組合事務所②

 殺人? ユウマは疑問に思った。世間を騒がせているというほどではないが、最近起こった殺人事件といえば一つしか思い浮かばない。


「あの路上殺人のことですか?」


 事件が起きたのは少し前のことだった。仮粧町通りからもそう遠くない住宅街の路上で女性が倒れているのが見つかった。被害者の身元は不明で、警察は殺人事件とみて捜査をしている、と初期の報道にはあった。


「ニュースになってましたね。被害者の身元が判明したとか」


 しかし紅葉の表現とは大きく異なる点がある。


「他に被害者が出たっていう話はなかったと思いますけど」


 ユウマが疑問に思ったのはその点だった。事件は、一応はテレビや新聞で手短に取り上げられてはいても、それほどの騒ぎにはなっていない。単発的な殺人死体遺棄事件というものは、ユウマを含め、大方の人々にとって他人事に過ぎないからだ。ただ連続殺人となると話は変わってくる。


「新たな被害はまだ出てはいないわ。幸いにもね」

「どういうことですか?」

「黒江くんは知らないでしょうけれど、この事件は、もっと前から起きているの」


 ユウマは余計わけがわからない。


「あのクソッタレな事件と同一犯ってことか」


 エンジュがぽつりと言った。その表情は、先ほど紅葉から〝鬼の形相〟と揶揄されたときのように牙を剥いてはいなかったが、目の奥には深い敵意を滲ませていた。


「この際、黒江くんにも話しておくけれど」


 紅葉はエンジュには答えず、ユウマに向かって話を続けた。


「以前から、組合員が消される事件が続いているの。人間社会で暮らしているものも、その辺をふらついているようなのも、無差別に襲われている。狙われる対象も殺され方も様々で、被害者が人間ではないということ以外に何の関連性も見出せない……ただ共通していることが一つだけあって、どの被害者も、喉をえぐられている」

「喉を……?」

「理解し難い行動だし、半信半疑だったけれど、今回の事件ではっきりしたわ。犯人は喉仏のあたりをえぐって軸堆じくつい──つまり第二頚椎けいついを持ち去っていたの。普通だったら一種の〝記念品〟のつもりなんでしょうけど……」

「要するに」


 ユウマは今の話を頭の中でまとめた。


「その事件と、今回の殺人事件は、異常な手口が一致していて、同じ犯人の仕業だと」

「そういうことよ」

「ただし今回だけは被害者がいつもと違う……」

南木なぎの線は消えたな」


 とエンジュが言った。

 事情を飲み込めずにいるユウマに、紅葉が話をいでくれた。


「組合員を殺されて、私たちも手をこまねいていたわけではないわ。犯人を見つけようと色々と動いてはいるのよ。人間の殺人とは違って証拠みたいなものがあまり残らないから、そう捗々はかばかしくはないのだけれど……一応いくつか当たりはつけていて、南木家の一派とかギルドの連中には注意していたの。でも──」

「南木のやつらが人間殺すわけねーからな」


 二人の言う〝南木〟の一族については以前ユウマも少しだけ聞かされたことがあった。人ならざる者たちがまだ人間に多く害をなしていた時代、反対にそれを狩っていた人間たちの末裔まつえい──「人間社会に害を及ぼさない」という条件で今は休戦状態にはあるが、化生の者たちとの折り合いは非常に悪いという話だった。


