悪魔で好きなだけ
赤青黄
第1話
心の底で俺は、好き勝手に生きようと思った。燃える森の影で血の風を感じ取りながら、俺はそう思っていた。
目の前の世界は枯れていた。くたびれた鎖が腐り落ちる大地を繋ぎ止め、その上で悪魔たちが自分本位な欲望を貪っていた。落ちることなど頭の片隅に置かない姿に、どこかくすぐられる親近感を持つのは昔の話だ。
今はただ燃えるだけ、心が燃えているだけだった。
濡れたまぶたを拭き取りながら、あいつのいる世界を見上げる。
届かなかった手を伸ばし、俺は呟いた。
「好き勝手に生きてやろうじゃないか」
そう呟き、俺は背中から終焉の翼を開き、現世に羽ばたいた。
悪魔の王としてではなく、ただ一柱の悪魔として現世に転生をすることにした。
爛れた翼で時空の歪みをこじ開けながら、体を線光として砕けさせる。
そして、数多の星空に抱かれながら、悪魔から人間へと変わっていく。
悪魔から人間の体に変わるということは、地獄でパッとしないものが行うものである。
貴族の悪魔からは薄汚れた行為だと認識され、嫌悪感を持たれている。かくゆえ、俺も恥ずべき行為だと考えている。だが、数多の星を見つめながら漂う瞬間だけは、認めても良いと思った。
星の明かりが強さを増す。どうやら、転生される時が来た。今までの悪魔としての過去を沈めながら、新しい眠りに落ちる時が来た。輪郭が薄れゆく今を漠然と抱きながら、蜃気楼のようにゆらゆらと消えていく。
輪郭が鮮明に感じ取れるようになる頃には、乾いた叫び声が喉の奥から響き渡っていた。
叫び声は柔らかい骨を軋ませ、肺を揺らせる。
痛みの涙のシーツを拭き取りながら、現世を見つめると、そこには優しく笑う女性の姿があった。
これが母親というものなのか――。母のゆりかごに揺られながら、あいつを呪った。
生まれてから約十年の時が流れた。初めての転生は、成功とも失敗ともつかない不安定な状態だった。
俺は大理石のテーブルを見上げながら、スコーンと花の香りが漂う紅茶に目を向けた。
今の時代にこのようなものを用意できるのは、裕福な家庭だと俺でもわかる。周りには二人の従者とメイド達が佇んでいる。悪魔時代の孤独な食事を思い出しながら、紅茶を口に近づける。
――本当にこの家はどうしようもないな。
口元に持ってきた紅茶を止め、俺は部屋の隅にいるメイドのアリスに目を向けた。
「――アリス、こちらに来い」
俺は奥に佇むアリスを手招きした。
「はっ、はい」
突然の呼び出しに、アリスの肩はビクッと揺れ、恐れを宿しながらこちらにやって来た。
「俺に仕えて何年になる?」
俺は涙が溢れそうになる瞳を覗き込みながら尋ねた。
「さ、三年になります」
アリスは吃りながら、自分の仕えた年数を伝える。
「そうか、三年か。短いようで、実際には長い年数だな」
しみじみと感じながら頷き、俺は右手に持つ紅茶をアリスに向けた。
「飲め」
そう伝えると、アリスは後ずさり、俺の顔を見つめた後、辺りを見渡した。
従者たちはアリスを取り囲み、逃げ道をなくしている。アリスは、さらに後退るしかなかった。
「パ、パキラ様……」
「どうしたアリス? お前が用意した紅茶が飲めないのか?」
俺の言葉を聞き、アリスは察した。
この紅茶に毒を入れたことが、バレていることを――。
「……嫌です。飲みたくありません!」
アリスは叫び、従者たちの包囲を突破しようとしたが、体格差がありすぎた。
簡単に捕らえられ、地面に押さえ込まれる。
「アリス。俺は悲しいよ。君が食い扶持に困っていたから雇ったというのに、こんな仕打ちを行うとは」
「パキラ様、お許しください! 弟が大病にかかって、その治療費が足りないのです!」
「だから殺してもいいのか?」
俺は従者に指示をして、アリスの口を開かせた。
