序章弐 生き残り

雪田朧介せったろうすけ、君は……その体に呪いを宿しているそうだな」

 窓が一つしかない暗い部屋で、橙色のデスクランプだけが光っている。奥中央のデスクに座る男は、かつて日本軍でそれなりの地位にいた人間だ。くたびれた目元と白髪交じりの髪が、あれから数年程の時の流れを表しているが、他人を見る時の射抜くような光はどこか当時の上層部を彷彿とさせるものがあった。

「あの激戦から唯一生き残って帰ったというのも、その呪いが何か関係しているのか」

 問いかけというよりは、答え合わせをするように確信めいた音をしていた。デスクから二メートル程離れた部屋の中央で、朧介は男の言葉に眉をひそめる。従軍時代ならば、こんな表情一度でも見せれば即刻平手の一つでも飛んでいただろう。だが今はもう戦時中ではない。

「何故、そのようなことを」

 問いかけに対して問いかけで返せば、男は少しばかり口角を上げながら「今だから言える話だが、」と続けた。

「戦時下の軍には、こちらの勝利と敵国の敗北を祈祷……まじなうために抱えていた術師がいる。それが君の存在を認識していてね。言ってきたのだよ、君が抱えている呪詛は解呪出来ると」

 言いながらデスクの引き出しに手を入れ、何やら数枚の写真を取り出した。それを朧介にも見えるように右手で持つ。

「この写真……何が写っているように見える?」

 そこには、どう見てもが写っていた。白黒の解像度の低い写真だが、写ったそれがとてもじゃないが人間の形をしていないことはハッキリとわかる。皆一様に手が長かったり、顔と思われる部分が縦に細かったり、かと思えば目と思わしきものが大きく一つしかなかったりと、おおよそ人ではないものだ。

「それは……怪異――妖怪ですか」

「ちゃんと見えているな」

 どこか安心したかのように男が言った。

「単刀直入に言おう。この写真に写っている化け物を探し出して殺しなさい。これらは日本に災厄を呼ぶとされる、呪いから生まれた化け物達だ。これらを全て殺せば日本は安泰だ。そしてそれは君の体の呪詛を解除することにもなるという」

 予期せぬ言葉に、眉間に皺を寄せる。何か言おうと口を開くが、なんと返事をすればいいかがわからない。世間ではいるかどうかもわからないとされるそれらを、現実主義の元軍人が殺せと言う。本気で言っているのか、と訝しんでしまう自分がいた。

「君は見えるのだろう? 人ならざるものが。その体質のせいか……君は戦後になってから何度か人ではないものを退けているそうじゃないか。ならば、こいつらは殺せる」

「ですが……」

 確かに男の言うことははずれていなかった。戦後本土に戻ってきてから、幾度となく人ならざるものに遭遇してきた。幽霊、と呼ばれるものは触れることすらできないが、おおよそ妖怪と言われるような実体が存在するようなものには触れられた。ゆえに、どうにかして退けていたのは間違いない。

「大戦はもう終わったんだ。これからは如何に日本が安泰出来るかを考えることが世のためになる。そこに災厄が脅かしてくる可能性が残っているのは、こちらとしても困るのだよ」

 言いながらシャツのポケットから煙草の箱を取り出し、一本咥えて火をつけた。ふぅっと深く吸って吐き出された紫煙が、部屋中にその臭いを拡散させる。

「討伐するたびに報酬を出そう」

「しかし……」

「君はあの戦争下で、生きたいと願ったのだろう? だから生き残った。普通に暮らすにも金はいるだろう、雪田よ」

「…………」

「ここはひとつ、協力し合おうじゃないか。日本の未来と君の未来、両方が救えるならば手を組まない選択はないと思うがね」

 拒否権はない、そう感じた。確かに呪いをどうにかしなければ、普通の生活を送ることは難しい。体に根付いた呪詛は行く先々で厄を呼び、人に触れようものならば良くない影響を与え続けてきた。それがもし、解呪出来る方法があるとするならば――。

「……わかりました」

 朧介は静かに首を縦に振った。

 化け物を殺せば、呪いが解ける。ならば受けない理由はない。

「そうか、雪田。助かるよ」

 正直なところ、日本の未来がどうなろうが朧介には知ったことではなかった。誰が酷い目に合おうが、誰が生き残ろうが、そんなことに興味もない。

 興味もないが、化け物を殺しながら各所を転々とすれば、いつか出会えるかと思ったのだ。

「……期待しているよ、雪田朧介」

 雪田朧介には、殺してやりたいやつがいた。

 自分の人生を、身体を、こんな風にした……顔も知らない誰かが。

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紫煙たゆたえ幽世まで。 城之内 綾人 @J_ayato

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