「じゃあその……何て言いましたっけ、もう一つの方があやしいってことですか」

「まぁそうなるな」


 とエンジュは同意したが、


「私が言おうとしていたのはそのことなのよ」


 紅葉は頷かなかった。


エンジュ、言っておくけれど、あなた、余計なことはせず大人しくしていなさいよ」

「は? 余計なことって何だよ」

「ギルドの連中のところに殴り込んだり、そういうことよ」

「しねーよ」


 とエンジュは目を怒らせて言い返すが、しそうだ……とユウマは思った。


「この件はこちらでも色々と手を回しているから、あなたに勝手なことをされると迷惑なの」

「だからしねーっつってんだろ」

「本当かしら。いずれ耳に入るだろうから伝えはしたけど……ただでさえ厄介事を余計ややこしくするのが得意なんだから」

「そんな面倒くさそうな話に関わってられるかよ。頼まれたってお断りだ」

「それならいいのだけれど」


 そう言い残すと、紅葉は再び長い黒髪を扇のように振って背を向けた。事務所の入り口から出ていくと、顔を半分だけ戻して見せて、「差し入れ。冷蔵庫に入っているから」と言って、帰っていった。


 コンクリート造りの階段をカツコツと降る音が次第に遠のいていく。


「やっと帰ったか」


 とエンジュが憎々しげに言って、どかっと応接用の椅子に腰を下ろした。小柄な体躯にはちょっと大きすぎて不釣合いだが、前からあったものなので仕方がない。


 ユウマが事務所の調理スペースに設置されている冷蔵庫を開けると、中には取っ手のついた小ぶりな紙の箱が入れてあった。要冷蔵と印字されてある。賞味期限は当日限りだ。


「エンジュ、緑茶と紅茶、どっちにする?」


 そう声をかけながら、ユウマは冷蔵庫から紙箱を取り出した。

 エンジュはそれを横目にじろっと見た。ちょっとふくれっ面をしている。


「食い物なんかで簡単に買収されるな」

「でもケーキだよ。パスティチェリア花菓子野かかしのの」


 その店は、仮粧町通りの商店街からは少し離れた住宅地に、一見民家風の家屋でぽつんと開いているケーキ屋で、ひそかにエンジュが気に入っていたのだが、地域情報誌で取り上げられて以来、お客さんが列を成してやってくるようになってしまった。


 そうなる前に何度かユウマもエンジュとその店のケーキを食べに行ったことがある。口に入れた瞬間はさらりとしていてあまり甘みを強くは感じないのだけれど、のんびり食べているとじんわりと心地よい甘さが広がってくるような、そんな品のある味だった。


「折角なのに。腐らせるともったいないよ」

「お前が全部食えばいいだろ」

「まぁ、そう言うなら……」


 仕方なくテーブルに紙箱を置くと、ユウマは再びキッチンに向かった。やかんに水を入れて火にかける。その間に昨日堀越園で買ってきた茶葉を開封する。


 堀越園は仮粧町通り商店街にある葉茶屋で、店主はもちろん組合員だ。この店では茶園から仕入れた茶葉をそのまま売ってもいるが、店で合組ブレンドしたものも販売していて、おすすめされるままに新商品を買ってきてあった。


 お茶の用意をしてユウマが戻ってくると、テーブルの上の紙箱を横目に見ていたエンジュが、ぷいと顔を背けた。


 急須に湯呑にと並べて、ケーキの箱を開ける。箱は平べったく開ききるようになっていて、イチゴ、レモン、ショコラ、チーズ、ベリー、一口サイズの小さなケーキパスティチーノが色とりどりに並んでいた。


「美味しそうだね」

「そりゃよかったな」

「本当に食べないの?」

「しつけーな。いらねえっつってんだろ」

「でもこれは……さすがに一人で食べるには多すぎるよ」

「このくらい食えるだろ。根性ねーやつだな」

「半分食べない?」

「やだ」

「でも賞味期限は今日までだし……残りは捨てることになっちゃうな。案山子野かかしのさんが知ったら悲しむだろうなあ」


 ユウマは、パスティチェリア花菓子野の店主の朴訥ぼくとつとした、どこかすまなさそうなはにかみを思い浮かべて、実際に申し訳ない気がしてきた。


「そんなの言わなきゃいいだろ」

「次お店に行ったとき、まともに案山子野さんの目を見れる自信がないよ」

「…………」

「『いやあ久しぶりだねえエンジュちゃん! 最近来てくれないから寂しかったよ。エンジュちゃんうちのケーキほんと美味しそうに食べてくれるから、作ってるこっちも嬉しくてしょうがないんだ。今日はどれにする?』」

