコニタムは真冬でもないのに身の危険を感じるほどの寒気に襲われていた。
全身が氷のように冷たくなってしまったのかと思う程だ。
もうおしまいだ。
どうして自分がこんな目にと、己の運の無さを呪う。
この国の中で最も安全な場所、守護者の張った結界の中心にいても尚、あの怪物を目撃してしまった少女にとっては既に些末なことに変わっていた。
そして現状をも呪う。
この場では知恵ある者たちの中で最も尊いとされる守護者の末裔たる国王さえ表情を綻ばせているが、何を一体喜んでいるのだろうかと心の中で悪態を吐かずにはいられなかった。
自分と同年代の人間がたかだか35名加わったところで、あれには勝てないと理解させられてしまったのだ。その評価は的を射ている。
例え彼らが創造神の恩寵を受けて、特別な力を持っているのだとしても、あの怪物がまた突然襲ってくるとも限らない。
あれは埒外だ。果たしていつ気まぐれを起こすのか分からないのだ。そんな楽観は持てるはずがなかった。気が変わったと言って虐殺をしに今にも戻ってくるかもしれない。それ程までに信用ならない相手なのだ。
考えれば考えるほど不安が募り、胃や胸の奥が苦しくて、吐きたくても吐けず、叫びたくても叫べず、ただこの極寒に身を震わせることしかできない。
泣きたくなるほど嫌になる。だが涙も出ない。
震えて蹲るアコニタム。
その異変にまず気が付いたのは、彼女とほとんど接点のない巫女長だった。
天啓に似た閃きが巫女長の視線を誘導した。
祝賀会のような流れの中、立ち込める暗雲を見つけた時の様に、水を差されたかたちとなったため巫女長は初めに気を悪くした。
だが一目視界に末席を意味する赤錆色のフードローブを纏った巫女が蹲っているのを認めると、その体中に纏わりつく幽玄の陰気に仰天した。
ここは神聖領域だ。魔を退ける結界の中枢なのだ。
そして召喚されたものを含め全員が創造神の威光を浴び、聖堂の清らかな空気を纏わしているのである。
しかもこちら側の人間は儀式場に入る前に質の高い聖水で身も衣服も禊を済ませている。
それなのに何故、そこの少女は不浄の呪いを纏っているのか?
何事かが起きている。不測の事態だ。
巫女長はこれまでの経験で培った勘を頼りに直ぐに動いた。
聖句を唱えながらアコニタムの傍へ寄り、己が膝を石畳につけて震える少女の肩を抱いた。
「【創造神の御慈悲を求む。この者に付く邪悪を祓いたまえ】」
中位中級の【解呪】が瞬時に発動する。すると聖域との相乗効果もあり、効果は劇的だった。
可視化できるほどまでに高まっていた瘴気が霧散し、アコニタムの震えも落ち着いた。
(なんてこと……まさか生きたまま幽世に引きずり込むような呪いがあるの? こんなこと一体何者が)
邪悪な呪いを【分析】した巫女長は戦慄した。
魔王とアコニタムとの邂逅を知らなければ誰も真実には辿り着かないだろう。
何せ人々はこの結界内には、魔王は疎か上位の魔物は入れないと過信しているからだ。
300年何もなかったのだ、無理もなかった。
そして幽世への転移魔術は当然魔王が残した置き土産である。解呪はできなかったが発動を妨害できたので一先ずは分析する猶予が得られた。
アコニタムの首には依然として輪廻転生の呪印が刻まれていて、介抱しようとしてそれを認めた巫女長はさらに仰天したが、声を上げなかったので儀式場が騒然となることは回避された。
巫女長は直ぐに移動したかったが、アコニタムが自力で歩けそうになかったため、巫女長の地位に能わぬ速度で下位低級の治癒の奇跡を行使する。
なんとか自力歩行ができそうだったので、満身創痍のアコニタムの手を引いて、第一聖堂内にある巫女長に宛がわれた部屋へ速やかに移動した。
部屋に入って早々、寝台にアコニタムをやや乱暴に座らせると、アコニタムのフードを降ろして首をまじまじと観察する巫女長。
「貴女、一体儀式の間に何をやらかしたの? 事と次第によっては極刑が下されるのよ? おわかりなら今すぐ真実を神へ告解なさい」
巫女長は40手前だが、保有する霊気と奇跡のお陰で見た目は非常に若い。これでも二児の母親なので自身の子どもとおおよそ近いアコニタムへ問う言葉は、厳しさがあったが慈愛が籠っていた。
アコニタムは上司である巫女長の言葉を素直に受け止めると、彼女の目に何とか焦点を合わせようと視線を彷徨わせる。
癖のある赤毛に金糸のベールがハイロゥのように巻かれている。勝気な目は篝火の様に橙色に輝いていた。暖かく、力強い目だ。
儀式の最中に起きたことを思い出そうとし、しかしそれを脳が拒絶するように、呼吸が乱れ隣に座った巫女長に伝わるほど震えだした。
尋常ではない雰囲気に、流石の巫女長も出鼻を挫かれた。
これはまるで、乱暴された女子のようではないか。
途端に同情と過去にそういった事例に対処した経験を思い出し、巫女長はアコニタムへの接し方を切り替えた。
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