第七章:心のどこかで

第一幕 岩陸の祭り

 松前の命地を訪ねてから十日程の月日が流れた。聖霊山手前の最後の命地は岩陸にあるということで、いつも通りにそこを目指す。

 松前を出る際、近くの村に病魔をまき散らした魔羅螻蛄がまだ周辺に潜んでいるかもしれないことを考慮して、空を飛んでの移動を避け、数日間は旅僧のごとく山道を歩いて移動することとなった。最後の方でようやく衾を呼んで背に乗せてもらったが、その頃には足の裏に硬い豆が出来てしまった。

 そうして辛抱強く進み、ようやく岩陸に辿り着いた。町の入り口には門などはなく、ここからが岩陸だという証のようなものもない。開けた道の左右に土産物屋や飲食店が並ぶさまは、どこか昔の宿場町を連想させた。本所に比べると、明治や大正時代の匂いがだいぶ濃く残っている。洋服よりも和服を着ている人が多く、日本の北と言うこともあって関東よりもだいぶ寒い。秋であるが上着がもう一枚あってもいいかと思えてしまう。

「なんか、やけに慌ただしいな。忙しそうだ」

 朧介が煙草を一本咥えつつ言えば、左隣のシロクが頭の後ろで両腕を組んで頷く。

「そうだな。思ってたより活気があるな」

「ん? 妙に引っ掛かる言い方をするな」

 田舎だからって馬鹿にしているのかと言えば、そうではないとシロクが首を振る。

「実はここ岩陸は、ひと月半前に化け物騒ぎがあってさ。人が逃げてしまって、それ以来衰退してるって話だったんだ」

「化け物騒ぎ? 魔羅螻蛄か?」

 言えば、今度は右隣を歩くシヅルが「そうではないようだ」と続ける。

「海に面した岩陸は昔から海坊主の領域なんだ。世が荒れると海も荒れ、それに怒った海坊主が人間界に災いを降らせる。ひと月半前の騒動は、海からの水害だったらしい」

「そうそう、だから畑とか商店とかが何もかもやられて、今は絶賛復興の真っ最中なんだ」

 そう答えたのはシヅルでもシロクでもなく、本所で別れたはずの鏡雅だった。丁度近くの商店で飴玉を買っていたらしく、ポリポリとかじりながら寄ってくる。

「雪田さん、お久しぶり。煙草ばっかりだと肺がやられますよ。飴玉要る?」

「要らねぇよ。というか、お前も喫煙者だろうが」

 押し付けられる飴玉を、要らないと手の平で押し返す。そういえば松前の鍾乳洞前でもシヅルに飴玉を勧められた。喫煙者に飴玉を食わせるのが流行しているのかと勘ぐってしまう。

「オレは半妖だからいいんだよ! 中々死なないし。今更煙草程度、屁でもないさ」

「……参考がてら聞いておくけど、鏡雅、お前何歳なんだ?」

「それシヅルさんにも聞かれたけど、厳密にはわかんないんだ。三百歳ぐらいかな。そういう雪田さんは何歳だっけ?」

「…………」

 規格外の言葉に、思わず煙を吐き損じてむせ返りそうになるのをグッと堪えた。半妖という前情報で覚悟はしていたが、やはり人間である朧介からすれば次元が違う。

「……三十だよ」

 思わずため息交じりにいえば、鏡雅がけらけらと笑う。

「三十か! オレの十分の一程度! でも人間の三十歳はそろそろ健康に気を遣わないといけない時期だから、やっぱり煙草も程々にするのがいい」

 そう言いながら鏡雅は朧介の煙草を奪い取って自分が咥え、代わりに飴玉を一つ朧介の口の中に捻じ込んだ。何をするんだと抗議の目を向けるが、当の本人は朧介から奪った煙草を美味しそうに吹かすばかりでこちらを見向きもしない。


「おいおい茶番はその辺にしろ。鏡雅も鏡雅だ、こんな遠い岩陸に何しに来た?」

 二人のやり取りを見守っていたシロクが痺れを切らして割って入る。もっと早く邪魔してくれればよかったのにと悪態をつきそうになるのをなんとか我慢すれば、さも今思い出したかのように鏡雅が手を叩いて言った。

「そうそう、明日祭りがあるんだよ。復興を後押しするために、岩陸は災いがある度に毎回祭りをやって人を集めるんだ。人が動けば金が動くし、金が動けば世が動くってね。皆で明るく陰の気を追い払うために、張り切ってこうして準備してるんだ」