「なら、俺も命を守るために殺そう」
そう言いながら、紅茶をアリスの口元に置く。
「今までご苦労だった」
労いの言葉を耳元に呟き、紅茶を流し込んだ。
アリスは吐き出そうともがくが、無惨にも紅茶は胃に落ちていく。
陸で溺れながらアリスは涙をこぼし、黒い瞳は薄く落ちる。
ついに動かなくなったアリスを見つめながら、従者に向けて言う。
「カガリ。君の情報通り、暗殺を企む者がいたとは……いい働きだった」
カガリは深々と頭を下げた。
「はっ。もったいなきお言葉」
俺は淡々と指示を出す。
「後は任せた」
「承知しました」
カガリは事前に伝えた命令を思い出しながら、アリスを抱え、部屋を後にした。その時、アリスの体が一瞬だけ動いた。
――そう、アリスは死んではいない。
アリスに飲ませたのは、毒入りではなく、睡眠薬入りだった。
アリスの暗殺計画は、カガリの情報網を通じて事前に察知していた。そのため、このような暗殺を未然に防ぐことができたが、それではアリスは口封じのために殺されてしまう。
そこで、一芝居打つことにした俺は、毒ではなく睡眠薬を仕込んだ紅茶を飲ませ、彼女を「死んだこと」にした。
アリスは地下にある俺の部屋に一旦保護した後、新しい名前と人生を与える。ついでに弟の治療費を渡し、この屋敷からは去ってもらう。
つくづく、悪魔時代の記憶が、このような回りくどいことをさせるのだ。
目覚めた時、アリスは俺にどんな感情を抱くのだろうか――どんな反応を示すのだろうか。
アリスのその後を想像しながら、俺は椅子に座り込んだ。
残った従者とメイド達は、黙々と後始末を行なっている。
俺は、それを見つめながら自分が今置かれている状況を振り返る。
ロードアグロ暦1400年——この世界は、「魔力」と呼ばれる力によって支えられていた。生きとし生けるものすべてが持つこの力は、自然の理を超越し、個々の持つ量によって絶対的な地位が決まる。
魔力が多ければ、それだけで権力や名誉を手にすることができる。この世界の理は単純であり、残酷でもあった。そして、俺が生まれた家もまた、何よりも魔力を誇りとし、その価値を重んじる一族だった。
このエンピリオン一族では、魔力が少ない者は人として存在することが許されない。だが、この一族にも家族としての情があるのか、魔力が少なくともある程度の地位は約束されるが、搾取される立場でもある。
そして、俺はこのエンピリオン一族の中で最も地位が低い。
「おい、パキラ。そこにいつまで居座っているつもりだ。」
意識の世界から呼び戻され、目を向けると、そこには兄がいた。
パールディ・エンピリオン。プライドだけが肥大した可愛いやつだ。
威厳ある一族の正装を常に纏い、黒いマントをたなびかせる男だ。
「ここは俺様が使う。パキラ、貴様は出ていけ。」
これだけ威厳に満ちている男だが、ここを使うのは地位が低い存在だと知らしめている。俺に噛み付くのも、その証拠でもある。プライドが高いからこそ、プライドを満たすために地位が低い者に威張る。
なんとも可愛い愚か者ではないか。
俺はパールディの言葉に従い、従者を連れ部屋から出ていく。その様子に気に食わなかったのか、部屋を出ていった後、何かを蹴る音がした。
赤い絨毯が敷かれた廊下を歩く中で、従者の一人であるリリーが話しかけてきた。
「パキラ様。そろそろ妹様とのお茶会の時間に近づいております。」
「そういえば、そうだったな。」
と頷きながら、俺は妹の部屋に向かった。
「お待ちしておりました。」
若い従者がこちらを認識してお辞儀し、部屋の扉を開けた。
「あっ、お兄様!」
部屋に入る瞬間、犬のように俺の懐に飛び込み、顔を埋める。
長い金髪をたなびかせ、透き通る肌を持つ彼女こそが、俺の妹のアマリリスだ。