「イヤなこと言うなよ! わかったって。食うよ。食えばいいんだろ」


 エンジュは根負けした様子で、腕組みをして応接椅子の背もたれに身を預けた。


 ユウマがもう一人分の皿とフォークを取ってくると、エンジュは口をきゅっと結び、真剣な目でテーブルの上に並んだケーキを見つめていた。


「半分ずつね。どれがいい?」

「えーっと、そうだな……ッてばかやろう、どれでもいいっての」

「じゃあ僕が好きなのをもらおうっと」


 ユウマはエンジュが好きそうなのを避けつつケーキを自分の皿へと移していった。


 久々に食べたパスティチェリア花菓子野のケーキは相変わらず美味しかった。一口サイズのケーキだが、ゆっくり味わったほうが楽しめるので、フォークの側面でさらに小さくカットして、少しずつ口にする。ちらとテーブルの向かいを覗き見ると、ケーキをほおばるエンジュもめずらしく外見相応の子供みたいな笑顔になっていた。


 ユウマはほっとした。エンジュの虫の居所が悪いと被害をこうむるのはユウマなのでとてもありがたい。心の中で紅葉の差し入れに感謝した。


 いやでも──ふと思いあたった。紅葉の持ってきたものなんて誰が食うかとエンジュがこだわるであろうことは予想がつくはずだろうに、あえてエンジュの大好きなものを冷蔵庫に入れておくのは、レベルの高い嫌がらせなのかもしれない……。さすがにそれは穿うがちすぎか。人の好意を疑うのはよくないとユウマは頭を振った。


「悪かったな」


 ケーキを食べ終わって、エンジュがぽつりと言った。台所で食器を洗って戻ってきたばかりのユウマは、意外そうに目をちょっと見張ったが、一言「うん」と返した。


 何が、と聞く必要はなかった。ケーキのことではないし、ましてや腹パンのことでもない。しっちゃかめっちゃかにしてしまった『セルパン』の片付けをさせられたことでもない。


 ユウマは事情があって、エンジュが組合の当番員を務めている間、その仕事を手伝うことになっていた。今回のようにエンジュが損害を出して、それを働いた給料であがなうということになると、その分を稼ぐだけお役目が長引くということになる。


「いいよ」


 顔を背けているエンジュに、ユウマは笑顔を向けた。


「八五郎さんのためにやったんだろ」


 ユウマが店に着いて、足四の字固めをかけるエンジュを止めて話を聞いたとき、おかしいと思った。それくらい力の差があって、あんなに店が荒れ放題になるはずはない。エンジュがわざと暴れでもしない限りは。


 その理由をユウマはこう考えていた──エンジュが到着したとき、既に店内はそれなりに荒れていたのではないか。もし八五郎の言い分が通って給金は貰えるようになったとしても、それとは別に店の損害を弁償させられる。酒を飲む程度の金が欲しいだけの八五郎にそんなもの払えるはずがないし、おさまりもつかないだろう。そこで、エンジュが〝やりすぎてしまった〟ことにした。


「ばーか、そんなんじゃねーよ。想像で勝手なこと言うな。オレがそんな頭回ると思うか」

「三方一両損ならぬ一方十両損だったけど、まあ最終的には八五郎さんも鶴牧さんも笑ってたし、よかったんじゃないかな」

「だからちげーつってるだろ。あんまりしつこいと張っ倒すぞ」


 エンジュは鬼歯を立てて怒ったが、本当に違ったら口より先に手が出ている。ユウマは、まったく天邪鬼あまのじゃくなんだからと思いはしたが、そう言うとあんな小物と一緒にするなと怒られるのがわかっているので、口にはしないでおいた。

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