「鏡雅殿は、その祭りを目当てにここに来たのか?」

「ああ、そうだよ。もう何回か岩陸の祭りにはお世話になってるな」

 それは裏を返せば、それだけこの岩陸という場所が何らかの災いを受けているという事ではないかと思いつつ、数多の苦労を乗り越え、今の時代まで土地を守ってきた岩陸の人々は素直にすごいと朧介は思った。故郷の村は、結局なくなってしまったことをふと思い出す。

「時に鏡雅殿、光(み)珠(たま)神社は無事だろうか?」

「光珠神社? ああ、そうか。岩陸の命地は神域である神社だったな。今回の騒動で崩れたとかいう話は耳にしていないよ」

「そうか、ならば行ってみよう」

 シヅルが歩きだせば、鏡雅がひらひらと手を振る。お前は行かないのかという視線を向ければ、「オレはまだここら辺を回るからさ、またあとで」と手を振り返された。

 それに反発する理由も特にないので、大人しくシヅルの後を追った。


 神社は、町の一番奥の石段を上がった先に静かに存在していた。百段以上あるだろうか、階段を全て上がり終えるころには息が切れてしまい、外は寒いはずなのに額にうっすら汗が浮かんだ。幾重にもそびえ立つ赤い鳥居をくぐれば、昼間だというのにどこか薄暗い。まるですぐそこに夜が迫っているかのようだ。

 だが不思議なことに悪い気配は一切なく、凛とした空気とどこか神聖な雰囲気に、自然と息が楽になる。

「きよめご、いるか」

 シヅルが境内の方へ向かって叫ぶと、ひょっこりときよめご達がどこからともなく集まってきた。社と鳥居の間、境内でシヅルが膝をついて何やらきよめごに耳を近づける。そのまましばらく黙っていたが、やがてスッと静かに立ち上がり、朧介とシロクに向き直った。

「ひと月半前の騒動でこの神社は直接被害を受けなかったが、町全体の穢れが残っているせいで力が発揮しづらくなっているらしい」

 そうだと言わんばかりに、シヅルの足元で白い光のきよめご達が跳ねる。

「どうにかできるのか?」

 先程吸っている途中に取りあげられた煙草を思い出し、新しい煙草を出して火をつけながら問う。ふぅっと紫煙を吐き出せば、きよめご達がじっと宙を見た。

「穢れているならそれを取り除く。丁度明日は祭りだからその加護を借りて、清めの儀式をしよう」

「どうやるんだ?」

「お供え物をして、厄除けの舞を私が行おう。その流れできよめごに協力してもらって、命地も……そして朧介殿も清めてしまえば良い」

「よーし、そうと決まればお供え物を買いに戻るかぁ……あ、待てよ?」

 グッと背伸びをしながら言ったシロクが、ちらりと朧介の方を見た。どうしたのかと思い怪訝な顔をし返せば「あー……」と、どこか悩ましい声を出し、咳ばらいを一つした。

「俺はこの神社の掃除をしておくから、買い物には朧介とシヅルの二人で行け」

「は?」

 予想もしない言葉に思わず朧介は煙草を取り落としそうになった。シヅルに余計な虫がつくことを良しとしない男が、一体どういう風の吹き回しなのかと思考を巡らせる。

「なんでだよシロク、お前も来いよ。というか、俺が掃除しといてやるからお前らが行けよ」

「いやいや、あのなぁ! ひ弱な人間である朧介を、いくら神域内とはいえ一人残して行けるかよ! いいからさっさと二人仲良く行ってこいや」

「はぁ……?」

 意味がわからないままにシヅルの方を見れば、彼女は彼女できょとんと首を傾げていた。

「朧介殿と二人きりでも私は構わないが、掃除をお願いしていいのか? シロク」

「おう、さっさと行ってこい」

 言いながら手の甲で耳飾りを撫でて一本の竹箒を出す。刀でも錫杖でも箒でも、なんでも収納できるのは便利だと思いつつ、どういう原理なのか疑問に思ってしまう。

「では朧介殿、行こうか」

「え? ああ、そうだな」

 シヅルが先だって階段を降り始める。その後を足早に追いかければ、振り向いたシヅルが目元を綻ばせて「転ばないように」と言った。

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