シュトーレンの猫
@navy_fox
第1話
シュトーレンの猫
冬の足音が聞こえてくると、街のパン屋はシュトーレンを焼きます。
淡雪牛乳と夜特製の膨らし粉。晩秋に挽いた冬に憧れる小麦粉。砂糖は氷が好きなもの、卵は焼菓子希望のものを選別すること。スパイスは今年良い縁のあったものをほんの少しだけ。
それを腕によりをかけて作ります。すると、しっかりもちりとした食感になるのです。パン屋特製の生地はそれだけでも美味しいと評判でした。
でもそれだけではいけません。
なにしろ祝祭の為の特別なものですから、中身も素敵な宝物でいっぱいにしましょう。
木の実はアーモンド、胡桃に松の実を軽く炒りました。果物は葡萄、無花果、南の柑橘の皮は、砂糖が凝るくらい干します。それらを刻んで少し苦めの夜深酒に漬けるとほのかに香り高く、深い味わいの具材になります。
それからなんといってもパン屋特製のマジパン。常連の皆さんはどれが一番多いか目利きをして、どれにするか決めるという噂です。
そんなパン屋のシュトーレンは、毎年一瞬で売り切れてしまう自慢の逸品なのです。
今年も真夜中からはじめた焼き作業は、夜明けと共にやっとひと段落。第一弾の販売に向けて冬の空気に晒されていました。
街は祝祭に向け、どこか楽し気でわくわくするような軽い気分が満ちています。
風は真夜中に散々凍てつきました。夜明けで少しやわらぎましたが、まだまだ生き物の息を白くするほど凍えています。
そんな風がパン屋の開け放たれた窓から吹き込み、焼きあがったばかりのシュトーレンをきゅっと冷やします。
その心地良さにシュトーレンの猫は目を醒ましました。
シュトーレンの猫は濡れた杏みたいな丸い目をまたたかせると前足を伸ばします。それから後ろ足に一本ずつ力を入れ、しっぽをぴんと張りました。
猫は余分な蒸気が抜けて、ほんのり温かい身体にバターを纏うと毛づくろいをはじめました。前足もつかいながら、小さな舌で丁寧に舐め整えます。
全身の毛繕いが終わると、大きな耳にぽてりとしたしっぽ、潤んでまんまる目、細い砂糖のおひげ、何より粉砂糖が毛先まで行き届いて素敵な毛並みのシュトーレンの猫になりました。
毛繕いの終わると、猫はひゅるりと吹き渡る風に目を奪われました。朝日できらきらする風を金色の目が捉えて、全身を小さく縮めます。
突然シュトーレンの猫に飛びかかられた空っ風は驚いて、もみじをすそで舞上げました。
猫は空っ風に飛び上がっては、焼けて尖ったパリパリの爪で葉を弄ります。舞い上がった葉を窓辺に飛び乗ってちょん、伸びた枝の上にちょい、窓枠の上でちょいちょいと夢中で追いかけました。
とうとう木のてっぺんまで登ってしまいます。
夜通し吹きさらして疲れていた空っ風は、釣れたシュトーレンの猫をこれ幸い、朝飯にしようかと手を伸ばします。
すんでのところで通りすがりの配達鷹が、空っ風の手をべちりとはたき落とします。
「これ、こんなところにいては危ない。窓辺に連れて行ってやろう。……おおい、お届けものだよ!空っ風にとられるところだったぞ」
配達鷹は荷物と一緒にシュトーレンの猫をパン屋の窓辺へ連れて行きました。
配達鷹の声をきいたパン屋は慌てて奥からすっ飛んできます。
「ああ、うちの子を助けてくれてありがとう」
「まだ焼きたてで分別がついていないんだろう。脱走防止の柵はどうしたんだい?」
「ちょうど付けようと納屋に取りに行っていたところだったんだよ……おや、おねむかな」
猫は窓辺のにおいを嗅いで落ち着くと、寝心地の良いところを探して陽だまりをくるくるまわります。そしてすとんと腰を落としたかと思うと、あっという間に丸まって眠りはじめました。
「美味しい魔法が育ち盛りだろう。空っ風とひと遊びして満足出来たなら良かったよ」
「素敵なシュトーレンになってもらうには、じっくり寝てもらわないとな」
パン屋と配達鷹は話をしながら、別の部屋へ行ってしまいました。
シュトーレンの猫は夢を見ます。
ほかほかホットワイン先生と甘いレーズンリス、それにクリームたっぷりチーズ鳥に生ハム犬。
みんなで一緒にテーブルの上で追いかけっこをします。
グラスを飛び越え、テーブルクロスをくぐって、飾り木を登ってオーナメントでキャッチボール。
みんなで美味しいミルクを飲んだら、また追いかけっこをしましょう。
パン屋は夢見る猫を起こさないよう、そうっと包装すると、商品棚に並べました。
シュトーレンの猫の生活圏は夢の中。買って食べてもらうことこそがシュトーレンの幸せなのです。
勿体無くても全部、祝祭の前に食べてくださいね?
そうしたら、シュトーレンの猫は次の冬の祝祭まで、夢の中でずっと楽しく暮らせるのです。
さあ、おひとついかがですか。
シュトーレンの猫 @navy_fox
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