「お兄様、昨日ぶりですね。お兄様に会えないため、私は寂しい夜を過ごしました。」
「そうか、それはすまないな。」
と、アマリリスの頭を撫でた。
このアマリリスは、一族の中でも珍しく賢者の称号を得た存在だ。そのため、一族の地位も高く、次期当主とも噂されている。
そんなアマリリスは俺に好意を向けている。そのため、俺に従者が二人もいて、殺されないで済んでいる。
「お兄様聞きましたよ。暗殺されそうになったと」
アマリリスは小さな体を震わせながら俺の裾を握る。
「許せません。私のお兄様を殺そうだなんてそんな不届ものには、血をもって償ってもらいます」
アマリリスの燃える瞳を見つめながら、どこか悪寒を感じとる。
「そうか。頑張れよ」悪寒を感じ取りながらも俺は彼女の庇護の下に降るしかない。
「はい!お兄様のために頑張ります。」とひまわりのような暖かい笑顔を向けて来た。
「あそれとお兄様気をつけて欲しいことがありました。」
何かを思い出したかのようにアマリリスは声を上げる。
「気をつけて欲しいこととは?」
「はい、最近新種の魔物が発見されたのですが、どれもこれも陰湿で尚且つ神出鬼没のおまけつきで油断ならないんです。」
「それはつまり人の精神を食う魔物というわけか」
「お兄様知っていらしたのなら先に言ってください少しだけ恥をかいたじゃありません」と笑うアマリリスを横目に新種の魔物ではないんだがなと影を見つめた。
その後は世間話をある程度した後に「また明日お待ちしております」俺はアマリリスの元を離れた。無邪気に慕う姿は悪魔時代に従えていた七代貴族である嫉妬のイリスに似ていた。
イリスと重ねているためかアマリリスのことが好きになれない
もしかして本人……いやあり得ない。イリスの魂はあの日、転生の代償として使ったのだから。
くだらない考えを一括しつつ従者を引きつれる。カガリが後始末を終えたことだろうと日が傾く影を見つめながら自分の部屋に戻った。
汚れた地下の通路を通り冷気が立ち込める鉄の扉の前にやって来た。一見牢屋のような部屋は実際に牢屋として使われていた部屋だ。今では俺の部屋だがこれほど閑静で落ち着く場所はない。
扉を開けるとカガリがいた。
「カガリ、アリスの反応はどうだった」と俺は聞くとカガリは淡々と語る。
「殺そうとしたのに生かされ、弟の治療費も出してもらったためとても困惑していましたよ。」
「ほう、つまり罪悪感を感じてたわけか」
「そうですね。私が見る限り」
「普通だな。だがそれもありだ。」と俺は満足げに椅子に座る。後ろ足でバランスをとりながらゆりかごのように揺らしていると
「それよりアリスの裏にいる黒幕について考えるのが先だと思います。」
カガリが揺れる椅子を押さえ話しかけて来た。
「黒幕か……。」ある程度の目星はついているが証拠はない。
「カガリ、パールディの動向を調べろ」と伝えるのカガリは「わかりました」部屋から消えた。
さてさて面白くなりそうだと考えながら俺はベットに倒れ込む。その様子を見ていたリリーは休みの時間だと認識して部屋から出て行った。
ひとりぼっちになった部屋で今までの高揚感が嘘のように消えた。
俺は静寂に包まれた体に身を任せて目を瞑る。まぶたの裏には、過去がうつっていた。「好き勝手に生きてやる」この言葉が頭の中で反芻する。
「たとえ世界が混沌に溢れかえようともあいつに名誉を与えてやる。」
涙をこぼすかつての自分に目を逸らす。
俺はあいつ……クチナシの顔を思い浮かべる。
あの日捨ててしまった赤子のクチナシを思い浮かべながら俺は眠りについた。
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