第20話 窓明かり


「落ち着くまで側にいるから、我慢しないでいいですよ」


リビングに入り、ソファに座るように促してから優しい声で恭吾は言う。



「……恭吾くん、ごめんね。……ごめんね」

「七海さん、さっきから謝ってばかり。もう謝らないでください」


「ごめんね、ごめん、ありがとう……」



恭吾は泣きじゃくる子どもをあやすように七海の頭を抱きポンポンと優しく撫でる。

まだ冷たい指や手が温かく感じる。それは心に響く温かさだった。



(一人で踏ん張らなくてはと思っていたけれど、本当はこの優しさを求めていたのかもしれない……。)



普段、泣いている時は孤独で部屋の隅で小さく蹲り、一人泣いていた。


声が聞こえていた時もあったかもしれないが、春樹は聞こえないふりをして心配することもしなかった。悲しいときに手を差し伸べてくれたことで涙が止まらなかった。



自分のことを想い心配する温もりに触れて七海は恭吾の背中に手を絡め胸の中で泣いた。





「ん……」



目を開くと真っ暗な部屋にいた。見慣れない天井、電球、壁。ふんわりとかけられたブランケット。ここはどこだろうか……。


顔を横に向けると少し癖のある猫のようなやわらかい毛が鼻をくすぐった。さらに覗いてみるとこちらに身体を向けて眠る恭吾の顔が見えた。



慌てて自分の身体に手をやるとコートは脱いでいたが衣服は着たままだった。部屋に入ってそのまま泣きじゃくったまま眠ってしまったらしい。


ごそごそと動き出したので、七海は寝ているふりをして目を閉じた。恭吾は体を起こすと布団が掛かっているか確認している。



「七海さん。良かった。ぐっすり寝てる。」

優しい声で呟く恭吾。



寝ているふりをしているうちに再び眠ってしまい、次に目を開けた時はカーテン越しでも部屋の外が明るくなっていることが感じられるほどになっていた。真ん中が少しだけレースの薄いカーテンのみになっており明るい光が眩しく照らしている。



「……七海さん。おはようございます。」

もぞもぞとし、目を擦りながら少し寝ぼけた声で恭吾が言うので可愛かった。



「おはよう。恭吾くん、昨日はごめんなさい。」


「気にしないで下さい。七海さん気分はどうですか?」


「大丈夫。ありがとう」


「良かった。でも僕の前では無理しないでください。」



「ありがとう。私、もう行かなきゃ。」


「……え?七海さん?」


「ごめんね、本当にありがとう。ありがとう。」


恭吾が起きたことを確認し、七海は鞄とコートを手に取り、急いで玄関へと向かった。



「七海さん、ごめんなさい。嫌な思いをさせてしまいましたよね。でも……弱みにつけこむとか都合のいいようにとかじゃないんです。」


「いやなんかじゃない……。」


恭吾にも聞こえないような小さな声で七海はボソッと呟いた。


「えっ?」


「ありがとう。でもごめんなさい。」


リビングの扉の取っ手に手をかけたとき、もう片方の手首を恭吾が掴んできた。そして次の瞬間、後ろから抱きしめられた。




「七海さん。僕じゃダメですか?僕に七海さんの悲しみを取らせてもらえませんか?」



鎖骨には恭吾の腕が絡まり、左頬と首には恭吾の頬と吐息がかかる。


七海は、取っ手にかけた手を下げ、その場から動けなくなった。背中や首から熱が伝わり胸の鼓動が先ほどよりも一段と早くなり、電流のようなものが身体中をゾクゾクと駆け巡る。



春樹の時の嫌悪感とは違う、久々に感じたときめきのような、振り向いてもっと触れてみたいと刺激するような高鳴りに似た衝撃だった。



ドックン……ドックン……ドックン……



胸がはち切れておかしくなってしまいそうになっている。恭吾の腕に手を重ね、目を閉じて一呼吸をする。まだ、小さく震えている唇を制し、意を決して口を開いた。






「ごめんね。私、これ以上ここにいれない」



そのあとのことは、よく覚えていない。抱かれた腕を解き、靴を履いて小走りで恭吾のアパートを後にした。



振り向いてはいけない




その一心で必死になって走った。冬の風が頬にあたり突き刺さる。




昨夜、布団を掛けなおし七海を気遣う恭吾を見て我に返った。

普段、七海が海斗と陽菜にやっていることをあの夜恭吾が七海にしていた。七海はすやすやと眠る子どもたちの顔を見ると安らぎと愛おしさが溢れ幸せな気持ちになる。



(……恭吾くん。恭吾くんも同じ気持ちで私を見てくれている……?)



親子の触れ合いと大人の男女では同じ動作でもニュアンスが異なる時もある。恭吾の本心は計り知れないが七海は温かい気持ちになった。そして、同時に子どもたちの姿を思い出し母であることを忘れた自分を恥じた。



(私は母親なのに……。)



先ほどまでは高鳴って苦しかったはずの胸が今は罪悪感で押し潰されそうになっている。



久しぶりに走り、横腹が痛い。呼吸も苦しい、足が絡んで転びそうだ。でもここで立ち止まってはいけない気がした。七海はメロスになったような気分で自分の帰りを待つ子どもたちの元へと全速力で駆けていった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る